運命の靴
その列車は車両ごとに様々な色をしていた。1両目は黒を基調としているが側面は赤い。大きな煙突が付いており、列車の1番前の突き出た筒状の部分はミラーボールでできていた。ミラーボールの真ん中にはよくわからないが赤い羽のシルエットが映っている。
私はこの列車の主と思われる人物に続いて1両目に乗った。そこは電車というよりも部屋と呼んだ方が良いような空間だった。床も天井もカラフルな色をしていてサイケデリックだ。天井や床には数式や設計図が書いてある。壁には色々な国のお面や絵が掛かっている。すごく古い時代の人形からヒーローのフィギュア、まだ見たこともないロボットみたいなものまで飾られている。自分で演奏するのか部屋の中心にはシンセサイザーが置かれているし、テーブルには粘土で作ったミニチュアの街みたいなものが乗っている。
棚にはたくさんの本やレコードが詰め込まれていて、よくわからない実験器具みたいなものまで乗っかっている。
子供が書き殴ったような落書きから絵画のような絵まで飾られているが、「これ全部ボクが書いたんだ。1枚もらっていく?」と列車の主は口を開いた。
「え、これ全部同じ人が?」
とても信じられない。列車の主は机からノートとペンを取って何かをメモしていた。
そんなことより私をサーカス団に誘った経緯を説明してもらいたい。
「それよりサーカスって何をしたらいいんですか?この列車はどこへ向かっているんですか?」
列車の主は聞かれたことに驚いたように見えたがまた笑顔になると、「そうだね。話さなきゃ行けないことがたくさんあるようだ。」と言って机を間に椅子を差し出した。そして部屋の隅にある蓄音機にレコードをかけた。「smile」という有名な曲だ。
本人は別の椅子を取り出すとそこに座った。机の横にはハート型の地球儀が置かれている。
「まずこの列車がどこを走ってるかというと、宇宙だ。」
いきなり壮大なことを言い出すので信じられなかった。
「宇宙?」
「うん。でもキミの世界で認識されているような宇宙じゃない。キミたちは宇宙を天体の浮遊する無限空間だと思っているけれどここはそうじゃない。ここは生命のイマジネーションの繋ぎ目の空間なんだ。ここはいつでもどこでもない場所なんだ。ボク達はこの繋ぎ目を通りながら別の世界や時間に移動している。ほんとうの幸福を集めるために。」
「それでどうして私をサーカス団に入れたんですか?」
「キミが何者でもなくなりそうだったからだよ。ボクのサーカス団に入るのは本当に何者でもなくなりそうになった者だけなんだ。そのぐらい狂ってなくちゃサーカスなんてできないからね。思い出してごらん、キミは何者だったことが今まであったかな?」
相手の言葉に少しムッとした。子供の頃は簡単に夢が叶うと信じていた。でも社会に出てみると自分は「弥栄さん」という記号の一つでしかない。正直子供の頃から大したことはしてないかもしれない。なんなら狂ってだっていないし。
「もちろん全部を救うことはボクにもできないんだ。でもあの時キミはお願いをしたじゃないか。ボクはそれを覚えていた。」
列車の主が言ってることはたまによくわからなくなる。私はいつ何をお願いしたんだろう。それに私をサーカスに入れたからと言って何をすれば良いのか。
相手はこちらの心を読み取ったかのように言った。
「ヨリ、キミにはこのサーカスの踊り子になってもらう。ちなみにいい忘れたけどボクはこのサーカスの団長だ。」
男なのか女なのかわからないその相手は自分のことを団長だと言った。
「踊り子…?でも私ダンスなんて習ったことないです。」
「でも子供の時からダンスが好きだった。だよね?」
団長は笑って言った。そうなのだ。本当は今でもチャンスがあるならバイト生活じゃなくてダンスの仕事がしたい。まだ間に合うだろうか。
「だからキミにプレゼントをあげようと思うんだ。次の車両に行こう。」
団長はすくっと立ち上がる。バネみたいなハイヒールを履いていたためわからなかったが、もしかしてこの団長私とあまり背は変わらない?言葉にすると失礼だから黙っておくことにした。
「そういえば、まだあなたの名前知らないです。」
「ボクはボクだよ。」
「名前が無いってこと?」
「いつでもどこでもない場所にいるボクだからね。でもまあ、このサーカス団のみんなはボクのことをミラーボールと言うよ。」
団長の部屋を自動ドアが開くとたちまち何人かの団員が現れた。小人症の人から体中ピアスだらけのまま動物を操っている人。体が繋がった双子に体中毛で覆われた人。
ミラーボール団長はそれぞれに「おつかれ」とか「調子は?」等と挨拶して何やら奥の方の人物たちに手を振った。
そこには緑色の髪をカールしたゴスロリの少女と一瞬天使かと思ったアルビノの私と同じくらいの年齢の人がいた。アルビノだがパンキッシュなファッションで白黒のファーのベストにダメージ加工のデニム、赤と黒で尖ったネイルをつけている。
ミラーボール団長は2人の元へ向かうと私を紹介した。
「2人とも、こちらは今日からキミたちと同じ部屋になる弥栄ヨリだよ。ヨリ、こっちのロリータがナイフ投げの巡。巡るって書いてじゅんって読むんだ。こっちの髪が白い方が天使の歌声を持つ、ミカ・ハーゲンだ。」
「その天使の歌声ってのやめてくれる?それにアタシの専門は衣装製作だ。」綺麗な見た目とは反対にミカは強気な口調で続けた。
「2人は出演者と掛け持ちで衣装作りも担当しているんだ。」
「それよりも次の世界にはまだ着かないノ?早く次の公演が決まらないとまたナイフ振り回したくなっちゃって今度は団長の心臓をひと突きにしちゃうかもしれないヨ?」
巡がとろーっとしてまるで薬かアルコールの依存患者みたいな喋り方で団長に近づいて来た。
「あはは。この前は脳天に突き刺さっちゃったもんね。翌日にはすぐにお花に変わっちゃったわけだけど。」
わけのわからない会話をしながら帽子を脱いで頭を掻くミラーボール団長の頭部には何も変わったところはない。
差別感情は良くないのはわかっているが、差別とかではなくこの列車の中にいる者達は少しずつあべこべな感じがした。
「ヨリはこれから踊り子として活動していくから是非2人に衣装を作ってもらいたいんだ。」
「いいよ、最近は新しいメンバーもなくて退屈してたんだ。」
「これでまた公演ができるってことでいいのよネ?」
巡とミカは楽しそうに話す。
「ところで、靴はこっちでプレゼントするよ。」
ミラーボール団長が言った。
「例えば、キミが派手に割ったワイングラス。」
団長がステッキを一振りするといつのまにか床に私が割ったワイングラスと同じようなガラスの破片が散らばっていた。
「そこに禁断の果実を一つ落としてみよう。」
どこから取り出したのか真っ赤なりんごを一つ散らばったガラスの破片に向けて落とした。その間はひどくスローモーションに見えた。
するとどういうことだろう。ガラスの破片は水面のようにりんごを飲み込んだ。破片が集まりそこには2足の赤いヒール靴が現れた。
「禁断の果実からできた赤いガラスの靴か。」
ミラーボールは呟くと屈んで靴を手に取り、私の方を向いて差し出した。「履いてごらん。」
履いてみるとそれは元からまるで私の足の1部だったかのように吸い付いた。
「赤い靴を履いた者は永遠に踊り続けられる。だけどガラスの靴は12時の鐘が鳴ったら脱げてしまう、この廻天が終わる頃この靴はどうなっているだろうね。永遠に廻天し続けるのか、それとも…。」
団長はまたよくわからないことを言っていた。
靴を貰った箱に仕まうと私はナイフ投げの巡とミカ・ハーゲンに続いて団員の寄宿車両に向かった。
なんてことはない2段ベッドと1人用のベッドがある寮だったが2人の好みが現れているのか、2段ベッドの上はパンクなファッションや音楽のポスターのコラージュ、下はロリータ風のカーテンが掛かっており、棚にもところどころにうさぎのぬいぐるみがいる。
私は1人用のベッドを使って良いと言われた。
「ところで」
ミカが口を開いた。
「この列車に乗ってるということはあんたも訳アリってことだね?」
「…訳ありというか、私は自分は何者でもないという日常が辛くなっただけです。」
黙って聞いていた巡が「ふーん」と言った。
「どうして?そもそもそれだけ若かったらまだ自分が何者かなんてわからないものじゃない?ここに選ばれるってことは他にもっと自分が住む世界にいられない理由があるからだと思ってたケド。」
巡は言った。
「2人には、そんな理由があるの?」
巡とミカは顔を見合わせた。
そして、
「じゃあ、私から話すネ。」
巡が口を開いた。