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なんて呟いたのは15回目の夏(1)  作者: ロクデなし。
1/1

私にとってのさよならの四季は夏だった。

使い始め初心者の為記入未定。

他の人は別れの季節は冬だとか言う。

逆に出会いの季節は春だとか言う


そんな私の別れの四季は夏だった 。







ミーン ミーン ミーン ミーン … …














今日も夏日でいい天気、夏は好きだ。

ただ私には独特な癖があってそれも家庭環境の事も含めての事私には自傷癖があった。毎年真夏日でも長袖の日々おかげで肌は真っ白。



朝起きたら顔を洗って髪を整えて朝食を作る。

「7月暑いな。」

そう呟きながら朝食の目玉焼きを割るそれから順調に作り出来上がる。

朝6時半「いただきます」一言呟き朝食を食べ進め食べ終わる片付けは帰ってからやるので台所に放置


その後制服に着替え最後の身だしなみチェック女子にとっては見た目は気になるものだから。


そこまで出来たら家のねこしかいない部屋に「行ってきます」と手を振り外を出る。


登校の間この季節になると考えてしまう。

「こっちに来てもう3回目の7月か」

頭の中でそう考えながら通勤ラッシュでしかない田舎の道を通って学校へ向かう途中にヤギが居るので毎度小さく手を振るのが私の日課だ。雨の日は居ないので梅雨の季節は寂しい。


引っ越す前の私は小さな町に住んでいた、その地区に小学校は2つと中学校は1つしかなかったのでほぼすれ違う人とは顔が知れていた。

引っ越す前の私は一言で言うとクソガキだった。

先生の言うことは聞かないし下級生に売られた喧嘩をガチで買ってたような大人気ない小学生だった。

小学生に大人気ないとか大人気あるとかそんな言葉を放つのが正しいのか分からないけど。

そんなクソガキな私にも私が認めた先生という者がいた。

名前は生憎曖昧で確かたかちゃんみたいな感じで呼ばれてたと思う。金髪で所謂学校が終わったあとに預かってくれる学童みたいな所にいた、金髪の先生。


クソガキの私はその先生に向かって「どうしたの元気ねぇーじゃん」とタメ口で近づいた、起こりもせずその先生は「娘と喧嘩した貴方と変わらないんだけど蹴られちゃって」

自分が考えてることをバカ正直に話すもんだから私は笑って「カエルの子はカエル。先生もそんな事したことあるでしょ」と口が達者だった私は見事に当てた

「だいぶ昔の話だけど」とその先生は切なく笑ったので

「娘さんの好物作ってやったら」と提案してその先生は頷き笑った、そうすれば「あんた凄いよまだ小学生四年生なのに」と背中を撫でた、こんなクソガキと呼ばれてる私にその言葉を投げかける先生は初めてだった、まず普通なら最初の時点で怒られているのだ、そこに私は面白みを感じたのだろうそれから名前を聞いた。忘れたけど 。けど確かに仲良かったし思い出も私の中にある

それから仲良くなって…



そんなことを考えていれば学校に着く早く登校するもので7時50分には学校について自分のことを済ませている

毎週月曜日と金曜日野球部が朝練をするのが少しの楽しみであった。その様子を見ながらその続きを考えていたのだ


その先生は金髪ポニテメイクも濃い方だった、正直いって先生と言うよりかは友達のようだった、まぁ相変わらず小さい時はクソガキだったもんで「たかちゃん(覚えてないが曖昧な名指しで呼ぶとする)はなんで娘のことであんな悩んでたの?娘の事蹴ったことあるなら娘の気持ちが痛いほど分かっただろうに」と傷を抉った、その先生は相変わらず気前がいいもんで握りこぶしに小さいピアスを包んだ拳を私の額に当てた「私のお下がりだけどあんた空いてるんだから」とそのピアスをくれたのだきっとあの先生なりの“お礼”の仕方だったのだろう、私はにしッと笑いそのピアスを受け取った。そのピアスだけは部屋に大切に保管しているのだ。


そう考えているうちに8時。少しずつクラスメイトが登校してくる「おはよう」と手を振り1時間目の授業の準備それから朝の時間、友達が来るまで机に伏して考える


「あのピアス貰ったのも夏だったかな」

私はクソガキを卒業したつもりでいるからしばらくそのピアスを耳に通してない、そのピアスはタダのステンレス性のストレートバーベル。学生の私にはシンプルででもその大人っぽいものに惹かれて大切にしていたんだっけ。と思ってるうちに1時間目、2時間目、3時間目、と過ぎていく



ふと校庭を見ると少し廃れた紫陽花があった。

そこにも思い出があるのだ。

4時間目の授業中確か国語暇だったので窓側の席を都合よく使いその花を眺めていた。案の定その時の授業の記憶はない。本当に私は受験生なのだろうか。


そのあじさいの思い出というのがその先生は家を教えてくれて上がりにおいでと言うのでクソガキだった私はアポなしでその先生の家に案の定寝ていたらしい。

それでもすぐに部屋に入れてくれた先生の家は少し大きくて庭には紫陽花が植えてあった部屋に入りそこの窓を見ながら話した、「私転校するんだよね。」その言葉を聞いて目を潤ませた先生に手作りクッキーを渡して苦しくなったらそこに来るよう言われたのだ。それが私が認めた唯一の先生の話。紫陽花の花言葉は「移り気」


いや、少し構成された私でも言えることだけど

「先生、あんたは私以外に移り気魅せるつもりは無いよ」

とその一途に私を友達としてみてくれた女教師が私は好きだった。



昼食の時間、友達と軽く話して手を洗い号令が掛かりお弁当を食べる。私は人よりも食べないし食べるのも早い方なので1段弁当に軽く食らいついてから、お昼の放送の1曲目が終わる頃には大抵食べ終わってる。私の倍食べる子がそれより早く食べ終わってるのを見るとどういう体の構造をしているのだろうか時になることもある。

2曲目、3曲目、放送委員の小話などを耳に挟みながら蝉がうるさい7月の空を見る。当たり前に空は青い。


「あおかぁ…」そう知らぬ間に呟いて隣の男の子のハンカチが青色でその子を少し困らせた後自分が口に出したのだとアイコンタクトで謝るようにしてまた窓を見た。


青と言えば私の親友のおんなのこが好きな色だったのだ

今もSNSを通して繋がっていて仲がいい。

最近流行ってた地球ぜりーだかグミを流行りに乗れたと最近は自慢してきたっけ。

その子と仲良くなったきっかけは私はクソガキではあったが、そこまで理不尽な人ではなかったし常識はあった(敬語使えなかったところは「子供」としてみていて欲しい)

その子は虐められていた。内容は容姿のことだった

「一重で気持ち悪い」そう1人の女が笑った、それにショックを受けた親友は涙を流していた、その様子を見てその女の事も知らなかったし今親友であるその子のことも知らなかった私はその親友の前に立ち「お前も一重だしその上心が何よりブスじゃん」とけろッと笑って見せたのだ、その女は顔を赤くして校庭で周りに人がいたのでクスクスと笑っていた。その泣いていた親友の手を取って「あんなやつ気にすんな仲間はずれされてんの?」とだる絡みした。考えれば普通に怖いだろう、学校で喧嘩ばっかりしていると噂の私に話しかけられたのだから手を振り払われる覚悟だったけどその親友は安心して涙腺が緩んだのかぼろぼろ泣きながら「いい不良ですね」と笑って見せた、泣くなよと焦る私。相変わらず褒めてもらったのに自分のことしか気にしなかったクソガキな時代、そこはとりあえずで済んだ、顔は広い方だったが名前を知らない女と今の親友の話。次の日のいじめの標的は私になっていた体操着がぼろぼろになって机に置いてあった、その女の金魚のフンがやったらしい金魚のフンとは同じクラスだったもので「かわいそぉ…!」と甲高い声で男子に縋りながらやばいよねぇ笑と笑っているので、当時怖いもの知らずな私はそいつの体操着袋を3階の教室から投げ捨てて「取ってこいよ。」と言ったものだった、当然クッソ先生に怒れた体操着は金魚のフンが取りに行った、「私のがぁ…(泣)」とすすり泣いているのを男子は集って私を悪者にした、1番でかい男に殴られた。痛かったでも私はクソガキだったので気にせず、取っ組み合いをして結果勝った記憶がある。身長が小さい方だった私によくできたと思うよ。



そんなことを考えていれば昼休み、友達と話しながら授業の支度をしてまた5時間目の授業に参加する。

その時は体育だったと思うハンドボールの授業夏日長袖の私は死にそうになりながら走った楽しかった。


その時間がが、私の親友との記憶にピタリとあった。

確かバスケだったかな、私の親友は私と友達になってから一緒に遊ぶようになった、度々悪口を吐かれることもあったが私が盾になっていたので全然その子は傷つかなかった。守りきったのだ、何だか私のクソガキの根性が曲がったきっかけでもあったのかもしれない。「この人は守らなきゃ」と誓った。

小学生だったので喧嘩と言っても

「地球が何回回ったときぃ〜、」とかそういうしょうもないやつだったので御安心をそれに対して私はよく「地球の回り方、氷河期とか期間の提示をお願いしまぁす」とよく分からない煽りを返していたものだ。正直こんな子供が居たら私も嫌だ。まぁ自分の事なんだけど、


まぁ、なんやかんやで校長先生を混じえていじめについて話した私はずる賢かったので、殴り返さなかったただ受けてるだけだった。わざといつも長袖を着て、殴られた痣、自分が元々ドジだったので転んだ後を見せながら

「いじめにあっていて」と校長に見せた。

それから相手の親たちが呼ばれ私に土下座を1人1人の親から受けた。私は口は達者だったので大人に向かって常識もくそもなく

「謝らないといけないことをやらせるくらいならばしっかり娘さん達に手を尽くしてみては?」

そういったんだと父親に言われた。

それからピタリといじめは止んだ、それから正式な親友となった私の親友はあの時のくらい顔が嘘みたいでキラキラ笑っていたのを覚えてる。



体育の水分補給、水分取ってないと夏はとにかく死ぬ

私は体温が上がりやすく下がりやすいので夏のこの時期にはよく体調を崩すものだ(主に自己管理が出来なくて)



6時間目の総合の時間は自分について考える時間だった。

将来の姿についでだった。そこに私は「またあの町に戻りたい」と書いたものだ。


その中で書き物が好きな私はすぐに書き終わりボケーとしているとその親友のことを思い出した。その親友が恩師に変わった話があって、私バイクに轢かれたことがあるそんだけの話なんだけど、母親を呼んでくれなきゃ死んでしまう状況に死に物狂いで走って母親を呼んで行ったのが親友だった。顔面から血が出て、脱臼、足はズタズタ。

出血多量、顔面の傷で眼球が裂ける寸前だったらしい。

信号を無視した訳ではなく、今も覚えているのが工事中で危ない道があり、普通に歩いていた女性はそこを通したのに私たちを逆の歩道に行かす工事の人が居て、それに従って、家の前になったので渡ろうとしたら、工事道具の置いてあった死角からバイクが飛んできた。親友が無事でよかったと心底思った。


夏だからと理由でそんな事を思い出しながらその一日をすごした。帰りに私の友達の話を、今の学校の友達にして、懐かしいなと浸ったあと、その友達と別れ帰る。

帰り道はヤギがいる場所ではなくて気になっている男の子の家の前を通って帰る。誤解を解くと、別にストーカーをしていた訳ではなく人気がないのでその道を通っていたらその男の子が自分の家に入っていくのをみただけだ。

その細道でまた紫陽花を見る綺麗だなと思いながら。

また蝉が鳴く



カナカナ カナカナ カナカナ …



また別の蝉がなくひぐらしだろう


真っ直ぐうちに帰って「ただいま」と呟き荷物を置いて明日の支度をして着替える。少しの自由時間で絵を描いたりスマホを触ったりして、兄妹の帰りを待つ。

今の私について振り返ってみよう。

昔と違って大人にだるく絡まなくなったし

敬語も使えるようになった当たり前だけど。

クソガキからクソ汚い社会を知って大人になるための思春期に入った。

私が言うくそ汚い社会について話そうと思う。しっかりしようと思った某ウイルスでの自粛期間中に大人しくなった。小5の後半に親が離婚したものでそれから一人の時間が多くなったのも多くなったからだろう。だがしかし小6の後半には親は再婚相手を連れてきた、それから血の繋がってない弟ができたって訳だ。

あれほど私が別れは夏だと言ってきたがこの時ばかりは冬だったのを覚えている。確か2月だったかな。

元母親は酷い人だったので元母親と逸れる悲しみは無かった

ただ、そこから


「紙ひとつで契約できて契約を消せるんだ」


大人の口約束が信じられなくなった。


でも、再婚することになって悲しかったのは 引っ越す事だった。

再婚以外にも元母親に「会わないと殺す」という謎の殺害予告をくらいバイクをブンブン飛ばして追いかけてくるからであった。


そう、引っ越したのは7月の夏でした。


7月だって言うのに3年前の7月前半は土砂降りだった

私の心のようだった。でも大切な人が二人いたの男の子だったけど野球少年2人の事。

その子達の家に行って「もうここには居れないんだ」って一言でそいつ倉田と樋渡は頷き私を慰めた。


その事をSNSを見ながら思い出していた、もう夜ご飯の時間だったのでご飯を食べて、お風呂に入り、髪を乾かして眠る。でも寝付きが悪いのでその夜は2人のことを考えた。


倉田は一つ下の小柄な男の子。左投げ右打ちの両利き系の野球少年だった。樋渡は二つ下の身長が高い男の子右投げ右打ち。というか内野だった気がする。


その男の子達は私の大好きな人だった

2人は私の兄のような存在だった(年下ではあるが)

理由は沢山あった。

倉田は一言で言うと心の開き方が下手くそな人だった

私がよく話しかけるのでウザがってたのをよく覚えてるそれでもよく遊んでくれた。

クソガキだったけど家の事でメンタルが弱くなった時に泣いたことがあった、その時に黙って隣にいながら本を読んでくれてたのを覚えている。ほかの友達に遊ぼうぜと誘われても男の子の友達に付き合っているのかとからかわれても、私のそばを離れなかった泣き止んだ時に「ありがとう」と言えば「泣き虫だもんなお前」と笑わせられたのも覚えている。


一方樋渡の方は悪友仲間だった、喧嘩売られてそれを買い中学生だろうがか殴られたら殴り返したこともあった、軽く事件になりかけたこともあった、そいつは本当に私の兄弟みたいで「妹みたいなもんだから」と私とよく兄弟喧嘩のようなものをしていたものだった。

それでも真剣な人で、周りの男の子はサッカーだのをやるくせに私の二人で遊ぶ時はその辺を歩きながら色んな話をしたゲームだったり、私の家の話だったり「それは最悪だな殴ってやろうか」と頭血を昇らせていたのを今でも覚えている。私はこの「最悪」という言葉が何気に好きだったのである。何故だか今になっては分からない


本当に小学生かと思うくらい私の話を親身に聞いていた。

まぁそんな私も小学生だったんだけど… … 。




ミーン ミーン ミーン ミーン … …



またいつもの朝か 。

そう繰り返している 。 ただひとつここで付け加えるとこうやって昔のことを思い出していくうちに不安になるのだもう3年も会っていないのである。

覚えてくれているだろうか。元気だろうか。

ただSNSで繋がっている地元の友達に中学でも野球を続けているということだった。朝になるとすごく考える夢の内容が昔のことであれば尚更。



人間は一番最初に人を忘れるのは声だという。


私はもう、たかちゃんの声も、親友の声も、

倉田の声も、樋渡の声も、思い出せていない。



「やっぱり、私の別れの四季は夏だ。」


昔の私を失った夏


人を好きだと思った夏


その愛した人を手放さないと行けなかった夏







秋は努力の季節で


夏は青春の季節だと人は言う だけど私はそう思わない



夏は別れの季節




でも 。





使い始め初心者の為記入未定。

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