第10話 切ると決めた夜
「お姉ちゃん、ありがとう。ばいばい!」
看護師に手を引かれてプレイルームから去っていく盲目の少年、連。
わたしは彼の姿に違和感を感じた。
……あれ? 糸が??
連の背中、そこから黒い糸が重力に逆らって空中に伸びているのが「見える」。
明らかにこの世の理から外れた糸は、病院の壁を越え、窓の向こうへと伸びていた。
糸をじっと見ていると、背筋がぞくっとする。
……同じものをあの時、見たわ。
「嫌な感じ。あの糸、子猫を縛っていたのと同じ?」
「あ、どうかしましたか? すいません、連くんが抱きついてしまって」
わたしが小声で呟くと、保育士の女性が尋ねてきた。
連が、わたしの胸を揉むように抱きついてきたことが嫌だったように聞こえたのかもしれない。
「あ、今のは別の事です。連くんが抱きついてきたことは一切気にしてませんから。まだまだ母親が恋しいだろう年頃ですものね。ご家族、あまり来られないのかなって思って」
「……個人情報なので詳しくは言えませんが、寂しくしているのは事実ですね。今日は、ありがとうございました」
……何か、気になる。ひなちゃんに聞いてみようかな?
「また遊びに来ますね。では」
笑顔の保育士に会釈をして、わたしは病室へと帰った。
◆ ◇ ◆ ◇
「……ということがあったの。ひなちゃん、何か分かるかな?」
夕方、見舞いに来たひなに、わたしは少年の事を話した。
「むむぅ。あの時の糸と同じかや?」
ひなの表情が、きゅっと引き締まる。
「あの手の呪術は、己のものだと示すための印じゃな。アヤカシや荒神、呪術者。同じ側の存在に知らせる役割もあるのじゃ。他には縛り付けて、逃がさぬために使うものじゃな」
「マーキングなんだ! じゃあ、連くんが危ないかもしれない!」
わたしは、あの糸が悪いのものと知り、慌ててしまう。
「慌てるでない、お姉さま。此方も気になるのじゃ。それとなく、母さまに少年の事を調べてもらうのじゃ。しばらくは様子見をするのじゃぞ」
「分かった、ありがと。何か仕事を増やす様なことしちゃって」
「なんのなのじゃ。此方よりお姉さまの方が、霊体を見る『眼』は間違いなく良いのじゃ。頼ってくれて嬉しいのじゃ。お姉さまが気になるのなら、何かがあるはず。事件が起きる前に阻止できるのなら、それが一番なのじゃ」
無理を言ったはずなのに、嬉しそうなひな。
大人に頼られるのに慣れているのもあるだろうが、わたしの事を気遣ってくれているのだろう。
「因みに、その糸。今切ったら大丈夫になる?」
「どうじゃろうなぁ。いまのとこ、害がないのなら放置の方が良いと思うのじゃ。もし切られた事が術者に知られたら、確認に来る可能性が高いから逆に危険なのじゃ」
幼くとも、流石は専門家。
わたしの思い付きが、更なる危険を呼ぶことを教えてくれた。
「分かった。とりあえず、その子。連くんの周囲をそれとなく注意しておくね」
「綾香お姉さま。くれぐれも無茶はするでないぞ? まだ病み上がりで本調子ではないであろう? 勝手に危ない事に首を突っ込むでないわい」
大人ぶった口調で、わたしを制止するひな。
こんな小さな子にまで心配されるのは、なんとも情けない。
「ごめんね。バカで突撃娘のわたしで……」
「いやいやなのじゃ! 此方は、そんなお姉さまだから助かったのじゃ。感謝こそすれ、バカになぞせぬのじゃ!」
ぎゅっと抱きしめにくるひな。
わたしも彼女を抱きしめ返した。
……とっても暖かいなぁ。
◆ ◇ ◆ ◇
「今日は静かだよねぇ……」
消灯時間も過ぎ、看護師が廊下を歩く音以外は聞こえない夜の病棟。
個室とは言え、ゲームやビデオを見る訳にもいかず、ベットの中でまんじりするわたし。
「連くん、一体何があの子に悪さしているんだろう? 何も無かったらいいんだけど……。そうなったら、わたしが切らなきゃ」
ひなに聞いた悪意の糸を操る呪術。
連を縛る糸。
そこに何があるのか、気になって仕方がない。
「ふぅ。病院なら大丈夫か。とりあえず寝ましょ」
眼を閉じ、静かに息をし始めた時。
「! え、この感覚は?」
ピシという音と共に、周囲の雑音が完全に消える。
世界が今までと違う。
空気が重くなり、全てを拒否されるような感覚。
わたしは、がばりとベットから起きだし、病室のスライド扉を開いた。
「誰か……?」
普通なら見回りの看護師が歩いている廊下。
しかし、薄暗くて誰もいない。
「……そうだ。ナースコールを!」
部屋に戻り、ナースコールのボタンを押すが、一向に反応がない。
ボタンを押すと光るランプは一向に灯さず、スピーカーからは音も出ない。
「まさか!?」
スリッパを履いて病室を飛び出し、ナースステーションへ走る。
「ここも無人? 絶対におかしいわ」
廊下の照明は、スイッチを押しても光らない。
必ず看護師がいる筈のナースステーションも無人。
検査機器のモニターすら、黒い画面のまま。
「あ! 連くんが危ない!!」
わたしは、ナースステーションに置いてあった点滴台から長めのパイプを借用する。
そして連がいるであろう病棟まで走った。
……胸騒ぎがするの。これ、結界じゃない?
魔神の作った結界とは全く違い、病院は病院のまま。
ただ、誰もいない。
「連くん、大丈夫!」
ガバっと大部屋のスライド扉を開く。
部屋の中は真っ暗。
六人部屋のはずなのに、一番奥。
窓際のベット以外、誰もいない。
「何をしている!」
奥のベット、そこに連が眠っている。
彼の胸元から、黒い糸が伸びていた。
糸の先。
無数の縒れた糸をまとい、酷く乱れた長髪の老婆が連を覗き込み、彼の顔を撫でていた。
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