Layer-014
緊張している人に「緊張するな」と言うのは、緊張を解こうとする行為の中でも最悪だ。
だから彼は、緊張すると無意識に「緊張するな」なんて馬鹿なことは自分に言うまいと念じるようになった。
でも、その「言うまいとする行為」自体が、「緊張するな」と言うのと同じか、それ以上に逆効果だった。
当然のように、強い心理的プレッシャーの中では、その無形の枷が彼のパフォーマンスを大きく制限してしまう。
そんな性格と、リリコに「自分も役に立ちたい」と思うプレッシャーが重なった時、一体どうなるのか。
その結果を一番よく知っているのは、倫也自身だ。だからこそ、彼は自分が嫌いだった。
目の前で電磁加速砲をこちらに向けている少女を見つめながら、倫也の右足がほんの一歩、後ろへ下がる。
その行動が突撃のためか、逃走の準備なのか――それを知るのは彼自身だけだった。
マリアンは砲身を調整し、相手の右肩上を狙ってエア弾を放つ。
弾は想定どおりの軌道を描き、相手は銃声に驚いて大きく後ろへ跳んだ。
どうやら、軍事訓練の経験もなく、「北門連軍」の名に過度な期待を抱いて受験してきた、哀れな候補者の一人らしい。
マリアンにとって、これはかなり有利な立ち上がりだった。
本来なら、相手の信号灯は黄色に変わっているはずだった。
――ただ一つ、予想外のことがあった。
信号灯が変色していなかったのだ。
倫也は腰から柄だけの武器を取り出し、「エレマグネコンストラクション」を起動して刀身を構築した。
この動作だけでは、周囲の者にはただの電磁ブレード型の兵器にしか見えない。
つまり、彼の「切り札」を隠すことには成功している。
しかし、刀を掲げたその瞬間――
倫也の右側の鼻孔と左目から、鮮紅色の液体が流れ出し、頬を伝って地面に落ちた。
それは、「電磁建置」を過剰に使ったことによる副作用だった。
準備区域を出た時点で、倫也はすでに観測妨害用の電磁領域を展開していた。
仲間と別行動に移るまで、その状態を維持していたのだ。
さきほどのエアバースト弾が効かなかったのも、電磁領域が機械構造を妨害し、空気を振動させることができなかったからだ。
戦闘開始前の時点で、すでに身心ともに最悪のコンディション――
それでも倫也は、その疲労を顔に出すことなく、無理やり自分に刀を振らせた。
なぜなら、彼は信じたかった。いや、「努力すれば、自分も兄や姉のように輝けるはずだ」と願っていたから。
マリアンは武器を抱えたまま横に跳び、三日月のような軌跡で振るわれた刀は、彼女がいた場所を一閃した。
電流で形作られた刃は、地面に触れた瞬間、熔けたような赤熱を帯びた切れ目を残す。
マリアンは再びエア弾を撃つが、それは電刀にあっさりと打ち落とされる。
だが、その射撃時の反動を利用し、電磁加速砲の砲身が彼女の体の動きに合わせて鈍器と化し、倫也へと襲いかかった。
倫也も同様に刀を振るい、それに応じる。
純粋なエネルギーでできた刃であれば、相手の武器を断つことなど容易いはずだった。
しかし、刀と砲身がぶつかったその瞬間――
倫也の体は、より大きな質量を持つ加速砲の反動に吹き飛ばされ、ビルの縁から落ちかけるも、間一髪で踏みとどまった。
電刀は、電磁加速砲を斬れなかった。
「……なんでそんなに金持ってんだよ……」
マリアンは彼の呟きを聞き取り、淡々と答える。
「その武器の正体が分かるってことは、あんた……北門連軍って名前に釣られた口じゃなさそうね。 正解よ、『耐電融解コーティング』。高エネルギーの電磁攻撃にもある程度耐えられる特殊装備。 この武器は、我が校が戦闘部を受験する生徒に特別に支給している、超豪華な贈り物ってわけ。」
二人の距離が開き、戦況は電磁加速砲による射撃戦に移行した。
すべての動きが、まるで事前に決められたバレエのステップのように滑らかだった。ひと回転して先程の攻撃による慣性を緩和し、続けて再びエアバースト弾を撃ち放つ。
電刀が再び振るわれ、自身が弾の効果範囲に入る前に撃ち落とされる。倫也は身体の不調を堪えながら、距離を詰めようと一歩踏み出す。
だが、戦場にはこんな言葉がある――「七歩以内なら拳が銃より速く、七歩を越えれば銃が拳に勝る」。
マリアンがそれを知らぬはずもなく、彼女は次々と弾を発射し、接近を阻もうとする。
「悪いね、俺、南部の受験者全員と約束したんだ。みんなを第二段階に連れて行くって。」
「……私だって、そうよ。」
狙撃手――リリコを攻撃したその位置を突き止める。それが倫也に託された任務だった。
(僕は突破できる…コーティングを突破できる……これは……『挑戦』だ……)
姉から託されたこの任務に、どれほどの期待が込められているのか、倫也にはよく分かっていた。
彼女は信じていたからこそ、この任務を彼に託した。期待を裏切れば、それは最低な弟だという証明に他ならない。
そして、負のスパイラルが幕を開けた。
まず、姉の「挑戦理論」を受け入れようとしても、それが彼にはほとんど意味を成さなかった。「挑戦理論」とは、“自分の能力への肯定が疑念を上回る時”に効果を発揮する理論。だが、倫也は後者――自分を信じきれない側の人間だった。
さらにこの理論が作用することで、「期待に応えなければならない」というプレッシャーが生まれる。任務に失敗は許されない。そう思えば思うほど、内心の緊張感が高まる。緊張が自身のパフォーマンスを悪化させると分かっていながら、それを止められない――そうしてまた、プレッシャーが積もる。
まるで空っぽのコップに、いつ溢れるとも知れぬ水を注ぎ続けているようだった。
心身ともに最悪な状態の中でも、倫也は視線の先にいる敵へと注意力を向けようとし、呼吸と姿勢を整え、自らに語りかける。
だが、それは決して冷静な自己暗示ではなく、未来を考えることをやめ、“今だけ”に全てを投げ打つような覚悟の声だった。
「死ぬなら死ぬでいい。生き残れたら、それは運が良かったってだけだ……」
二人の距離は数十メートル。倫也は電刀を左上から右下へと振り下ろす。
マリアンは目の前の光景に言葉を失った。あまりの驚きに、物事を言語化する能力すら奪われていた。
電刀の軌跡に沿って、刀身から分離したエネルギーが衝撃波へと変わり、自分に向かって襲いかかる。
本能が告げる――この攻撃は、防げない。
マリアンはその場を離れることでしか対応できず、ただそのエネルギーの奔流が視界から消えるまで見届けるしかなかった。
その隙をついて、倫也はマリアンの目前に高速で接近する。電光を帯びた刃は、今や彼女の眼前にまで迫っていた。
危機一髪。マリアンは熟練の手つきで弾種を切り替え、砲口を調整し、目を閉じ、即座に引き金を引いた。
狙ったのは――二人が立っていたその足元。
一級閃光弾。その名の通り、着弾の衝撃と共に強烈な閃光を放つ弾丸である。
閃光弾には三級があり、一級は視界を約三〜五秒間奪う程度だが、三級となれば軍用レベルで、視力に永久的な損傷を与える可能性すらある。
マリアンは倫也の左眼の状態を考慮し、敢えて一級を選んだ――結果、倫也の動きを一時的に止めることに成功した。
視界を失った倫也は、すぐさま聴覚へと意識を切り替え、相手の位置を探ろうとする。
だが、逃走を試みたマリアンはさらに数発の弾を放ち、倫也は残された精神力を総動員してエレマグネティック・フィールドを展開。弾丸を感知し、撃ち落とす。
ビーコンの色が変わって自らの位置がバレること――それだけは避けねばならなかった。
やがて金属の落ちる音が止み、視界の霞が晴れていく。
色鮮やかな世界が、再び目に映る――だが、屋上には倫也、ただ一人。
「失敗したのか……」
左眼からこぼれた血の雫が、コンクリートに落ちる音だけが、やけに大きく響いていた。




