第十八話 星vs帝
「お前は…イグリダの敵だったはずだ」
「敵だったけど、元々は仲間だよ。もう一回あいつを信じてみようって思っただけ」
そう言って、エフティは剣を構えた。
エフティの目的は、この世から幸福を奪い去ることで不幸をなくすというものだった。幸福がなければ絶望することがなく、皆が停滞した感情のもとで生活することができると考えたからだ。
だが、所詮は幸福の劣化状態。イグリダが真の幸福の世界を作ることができれば、エフティの目的など意味をなさない。
もし、本当に世界を平和にできるのなら…
「言っておくけど、あたしはイグリダ一行じゃないから」
「…それがどうした?」
「あんたのこと、殺すつもりで戦うってこと」
それを聞いて、オリジンはわずかに息を詰めた。
イグリダは不殺主義だ。それはモーストにも知られている。
つまり、戦いに赴くときの覚悟が違っていたのだ。今まで死ぬ予感を全くしていなかった中で、唐突に命懸けの戦いをするには抵抗があるのだろう。
だが、相手も死地は何度も潜り抜けてきたはずだ。狼狽は一瞬で終わった。
「お前にはモーストの幹部を一人殺されている。お前の命は保証できない」
「こっちはとっくに覚悟できてるよ。さっさとやろ」
エフティは深呼吸した。
自分がやってきたことは許されることではない。白竜の里で会ったモーストは、エフティがこの手で殺した。その他魔王軍の兵士も大勢殺した。本来なら死罪だ。
だが、何もせずに死ぬことも許されない。何か貢献しなければ、きっと弟に蔑まれるだろう。
頼りのない姉ではいたくない。エフティは村のお姉ちゃんなのだ。
「…剣技も魔法も使えないけど…、あたしにだってやれるよね…」
十メートル以内に入れば勝ち。それだけに集中することこそ、勝利の鍵だ。
戦意を抱き、エフティは突進した。
「浅はか!」
オリジンは両手を広げ、闇を大量に生み出した。
洪水のような闇がエフティに襲いかかる。
「ぐ———」
やがて、オリジンの視界からエフティは消えた。
(闇を止めるわけにはいかない…)
死ぬまで、闇の魔力で圧殺するのだ。優勢はこちらにある。
だが、切り裂く音がだんだんと近付いている。
「まずい…!」
モーストは飛行魔法を起動し、後方へ下がった。
直後、放った闇からエフティが飛び出してきた。
(勇者の剣か…)
イバナの話によれば、勇者の剣は魔法使いでない人間でも魔法と同等の斬撃を与えることができる優れものだ。その代わり、使用者の魔力を大量に吸い取るらしい。
エフティには魔法を生み出す器官も魔力の属性も存在しないが、魔力の量だけはあるようだ。
だが、オリジンの闇は特別だ。少しでも当たりさえすれば、そこから対象の体を蝕むことができる。
「はぁぁぁぁぁぁ!!!!」
闇雲に剣を振り、エフティは突進した。
すでにこの空間には瓦礫が降り注いでいる。エフティはこの瓦礫を避けつつ、闇を斬り、オリジンに追いつかなければならない。
(動体視力はたくさん鍛えてきた…!)
闇を躱し、瓦礫を蹴り、エフティは飛行魔法で上昇するモーストを追いかけた。
「くらえ!」
エフティは、異能で闇の方向を曲げ、オリジンに向けて放った。
「何!」
闇は空中で爆発し、オリジンの退路を塞いだ。
今度は落下だ。
「空中で身動きは取れないだろう!」
「異能があれば簡単だよ!」
エフティは落下する岩に重力を与え、空中で巧みに攻撃を躱してみせた。
だが、オリジンの姿は闇の中に消えてしまった。
(どこ…?)
戦意を抱いているとはいえ、落下する岩岩の中で留まっていると押しつぶされて死にかねない。エフティは再び下層に戻った。
直後、闇がエフティの足にまとわりついた。
「な…ッ!?」
「終わりだ」
闇が侵食を始めている。エフティの体は数分もしないうちに闇に飲み込まれるだろう。
「…ッ」
まだ諦めていない。諦めていないが、この状況を打破する手段が見当たらない。
オリジンは地下を埋め尽くさんばかりの闇を展開し、エフティに向けて放とうとしている。
(…異能を使って…何か…!)
頭の中で叫び、エフティはハッとした。
———信じるんだ…自分の目を、感覚を——
かつての、回避の指南を思い出す。
そして、エフティは思い至った。
「あたしは、策で勝てるほど頭が良くない!」
「戯け———ッッッ!!!」
オリジンが叫ぶと同時に、無数の闇が襲いかかった。
馬車で魔物の攻撃をはたき落として行った時と何も変わらない。ただ、エフティは自分の目と感覚を信じた。
「いち!に!さん!」
もはや掛け声が意味をなさないほどの怒涛の連続攻撃をギリギリで撃ち落としながら、エフティは冷静さを保っていた。
この掛け声は、エフティの心の平静さを保つためのものだ。この掛け声をしているだけで、いつもとやっていることが変わらない気がしてくる。
オリジンは焦っていた。
「あれだけの攻撃を…」
認識が甘かった。自分の能力があれば簡単に勝てると思い込んでいた。
「私も本気を出そう…はぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
闇が増幅する。エフティを覆う闇の濃度が高まる。やがて、オリジンからエフティは全く見えなくなってしまった。
そして、それが仇となる。
「隙あり!」
「ぁ——」
気づけば、エフティは背後約十メートルから手を伸ばしていた。
「潰れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
※
身体中が引きちぎられるように痛い。視界は暗闇に包まれている。声を蚊ほどのものしか出せない。
まるで、先の闇の中のようだ。
「……ぅ」
やがて、視界が少しずつ明るくなってきた。
数十メートル先には、オリジンの姿が見える。そして自分の周囲には、大量の闇が蠢いている。
「…あ…、れ…」
エフティは状況が整理できなかった。
エフティは射程内でオリジンに異能を使ったはずだ。本来なら、オリジンの心臓が押しつぶされ、エフティは無事に脱出している。
何が起きたのだろう。
「…私の異能は、闇を増幅させる効果を持つ」
オリジンは遠くでそう言った。
「お前が躱した闇、お前が捻じ曲げた闇、それら全てはこの戦場にばら撒かれる。そうしてばら撒かれた闇も再び増幅し、攻撃として利用することができる」
「………は…?」
要するに、魔力が無限ということである。無限の魔力は、魔力攻撃戦において極めて強力な能力と言える。なぜなら、残存魔力を気にする必要がなければ、『覇色の剣光』のような高威力の技を連発することができるからだ。
勝てるはずがない。
「立…たな…きゃ…」
殺される。圧倒的な闇の物量で殺される。
再び闇への恐怖がエフティを襲った。
「…私は残念だ。本来、お前のことは見逃すつもりでいた」
オリジンは言った。
「お前の弟や友人たちを剛王機から解放するよう、バリバルから頼まれたのだ」
「…バ…リバ…ル…、…が…」
「お前の境遇には同情の余地があった。この世界の負の部分に運悪く連続で陥れられるお前を、私は救ってやることにしたのだ」
そんな不幸など、同情されたくはない。エフティは散々不幸に抗ってきたのだ。今更同情されれば、その努力が全て消え去ったように思えてならない。
幸せは勝ち取れるものだと、今は信じたい。
「見殺しにしたくはない…。エフティ、私に降ってくれないか…?」
「…や…だ…」
「……………そうか」
瓦礫が落ちてくる。いよいよ、二人は生き埋めにされてしまいそうだ。
「私は『ワープ』で逃げられるが、お前はそうもいかない。このまま人生を後悔しながらゆっくりと朽ち果てていくがいい」
そう言って、オリジンは手をポケットに伸ばした。
間違いない。この男は魔法が使えない。ポケットに入っているのはおそらく『ワープ』のルーン石だ。
勝機がエフティの目を覚ました。
(動け!)
動け。勝利は目前だ。
動きを封じれば、オリジンは転移魔法を使えない。このまま重力で押さえ込んでしまえばエフティの勝ちだ。
死にたくはない。死にたくはないが、元々死ぬつもりで戦っていた。ならばせめて、この最も強いモーストを同じ地獄に引き摺り込まなければならない。
「動け———ッッッ!!!」
やがて、エフティの体は三十メートル先に投げ出された。異能で自分の重力を変更し、前進したのだ。
「な———ッ」
「跪けぇぇぇぇ———ッッッ!!!」
凄まじい重力がオリジンに襲いかかった。
エフティにはもう、心臓を潰すなどという高精度の異能使用はできない。あとは全力を以ってオリジンを押さえつけるのみだ。
「放せえッッッ!!!」
「はああああああああああああああああああ!!!」
オリジンは闇をエフティにけしかけ、エフティの体は激しい殴打に襲われた。
だが、異能は解除しない。たとえ身が朽ちようとも、エフティがオリジンを放すことはない。
「あああああああああああああああああああ———ッッッ!!!」
オリジンは叫び、身を捩った。
無駄だ。どう足掻いてもこの重力から逃れることはできない。
瓦礫がエフティのすぐ横に落下し、続いて足に激痛が走った。もうこの空間も長くはない。あと少しでオリジンを倒せる。
やがて———
「あああああああああああああああああああああああああ!ア、ア、ア、ア、ア—————」
闇が地下に溢れかえった。




