第八話 エスパーダの剣
西から差し込む夕焼けが、森を穏やかな黄昏色に染め上げていた。その光景は先ほどまでとは打って変わって、時が止まったかのような、また懐かしさのようなものを感じさせる。
そんな中イグリダは、アルヴァンと二人で公道を歩いていた。
「『愚者』の村は多分もうすぐだ」
アルヴァンがそう言うと、イグリダは腰の布切れに差した折れた槍を見下ろした。
ペトラの治療をするためにハディは『隠者』の村へ、そしてアラスタは、飛行魔法『フライ』を使ってウィックを『吊』の村へ送り届けている。そんな中イグリダは、『愚者』の村にいるという鍛冶屋を訪れるべく、アルヴァンについて行くことになったのだ。
アルヴァンが扱う剣も、その鍛冶屋で作ってもらったらしい。センの家にあったものを含め、イグリダが人生で見てきた武器の中で一番見事なものだった。
「そういえばイグリダ」
「何かな」
「ペトラを見て思ったのだが、ひょっとしてお前たちは、余裕が強さに直結すると思っていないか」
余裕といえば、確かに強そうなイメージがある。何か脅威が襲い来る時、イグリダは常に余裕を持ってその脅威を消し去りたいと考えている。
「余裕があれば、民は安心するのではないかと思っている」
「それが間違いとは言えんが、余裕があることと、余裕な態度とではだいぶ違うぞ」
「…どう言うことかな」
少し言葉にするのが難しいのだろうか。アルヴァンは少し考えるように首を捻っている。
「…民は余裕のある戦いに安心するかもしれん。しかし、相手が強力なのも事実だ。実際ペトラはシカナより実力が上なのに敗北した」
「余裕を持つことが時に危険だと言うことは分かっている。ペトラも、自信は本当の強者だけが持つべきだと言っていたからね」
「それが、本当の強者だった場合でも余裕を持ってはならないことがあるかもしれないんだ」
つまり、相手が少しでも勝てる可能性があれば、こちらも一切の油断をしてはならないということだろう。イグリダが考える理想の覇王像では、圧倒的な力で余裕を持って勝利することが求められるが、どうやら現実はそう言うわけにはいかないようだ。
「しかし、歯を食いしばりながら必死に脅威を打ち払うのでは、民はどこか不安を感じてしまうのではないかな」
民が求めるのは、平和が絶対に守られるという安心感だ。脅威に対して絶対に勝てるという確信を持たせなければならない。
もし必死に戦おうものなら、民の不安をそそる。
「覇王になった後のお前がどんな計画で世界を治めるのかは知らん。だが、全力で相手を打ち倒そうとする意思が、相手にとって大きな脅威となることは間違いない。…まあ、参考程度に留めておいてくれ」
そう言われて、イグリダは頷くことなく目を細めた。
不満というわけではない。むしろ良い教えだ。イグリダの覇王像を変えるいいきっかけとなってくれる。
確かに、相手と必死で戦えば、相手にとって脅威になるだろう。実際、イグリダが屋敷でトーアと戦った時、彼の殺意に怯んでいた。
しかし今、イグリダには正解がわからない。覇王となった後のイグリダがどれほどの力を持つのか、異能の力がどれほど強力なものなのか、今はまだはっきりとは言えない。
(今は、盗賊団との戦いに集中しよう。まずは全力で戦果をあげる。態度に関してはまだ考える必要はない)
盗賊王グランという強大な敵が、目の前に立ちはだかっている。それに、態度は力とともに勝手に手に入ることだろう。
「着いたぞ」
正面を見ると、岩場に囲まれた村が広がっていた。
今まで見た村の中でも特に小さく、家が少ない分、村の中央にある大きな家がより目立つ。あれが鍛冶屋だろうか。
アルヴァンはどこに寄ることもなくまっすぐに鍛冶屋へ向かい。戸を開けた。
「…これはすごいな…」
熱気に気圧され、イグリダは息を呑んだ。
中は大きなスペースがあり、周囲には鋼鉄の器具が並んでいる。炉から溢れ出る熱が、イグリダの発汗を促した。まるで火山にでもいるような気分である。
「紹介しよう。俺の弟、エスパーダだ」
「エスパーダだ。よろしくな」
アラスタと同じくらいの年齢の少年が、イグリダに握手を求めた。
黒と赤が入り混じったような髪色の少年だった。そしてその目は、まるで炉の中の炎のように熱い赤を放っている。歳のわりにはだいぶ筋肉が発達していた。
「よろしく。イグリダだ」
「あんたも俺の腕を聞いて武器をもらいに来たのか?」
「というと、もしかして君が鍛冶屋なのかな」
イグリダの問いに答えず、エスパーダはドヤ顔で鉄槌を肩に乗せ、親指を立てて見せた。
鍛冶屋と聞いて年上の男を想像していたが、だいぶかけ離れた年齢である。正直、アルヴァンの剣を作ったとは考え難い。
だが、イグリダに嘘を言う必要もないだろう。きっとこの少年がイグリダの武器を打ってくれる。
「言い忘れていたが、今から武器を作るわけではない」
「…どういうことかな」
「だいぶ武器庫に余っているんだ。お前にはその中から選んでもらう」
「えー、おっさんまさかオーダーメイドしてもらえると思ってたの?」
よくよく考えれば、ただの旅人に無条件でオーダーメイドなどそんな話があるはずがない。むしろ武器を一本譲ってもらえるだけでも美味しい話である。どうやら少し調子に乗ってしまったようだ。
イグリダは隣の部屋に入るよう促され、入室後、壁に立てかけてある無数の武器をまじまじと眺めた。おそらくここが武器庫だろう。
剣、両手剣、槍を筆頭にさまざまな種類の武器が立てかけてあり、中には奇妙な形の武器もあった。そのどれもがアルヴァンの剣と同等の出来だ。非常に悩ましい。
もし槍を選んだとして、また今日のようなミスを犯せば、すぐに壊れてしまうだろうか。いくら天才少年が作ったとはいえ、あの攻撃を耐えられる槍があるはずがない。
だが、イグリダが槍に向いていないというのは認められない。少なくともイグリダは長柄武器で何年も魔物を狩り続けてきたのだ。
「ちょっと!聞いたよおっさん!」
考え事をしているイグリダの背中に、エスパーダが凄まじい勢いで突進してきた。流石のイグリダも、こうも勢いよく突進されれば床に突っ伏すことになる。
鼻はまずいので、かろうじて正面からの衝撃は避けたが、顔の側面に激痛が走った。
「な…何かな」
「あんた、覇王になるんだってな!」
「その通りだが…」
イグリダが答えると、エスパーダは勢いよく天に拳を掲げ、イグリダの腕を掴んで立ち上がらせた。
「ぜひ、作らせてくれ!」
※
イグリダは現在、案内された宿屋の一室で、ベッドの上で寝そべっていた。
アルヴァン曰く、エスパーダの名が広まることを望んで作ることになったらしい。一晩で完成するとのことだ。
これで明日の準備は万端だろう。
「…第一歩だ」
もうすぐ、覇王としての歩を歩み始める。盗賊王グランという壁を一つ乗り越え、イグリダは初めて大きな実績を手に入れる。その時こそ、クアランドの人々が『イグリダ』という名前を知ることにだろう。
盗賊王に勝てるのか。右腕の調子が戻り、エスパーダに武器を作ってもらう、それだけで勝てるだろうか。アラスタやペトラの前では見せられない不安に、イグリダは苛まれていた。
不意に、窓辺から声がした気がした。
風の音だろう。この部屋は二階にあるため、窓から声が聞こえるなどありえない。
「…おい、聞こえてないのか」
今回ははっきりと聞こえた。誰の声だったかも明白だ。
イグリダはカーテンを開け、正面に見える木の大枝の上に佇む男を凝視した。
「君はトーアか。なぜこんなところにいるのかな」
「…盗賊に関する情報を分けてやる」
「…」
イグリダの部屋に飛び移るトーアに少し困惑しながら、イグリダは眉を顰めた。
おそらく明日の決戦に向けての敵戦力情報の提供だろう。現在判明している戦力はシカナのみで、情報の提供は非常にありがたい。だが、何か引っかかる。
「君は私に随分よくしてくれるね」
「…そうだな」
「何が狙いか、聞いてもいいかな」
センの屋敷でも、トーアはイグリダに力を貸してくれた。この青年がただ純粋に天下統一や平和を望んで力を貸してくれるとは、失礼ながら思えない。
トーアはその鋭い眼をさらに細め、小さくため息を吐いた。
「俺の双子の妹、ペトラを…この戦い以降戦闘に参加させないでほしい」
「…?」
ペトラの名が出てくるとは思わず、イグリダは思わず首を傾げた。
ペトラとトーアになんらかの血縁があることは、風貌から予想できていた。しかし、彼女が何か大きなものを遂げようとしているようには思えない。
「どういうことかな」
「…センがペトラにある技を習得させようとしている。その技を習得させることにだいぶ執着しているらしい。もしその技を習得してしまえば…分からんが、ペトラに危険があるかもしれん」
「剣聖センが…?」
「あの男はアンタが思っているよりも狂っている。頼みを聞いてくれないか」
剣聖センが、そのようなことをするとは思えなかった。確かにイグリダのことはあまりよく思っていない様子だったが、20数年共に過ごした我が子のような存在を使って何か計画を立てるなど、常識的に考えてあまり良いものではない。
だが、もしトーアの言う事が本当なら———
「その技とは?」
「…『無我の境地』、と言う名前らしい。…俺も詳しくは知らない」
聞いたこともない技だ。魔法の類ではない。剣技を生み出したのがセンならば、剣技の類でもないのだろう。詳しい事情はイグリダには分からないが、ここまで助けてくれたトーアの頼みだ。引き受けないわけには行かない。
「承知した、君の頼みを聞こう。盗賊王を倒し終えたら、ペトラは旅に連れて行かない」
「…悪いな」
一言だけそう呟くと、トーアは部屋の隅に腰掛けた。
※
トーアからの情報を一旦整理するため、イグリダは胡座をかいて目を閉じた。
50人近くもいる盗賊団の戦力は、ほとんどのメンバーが魔法学校の生徒に遠く及ばない。初級攻撃魔法でも、魔法が使えない盗賊たちからすればひとたまりもないため、多くの団員はアラスタが対応できる。
だがごく一部の戦闘員は、一般の魔法使いに匹敵、或いは魔導兵団をも超える力を持つ。
幹部シカナは、超人的な反射神経であらゆる攻撃を躱し、二つの大きな斧で強大な一撃を見舞う。洗練された細かな動きは、彼以下の速度の人間に対して明確に有効だ。
幹部エンドとその部下2人は、盗賊団の中の貴重な魔法使いで、全員が炎の魔法を得意とする。しかし戦うことがほとんどなく、トーアはまだ情報を手に入れられていないらしい。
盗賊王グランは、槍と刀を使いこなす凄腕の戦士だ。その強さは、団員のキオ以外が束になってかかっても敵わないほどだが、戦闘データが無いため具体的な情報は手に入っていない。
そしてキオ。盗賊王グランの側近である彼の実力は、グランをも超える。圧倒的な攻撃力とスピード、砲撃の仕掛けが施された両手剣で圧勝する。おそらくイグリダたちでは勝てないだろう。
「…だから俺が来たんだ」
トーアは撫でるように刀をいじり、かすかな紫電を放った。
「君なら勝てると…?」
「…分からん。だが俺の実力を試すいい機会だ」
「…ほう」
どうやらトーアもイグリダと同じく、強さを求めているらしい。それもトーアの場合は、イグリダのような目的があるわけではなく、ただ純粋に強くなることを楽しんでいるかのようだ。
「理解した。協力してくれて感謝するよ」
「…俺はタイミングを見てアジトに乗り込む。お前たちは好きにやれ」
そう言い残し、トーアは勢いよく床を蹴って窓の外に飛び出した。イグリダが行方を確認しようと窓の外を見ても、すでにその姿はなかった。
トーアの実力はまだ判明していないが、手を貸してくれる以上こちらもより気を張って行かなければならない。キオをどうにかしてくれると言っても、グランは変わらず強敵なのだから。
「…友よ」
穏やかに輝く記憶、その暖かな陽だまりと、黒く染まった草原がイグリダに語りかける。イグリダには成さなければならない大事がある。
「俺が必ず…」




