駅で電車を待っている時に「いつ後ろから突き飛ばされてもいいように」30年間対策を続けてきたサラリーマン
私は田村秀明、50歳。
事務機器メーカーに勤めるサラリーマン。
人生色々あったが、これといった功績もなく失敗もなく、まあ平凡なサラリーマンといって差し支えはないだろう。
しかし、こんな私であるが、30年間欠かさなかったことがある。
朝のラジオ体操? 違う。
日記をつける? 違う。
草木への水やり? 違う。
私が30年間欠かさなかった“それ”は――
駅で電車を待つ時、いつ後ろから突き飛ばされても大丈夫なように対策しておくことである!
きっかけは……なんだっただろうか。
元々何かのフィクション作品で「駅のホームから人を突き飛ばして……」というシーンを見て、トラウマになっていたのだと思う。
そして、当時ハタチの学生だった私は駅のホームにて、最前列で電車を待っている時にこう思ったのだ。
「あれ? 今押されたら、俺死ぬんじゃないか?」
――と。
それ以来、私は駅のホームでは最上級の警戒をし、特に最前列で待つ時は絶対に対策を欠かさないのである。
ではホームの最前列に立っている時、私が具体的にどういう対策をしているかお教えしよう。
まず、足腰には常に力を入れること。こうしておけば、押された時も両脚でふんばることができる。土俵際に追い詰められた力士のように耐えることができる。中肉中背だが、私は50歳にして足腰はなかなか強靭だと自負している。中学高校と陸上部で、若い頃時折ジョギングをしていた貯金が生きている。
次に後ろに重心を持っていくべく、姿勢をやや後ろに傾ける。ようするに背中を反った状態でいようということだ。突然後ろから押されたとしても、重心が後ろにあるので、ほんのわずかでも助けになるに違いない。
そして最後に、いつでも回転できるように心がけておくこと。
「回転」の意味が分からない人に説明すると、もし誰かに押された時、私がどんなにふんばったとしても、足腰が強くても、押される方が不利である。ふんばるだけではなく、回避する努力もしなければならない。それが回転なのだ。
突き飛ばされても、右回転か左回転をすれば、衝撃を受け流し助かる見込みが高くなる。ちなみに私の利き足は右なので、常に右回転できるよう心掛けている。
まとめると、「足腰に力を入れる」「姿勢を後ろに傾ける」「すぐ回転できるようにしておく」、この三つを駅で電車を待つ時は意識しているのである。30年間、ずっと。
だが、今までに後ろから突き飛ばされたことは一度もない。
当然だ。駅のホームで誰かに突き飛ばされるなんて経験をする方が稀なのだ。
私がやっていることはいわば保険と同じ。怪我や病気の保険に入り、一生怪我や病気をしなかったとしても、「損をした」と考える人は少ないだろう。保険料を払って「安心」を買っていたのだから。
とはいえ、一生に一度ぐらい突き飛ばされてみたいなぁ……なんて思いもあったりする。
だってこれだけ備えてるんだし。
はっきりいって足をふんばったり、姿勢を後ろに傾けたりするのはかなり疲れる。もう折り返しに入っている人生、今後ホームで突き飛ばされる経験なんてないだろうし、そろそろこの備えもやめようかな、なんて思いも芽生え始めていた。
……
さほど忙しくなく、この日は夕方の六時には退社することができた。
私は会社の最寄り駅で、最前列にて電車を待っていた。もちろん、いつものように対策をして。「どうせ押されないだろうけど」と思いつつ、足に力を入れ、姿勢を後ろに傾ける。
「まもなく、1番ホームに電車が参ります」
アナウンスが流れる。
電車が走ってくる音が聞こえる。
これに乗って帰れば、家では愛する妻と近頃反抗期の息子が待っている。
あまりにもいつも通りの帰宅――
その時だった。
後ろから衝撃が走った。
すぐに分かった。私は背中を押されている。
しかも、両手でぐいぐいと。
力はかなり強い。なんで私がこんな目に、などと考えてしまう。しかし、そんなことを考える暇はもちろんない。耐えなければ。
必死にふんばる。
電車はもうすぐそこまで来ている。今押し出されたら間違いなく電車に轢かれる。電車はもちろん運休するだろうし、明日のニュースになってしまう。
思い浮かぶ妻と子の顔――こんなところで死ぬわけにはいかない。
ふんばりながら、いつもやっているシミュレーションを思い出す。そう、今こそ回転するのだ。
私は右足を軸に、フィギュアスケート選手のように、とはいかず不格好にどうにか回転した。
その結果、突き飛ばしから逃れることができ、間一髪で危機を脱した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
周囲には大勢のサラリーマンがおり、中には腕に覚えのある人もいたのか、犯人はすぐさま取り押さえられた。
私も自分を突き飛ばしたのはどんな奴だろう、と覗き込む。
取り押さえられていたのは、見たこともない若者だった。
ニット帽をかぶり、しわくちゃのシャツやズボンを身につけている。顔つきもだいぶ荒んでいた。
「ちくしょう……一人もやれなかった……」
もがきながら、こんなことを口走っている。
私は驚きつつも、怨恨による犯行ではないことが分かりホッとした部分もあった。
勝手な想像だが、この若者は自分の人生が上手くいかず、「誰でもいいから」というつもりで私を突き飛ばしたのだろう。しかし、私一人殺せず、無差別殺人は失敗に終わった。
逮捕されて、おそらく殺人未遂なりなんなりの刑になるのだろう。
やったことに同情の余地はないが、刑務所できっちり更生して欲しいものである。
とにかく私は助かった。
おかげで家に帰れるし、妻や子に会えるし、明日また会社に通勤することもできる。
私は30年間対策を欠かさなかった自分自身に対し、こう言った。
「……ありがとう」
完
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