王者と王様
密林に君臨する、二匹の虎がいました。
ある夜、弟は兄に聞きました。
「兄者、俺達はこの密林の王者よな。違うか?」
そう切り出すと、とつとつと語り始めた。
「昨日喰らった者が、可笑しなことを申しておった。角が二本生えている見たことも無い獣がおってな、捕らえて其の喉笛を切り裂こうとしたとき、『私は百獣の王ライオンの家来である、見逃してくれれば、王に家臣の列に加えて貰える様、取計らってやろう』と言うのさ、偉そうに。もちろん、そのまま喰らったさ。だけど、百獣の王とは俺達より強いのか?」
弟は、前足をぺろぺろ舐めながら聞きました。
「ライオンか、聞いたことはある。だが、安全な平地の王など、この危険な密林の王者である我等の敵ではないわ。」
興味なさげにそう言うと、兄者はひょいと太い木枝の上に寝そべってしまった。
弟は、我等が一番の王者であることが確認でき、安心したのか彼もそこで眠り始めた。
しかし、暫くすると目が覚めて、どうにも自分自身で確かめたくなった。
百獣の王と呼ばれている獣を。
そして、其の名は自分達にこそ、相応しいのではないかと考えるようになった。
「あぁ、我慢できない。この密林の王者こそが、百獣を従える長ではないか。」
弟は、するりと、闇夜に躍り出た。林を抜け、サバンナに到着する頃には、日が高く昇っていた。
夜通し駆け抜けたせいで、お腹が空いた弟は、近くに見える、耳の大きく鼻の長い獣の子供に目を付けた。身体を低く、全身をバネの様に撓らせ、今まさに襲い掛かろうとした時であった。
「ウォッホン、其処の酔狂な若者よ。しばし待たれよ。」
葦の陰から不意に、黄金色した、猛々しい獣が現れた。
「象に襲い掛かろうとは、天晴れな武人よ。」
獣は、弟の前まで来ると、腰を下ろした。
弟は飛び退いて、距離を置いた。
「そう身構えるな、平地は初めてか?」
後足で耳の裏を掻きながら、獣が聞いてきた。
大きな顔、その周りには立派な黄金の鬣…、弟はピンと来た。
「お前が、百獣の王ライオンか?」
「この辺の者達は、皆そう呼ぶなぁ。」
少しも臆さず、しかし全然覇気もなくその獣が答えた。
「俺は、密林の王者と呼ばれている。どちらが本物の王と呼ばれるに相応しいか、知るためにやって来た。さぁ、俺と勝負しろ。」
弟は、そう言うと、一段と低く身構えた。
「確かに、お前さんの方が強そうだの。わしは狩などせぬ。いつもこの辺をぷらぷらしておるぞ。」
ライオンは、うつ伏して片目だけを弟に向けている。
「馬鹿を申せ。狩をせねば、生きてゆけぬでは無いか。」
両目はライオンの鬣に覆われた、喉仏を凝視している。しかしあまりの毛の多さに的確な場所が把握できない。
「王様とは、狩などしなくとも、食べてゆけるものなのさ。」
まったく戦う気配の見えぬライオンに、調子を狂わされ、弟は動くことが出来ない。
突然、ライオンがすくりと立ち上がった。
「お前は、ワニを知っておるか?」
もう既に、象の群れは移動していて、辺りには他の獣の姿が見えない。
木陰の少ない平原に日はさらに昇り、照りつける日差しは飲まず食わず駆けてきた弟を、歓迎してはくれなかった。
「水辺にいる大きな口の奴だろ。」
弟は少しイラつきだけれども答えた。
しかし頭の中は別のことを考えていた。
水。
そうだ、水が飲みたい。
喉がカラカラだ。
急に喉の渇きを覚え、いても立っても居られなくなりました。
「わしが、水中では一目置くワニに、お前さんが勝てば、『百獣の王』の名を譲っても良いぞ。」
不意の申し出に、弟はびっくりした。では、水辺に行けば、『名』も『水』も手に入れることが出来るというのか?
いやいや、今は何よりも水が飲みたい。しかし、それを悟られるのは、なにやら癪に障る。
「水辺は何処だ。今すぐ俺が、ワニをズタズタに引き裂いてこよう。」
弟は、平静を装いながら言った。
「此方を真っ直ぐ行くと、彼等の憩いの場所がある、わしに附いて参れ。案内いたそう。」
ライオンが、頭を向け歩き出すと、其の横を一目散に駆け出した。
ライオンが、後からゆっくりと水辺に着いたとき、弟はまだワニを仕留めるどころか、水すら飲めていなかった。
数十匹のワニが、水辺で休んでいる。六メーターを越す大きなものも居る。
弟は、水辺に近付くことが出来ず、ただ、ごくり、ごくりと喉を鳴らすだけである。
「なかなか強そうであろう。どうした、行かぬのか?喉も渇いたであろう。」
ワニは丸太のような尻尾を、ビターン、ビターンと地面に打ち付けている。
「ワニはあの大きな口で喰いついて、尻尾の反動で回転をし、食い千切ると言うぞ。」
弟の耳元でライオンが静かに忠告をした。
ライオンはそのまま歩みを止めず、弟を尻目に一番大きなワニの元に歩み出た。
「久しいの、ワニ殿。今日は珍しい者が、こちらに来てると、聞きつけて参った。」
一番大きなワニがそれに答えた。
「あの者は何がしたいのだ。さっきから怖い顔で此方を見ては、ため息ばかりついて。失礼な奴だ。」
ワニはまた尻尾をビタンと水辺へ打ち付けた。
「彼こそが、若き密林の王者、虎君である。水中では、わしよりも強いワニ殿を、ズタズタに引き裂くというのでな、考え直すよう言うために、走って追ってきたのだ。」
ライオンが、胸をそらし、ぜーぜーと息を切らしながら語りかける様は、少し離れた後ろから見ている弟には、威嚇している様に見える。
「すまぬが、水を少し分けてくれぬか、この暑さの中、少し走ったら喉がからからよ。」
「おお、それはわざわざ御苦労でしたな。さぁさぁ、どうぞ、此処の水が一番冷たい。たんとお飲みなさい。」
「かたじけない。」
そう言うと、ワニが退いた場所の水をごくごくと飲みました。
弟には、ライオンがワニの親分をどかして水場を奪ったように見えた。
暫くすると、ライオンが戻ってきた。弟の肩に手を置きながら言った。
「お先に失礼。さっ、密林の王者はどうするかな。」
肩の手を振り払うと、意を決し、ライオンと話していたワニに向かって歩き出した。
その途端、ワニ達が一斉に尻尾を打ち鳴らし、牙を向けた。
弟は、全身の毛を逆立てながら、後退りし、ほうほうの態で密林に逃げ帰って行きました。
ライオンは、今も百獣の王の座に君臨し、平地を気ままにぷらぷらしているようです。