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常若比売の天降り婚  作者: 根占桐守
第一章
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第1話 呪いの神

 常若(とこわか)は、かつて己が生まれて初めて禁を破った遠い日の夢から、ゆっくりと覚醒した。


 あれはもう、六年ほど前のことだっただろうか。今年で十九歳となった常若(とこわか)はあれから一度として、屋敷人の許可無く〈箱〉の外に出たことはない。


「〈呪いの客神(まれびと)〉様……目覚めのお時間でございます」


 嗄れ声に呼ばれて、常若は目だけで辺りを見回す。四方から常若を囲い込む〈箱〉の分厚い御簾。そこから段の下がった、広々とした座敷には数人の屋敷人が額を畳に擦り付けて、(こうべ)を垂れている。この六年で、随分と屋敷人の人数も減った。


 そんなことを考えながらも、常若は〈箱〉の中にある寝具から身を起こすと、そばに畳んで置いている己の着物を身に纏うため、寝間着を脱いで裸になった。裸のまま、桶に張った冷水で洗顔し、手拭いでさっと身を清める。


 常若の蒼白くも思えるしなやか()つ柔らかな肢体は女性そのものだが、その中性的な顔はどこか日本人離れしており、人ならざる神秘性を帯びた、山荷葉(さんかよう)の如き美しさを湛えていた。

 常若は色素の淡い亜麻色の長い髪を、櫛で軽く梳く。非対称に切り揃えた前髪と横髪は、常若自身が適当に切ったものだ。髪を梳き終わると、己の身体をなるべく平らにするために胸を(さらし)で潰し、布を薄い腹や細い腰回りにも巻いていく。そうして、銀鼠色をした男性ものの着物を身に纏うと、最後に小紫の羽織を肩に羽織った。


 着替え終えた常若は〈箱〉の中心に敷かれた座布団に正座し、水晶といった透き通る宝石や、星雲の遠い光の瞬きにも似た、銀色の()を上げる。


 常若のいる〈箱〉の前には、いつの間にか見知らぬ男たちが首を垂れて正座をしていた。常若は淡々と屋敷人に問う。


「誰?」

五大家門(ごだいかもん)が一角、〈獣の家〉の者たちでございます」


 五大家門。それは、初代客神十二柱まれびとじゅうにはしらの血と異能を脈々と受け継ぎ、歴代の客神たちを輩出してきた五つの名家——火炎の家、獣の家、大地の家、風の家、水の家のことを指す。

 各五大家門は国から保護されており、村一つ分ほどの集落を持っていて、そのそれぞれから、山の異能を司る十二柱の客神が顕現するのだ。

 本日はその一角たる〈獣の家〉の者たちが、常若を訪ねてきたらしい。屋敷人が「ご用件をお話しください」と促すと、〈獣の家〉の男たちが首を垂れたまま、強張った声で答えた。


「家門の者、数名が〈神遺(かむい)〉の呪いに侵されてしまいました。ゆえに〈呪いの客神〉様に、彼らの呪いを解いていただきたく、この場に参上致しました次第です」


 八百万の神々の魂の残滓、そして太古よりこの日本に降りかかり続けている災害現象〈神遺〉。これを鎮魂すること、そしてこれにかかわる事象を解決することは、客神の務めである。

 常若は本日も持ち込まれた客神としての使命を果たすため、小さく頷いた。


「うん。いいよ——僕がその呪い、()べる」


 常若がそう言って、呪いを解くため片手を掲げようとすると、獣の家の男たちは「ひい!」と揃って悲鳴を上げた。常若は悲鳴を受けて、ぴたりと動きを止める。


「お、おやめください! 祟らないで、食べないで……!」

「呪いを喰うだと……? な、なんとおぞましい……これが〈祟り神〉……」

「あの御方、親さえ知られておらぬのだろう? 得体の知れない……」

「しかも、史上初めて誕生した唯一の女の客神。いつか女を嫌う山神の御方々から神罰がくだるのではないか……? おお、恐ろしや……」

「不吉だ。まさに忌み仔、祟り神……」

「なんと不気味な客神か……!」


 獣の家の男たちが、恐怖に身体を震わせて、口々に常若を罵る。屋敷人たちも彼らの恐怖に釣られたのか、首を垂れたままぶるぶると震えて「恐ろしや、恐ろしや……」と泣き声を上げていた。


 常若は己を畏れるか弱い人間たちを前にして、只々無感情に、憐れだと内心で呟いた。


 いつの頃からかは、わからない。しかし、常若にはいつしか、己を畏れるか弱い人間たちが、()()()()にしか思えなくなっていた。きっと、神たる己が触れてしまえば、水と血を止めどなく溢れさせて、ばらばらに弾け飛んでしまう、脆くて弱い肉塊。

 まるで、容易く握り潰してしまえるような、蟲のよう。


 常若にとって、人間は守るべき肉塊。

 か弱い蟲。

 たとえどれだけ畏れられ、忌み嫌われ、疎まれようとも——彼らのことは、守ってやらなければならない。

 それが、神たる己が生まれてきた、唯一の生きる意味なのだから。


 未だに止まない、人間たちの悲鳴や罵声にも構わず、常若は再び片手を掲げて、〈呪いの異能〉を行使した。


「集え。八百万の御方々が剥片(はくへん)。我が(しゅ)に集え」


 常若が掲げた腕を軽く振るうと、獣の家の男たちの身体から、光り輝く藁の糸が次々と伸びてきて、常若のもとに集うと収束する。そして、光の藁の糸は、小さな人型の形代と成った。常若はその形代を、一切の躊躇も無く呑み込む。

 これで、獣の家の男たちを侵していた呪いは、常若が全て取り込んだことによって無くなったはずだ。


 そう思い至って、常若が一息つこうと目を伏せた次の瞬間。常若の亜麻色の髪が淡く輝き、常若の全身から、強烈な神気が迸った。常若は思わず「ああ」と声を小さく漏らし、併せて内心で「しまった」と呟く。

 伏せていた目を上げれば、常若が不意に発した神気によって、獣の家の男たちの数名、加えて屋敷人の一人が泡を吹いて倒れていた。


「う、あ、あ……ああああああ!?」

「祟りだあ……呪いの神の、祟りだあ!」

「殺される、殺される……呪い殺される!」

「嫌だ嫌だ嫌だ、死にたくねぇ!」


 屋敷人も獣の家の男たちも問わず、常若の発した神気に()てられて気絶した者たち以外の、その場にいた全員が絶叫やら悲鳴を上げて、〈箱の間〉どころか常若の屋敷から転がるように逃げ出して行ってしまった。

 常若はしんと静まり返った〈箱の間〉の座敷を見回して、己の白い両手を眺めながら独り言ちる。


「……また、呪いの異能が強くなった。このままじゃ、いつか人間も殺しかねない」


 ここ数年、常若の〈呪いの異能〉は常若自身でも制御できず、凄まじい勢いで強くなっていた。さっきのように、気迫だけで人間たちを気絶させてしまうほどに。

 その影響で、常若の管理者たる屋敷人たちが次々と常若の強力な異能に中てられて倒れてゆき、六年前から随分と人数が減ってしまっていたのだった。


(このまま、客神の異能が強くなっていけば。いつか人間を殺してしまうような神にでも成り果てたら。僕はどうなるんだろう)


 常若は他人事のようにそんなことを考えて、小さく息を吐く。


(誰にも望まれていない。忌まれるべき僕は、いったいいつ死ぬんだろう。いつまで生きるんだろう。まだ生きていてもいいのかな)


 常若はふと、再び呪いの異能を使うと、片手に光り輝く長い釘を顕現させた。


(『祟り神』はきっと……早く死ぬべきなんだろうな)


 そんなことをぼんやり思いながら、常若は顕現させた光り輝く釘で、思い切り己の頸を掻き切った。

 しかし、常若の頸は、己の意思とは関係なく自動発動した呪いの異能——それが顕現させた藁の糸束によって守られ、釘は常若の頸動脈を掠めた程度で留まる。


 神たる己は、己の意思で死ぬことさえ叶わない。いつも、常若はその事実をまざまざと突き付けられて、今この瞬間まで無意味に生かされ続けている。これは生存本能というものか。はたまた、神の啓示か。常若には、何もわからない。

 常若は呪いの異能を全て掻き消して、その場にごろんと寝転がり、〈箱〉の低い天井を仰いだ。


「死ぬって、どうやるんだろう」


 常若の純粋な疑問。それは、がらんどうとなった広大な屋敷にて、虚しく響き渡った。

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