かくして、彼は踏み出した
赫鴉の巨槌が醜く膨れ上がった鉄塊を打ち抜いた。
「なあ、黒狼。お前、世界平和がバカげてるつったよな」
遥か彼方に吹き飛ばされたその醜い鉄塊は、彼等に向かって猛烈な勢いで迫る。
「いきなり何を……⁉︎」
「いや、な。お前に叱られて思ったんだわ。俺と嫁が最高に幸せに生きれる世界ってなんだろうってな」
赫鴉は彼の名にある赫い重量級の『鎧』を全身展開。そして、巨槌を肩に担ぐ。
「俺は辺境邑の次男坊武侠。んでもって嫁は三禍憑のバケモン」
迫る鉄塊を速度重視の左拳三発で足止め。
止まった隙に右脚を軸にしたターンで巨槌の柄が直撃。再び吹き飛ばされる。
「この状況で言ってる場合、んがっ!」
黒狼と呼ばれた軽量級の『鎧』を展開している少年は巨槌の石突で小突かれた。
「安心しな。ソッコで終わる。そのついででテメエに言い返しにな」
「何を……?」
背後にした鉄塊に赫鴉は右を上げて、担いでいる得物の重さでソレを押さえ込んだ。
不敵と困惑。
砂煙る戦場において一瞬の間。
それを、
震脚!
不敵の剛脚がその空気と大地を打ち破った。
勁力の流れは上げている右手を通して巨槌に至る。
下にいた鉄塊がたまらず押し潰され、大地の岩盤、更にその下まで打ち込まれる。
その内部に澱み溜まった勁が爆発するよりも早く、地下の龍脈に達してその奔流に掻き消された。
大都市複数を一瞬で更地にする暴威はこうして、より大きな力に消されたのだ。
短剣一閃。
黒狼が振り払った風で舞い上がった土煙が晴れる。
すると、赫鴉は右の人差し指を天に突き付けていた。
「御天道様よお! 俺らは充分幸せだ!」
太陽はキッカリ通り道のど真ん中にいた。
それを指す武侠は胴間声を上げて、その戦場にいた人々にうるさい程に届く。
「けど、テメエがコレ以上を魅せろって言いやがる!」
黒狼はそれを圧倒されて聞いていた。
目の前の男が放つその精神性に知覚を焼かれているのだろうか。
根拠なく放たれるその言葉に知らない確信を覚えてしまう。
「だったら世界平和がいいつったら、どっかの誰かにバカにされちまった!」
赫鴉は突き上げた指を目の前の武侠に合わせた。
彼の後ろの遥か彼方には国の皇都とそこに住まう皇帝がいた。
頂点たる陽を指で降ろすようにも見えるその仕草は、男がどこまで挑戦的なのかを明確に示していた。
「なら、世界征服して世界平和にしたら最高にバカげててイカしてるよな!」
『鎧』の上からでも分かる赫鴉の不敵な笑みを黒狼は嫌というほど見えてしまった。
***
皇国暦一〇九〇年。
陽昇皇国、辺境邑・炎成。
隣国群からの侵略をその何十万kmにも及ぶ長城砦で境にしている炎成の街は、今日も今日とて関所から入ってきた異民族と自国民とで賑わっていた。
「今日はどういった御要件で?」
そんな人盛りの中でも一際目を引く金髪美少女と赤髪美丈夫が一組。
「ん? 俺の女を見せびらかしたくて」
そんな気の抜けた言い分を、これまた気の抜けた顔で言い放つは赤を下地に黒の帯で縫いとめた着流しを纏う美丈夫だ。
「全く、相変わらず良い御身分ですね」
そう呆れて言い返す美少女はスラリした長身に、男ならば一目見て情欲を激しくかき立てられる起伏に富んだ体のライン。
そして一番に目を引くのは頭部の兎耳・狐耳・龍角だ。
「まあな、実際良い身分だし……、と」
美丈夫が前から目を外すと、
「鴉坊! これ持ってきな!」
「応! あんがとな!」
出店の店主が鴉坊と呼ばれた美丈夫──赫鴉に焼餅(小麦粉、ネギ、胡麻を練って焼いた物)が入った袋を投げ渡す。
「本当に邑長の次男坊とは思えませんよね」
「んな固えこと言うなって。白星もコレ食えよ」
と、彼は連れ歩く美少女の白星に焼餅の一つを差し出す。
「ま、ヘタクソなゴキゲン取りとして受け取ってあげましょう」
「ほいよ、羊肉挟まってんぜ。好物だろ」
白星はそう言われて焼きたてを受け取った。
二人が練り歩く大通りは様々な人種が行き交う。黒髪や碧眼、3m程の巨人、羽で飛んでいる親指程の妖精、全身に毛が生えた者、膝から下が無く歩く者エトセトラ。
その様々な人種種族で活気作られていた。
「どうなさいました?」
「ん、ソレ」
白星が自身の顔を赫鴉がのぞいているのに気付く。
すると、彼が彼女の頬を指でなぞって、それを舐めた。
「腹減ってたみたいだし、丁度良かったな」
「……んもう!」
白星はソースがついていたのに気づかずかじっていたのを行動で教えられてしまって、拗ねてそっぽを向いてしまう。
しかし、赫鴉はヒョコヒョコと動く彼女の耳を見て、その動きが表す感情の意味を思い出すと、満更でもなく笑みを作るだけだった。
そうして暫く歩いていると、
「道を開けい! 皇位継承第一位、黒狼・皇・陽仙様なるぞ!」
誘導役らしき従者の声が大通りに鳴り響く。
それに応じて、次々と人々が割れるように端に寄っていく。
後続に物々しい軍団を率いて、先頭に羽を畳んだ天馬に跨っているのは、烏の濡れ羽色のような黒髪に端正な顔立ちをした美少年──黒狼がいた。
「そこの貴様等、何用だ?」
開いた道において、その鋭い視線の先には赫鴉と白星が立っていた。
「何用って、なあ?」
「ええ、それは勿論」
と、二人が顔を見合わせると赫鴉が手にしている袋を上空に投げた。
「なっ⁉︎」
黒狼率いる軍団は一瞬、宙を舞う袋に目線がいく。
「辺境邑炎成、長の鷲相・皇・炎心が第二子、赫鴉・皇・炎心」
「その正室、白星・炎心であります」
抱拳礼で地に膝をつけた二人が応えた。
「かの皇太子様が来訪下さるのは聞き及んでおりましたが、今日この場をお通りなさるとは露知らず。このような無礼な装束にて御前に出てしまった事、誠申し訳なく存じ上げる次第であります」
高位の皇族の先を遮るように立っていた男女がその実、皇族というのに軍団はどよめき立つ。
すると、
「双方出迎え、大義である。急ぎの来訪ゆえ、伝令に混乱が出たようだ。多少の崩れは許容しよう。今後はこのようなことが無いよう厳命しておく」
黒狼のみが赫鴉達から視線を外してなかった。
「はっ! 陽仙様においては寛大の勅言、助かります」
「黒狼でよい。『伏禍豪槌』の赫鴉よ」
自身の通り名を呼ばれ、彼は片方だけ一瞬目を送る。
降ろす両目と上げる片目の線が交わる。
その場で散った火花に気付いたのは一人だけだった。
そして、その女は何も言わず、ただ礼を保ったままである。
それに勘付いるのか、黒狼は一息。
「それと」
と、彼は片手を出すと、
「食物は大事に扱うように」
そこに焼餅が入った袋が収まった。
「戒めておきます」
「ならば罰としてコレを貰うぞ」
そこに、
「黒狼様! 検分されぬ物など!」
従者の一人が流石にと具申するが、
「よい。もし、毒が入っていたとしても、ここの邑の取り潰しの口実が出来るだけだ」
「しかし、もし御命になにかあれば……」
「くどい。貴様等もそろそろ道を開けるがいい。長城砦に行くゆえ、また顔を合わせることもあるだろう。その時までさらばだ」
「「御意に」」
彼は従者を一蹴し、二人が退いた道に天馬を進めた。
黒狼軍が去っていくと、それを忘れたかのように活気が戻って大通りに人混みが再生される。
誰もが家に帰ると、家族に今日の二人の皇族の話をして、明日には忘れる程度の話題であった。
***
「ではごゆるりと」
「うむ、そうさせてもらう」
大通りでの少しの騒動の後。
黒狼とその軍団が長城砦に到着した。
彼は諸々の手続きを終えて、この貴賓用の宿泊部屋に案内された。
「防音術式を」
「はっ」
黒狼が命令する。
護衛として連れてきた従者が部屋から音が漏れないよう、術式(世界に満ちる『マテリアル』に特定の情報を流して目的の事象を発生させる技術。場所によっては魔術とも)を展開した。
「完了しました」
「よし」
と、黒狼は備え付けられた豪奢な椅子に座ると、十秒以上続く深い溜息をつき、完全に脱力した。
「お疲れ様です」
「全くだ。まさかいきなり『伏禍豪槌』と出会うとはな」
彼は目元を押してほぐす。天井を見上げて行うそれは、如何に疲労が溜まっていたかを明らかにしていた。
「お前はアイツ等をどう思う?」
「……アイツ等とは?」
「『伏禍豪槌』とそのツレだ」
「……噂からしたら、少々大人しい印象でした」
従者は歯切れ悪く答える。
昼に出会ったあの二人の行動は非常にチグハグなモノだった。
不敵に接触してきたと思ったら、その次の瞬間には揃って礼を尽くした態度を取った。
衣服や状況こそ体裁が悪いと言えば悪いが、それ以外はほぼ彼等の言葉通りであった。
「幼くして三禍憑を娶った快男児、元服直後に関わった外交政策で異民族も表立って関わらせる市場の開放、皇都含め他邑の犯罪組織の撲滅協力、文官武官の汚職率低下……。挙げればキリがないほどの功績を持つ男がアレとは俄には信じられないな」
黒狼が述べた中で出た『三禍憑』。
通常は一体でも国を滅ぼしかねない通常の獣憑きという妖や魔物の中でも、例外中の例外、かつ、人類側が観測している中でも唯一の三種の大妖魔が憑いた『それ』のことを指す。その名は三種になぞられついたのが『三禍憑』である。
「百年ほど前に姿を突如消したと聞いていましたが、いざ表舞台に現れたと思ったら、まさか幼子に娶られたとは本当に信じられません」
「だが実物を見ただろう?」
「あれこそ炎成がでっち上げた物では?」
「見抜けなかった」
「は?」
「一瞬だけのあの二人に聴勁(相手の勁力の流れを読む技術。本来は戦闘中に相手の次手以降を見切るのが主眼)を仕掛けてみたが、全く読み切れなかった」
「そ、それは……」
黒狼自身も『魔識皇剣』の通り名を持つなうての武侠である。
その目をもってしても、赫鴉と白星の力量を計りかねたのだ。
そのことに従者はただ言葉を失うだけであった。
「まあ、気にするな。予想以上の不確定要素はあるが、状況的には望んだアウェーだ」
「良かったのですか? 黒狼様専属の軍を率いず、我々皇帝直属の我々を選んだのは」
「それも俺が望んだことだ。気にするな」
すると、黒狼は懐から大通りで受け取った焼餅の袋を取り出した。
「それはっ……!」
「気にするなと言ったぞ。それに仕込むなら、もっとマシな状況が幾らでも作れるはずだ」
と、一つ取り出してかじる。
ソースの甘塩っぱさと羊肉のクセがありながも独特な旨味が絡み、小麦粉の香ばしさがアクセントになった風味が口の中で広がる。
「やれやれ、飾りっ気はないが、味は確かに実が詰まっているな」
彼は呆れるような、羨ましがるようななんとも複雑そうな笑みを浮かべて、炎成の皇都よりも賑わっている街を思い返していた。
***
黒狼達が長城砦に到着する数時間前。
街の外れにて。
「良かったんですか?」
「ん? 何が?」
赫鴉は特段思い当たる節がないのか、とぼけずにそのまま返した。
「継承一位にあの対応で、ってことです」
白星は子供の悪戯に付き合わせられた保護者のように呆れかえっていた。
「まあな、実際アイツが来るの知らされる場にいなかったんだし」
「その知らせを誰に盗み聞きさせたんでしょうね?」
「えっー、だって術式に関してはオメエの方が得意じゃんか」
「そういう話ではないのですけどー」
彼女は口を尖らせて、諸々に抗議する。
どうやら赫鴉は黒狼達が来る知らせの場を欠席した癖に、ちゃっかりとその話だけは白星の盗聴術式に任せて盗み聞き出した挙句、その上であの大通りを練り歩いていたようだ。
彼女が話だけを進めようとする彼に対して、不満を持ってしまうのも無理はなかった。
「へいへい、わーったよ。目的に関しちゃ、『威力偵察』だ。結果としちゃ成功だな」
彼も彼で観念して情報整理も兼ねて話す。
そして、低位の皇族が高位相手に聞く者が聞いたら卒倒しそうな事をサラッと言い出した。
しかし、内容からして彼等としては予定通りのようだ。
「で、私を見せびらかしたいという嘘は置いておいて、どうでした?」
白星は復習を手伝うような態度と声色で皮肉を交えて先を促す。
「普通に厄介だし多いし強いな」
「数は一、二万ほどでしたね」
「でもって質も統率も高い。あの数でアレは流石は中央直属ってトコだ」
黒狼が率いていた軍団を高く評価する。
ちなみに中央とは皇都の事を指す。
その直属軍がこの辺境邑に来たことを意味するのは、
「マジで武功挙げに来やがったな」
「視察だけでしたら遥かにマシだったのですけれど」
この炎成は長城砦を境に複数の大小様々な国と隣接している。
その数だけ思惑があるということだ。この邑では、陽昇皇国と地続きの国々と日々硬軟入り交えて折衝しているのだ。
二人が歩いたあの大通りにいた人々も、それぞれが大なり小なりの目的を持っている。
貿易、庇護、同盟、そして、侵略。
商人として、帰属を求めて、隣国がどうであるのか、攻め入るタイミングはいつかを計りに。
逆に炎成もただ受け入れてるだけではない。
「今回の外征の主導か、美味しいトコだけ持ってくか」
「どちらにせよ、功績作りに付き合わされるコチラにとっては面倒ですね」
「東と南はもう色々済んじまってるしな。北は何もねえし、西に目が向くのはしょうがねえよ。それに丁度いい奴等がいる」
赫鴉はそう溜息をついて、肩を落とす。
彼が言った外征。
要は全面戦争とはいかずとも、敵対している勢力・国家に対して(示威行為等含め口実はどうであれ)武力行使を行うのだ。
あれこれ言っている彼等も様々な理由で従軍経験が複数ある。
「あの調子でしたら、よっぽどの乱暴なことは言いそうにはありませんが」
「どーだろうな。所詮、小手先調べだし。ま、そん時はそん時だ」
二人は黒狼相手に『不敬罪』スレスレの接触を図っての『威力偵察』を行なって、彼の対応から今後の展開予測の材料としたのだ。
その上で行き当たりばったりと自覚しながらも、自身達の権限を踏まえての結論を出す。
その事に赫鴉は鎌首をもたげた妙な無力感から、再び溜息。
「あら、珍しく弱気なんですね」
「俺は平和主義者なんだぜ。オメエもよく知ってんだろ」
「通り名が泣いてしまいますよ?」
「いーんだよ。重たくて大事なモンはオメエだけにしてえんだ」
「まあ、お上手なこと」
「あんがとさん。そら、愛しの巣だぜ」
と、彼は見えて来た自分達の居城でもある長城砦を顎で指す。
「そろそろ隠密術式解きますね」
「んにゃ、門番の練度測りてえからこのまま」
「本音は?」
「驚かしてからかいてえ」
「はいはい、仰せのままに」
白星は夫の抜け切らない子供っぽさに苦笑しながらも、赫鴉はカカッとそれこそ悪戯っぽく笑う。
軽功(素早く動く技術。特に体内の勁力を操作して行うことを指す)を使い、黒狼達や彼等が放ってる早馬よりも先んじていた。
ちなみに余談ではあるが、門直前でようやく術式を解いて慌てた門番達が練度不足と注意を受けたとか。