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閃光の代償は、零度で曇る

作者: かきのたね
掲載日:2026/01/04

  第一章:剥き出しの荷電粒子砲


 カイトが目覚めて最初に行う儀式は、指先で慎重にまぶたの状態を確認することだ。

 もし、指先にカサついた感触があれば、その日はもう半分詰んでいる。


「…………」


 無言。暗闇の中で、嫌な音がした。乾燥して眼球に張り付いたまぶたが、無理やり引き剥がされる音だ。昨夜、加湿器の給水タンクが空になっていたらしい。カイトは一滴一万五千円する特注の角膜保護用ヒアルロン酸を、砂漠のような瞳に注ぎ込んだ。


 鏡の中の自分を、彼は一瞥もせず、ただ軍用ジャケットを羽織る。


(……おかしいだろ。構造が。出口が目? 粘膜だぞ? 手のひらなら耐熱手袋もハメられたのに、なぜ神様は俺の顔面に高出力兵器を直結した? 設計ミスだ。致命的なまでのな)


 内心で荒れ狂う不満。だが、通信機からオペレーター――リンの声が響いた瞬間、彼の表情は氷のように冷徹な英雄のそれへと切り替わった。


『カイト、出動準備。地区D3の大型スクラップ処理場で、重機が暴走中。延焼を防ぐには、あなたの精密射撃が必要よ』

「了解した。……問題ない」


 声に震えはない。彼は、痛みなど存在しないかのように現場へと向かう。


 現場は地獄だった。

 火災の熱気が周囲の湿気を奪い去り、カイトの瞳からは刻一刻と水分が失われていく。だが、彼は一歩も退かない。群衆が見守る中、彼はタクティカルベストのポケットから、重々しく目薬を取り出した。


(見てろよ、みんな。今、英雄が『最高級の潤い』を補給してやる。……本当はこんな粘液まみれになりたくない。手のひらから出れば、こんな格好悪い動作はいらなかったのに!)


 彼は迷いのない動作で保護剤を点眼した。その流れるような仕草は、戦士が銃を装填する儀式のようにも見えた。


「カイト、ターゲット捕捉。油圧ユニットを撃ち抜いて」

「……容易いことだ」


 カイトは精神を研ぎ澄ます。視神経に莫大なエネルギーが収束し、瞳の奥が青白く発光する。

 この瞬間、彼の瞳の表面温度は数百度まで跳ね上がる。


「――放て」


 閃光。

 空気を引き裂く轟音と共に、青い熱線が重機を貫いた。

 その瞬間、カイトを襲ったのは文字通りの沸騰だ。瞳を潤していた涙が気化し、眼球表面で微細な水蒸気爆発が起きる。角膜は熱せられたフライパンに押し付けられたような衝撃に晒された。


「…………っ」


 膝が折れそうになる。だが、彼は踏みとどまった。

 激痛。あまりの熱さに反射的に瞬きをしようとするが、涙が枯れ果てたまぶたと眼球の摩擦は、ガラスの破片を挟んで擦り合わせるような不快感を伴う。


(ああ、クソッ……! 熱い、痛い、まぶたが固着しそうだ……! なんで俺は自分の顔面で揚げ物をしてるんだ!? 手なら……手なら今頃、氷水で冷やして『ふぅ、いい仕事をした』で済んでたのに!!)


「カイト! 大丈夫!? 今、ドローンで冷却水を送るわ!」


上空からドローンが冷水を放水する。


「……あ、あ…………っ!」

 急激な温度変化に神経が悲鳴を上げる。だが、彼はその場に膝をつくことさえ自分に許さなかった。


 彼は水浸しの地面に毅然と立ち続け、濡れた髪を無造作にかき上げた。

 その瞳は真っ赤に充血し、涙の代わりにドローンの水滴が頬を伝っている。その姿は、凄惨でありながら神々しいほどに格好良かった。


「カイト、今の射撃……完璧だったわ。救援チームが向かってる、ゆっくり休んで」


 救援のドクターたちが駆け寄る。だが、カイトは彼らの手を制し、自力で歩き出した。

 視界は真っ白だ。痛みで意識が飛びそうだ。だが、彼は誰にも気づかれないほどの深呼吸をし、静かに告げた。


「……救援は不要だ。次のターゲットを、用意しておけ」


 救急車の扉が閉まった瞬間、彼は座席に崩れ落ち、震える手で両目に重い湿布を貼った。


「……リン。俺、決めたよ」

「カイト? どうしたの?」

「……報酬、全部突っ込む。……こんな剥き出しの戦いは、美学に反する。エンジニアを呼べ。俺の目の前に、最強の『バイザー』を作るんだ」


(二度と沸騰させてたまるか。……次からは、もっとスマートに、もっと人道的に冷やしてやる)


 これが、カイトの長いエンジニアリング地獄の幕開けだった。

 英雄としてのプライドを守るために彼が選んだ道は、さらなる不条理へと彼を導いていく……。


  第二章:沸騰する沈黙


 カイトの再起は、漆黒のバイザーと共にあった。

『強制水冷システム・マークII』。

 それは、彼が前回の戦いの後、眼科医と機械工学の権威を私室に軟禁同然で呼び寄せ、一週間で組み上げさせた執念の結晶だ。


(……これだ。これこそが、俺が求めていた答えだ)


 カイトは基地の格納庫で、新調したバイザーを装着した。

 顔面を覆う強化ガラスの内側には、常に特注の低刺激・高粘度ヒアルロン酸液が充填されている。ビームの直後、眼球が発する熱をこの流体が受け止め、外部の小型排熱ラジエーターへと送り出す仕組みだ。


「カイト、システムの調子はどう?」


 無線越しにリンが尋ねる。


「……最高だ。視界は潤いに満ちている。これなら砂漠のど真ん中でも、瞬き一回で角膜を削ることはない」


(ああ、最高だとも。外から見れば、フルフェイスのサイバーヒーローだ。……でもな、リン。今の俺の顔面、ジェル状の金魚鉢に頭を突っ込んでるような状態なんだぞ。重いし、鼻がムズムズしても一生触れないんだ)


「出動よ。地区F5、化学プラントでテロ組織の自律兵器が展開。……カイト、新装備の初陣、期待してるわ」

「……了解。一瞬で終わらせる」


 現場に降り立ったカイトの姿は、群衆を熱狂させた。

 マットブラックの装甲に、怪しく青く光るバイザー。その姿は、かつての『痛々しい裸眼の戦士』ではなく、完成された『光学兵器の化身』に見えた。


「チャージ……100%。……照射」


 静かなる宣言と共に、青白い閃光が夜空を裂いた。

 自律兵器の動力源を一撃で溶解させる。完璧な戦果だ。


 だが。


「――っ……!!」


 バイザーの内側で、カイトは声を失った。

 システムは正常に作動した。眼球が焼けるような直接的な激痛はない。

 しかし、代わりに訪れたのは、未体験の不快感だった。


 ビームが放たれた瞬間、眼球周囲の温度は数百度まで跳ね上がり、その熱のすべてが、バイザー内のヒアルロン酸液に吸い込まれた。

 熱力学の法則は残酷だ。吸い取られた熱は消えるわけではない。


(あ、熱い……! 熱いんだよ!! なんだこれ、今、俺の目の周りだけ『超高温のあんかけ』に浸かってる状態じゃないか!!)


 ヒアルロン酸は保水力に優れるが、高粘度ゆえに熱の拡散が遅い。循環ポンプが必死に回っているが、ラジエーターが排熱しきるまでの数分間、カイトの眼球は「最高級の潤い成分でできた熱湯」で煮込まれることになった。


(……ひぎぃっ……! 逃げ場がない! 裸眼の時は蒸発して逃げてくれた熱が、この液体のせいでいつまでも居座り続けてる……! 誰だ、保湿が大事だって言った奴は! 潤いすぎて熱が逃げねえんだよ!!)


「カイト! 敵の残骸が爆発するわ、離脱して!」


(無理だ! 今動いたら、この熱々のジェルがまぶたの上で揺れて、さらに火傷しそうなんだよ! なんで……なんで『手』じゃないんだ……。手だったら、今頃この液体をバケツにぶちまけて『ふぅ、熱かった』で済んでたのに!!)


 だが、外側にいる人々が見たのは、爆炎を背に微動だにせず、静かに佇む孤高の英雄の姿だった。


「見て……カイトが、爆発の熱風すら動じずに耐えてる……格好いい……」


(動けないだけだ!! 必死で目玉を煮込まれる苦痛に耐えてるだけなんだ!!)


「……っ……シューッ……」


 バイザーの排気弁から、激しい白い湯気が噴き出す。 それはまるで、内なる闘志を排熱しているかのような雄々しい演出に見えた。

 実際には、加熱されたヒアルロン酸の一部が限界を超えて蒸発し、カイトの鼻腔を焦げた美容液の臭いで満たしているだけだった。


「……撤退する。……完璧な、勝利だ」


 カイトは震える足で、一歩一歩、重厚な足取りで歩き出す。

 実際には、バイザー内に溜まった液体の重みで首が死ぬほど痛いのだが、周囲には勝利の重みを噛みしめる王に見えていた。


 基地の帰還ゲートをくぐり、カメラのない更衣室に転がり込んだ瞬間、カイトはバイザーをひったくるように脱ぎ捨てた。


「っ……あ……! 氷だ! 氷を持ってきてくれ!! 目が……目が温泉卵になっちまう!!」


 真っ赤に充血し、ふやけた眼球を冷水で洗い流しながら、カイトはタオルを噛み締めた。


「……リン。アップデートだ」

「……え、まだやるの? 今日の戦い、最高に格好良かったじゃない」

「……格好良さなんて、……潤いの前では無力だ。次は……次は『強制冷却』だ。……熱を持たせる前に、氷点下まで冷やしきってやる」


(二度と、自分の顔面で中華料理の餡を作ってたまるか。……次こそは、絶対零度の静寂を手に入れてやる)


だが、彼が次に挑む「絶対零度」の挑戦は、さらなる絶望へと彼を突き落とすことになる……。


  第三章:絶対零度の視界


 カイトの私室には、もはや生活感はなかった。あるのは、精密工学の極致とも言える銀色の防具『アクア・クーリング・マークIV』。

 前回の「熱々あんかけ地獄」を経て、カイトが導き出した答えはシンプルだった。


(……熱を奪うのが遅いなら、最初から凍らせればいい)


 バックパックには超小型のペルチェ素子冷却ユニットが二基。バイザー内を循環するのは、氷点下10度でも凍らない特殊な不凍ヒアルロン酸。

 彼は今や、顔面だけに精密化学工場の冷却ラインを直結したような、異様な姿となっていた。


「カイト、最終チェック。循環系の圧力、温度、共に安定」


 通信機から聞こえるリンの声も、心なしか緊張している。


「……ああ。今、俺の瞳はかつてないほど静かだ」


(冷たい。いや、痛い。氷水を直接眼球に当て続けているような感覚だ。……でもな、あの沸騰の苦しみに比べれば、この凍てつく痛みなど、英雄の受難としては安いものだ。……いや、やっぱり高いな。なんで俺は顔面にかき氷を押し当てながら仕事しなきゃならないんだ。手から出れば、今頃カイロで手を温めながら余裕で戦えてたのに)


「出動よ。地区A1、海上都市で暴走する超大型ドローン群。……カイト、この一撃で終わらせて」

「……了解。……任せろ」


 海上都市に降り立ったカイトは、月光を浴びて銀色に輝いていた。 バイザーからは冷気が漏れ出し、彼の周囲だけが微かに白く霞んでいる。その姿は、文字通り「絶対零度の守護者」だった。


「ターゲット、ロック。…………照射」


 青白い、今までで最も純度の高い閃光が放たれた。

 あまりの威力に大気が震え、ドローン群は一瞬で塵へと還った。 直後、マークIVのシステムが咆哮を上げる。眼球を焼こうとする数千度の熱量に対し、氷点下の冷却液が怒涛の勢いで循環を開始した。


「――シュゥゥゥッ!!」


バイザーの排熱ダクトから、凄まじい勢いで白い蒸気が吹き出す。 冷えた夜気に触れた蒸気は、ダイヤモンドダストのようにキラキラと戦場を舞った。


「美しい……」


 避難していた市民の誰かが、恍惚とした声を漏らす。


 だが。

 その内側で、カイトは完全なる暗闇に突き落とされていた。


(……!? 見えない……! 何も、見えないぞ!!)


 原因はあまりにも単純な物理現象だった。

 極限まで冷やされたバイザーの内側と、ビームで熱せられた外気。その圧倒的な温度差によって、強化ガラスの内側が、一瞬で結露したのだ。


(真っ白だ! 曇り止めを塗ったはずだろ!? ……違う、これ、結露どころじゃない、……内側で凍りついてやがる!!)


 あまりの急冷に、レンズの内側が「霧」を通り越して「氷の膜」で覆われた。

 カイトの視界は、すりガラスどころか、冷凍庫の壁を覗き込んでいるかのように完全に遮断された。


「カイト!? 何をしているの、敵の残骸がまだ空中に……! 離脱して!」


(無理だ! 前が見えない! 今、手探りで歩いてるんだよ! 誰だよ、冷却性能だけ上げたバカは! 俺だ! 俺だよ!!)


 彼は必死に、曇り、そして凍りついたレンズをまぶたの動きだけで拭おうとした。

 だが、そんなことをすれば角膜が氷の粒に削られるだけだ。


「……フゥ……」


 彼は、あえて深く息を吐いた。

 バイザーの排気弁からさらに湯気が漏れ、そのシルエットがより一層、神秘的に浮かび上がる。

 外から見れば、彼は「戦場の静寂を愛でる、美しき氷の英雄」だった。


(……耐えろ。耐えるんだカイト。今ここでバイザーを外して、真っ赤に充血した目で『前が見えねえ!』なんて叫んだら、俺のこれまでの投資と痩せ我慢がすべて無駄になる!)


 カイトは、完全に勘だけで歩き出した。

 障害物を避け、足音を立てず、あたかもすべてが見えているかのように。

 実際には、バイザー内で結露した雫がまぶたに溜まり、氷点下の液体が鼻の頭を痛烈に冷やし、首の筋肉は15キロの装備で悲鳴を上げていた。


「カイト! こちらへ! あなたの勝利を世界が称賛しています!」


 カメラの砲列の前に、彼はたどり着いた。

 バイザーは白く曇り、中の彼の表情は誰にも見えない。

 だが、それが逆に「人間を超越した存在」としての説得力を与えていた。


「…………これしきのこと、……当然の結果だ」


 彼は震える声でそれだけ言うと、一刻も早く暖房の効いた更衣室へ向かうべく、かつてないほど優雅な足取り(実際には足元が不安で必死な歩幅)で去っていった。


  エピローグ


 基地の更衣室。

 カイトはバイザーをひったくるように脱ぎ捨て、洗面台に顔を突っ込んだ。


「……温かいタオルを……! 誰か、熱いお茶と、温かいタオルをくれええええ!!」


 顔面は氷のように冷え切り、目は真っ赤に充血し、まぶたには氷の粒がこびりついている。

 彼は鏡を見ながら、鼻の頭を真っ赤にして、情けなくタオルで顔を擦った。


「カイト、お疲れ様。世界中のSNSがあなたの話題で持ちきりよ。『氷の瞳を持つ聖者』だって」

 リンが、呆れたように、しかしどこか誇らしげに言った。


「……もう、限界だ」


 カイトは温かいお茶の湯気に顔を寄せ、凍えた眼球を温めながら呟いた。


「……結局、何も変わってない。沸騰するか、凍るか、あんかけになるか。……それだけだ。……なあ、リン。俺はいつになったら、普通の湿度の世界で、普通に瞬きができるんだ?」


「そうね……。でも、今日のあなたの湯気、本当に格好良かったわよ」


 カイトは、温かいタオルを顔に押し当て、心からの、そして今日一番の潤った溜息をついた。


「俺さ……本当はわかってるんだよ……。首に濡れタオルをかけて、懐に目薬。家に帰ったら『あー、今日も疲れたな!』って言って、目にあずきアイマスクをつけてゆっくりする……それが一番効率的だって……」


 カイトは鼻声になりながら、魂の底から思いを吐き出した。


「でもさ……そんな英雄は格好悪すぎるだろ……!何だよ!?目からビームを出したら即座に濡れタオルで顔を拭いて、目薬をさしたらさ……お疲れ様ー、一仕事終わったなって帰るやつ!!そんな英雄……そんなの、嫌過ぎるだろっ……!!……嫌過ぎる……だろ……」


「あ……えっと……そう……よね……」


(……手から出れば。……手から出れば、タオル一枚で済んだのに。……なんで、目なんだよ……)


 最強のビームを放つ男の戦いは、これからも続く。

 いつか、自分の肉体の設計ミスを許せる日が来るまで。

 あるいは、手のひらからビームを出す外付けデバイスが、実用化されるその日まで……。


(おしまい)

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