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(え、今モブって言った……?)
微笑みを浮かべながらも、頭の中が真っ白になる。
賑やかな食堂の声に消えそうな声で呟かれた言葉が、信じられなくて。
思案げに目を伏せるミラ様が、先程の言葉を口にしたのが気のせいだった気すらしてくる。
「……あの、アモルティア様。何か仰いましたか?」
「……いいえ?食堂が賑やかで、他の方のお言葉と聞き間違えたのではないかしら。気のせいだと思いますわ」
そう言って、にこりと微笑まれては追及することもできなくて。どうかそれが聞き間違いであってくれと思う。
だって、ヒロインはゲームの中でモブを盾にできるのだ。もし仮に、彼女も転生者だとしたら。ゲームから現実になったとしても、その行為をしないとは言い切れない。
ましてや、私が転生者であることに気がついてしまったとしたら。私は恋愛どころじゃなくて、生き抜くことで手一杯なのに、邪魔だからと身代わりにして殺そうとしてくるかもしれない。
「そうですか…?」
追求したい気持ちはすごくあるけれど。藪を突いて蛇を出したくはない。だから不思議そうな顔で、首を傾げるに留めた。
ミラ様が転生者であるという可能性が高いことを、胸に秘めながら。
「あら……?」
不意にミラ様は私の背後を見て、目を驚いたようにぱちぱちさせる。何がと思う間もなく、声が降ってきたことで、その驚きをもたらした存在の正体を知ったのだけれど。
「ミラ、少しいいか?」
「夕霧に霞むことなき御威光であらせられる、グレア殿下にご挨拶申し上げますわ」
「よせ、俺と君との仲だろう」
さりげなく立ち上がって、スムーズにカーテシーまでしたミラ様に対して、私は冷や汗だらだらで椅子に座ったまま。私が転生したこの国、ユーム王国では、夕霧に霞むことなき御威光であらせられる、は王族に向かって言う正式な挨拶のときにつける慣用句みたいなもので。
——つまり、私の背後にいるのは、信じたくないけれど。
我が国唯一の王太子、グレア・フォン・セレスティアル様で間違いないということだろう。そして、ミラ様は公爵令嬢であらせられるので、親交がもともと深いというわけだ。
「ねえ、そこの君」
「ェ…ハイッ」
「ミラを借りて行ってもいいかな?」
「も、勿論ですわ。それに殿下のご用件より優先されることなどありませんので!アモルティア様とゆっくりとご歓談をお楽しみくださいませ!」
椅子に座ったままなのは本来不敬であると思うんだけど、学園内ではある程度の爵位に関するマナーは多めに見てくれるはず。だから顔を伏せて、それから心持ち声色も変えた。殿下に私が誰だかわからないように。
そうして賑やかな食堂の中でも、はっきりと聞こえるよう、早口で捲し立てた。
「あ、ああ。すまない、それでは借りていく。ミラ、行くぞ」
予想通り、少し引いた様子の殿下が立ち去ろうとするまでは良かった。そこまでは良かったのだ。
「殿下、少々お待ちいただけますか?
——また、お話ししましょうね。ユラ様」
たった一言で、ミラ様がすべてを台無しにするまでは。にこっと浮かべられた、にこやかな笑みはどこかわざとらしい。
そうしてミラ様は、私にとっては悪魔のような所業をしてから、去って行ったのだ。
*
そうしてなんとか無事に迎えた放課後。
怪異の騎士に追い回されたくもないし、素早く寮に帰ろうとそそくさと準備を始めたのだけれど。
「……お前、ミラに何かしたか?」
「!?」
「その顔を見ると、心当たりはなさそうだが」
「心当たりありませんもの。当然、冤罪を主張いたしますわ!お昼のときに相席していいですかって言われて、相席しただけですもの。むしろわたくしの方が緊張したし、殿下は来るしで心臓止まるかと思いましたわ。それに立ち上がるタイミング逃してしまったので、確実に不敬な対応をしてしまいましたし。可哀想ではなくて?」
「そういう人間だったな、ユラ嬢は」
やれやれ、とでも言うかのような態度に、少しイラッとする。聞いてきたのはセージ様なのに、ずいずんとなおざりな反応である。
だったら始めから聞かなければいいのに、とまで考えてしまうくらいには。
「ならいい。殿下が、いつもよりミラが考えこんでいるから、ユラという女生徒が何かしたのではないかと懸念されていたから聞いただけだ。勿論、お前が何かできるとは微塵も思っていなかったから、念の為聞いておくと答えたのだが。予想通りだったな」
かちゃっと眼鏡を片手で軽く持ち上げて位置を直したセージ様が、得意げな笑みを口元に微かに浮かべる。私と長い付き合いがあるがゆえに、わかっていたさ、という態度を隠さないセージ様に、小さくため息を吐いた。
こういうところが、ミラ様の癇に障ったんだろうなぁと感じたので。
「庇ってくれてどうもありがとうございました、セージ様。それでは、わたくしは帰りますので。ご機嫌よう」
恋怪ヒロインと仲良くしててくれよな。面倒そうな気配を感じてしまったので、私は距離を取らせてもらう。捨て台詞を心の中で吐いて、一歩廊下に踏み出す。
「お?かわいこちゃんだ。さよなら〜!」
「……は?」
今の私、漫画だったら颯爽と立ち去っていくコマに入るな、とか思っていたら、ドアを出てすぐに声をかけられた。それが見知らぬ金髪の泣き黒子ありのチャラい男で、思わずドスの効いた声が出る。
それに慌てた様子で、私の機嫌をとるようにヘラヘラと笑みを浮かべた男は、わざとらしく咳払いをして。
「俺、アル・バニッシュ。研修生さ。俺のことは、アルせんせ♡って呼べよ?」
なんて言ってくるもんだから、愛想笑いを浮かべて全速力で廊下を駆け抜けた。
「……っ?!」
その先に、例のビスクドールの怪異こと、ブラッディがいた。彼女は歌うように言葉を紡ぎながら歩いていく。
「ふふふ。もうすぐ、もうすぐよ……××××がこの学園に来るわ…今回は何人死ぬのかしら?」
彼女の歌の重要なところは、なぜかザッピング混じりではっきりと認識できる音として聞こえてこなくて。そのせいで何が来るかは、わからない。
けれど、私の知らない新月の夜が始まろうとしていることを知って、恐ろしさにぶるりと震えた。