第18話 夫婦初めての共寝
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銀鏡一家との食事を終え、屋敷に帰ってきた常若と千種。
帰宅早々、家事や風呂諸々を済ませた二人が現在の時刻を確認すると、もう既に二十三時を回っている。
「そろそろ寝ようか。若さん」
そう声をかけてきた千種に、常若は小さく頷いて立ち上がる。そのままいつも通り自分の寝室に向かうかと思われたが、なんと常若は千種の寝室に入ると、そこで千種の布団を敷いて、いそいそとその中に潜り込んだ。
それを終始、頭に疑問符でも浮かべていそうな顔で茫然と見守っていた千種が、ようやく我に返って、千種の布団で寝る気満々な常若へと、恐々とした様子で尋ねてきた。
「え……えーと? 若さん? 何で俺の布団で寝ていらっしゃるのでしょうか……?」
「? 夫婦は一緒に寝るんじゃないの? 氷真と弓木は、いつも一緒に寝てるって言ってた」
常若の発言に、千種が雷にでも撃たれたような顔をしてぴしゃりと固まった。
しばらくしてようやく千種の硬直が解けたかと思えば、片手で口元を覆い隠しながら顔を背けると、「あんの、ラブラブ夫婦……! うちの若さんに何ちゅうことを……」と何やらぶつぶつと独り言ちている。
そんな千種の様子に、常若は「やっぱり、千種は自分と一緒に寝るなんて嫌なのかもしれない……」と己の軽率な行動を後悔し始めたが、それでも奮起して、後ろ向きな思考を吹き飛ばすように頭を振りかぶった。
そして、布団の中から半分だけ顔を出すと、常若は籠る声で己の本心を千種に打ち明けた。
「僕……誰かと一緒に寝たことないから。初めては、千種がいい」
「!? ……んぐ、あ……!」
何やら千種が胸を押さえて呻き声を上げる。
そのまま天井を仰ぎ、両手で顔を覆い隠して硬直すると、またしばらく経って、今までに聞いたことがないほどか細い声でこんな妥協案が出された。
「あの、一緒の布団、じゃなくて……布団二つ並べて寝るってことでも、いいデスカ……? じゃないと俺……うん……色々とやべぇから……お願いします……」
という、何処か必死とも捉えられる妥協案であったが、常若は目をきらきらとさせて「うん。それでいい。じゃあ、一緒に寝よう」と快諾するのであった。
千種によって電気が消され、二人はそれぞれの布団へ入って横になった。
穏やかに流れる沈黙には、蛙の鳴き声が混じって、子守歌のように心地好い。
閉められたカーテンからは淡い月明かりが漏れて、仰向けに寝ている千種の横顔を青く照らしている。
常若は身体を横向きにして布団の中に入っており、隣に居る千種の寝顔を凝視していた。
月明かりによって更に青みがかって見える千種の黒髪が綺麗だと思った。それに、いつもはセットされている髪が下ろされて、眼鏡をしていない千種の顔を間近で見るのは何だかとても新鮮だ。
思わず常若は千種の頭に手を伸ばして、その髪を梳くように撫でる。
すると、千種がびくりと大きく身体を震わせて、かっと目を見開くと、ぎこちない動きで常若の方に身体を向けてきた。
いつも真っ直ぐに常若を見てくれる黄金の目は、何故だか今夜に限ってしきりにふよふよと泳いでいる。
「どっ……どどどどしたの、若さん?」
いつも飄々としているはずの声も、何故か微かに裏返っている。
いつもと雰囲気どころか様子も違う千種が興味深く、何だか胸が擽られるような思いもして、常若は千種の頭を撫でる手を止めないまま、狼狽える千種の声に応えた。
「あ、ごめん。勝手に触って。嫌だった?」
「や、嫌ではないですけども……びっくりした。俺、背もデカいし。まあ身内もほぼいないしで、頭撫でられたことなんてなかったからさ」
常若の頭を撫でる行為に釣られるかのように、千種の目蓋が徐々に下がっていって、千種の緊張やら困惑も解けていくのがわかる。
千種の金色の瞳を隠す目蓋。
そこにうっすらと浮かぶ細くて青い血管は、いつまででも見ていられる気がした。
「若さんが初めてかもな」
気持ちよさそうに、千種が囁く。そんな千種の呟きに、常若は目をしばたたかせた。
「じゃあ、これからはこうやって僕が千種を撫でるよ。昔、絵本で習ったんだ。人間の子どもは頭を撫でると安心するって。嬉しいんだって」
常若には、あまり過去の記憶がない。
神として生きてきた日々は確かに存在するはずなのに、今の常若にはそれらの殆どが曖昧だ。
しかし、人間のために身に着けてきた「知識」だけは、どれも鮮明に覚えている。
絵本や小説、教科書、教師の屋敷人に教わったあれこれ。
これらだけは、己の生きる意味の根幹として、使命として、忘れないように常若の魂に焼き付いているのかもしれない。
そんなことを頭の隅で考えていると、ふと千種が薄く目を開いて、どこか嚙み締めるような、大切な思い出をなぞるような微笑みを浮かべて、独り言ちた。
「若さんのそれ……懐かしいな……」
そう呟いた後、千種はまたゆるりと目を伏せて、吐息と共に小さな笑い声を零す。
「ふふ。だけどさ、若さん。俺はもう子どもじゃねぇよ」
千種の言葉に、常若は頭を撫でている手を止めて率直に尋ねる。
「そう? 嬉しくなかった?」
「……いや、凄ぇ嬉しかった。ありがとう。若さん」
千種は再び目蓋を薄っすらと開いて、しばらくどこか遠い目をしていた。しかし、すぐに視線を常若に戻す。
「さて、そろそろ寝ようぜ。明日も早いからな」
そう言って千種が、頭を撫でていた常若の手を取り、布団の中に戻してくれる。常若は素直に千種に頷いて見せて、ゆっくりと目を閉じた。
「うん。おやすみ、千種」
「ああ。おやすみ、若さん」




