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常若比売の天降り婚  作者: 根占桐守
プロローグ
1/29

万枝 常若

 熱い液体が、血みどろ少女の横っ面を叩くようにぶちまけられる。ぱりん、と音を立てて、少女が頭から被った茶が入っていた湯呑は、少女の足元で粉々に砕けた。このお茶は、もうすぐ少女を訪ねて来るという「国のお偉い様たち」とやらに、出される予定のものだったはず。


 少女の管理者である屋敷人たちが、少女を見ることなく、淡々と少女を責める。


「よりにもよって、邦神治安総局ほうじんちあんそうきょくのお(かみ)の方々が訪問されるこの日に……なにゆえ、勝手に〈箱〉から出られたのですか。あなたがこの〈箱〉から許可なく出ることは、国から許されておりませぬ」


〈箱〉とは、少女の背後にある、四面に分厚い御簾(みす)が垂れ下がった、箱状の(おり)の如き(かご)を指している。少女は幼き時より、この〈箱〉から許可なく出ることを禁じられていた。


 それにもかかわらず、今日の少女は生まれて初めて、その禁を破って外に出た。そのために、少女は屋敷人たちに熱い茶を何度もかけられ、湯呑を目の前で幾つも叩き割られて、責められ続けている。


 少女が生まれて初めて禁を破ったのには、理由があった。ゆえに少女は、それを事務的に報告しようと小さな口を開く。


「ここ一年。ずっと、又隣の山界(さんかい)で膨張している〈神遺(かむい)〉の気配がいくつかあった。そこから人間の子ども、二人分の泣き声がいつも聞こえていた。救いを求めていた。〈神遺(かむい)〉の鎮魂(ちんこん)()()()わたしの務め。助けを求めるか弱い人間を救うことも、()()()わたしの務め。禁を破ろうとも、神の務めは果たさねばならない。だからわたしは、箱を出た。報告は以上」


 そこまで言い終えた瞬間、また熱い茶を屋敷人からぶちまけられた。少女の前髪から熱い雫と冷めた雫が(したた)り、それらが傷塗れの白い頬を伝って血と混じると、幾筋も滑り落ちてゆく。もう慣れ切った折檻(せっかん)に、少女は眉一つ動かすことはない。


「その『わたし』という呼称はおやめください。何度申し上げればよいのですか。あなたは山神(やまがみ)御方々(おんかたがた)に、女であることを知られてはならない。ゆえに、『僕』とお名乗りくださいませ。あなたは男です。よろしいですね?」

「ああ、恐ろしや、恐ろしや……今のが山神の御方々の耳に入っていなければよいが」

「女の祟り神でありながら、禁まで破るとは……なんと嘆かわしい。なんと忌々しい。なんとおぞましい……次に禁を破ることがあれば、我々はあなた様の所為で死ぬこととなるでしょう」

「う、ううう……うあああ、あ……」


 屋敷人たちが正気を失ったような焦点の合わない目を漂わせ、口々に唾を飛ばして悲鳴を叫ぶ。

 少女は男だ、少女は女の祟り神だ、と。言う事は矛盾していたり、支離滅裂だったりしている。しかし、少女は屋敷人たちの罵りを素直に全て受け止めて、小さく頷いて見せた。


「わかっている。()が悪かった。もう、箱からは出ない」


 少女が温度を感じさせない声色でそう告げると、屋敷人たちが〈箱〉の御簾を上げた。一刻も早く、少女に〈箱〉の中へと戻って欲しいのだろう。屋敷人たちは誰も少女を視界に入れることはなく、「恐ろしや、恐ろしや……」とぶつぶつ震えている。少女は箱の中に入ると、四方を御簾に囲われたその中央で、静かに腰を下ろして正座した。


 屋敷人たちが御簾の向こうで整列するように並び、畳に額を擦り付けて少女に首を垂れる。


「それでは、〈呪いの客神(まれびと)〉様……本日は一日中、勉学をせよと国より仰せつかっております。禁を破られたあなた様は今一度、この日本の成り立ち、そして御身(おんみ)の立場を(わきま)えていただかなければとのことです」


 屋敷人たちが声を揃えて、少女に迫る。


「いざ、〈呪いの客神(まれびと)〉様——客神十二柱まれびとじゅうにはしらの神話を、復唱なさりませ。御身が二度と禁を破らぬように」


 屋敷人たちにそう脅迫されて、少女は目を伏せながら口を開いた。




 日本には、八百万(やおよろず)の神々がおわす。

 八百万(やおよろず)の神の御方々(おんかたがた)は、非常に気まぐれであった。

 ゆえに日本全土は、気まぐれな神々の魂の残滓が引き起こす巨大な災害現象——「神遺(かむい)」が降り注ぐことが、いにしえより日常と成っている。

 しかし、気まぐれな八百万の神の中でも、人と近しく在る神々がいた。


 それが、山神である。


 日本人は国土の八割を占める「山界(さんかい)」という神々が息づく無数の山世界と共に在った。太古より山を崇め奉り、山を守り、山と共に生きてきた。

 山の神々は豊かで、女を嫌う激しい気性でもあるが、人の子に関心がある珍しき神々であった。

 そして唯一、人々の意思が通じる稀な神であった。

 ゆえに人々は、山神を通して気まぐれな八百万の神々を祀るためにも、より一層山神を貴んだ。

 それに山神も応え、人の子らが他の八百万の神々から受ける「神遺」を転じて祝福と成すため。山神は己の化身ともいえる現人神を人界に遣わす。


 火炎、灰、呪い、獣、蟲、狩猟、水、雪、風、大地、金鉄、気。


 これら十二の山を司る異能を授かりし、神々の末席に連なる現人神たち——彼らは〈客神十二柱まれびとじゅうにはしら〉と呼ばれていた。




 幼き頃から数え切れぬほど復唱させられた神話を唱えた、少女——〈客神十二柱〉が一柱、〈呪いの異能〉を司る客神たる「万枝(よろずえ) 常若(とこわか)」は、伏せていた銀色の()を、ゆるりと上げた。

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