第14話 アイスクリームのような
氷真に笑顔を向けられたこと。
恐れることも疎まれることも一切無く名前を呼ばれ、握手を求められたことに「千種の言う通りだった」とほっと胸を撫でおろしながらも、やはり慣れない事には緊張してしまう。
緊張する常若は何とか事前に千種に教えてもらった通りに挨拶をすると、氷真と握手を交わす。流石は〈雪の客神〉とあってか、氷真の手はひんやりとしていて気持ちが良かった。
氷真がにっと常若に笑いかけた直後、打って変わって虫を見るような冷たい眼差しに切り替わると、ようやくまた立ち上がった千種を睨み上げた。
「そんで、だ。千種。お前、ここ一年くらいまったく連絡寄越さなかったじゃねぇか。何やってたんだ」
「あらやだ。氷真くんは俺のオカンか何か? ……って痛い痛い痛い! 冗談! 脛蹴るのやめて!?」
千種の悪ふざけに、次は氷真の強烈な下段蹴りの連撃が、千種の脛を容赦なく襲う。
「黙れ、詐欺師面。兄貴分に定期的に連絡寄越すのは双子舎弟の義務だろうが。蹴るぞ?」
「いやもう蹴ってますから! ていうか、俺たち氷真くんの舎弟だったの!?」
双子舎弟とは、千種と一颯のことだろう。
二人揃って以前は、恩人だという氷真に世話になっていたのだろうかと常若は推測する。
「当たり前だろ。何言ってんだ舎弟二号」
「いやそこは俺が一号では? カズが一号なのは認められねぇわ」
「どこ気にしてんだ馬鹿。めんどくせぇな」
兄貴分の氷真による弟分千種への微笑ましい可愛がりが続いたかと思えば、ふと氷真が千種の口から出た「カズ」の名前に、何かを思い出したような顔をして、眉を上げて見せた。
「一颯といえばお前、あいつとまた喧嘩したんだって? この間、一颯とも会ったぞ」
氷真の言葉に、千種と常若は揃って目を丸くして互いに一度顔を見合わせる。
「! カズが、そう言ってたのか?」
「いや? 如何にも『双子喧嘩しました』ってぶすくれた顔に書いてあったからな。しかも、その双子喧嘩に常若も巻き込んだんだろ?」
氷真の確信を得たような問いに、千種が思いがけずといった様子で口を噤む。
「……」
「図星か。馬鹿どもめ」
千種の沈黙に、氷真は呆れたように息を吐く。その直後、目にも留まらぬ疾さで氷真が千種の腹へと重い拳を叩きこんだ。
「ぐ、あ……」と低く呻き声をあげ、千種が大きな身体を折り曲げて咳き込む。常若は思わず千種の背中に手を添えようとしたが、千種に「大丈夫。若さん。これは俺たちが全面的に悪い。氷真くんに殴られて当然だから」と、片手で制される。
「安心しろ。先に喧嘩吹っ掛けただろう一颯は顔面を殴っておいた。そんで常若、うちの馬鹿どもがごめんな。苦労かけただろ?」
氷真が眉を下げた、困ったような笑みを浮かべて常若に目を向けてくる。
常若は氷真へと小さく首を横に振って見せた。
「……ううん。僕は何とも。むしろ千種と一緒に、一颯に会えて良かったと思ってるから」
「そうか。千種には勿体なさすぎるくらい、いい奴だな。常若は」
「……ああ。俺にはめちゃくちゃ勿体無ぇよ」
氷真の呟きに、千種が今までにないほど静かかつ、穏やかな声で応えた。
らしくない千種の声に、常若は「何か声をかけないといけないのではないか」と咄嗟に思って口を開きかけるが、それは再び炸裂した氷真の下段蹴りによって遮られた。
「少しは否定してみせろよ。ヘタレ野郎」
「ちょっ! 何言っても蹴られるんですが!?」
二人が千種の脛を蹴るか守るかの攻防を繰り広げる中、民宿の方から「おーい。氷真、千種くん」と呼び掛けてくる一人の女性が駆け寄ってきた。
その後ろからもぞろぞろと、どこか氷真によく似た人々が数人、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。
ウェーブがかかった美しい胡桃色の長髪に、垂れ目がちな瞳が優しげな女性は氷真に「おう。弓木」と呼ばれている。氷真の隣に並んだその女性は誰だろうと常若が首を傾げていると、すかさず千種が紹介してくれた。
「若さん。こちら、銀鏡 弓木さん。氷真くんの奥さん且つ、神使ね。今、民宿から出てきてる奴らは氷真くんの弟妹であいつらも皆、神使。氷真くん、十人兄弟の長男なんだよ。そんで〈雪の客神〉に仕える神使は皆〈雪の客神〉の家族だから、〈雪の客神〉一行のことは銀鏡一家って呼ばれてるわけ」
千種の紹介に、常若は思わず軽く目を瞠った。
家族で客神と神使の使命を果たしていることにも驚きだが、常若たちと同じく、氷真も己の伴侶を神使としているのが意外に思えたからだ。
しかし、前に邦神治安総局の局員が「客神は伴侶を持つことで異能の力が安定するという記録が、古より残っている」と話していたことを思い出し、そう珍しい事例でもないのかもしれないと思い至る。
「どうも、お久しぶりです。弓木さん」
「ええ。本当に久しぶりね、千種くん。そしてそちらが噂の常若ちゃんかしら? 私は〈雪の客神〉たる銀鏡 氷真の神使及び妻の、銀鏡 弓木です。どうぞよろしくお願いします」
「……はい。僕は〈呪いの客神〉、万枝 常若。よろしく、弓木」
弓木に一礼する千種に倣って、常若も自己紹介をした後にぺこりと頭を下げた。
そうしているうちに氷真の弟妹たちがやってくると、皆して常若に「初めまして!」と挨拶してくる。常若も慌てて弟妹たちそれぞれへと頭を下げて挨拶を返した。
次いで、弟妹たちは皆揃って千種の姿を見つけたかと思えば「お、千種くんだ!」「久しぶりー!」「千種くん、神使術見せてよ。ていうか、一緒に今から氷真兄と神舞やらない?」と群がる。
それに便乗した氷真が、悪戯っ子のような笑みをにやりと浮かべた。
「お。いいな、それ。久々に神舞の模擬演習やるか。一颯に聞いたぞ? 千種お前、常若を支えてやるのにヘロヘロらしいな。よし、久々に俺が鍛えなおしてやる。来い」
「ええ? ちょお、待っ……! 勘弁してくんない? 若さんを置いてくわけには……」
「弓木がいるだろうが。それとも何だ? お前、俺の神舞に合わせられなくなってんじゃねぇだろうな。下手くそになってやがったら、ぶっ飛ばすぞ」
「理不尽〜」
氷真には腕を引っ張られ、氷真の弟妹たちには背中を押され、ずるずると連れていかれる千種。
常若は経験したことのない多人数にもみくちゃにされ、ぽかんと半ば放心していたが、既に遠くにいる千種から声をかけられて、我に返った。
「ごめん、若さん! ちょっと行ってくる。すぐ戻るから!」
「……あ。うん。いってらっしゃい」
銀鏡一家の中でも頭一つ身長が高い千種が、人の群れの中から大きく手を振ってくる。何だかその姿が面白く思えて、常若は無表情のまま「ふ」と笑いの混じったと息を漏らすと、同じように手を振り返した。
ふと、常若の隣に立つ弓木が、にこにこと何やら至極楽しそうな、嬉しそうな笑みを浮かべてまったりと独り言ちる。
「恋してるわね〜。あの千種くんが。何だか感慨深い」
「!」
恋。千種が、恋。
恋とは何か、昔絵本でおぼろげに読んだことがある。確か、「すき」という感情とよく似ているもの。夫婦とは、恋に落ちた二人が成るものなのだとか。
しかし、契約結婚である千種と常若は、恋などしていない。そのはずだ。ゆえに常若は、「千種が恋している」という弓木の言葉に、疑問を抱かずにはいられなかった。
(僕たちは『恋』なんてしてないはず。だけど、千種は『恋』してる……? じゃあ、それは僕にも持てる感情? 『恋』したら、僕たちは本当の夫婦に成るのかな)
次々と疑問が湧いてきた常若は、思わず弓木を穴が開くほどに見つめて、若干いつもより早い口調で問うた。
「ねぇ、弓木。恋って、どんなもの? どんなきもち?」
常若の問いに、弓木は優しげな垂れ目を一瞬だけ丸くしたが、すぐにどこか懐かしむような顔をして、くすりと微笑んだ。
「そうねえ。恋は、沁みるくらい痛くて、ちょっぴり頭がくらくらして、冷たくて、やみつきになるくらい甘い──アイスクリームみたいなもの」
「アイスクリーム……?」
アイスクリームは、前に千種と一緒に食べたことがある。千種の手料理に次いで、常若の好物の一つだ。
常若は弓木の「恋はアイスクリーム」という喩えに「うん……?」と首を捻って唸る。そんな常若の頭を、弓木の柔らかな手が撫でた。
「常若ちゃんも、いつか恋をする。きっとそうよ」
そんな弓木の言葉に、常若は「どうだろう」と遠くにいる千種を一瞥して思う。
神たる己が、人間に「恋」することなどできるのだろうか。そして本当に、千種は常若に「恋」してなど、いるのだろうか。
恋とはアイスクリーム。
アイスクリームのような感情とやらを、千種に抱いたことがあっただろうかと常若は己の記憶を振り返ろうとするが、それは弓木の声によって遮られた。
「ねぇ、千種くんが戻ってくるまで私とお話してみない? そこのベンチに座って女子トーク、やりましょう」
にこやかに笑う弓木の誘いに常若は一度目をしばたたかせるが、すぐに「じょしとーく。やりたい……!」と何度も頷いて見せた。




