第二十六話 覇道の果て
エメイアという少女は、11歳になるまではただの少女だった。
幼馴染のキデク、イグリダとともに花を摘んだり、夕日を眺めたり、村を駆け回ったりして暮らしていた。
10歳になり、エメイアは村長の娘として異能を継承した。とはいえ『皇帝』の村は盗賊もおらず、魔物との戦闘訓練は男児にやらせていたため、エメイアは穏やかに過ごすはずだった。
そして11歳になり、モーストのボスが現れた。
「グレモルは私の頭を掴んで、異能を継承させたの」
「…闇に関する異能か」
「『女教皇』、闇の魔力を際限なく増加させる能力よ。グレモルは私に何かの術をかけて、私の中の闇を爆発させた」
そうして闇の魔力の大爆発が起こり、『皇帝』の村は消え去った。
意識を失ったエメイアを連れて、グレモルはクアランド城へ行った。
クアランド城の地下には巨大な研究施設がある。ゼウスが開発した不老長寿の魔法の再現を試みたり、異能者の異能を強制的に抜き出す研究をしたり等を、人の命を平気で踏み躙りながら行っている。
エメイアはそこへ連れて行かれたらしい。
「私はそこで、グレモルの子供を産まされた」
「………っ」
「施設にいた多くの女性は、グレモルの子を産まされていたみたい。その中で優秀な才能を持っていた赤ちゃんを育てていたんだって」
「……辛かっただろう」
「そうね」
エメイアは俯いた。
馬車をとめ、イグリダは草原に足をつけた。
かつて美しかった緑の草原は、今では影が溶けたように黒く染まっている。あの大爆発による影響で、この地は腐食してしまったのだ。
「…研究施設で、同い年くらいの子供たちと会ったわ。みんな、自分の置かれた環境の中で成果を出そうと必死だった。逃げ出せた子もいたけど、ほとんどの子がグレモルの配下になった」
「それがモーストに?」
「ええ。モーストでは統一した目的はほとんどなかったけど、大体のメンバーがグレモルの目的を達成させようとしていた。それは、私の子を使ってアルディーヴァを支配すること…」
アルディーヴァも良い国ではなかったが、路地で死にゆく民は一人もいなかった。グレモルの目的が達成されれば、アルディーヴァも同じ目に遭っていたかもしれない。
だが、話を聞いている限り、エメイアはグレモルに賛同していないようだ。
「君は何故モーストに?」
「…私も、一度は逃げ出したわ…。…キデクに会いに、『審判』の村まで行ったの」
「き…来ていたのか!?」
「ええ。そこで、貴方と再会できると思っていた。でも…いたのはキデクじゃなかった」
エメイアは言った。
「イグリダの名前を名乗ったキデク…モーストへの憎悪を抱いた彼は、世界を介護すると言った」
「………」
「『愚者』の村の近くで、私はモーストとして貴方に警告した。天下を統一すれば、いずれ世界は破滅すると。その意味が分かる?」
「分からない」
「介護されて生きてきた人間は、私たちみたいに絶望を味わわない。強くなろうとしない。力を求めない。そうなれば、本当に太刀打ちできない脅威が現れた時、世界は破滅する」
「イバナのようなことを…」
「でも、そうなったら貴方は守れるの…?」
エメイアは僅かに声を振るわせた。
「無理よ…貴方は私と同じ人間…。一緒に駆け回ったり…冗談を言って笑ったり、…勉強を手伝ってくれたり…そうやって生きていく不完全な生物…。もし天下を統一すれば、世界の前に貴方が破滅する…!」
「だが、誰かがやらなければ変わらない。感情のない世界に幸福などありえない。グレモルやイバナが実現しようとする世界の形態はダメだ。俺が世界を変えなければならない」
ただ、皆が平和に暮らせるだけでいい。ただそれだけでいい。それだけのことが何故できないのか。それは誰にも見られていないからだ。
見られていなければ、バレなければ、人は過ちを犯す。例えあとで見つかったとしても、その瞬間に見られてさえいなければ、人は簡単に冷静さを失う。
それを正すためには、誰かが目とならなければならない。世界を見下ろす巨大な目があれば、人は過ちを犯さない。
「君は、俺の邪魔しようと言うのか…?」
「…だってモーストは…貴方を止めるために、私が結成した組織だもの…!」
そう言われて、イグリダは目を見開いた。
「止めるためなら…貴方を殺してもいい。私が貴方を倒せば、貴方の仲間は一丸となって私という脅威を排除する。そうすれば、再び人々は自立して歩いていける」
「……そうか…」
イグリダは不殺だ。エメイアを無理矢理排除することはできない。
それでも、向こうは力での決着を望んでいる。なら、それに答えるのが力の道——イグリダの覇道だ。
「…殺したければ殺せばいい…だが、俺も抵抗させてもらう」
「…ッ」
「来い、エメイア!この世界で己の意見を通すためには…自分の力を証明しろ!」
「…闇よ!」
両手を広げて構えるイグリダに向けて、エメイアは闇を浴びせた。
闇を無限に増幅させる『女帝』の能力と、闇を自在に制御する『皇帝』の能力があれば、無限の魔力を得たも同然だ。これこそがモースト・オリジンの超パワーの秘訣である。
だが…
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
無心で闇をぶつけるエメイアを前に、イグリダは一歩も動かない。
何故なら、イグリダにも『皇帝』の異能が宿っているからだ。
やがて、エメイアは座り込んだ。
「はぁ…はぁ…」
「…大丈夫か、エメイア」
「……ぅ…ぅ…」
どう足掻いても、エメイアはイグリダに勝てない。超パワーを以ってしても、覇王として君臨したイグリダの前にひれ伏すしかない。
「君を殺したくはない」
「……私だって…殺したくない……」
エメイアは泣きそうな顔で言った。
「…世界が滅ぶとか…貴方を殺してもいいとか…全部イバナのアドバイスなの…。私の考えじゃない…。私はただ、貴方と一緒にいたかった…!」
「…エメイア…」
「…キデクが無理しなくても…、みんなで手を取り合って生きていこう…!」
「…………」
「…私は…キデクと生きていきたい………」
イグリダはもう、皆と手を取り合って生きていくことはできない。イグリダはすでに覚悟を決めている上、仲間を裏切ることはできないのだ。何せ仲間たちは、イグリダが覇王になるためにここまで協力してくれたのだから。
皆を裏切れば、イグリダはただ皆の計画を邪魔しただけの存在になってしまう。
「仲間たちは皆、自分の意見で世界を変えようとしていた」
「………」
「だが、俺は彼らの意見を力で押し潰し、俺の意見を通した。その意見についてきてくれた仲間たちを、裏切ることはできない」
イグリダは言った。
「でもエメイア…俺を覇王としてではなく、キデクとして共にいたいと感じてくれたのは、きっと君だけだ」
「…ッ」
「だから、ありがとう」
静寂が流れた。まるで、あの日、誰もいなくなったあの日のように、この草原は静けさに包まれた。
キデクはもう、誰にも手の届かないところへ行ってしまったのだ。
「さようなら、エメイア」
覇王イグリダはそう言うと、踵を返して歩き去った。
※
イグリダが覇王として世界を統一したあと、両国では大きな動きがあった。
まず、アルディーヴァが無くなった。
恐怖の帝王が支配していた恐怖の国の継続は難しかったのだ。ベルフスは大人しく王座から身を引き、王座も破壊した。
クアランドではアラスタが王位を継いだ。国民たちからの絶大な支持があったアラスタが王となったことで、アラスタの大体の意見が通るようになった。
アラスタは、魔法の国クアランドをあまり変えなかった。イグリダの指示により、魔法を使えない人々の救済は行わなかったのだ。魔法使いにとって働きやすい国であるため、アルディーヴァから魔法使いが押し寄せた。
それでも職が見つからない魔法使いや、魔法を使えない民に職を与えるため、イグリダは技術発展の都市を作った。
イバナやエリルディが地下で研究していたデータを発掘し、最初からかなり高度な技術で都市開発が行われることになった。聞くところによれば、魔法を使えない一般人でも、まるで魔法のように電気を操るとのこと。
また、剣士を育成する王都——ウエラルド王国を作ることになった。イグリダなりにエメイアの意見を受け止め、常に人々に訓練をしてほしいと考えての計画だ。この計画は思いの外うまくいき、魔法に憧れていた少年少女が、熱心に訓練に励むようになった。
そしてイグリダのわがままで、芸術の王都も作ることになった。センの屋敷や周辺の町に趣を感じたとのことだ。これにより、観光の一環として旅が増え、各国の商売も盛んになった。
まだ時代が変わって数ヶ月しかたっていないが、すでに好調である。
そんな中、センは変わらず屋敷で茶を啜っていた。
「技術都市の名前が、トアペトラだと…?」
「そうよぉ。雷の戦士として、私とトーアの名前を使ったらしいわぁ」
「案外名付けのセンスがないのかもしれんな…」
数々の剣技を生み出したイグリダにしては直球である。センは首を捻ったが、くだらないことに頭を使う気力もないので、やがて草餅を口に放り込んだ。
戦いが終わり、戦士たちはそれぞれが行くべき道を行った。そのほとんどが武器を捨てた。
エフティは村に戻り、バリバルと穏やかに過ごすことにしたらしい。幸い、エフティの村の子供たちは『恋人』の『コンティニュー』で治すことが出来た。心に受けた傷はまだ残るが、あの勝気な娘なら乗り越えていけるだろう。
盗賊たちはトアペトラへ行った。世界を発展させることで、彼らなりに罪滅ぼしをしようとしているのだろう。
魔王軍幹部と魔王は、クアランドで隠居貴族のような生活をしている。ちなみにキャナは魔法塾を開いて、無知な魔法使いから金を搾り取っているらしい。近いうちにイグリダの世話になるかもしれない。
そしてセンの息子レオは、ウエラルドで剣士の育成をしている。もうここへ帰ってくることはないだろう。
「ただいま」
「「おかえり」」
トーアの声だ。縁側から二人は手を振った。
「ドラゴンを狩ってきた。これは美味い部位らしい」
「ドラゴンのお肉…調理するのは初めてだわぁ」
「俺もセンも料理は出来ないから、ペトラに任せる」
「そうねぇ、頑張るわぁ」
心なしかワクワクしているように見える。肉の入った袋をぶら下げながら、ペトラは台所へ入っていった。
「帰ってきてくれてありがとう、トーア」
「どうした。アンタらしくもない」
「ふっ…わしはザンを倒した時、確かにまたこの三人で暮らしたいとは思ったが、お主が帰ってくることはないだろうと考えていた。だから感謝を伝えたかったのだ」
「じゃあ、素直に受け取っておく」
トーアは鼻を鳴らした。
「俺も、剣を教えてくれたのがアンタで良かったと思っている。魔法に頼っていたら、きっとバウマーに勝てなかった」
「…そうか」
「…まあ…あとは、育ててもらった恩を返させてもらうさ」
センももう長くはない。せめてその間だけは親子でいよう。
※
天下統一から約二百年後。イグリダは王座に座りながら、世界の状況を観察していた。
二百年も経てば、イグリダの存在を知らないものは誰もいない。民が罪を起こす頻度はすでに低く、一ヶ月に一回あるかないかというほどだ。
今日はこの時代の剣聖に稽古をつけることになっている。久しぶりの戦いに、イグリダの心は弾んでいた。
「いつか…俺の世界が終わっても…」
この時代の剣聖のように、強い戦士が多く現れるだろう。
イグリダは、ただその時まで世界を見張っていればいい。覇王として、人々の幸福を守る者として。
やがて、剣聖はやってきた。
「神童エルナよ、ようこそ私の宮殿へ」
イグリダは微笑んだ。
「私はイグリダ。覇王と呼ばれる者だ」




