第10話 誰の神使か
「おい」
不意にすぐそばで、もう随分と耳慣れた低い声が唸る。
気が付けばいつの間にか、常若と風の客神の間に「本物の千種」が割って入って来ていた。千種は額に汗を滲ませて息を切らしながらも、常若に向かって上がりかかっていた風の客神の腕を、片手で強く押さえているようだった。
「なぁにやってんだ——カズ」
千種が風の客神の方に顔を向けて、呼びかける。
「カズ」とはおそらく風の客神のことだろう。千種に呼ばれた風の客神は、どこか馬鹿にするような嘲りを交えて、千種を鼻で笑った。
「それはこっちの台詞や。千種——何、犬みたいな息しとんねん。ダサ」
「嫌な予感がぷんぷんして、死ぬ気で走って戻ってきたんだよ。それにしても、まあ……これほど的中して嫌な勘はねぇわ」
「……ふん。なんやねん。勘だけは鈍ってへんやないか。褒めたるで、ポンコツアホ千種」
「喧しい」
風の客神は、強く押さえられていた千種の手を振り払い、短く舌打ちをする。
一方の千種はそれにも構わず、随分と心配そうな様子で常若を振り向いた。
「若さん、ごめん。遅くなった。大丈夫? このチンピラ変質者になんもされてない?」
「お前が言うなや。詐欺師みたいなカッコしよってからに。俺と同じ顔して、センスないことせんといてくれます?」
珍しく端々に棘がある千種の言葉に、風の客神が不機嫌そうに嚙みつく。だが、千種はそれを平然と無視するので、風の客神がまた苛立たしげに舌を打ち鳴らした。
常若は本物の千種が駆け付けてくれたことで、ほっと胸を撫でおろしながらも、千種と風の客神を見比べて首を傾げる。
「僕は大丈夫。それより、その人とは知り合い?」
常若の問いに、千種はどこかばつの悪そうな顔をしながらも「あー」と低い声を漏らして、横目で風の客神を一瞥する。
「こいつはカズ。斗戸 一颯。若さんと同じ、当代客神十二柱の一人。風の客神。そんでまあ、見ての通り——俺の双子のきょうだい、ってやつだ」
「……別に。俺は神ちゃうし。神的天才ではあるけども」
千種の紹介に、風の客神——一颯は、ふんと鼻を鳴らして独り言ちるように反応した。
常若は一颯が「千種の双子のきょうだい」ということに、「なるほど」と内心で得心する。おそらく、一卵性双生児というものなのだろう。それほどまでに、千種と一颯は、鏡映しの如く何もかもが「同じ」と錯覚してしまうくらい、そっくりに似ているのだ。
「んで? 何しに来たの。お前」
千種が片手を腰に当てて、怪訝そうな顔をしながら短く問う。それに一颯は、あからさまに眉を顰めながら答えた。
「とぼけんなや、ポンコツ。お前を連れ戻しに来たに決まっとるやろ。お前は俺と組まなあかんのやからな」
一颯の答えに、思わず常若はぴくりと肩を小さく揺らして反応した。先ほど一颯が言っていた「千種は俺の神使。だから返せ」という言葉が、脳裏を過る。
今の千種は、常若の神使——そのはずだ。千種は、どうするのだろう。何と答えるのだろうと、何故だか無性に気になって、常若はちらりと隣に立つ千種を横目で盗み見た。
一方の千種は、まるで一颯が言う事の何もかもが始めからわかっていたかのように無言で、ただ金色の双眸を細めると、淡々と一颯に言い放つ。
「何度も言ったが。お前の神使は正式に辞表を出しただろ。それと俺はもう、邦神治安総局も辞めてる。あそこから依頼を請けることもあるが……今の俺はフリーの身かつ、ここに居る若さんの神使だ。それにお前のとこにはすぐ、邦神治安総局から俺の代わりになる新しい神使が派遣されたはず……」
「んなもん、すぐクビになったわ。使い物になれへんねんもん」
千種の声を遮って、一颯が舌打ちと共に吐き捨てるように言い放つ。
「クビになった」ということは、もしかしたら一颯も常若と同じように異能が強すぎて、千種以外の神使とは神舞すらできなかったのだろうか。
そんなことを密かに常若が考えていると、一方で千種は一颯の発言に驚いたのか、微かに目を瞠って吐息を漏らす。
「は……」
「はあ、ちゃうねん。お前、何もかもが全っ部、見当外れやねんなあ。千種、お前が俺以外の奴と組めるわけないやろ」
一颯が、ぎろりと千種を睨み据えた。千種は一颯の発言が気に障ったのか、煩わしそうに頬骨辺りの筋肉をぴくりと動かして眉間に深く皺を寄せる。
「お前の本気、引き出せんのは俺しかおらん。ほんで、俺の本気についてこれんのも、お前しかおらん。お前が邦神局やめようが、どこぞの馬の骨かもしらんそこの客神に執着してようが、何だろうが、何も関係あれへんねん」
一颯が早口で捲し立てながら、大股で千種に歩み寄ったかと思えば、千種の胸倉をネクタイごと掴み上げた。
「お前には、俺しかおらんやろ」
「……」
千種の胸倉を引っ掴み、ただならぬ気迫で迫る一颯。双子のきょうだいは一瞬、互いを今にも殺しにかかりそうなほどに壮絶な顔で睨み合っていた。しかし、そこにふと、箒を地に置いた常若が千種を掴む一颯の手をするりとさり気なく解かせて、二人の間に割って入ってくる。
「なに? 関係ないのに、邪魔せんといてくれる?」
「関係はあるよ」
地を這うような低い声で凄む一颯に一切怯むことも無く、常若は己よりも二回りくらいは大きい一颯を真っ直ぐに見返して、無機質な声を以て述べる。
「だって千種は僕の神使。だから、千種に乱暴なこと。しないで」
そんな常若の言葉が相当頭にきたのか、一颯は引っ掴んでいた千種の胸倉を乱暴に突き放すと、青筋を立てた無表情で常若を振り向いた。
「……千種はあんたの神使、か。せやったらあんた、そんな大口叩けるほどの力はあるんやろな?」
一颯が常若のすぐ目の前に立ち、首を傾げて常若を見下ろしてくる。
「証明して見せぇ。あんたが千種に、相応しいかどうか——無論、力づくや」




