あんまグダグダすると嫌われますよ?
「赫鴉様、そろそろ出てきて下さいませ」
「白星ー、ここ男子トイレー」
「そして頭に公衆と付きますね」
彼女は壊れない程度に薄い扉に連続蹴りを入れる。
その先には赤鴉が体育座りで便座に乗っていた。
白星は振り返ると、新品で手入れのされた小便器がズラリと並び、固定式の芳香剤から花が香る。
「何故に公衆トイレですか?」
「家のトイレだと黒狼に迷惑かかるだろ」
「ここでも十分に迷惑になってますが」
「白星だって同じじゃねえか」
「さっきまで入っていた方々が慌てて出て行きましたね」
手を汚してなければいいのですが、と白星。
彼女は投影端末を開くと、昼頃の時刻が表示されている。
通知の来る連絡文書欄は溜まりが消費を少し上回っていた。
「仕事しなくていいのかよ?」
「手のかかる事項が最優先ですので」
「分身でどうにか出来るだろ?」
「私含め九人までが限界ですので。赫鴉様が立ち直って下さいましたら、業務効率はグンとアップです」
はあ、と妻はため息をつく。
夫がトイレに引きこもっているのに加えて、いくつか心当たりがあるのがどうにもというところだった。
「そんなにビサニティとの交渉が気に食わなかったのですか?」
こうであった。
先日ビサニティとの軍事演習を取り付けた交渉以降、赫鴉はどうにも塞ぎ込みがちであった。
そして、今日に至ってはこうして公衆トイレの個室に引きこもるまでになっている。
「分かってるなら聞くなっつうのー」
「言ってもらわないと確認出来ませんので。それにほっとく期間は過ぎましたし」
「うわぁ! 容赦ねぇよこの女!」
個室からうめき声があがる。
白星は「はいはい」流すだけでそこから去る気はないようだ。
「何がそんなに嫌だったのですか?」
「……情け無え自分がイヤ」
「具体的に」
「分かってんだろ? 交渉の時に来たピンク髪に師父の勁力とマテリアルがベッタリくっ付いての」
「あの方が仇だと?」
「……それにオメエの仇だしな」
彼女は投影端末にいくつか書き込む。何かの連絡だろうか。
「私は気にしておりませんよ」
「そうじゃねえ。俺が俺を気にしてんだ」
「プライドからでしょうか? 侠としてでしょうか?」
妻は夫が存外にそういったことにこだわる傾向にあるのを思い出す。
そして、自身のことではないとなると更に気にするのも思い出す。
「人として最低限だ」
「自身に及ばないことは最低限ではありませんよ?」
「人との繋がりが人らしいならそこは最低限だろう?」
理想が高くていらっしゃる、と皮肉くる白星。
返しはなく、しばし無音が続いた。
「………………」
「………………」
外からは東方不敗が上空数キロの位置にいるので鳥などの声が響かず、痛く感じるような無音が二人に鳴る。
(この場合、赫鴉様が一番痛いのかもしれませんね)
彼女は投影端末を開いては、時折送られてくる重要文書に目を通してやり過ごしていた。
内容はどれも近々行われるビサニティとの軍事演習で必要になる物資や人の動きの承認だ。
「そろそろ赫鴉様の認印や実印が必要な書類が届いているのですが?」
「もうちょっとここに居させてくれ」
「……」
熱せられた油が放り込まれる。
肉が油に炒められるときに香る妙な香ばしさがあたりに燻る。
「お゛ぎゃああああ!!!!」
野太い蛙の叫び声の主は赫鴉だ。
「は、白星っ! オメエは何ぶっかけてんだ⁉︎」
「三百度ほど熱した油ですが? 発火させないよう管理するのが面倒でしたね」
術式様々です、と金髪の四耳二角の白星。
「いい加減鬱陶しくなって来たので強硬手段です」
そう言って彼女は個室の扉を蹴破った。
長い脚での前蹴りは飛ぶ、というより縫い付けられるように壁が穿たれる。
「……ンだよ?」
妻は睨む夫の前に立つ。
その夫は妻に濡れ鼠のようなみすぼらしい姿を気にしているのか、横目から睨んでいた。
「油臭いですね」
「誰のせいだと思ってンだ⁉︎」
「いつまでも塞ぎ込んでる赫鴉様のせいです」
「こ、このっ……! いけしゃあしゃあと……!」
うわっと! と彼は油で滑って体育座りを崩してしまう。
便座から落ちて壁とそれの間に挟まった。
「ふむ、前衛芸術ですね」
「助けろや!」
「ほっといて欲しいんじゃないんですか?」
「く、クソっ! 自分で言った手前だけどよぉ!」
どうにか抜け出した彼は踏ん張りで立つ。
滑る足場でもしっかりと二足を落とせるのは日々の鍛錬の成果だろう。
「嫌でしたら、どうしてエンルマ師父と一緒に行かなかったんですか?」
「しなきゃいけねえことがあったからな」
「どうして交渉《あの時》に仕掛けなかったのですか?」
「それだと筋が通らねえからだ」
分かってるじゃないですか、とバケモノ。
それに対する人はそれでもまだショボくれた顔であった。
「頭では分かってんだよ。それでもしとけば良かったが過ぎっちまう」
悔恨。
思い出せば思い出すほど、近くづく張り付く感情であった。
「それでも赫鴉様はどうして『しなかった』を選んだのですか?」
問い。
分かっていることでも、今一度言葉にして示すのが教わったことであった。
「全部お膳立てした上でビサニティ潰さねえと世界征服の意味がねえ」
「覇者は如何なる者も真っ正面から打ち倒すべき、ですか」
そうだ、と次男は頷く。
「決めたンだけどなぁ。それでも感情に振り回されちまう」
「私も子供を望めないのがあるので、おあいこですよ」
「重てえこと言ってくれんなよ」
赫鴉は少し辛そうに笑ってしまう。
白星はフンと澄ました顔で受け止めていた。
はあ、とため息の夫。
「悪い……、じゃなくて、有り難うな。ここまで来てくれて」
「別に。仕事が溜まってましたので、早く片付けて欲しかっただけです」
「はいはい、そういうことにしとくぜ」
「では、そういうことで。それと本気で投げ出したくなったら、一緒に投げ出してあげますからご留意を」
「ま、マジトーンで言うなよ……!」
そうして二人は個室から出たのであった。
***
「お? 黒狼から連絡来てんな?」
「なんと?」
公衆トイレから出た二人は即座に届いた私的の連絡グループに皇太子からの伝言があった。
「『痴話喧嘩が済んだら帰りに焼餅買って来い』だと」
「私達をパシるとは。継承一位も中々イイ度胸してますね」
「てかアイツ、これまでのやり取り全部見てたのかよ」
「とんだ魔識なことです。で? どうしましょうか?」
そうだな、と赫鴉。彼は投影端末を開くと地図を表示して、いくつかピックアップする。
「ま、いいじゃねえか。俺も腹減ってるしよ。この辺で食ってから帰ろうぜ」
「では、苦労させた赫鴉様が持って下さいませ」
「おう、いいぜい。なんなら甲板で食うか」
「好きものですね」
そういいながらも彼女は店に行こうとする彼に並んでいた。
***
陽昇辺境邑炎成所属、飛行都市戦艦『東方不敗』は日夜空砲をビサニティに発射していた。
かの国の挑発に耐えかねたビサニティは交渉に訪れ、辺境邑次男、並びに艦長でもある赫鴉と軍事演習を行うと取り決めた。
そして、それが遂に始まろうとしていた。




