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頭の中で、何度も何度も、ミラのセリフがこだまする。
「保健室の先生が見つかった。保健室近くで、死体として。見るも無惨な姿で。はい、3行」
あっさりと告げられた内容は、その言葉の軽さとは裏腹に、信じられないほどの衝撃を私にもたらした。
——死ぬ?ルキ、先生が……?
もし、ミラのいうことが本当だとしたら、なんて考えたくもない。それがまだ迎えていない未来の話だとしても、到底受け入れられるものではなくて。ただ茫然と、窓の外が夜に染まっていく光景を見ていた。
「こんばんは」
そんな時だった。夜のような穏やかさを孕んだ声が、そっと落とされたのは。振り返ると、薄ぼんやりとした体が見えて。その向こう側も透けて見えていた。
「…エッ」
透けて、いる。恐る恐る見上げた顔は、普通に整ったお顔で。ただ、存在がひどく薄くて。恐ろしさはなく、幽霊だという衝撃だけがあった。
「怖い?」
そう問われて、咄嗟に首を横に振った。今まで対峙してきた怪異とは違い、背筋が寒くなるような感覚はない。ただ、透けているだけの、人だと思えるくらいには、何の違和感もないのだ。
「ふふ。よかった。みんな、俺を見ると逃げていくから」
「それはそうだと思う。だってほら、透けてるし…?」
恐る恐るそう言うと、彼はくすくすと笑った。そうして、私のことをジッと見つめて。嬉しそうに、話しかけてくる。
「でも、君は逃げなかった。ねえねえ、君の名前は?」
「私?私は……あれ、人外に名乗るのってセーフだっけ??」
「あははは、まだそのルールは残ってたんだ!でも、俺には名乗っても大丈夫だよ。悪用しない。誓うよ。先に俺が名乗ってあげられたらよかったんだけど、名前が思い出せないからさ!」
あっけらかんとした調子で、気にしてませんとでもいうかのような態度。それがやけに空回って見えて。よくも知らない幽霊相手なのに、なんでそんなことを感じたのかもわからない。ただ、そこまで言うのならと名前を告げると、彼は嬉しそうに何度も何度も名前を口遊む。
「ユラ、ユラ!良い名前だね!」
「ありがとう。えーと、名前がないと君のこと呼べないな…。なんて呼んだら良いかな?」
幽霊くん、だなんて呼ぶわけにもいかず、そう聞くと不意を突かれたようにキョトンとした彼は、弾んだ声で言葉を連ねる。
「え、それってさ!俺とまた会ってくれるってこと?!友達になってくれるの!嬉しいなぁ!ねね、じゃあ君が名前をつけてよ!!」
怒涛の勢いに気圧されるように、たじろぐ。彼は、その願いが拒絶されることはないと信じたような顔をしていて。ここで断ったら私が悪いみたいだな、と素直に名前を考えることにした。
「んーー。でもネーミングセンスないけど」
「全然良いよ!あ、でもペットにつけるようなやつはやめて!」
「名無し…ネームレス……レム…とか?」
「あは、いいじゃん!それにしよ!決定!」
子どものような無邪気さで、あっさりと頷いた彼——レムは、にぱっと笑ってから思い出したように言う。
「そういえば、なんだっけ。門限?あるんじゃないの?俺が生きてた頃はあったけど、今はないの?」
その言葉に、ハッとして懐中時計を見る。時刻は門限の5分前を差していて。ここから走れば、ギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際くらいの時間だった。
「あーー!忘れてた!ありがと!走ればギリ間に合うかも!!」
「うん、怒られないようにね!それからまた来てよ。ずっと、待ってるからさ」
ずっと待ってる、そう告げたレムはどこか昏い重さを孕んでいたことに、そのときの私は気がつけなかった。
ただ、寮母さんに怒られないようにと焦る気持ちだけしか、持ち合わせていなかったのだ。




