第十六話 能力の使い方
「はっ…はっ…」
エフティを背負いながら施設内を駆けるバリバルは、その惨状に唖然としていた。
先ほどまでは綺麗に整えられた白い建物が、熱量によって溶け出しているのだ。モーストに炎の魔法使いはいないが、心当たりのある人物はいる。
そして、正面にその男の姿が見えた。
「あれは…ガキか!?」
巨大な棍棒を掲げるクレスの足元には、呆然と頭上を見上げている少女の姿があった。
「ち…おらぁぁ———ッッッ!!!」
風の剣技を放出すると、クレスはその場から飛び退いた。
「バリバルか…貴様の裏切りはイバナから聞いている」
「裏切りっつったって…俺はイグリダは殺すつもりだったんだがな。イバナが全部悪い」
「『星』を殺すのも我々の目的だ。邪魔をするなら死んでもらおう」
よく見ると、座り込んでいるこの少女は魔王軍幹部『雷王』のキャナだ。魔王軍幹部の力も、クレスには敵わなかったのだろう。
そして、ベルフスは不意打ちで殺された。
「まだ終わらん」
背後から声が聞こえ、バリバルは振り向いた。
「お前、ベルフスか?」
「貴様は流れの魔物狩りか。都合が良い、手を貸せ」
見れば、ベルフスは鎖骨から上のほぼ生首状態で生存していた。全く意味がわからない。
「攻撃された直後、分体を遠くへ逃した。ギアに発見されない限りは我輩は無事だ」
「じゃあさっさとキャナ連れて『ワープ』で逃げろよ」
「ああ。だがこの男、おそらく『ワードキャンセル』の使い手だ。我輩だけならともかく、キャナを逃すことは絶対にない」
なるほど。確かに無敵状態のベルフスにはもう打つ手はないが、キャナを殺すことはできる。ここで逃してはクレスの面目も潰れてしまう。
「とはいえ、俺もエフティ連れて逃げねえとやべえ。手貸す以上、俺も連れて行ってもらうぞ」
「三人で『ワープ』する隙があるとは思えんが」
「だから勝つんだよ。見とけ」
エフティを壁に寄り掛からせ、バリバルは武器を構えた。
盛大に嘘をついてしまった。バリバルがクレスに勝てるはずがない。
「確かに貴様の強さは本物だ。遠距離も近距離も安定して立ち回ることができる。だが…」
飛来した雷を、バリバルは弾いた。
「俺より強い遠距離攻撃を放てば限界がくると、そう思ってるわけだ」
残念ながら、実際その通りだ。しかしその通りを通すわけにはいかない。
バリバルはロープナイフを振り回しながら突進した。
(魔法使いの最大の弱点は…超近距離に対応できないこと…!)
肉薄した状況では、『シールドオーラ』もほとんど意味をなさない。クレスは棍棒で対処できそうだが、その攻撃は『陽炎』で対応できる。
とにかく距離を詰めれば勝ちだ。
「ふん」
クレスは棍棒を薙ぎ払い、バリバルを牽制しようと試みた。
だが、バリバルはイグリダのように身を翻し、減速することなく突進を続けた。
「ほう…」
異能の射程内まで残り五メートル、ここなら刃がギリギリ届く。
「らぁっ!」
「『シールドオーラ』」
破裂音が響き渡り、攻撃は魔法で無効化された。
だが、好機だ。すでに異能が届く距離まで肉薄している。
力強く踏み込み、バリバルはクレスの懐に潜り込んだ。
「死ねええええええ!!」
棍棒を再び振るのに、この距離では間に合わない。
だが、ナイフは胸元で止まっていた。
「他愛ない」
「やっべえ…!」
ナイフを片手で受け止められ、バリバルは慌てて飛び下がろうとした。
だが、離れられない。クレスはナイフを離してくれない。
しかしよく考えれば、この状況でバリバルが取れる手はないとはいえ、同時にクレスにも打つ手はない。停戦状態だ。
「なるほど、異能は攻撃されなければ発動できないのか。いつ来るかと身構えていたが」
「はっ!そりゃお前の思い込みだ。いつでも異能は使える」
「思い込みではない。ふん…貴様の戯言にはうんざりしているんだがな。この状況下で異能を使わない理由はない」
バリバルは苦笑した。
「ってことは、お前も俺に手出せないんだろ?今は俺の『異能』の射程内だからな」
「そういうことになるな」
仮にバリバルの腕を掴んでいるその手のひらから魔法を放てば、バリバルを感電させると同時に自身も大火傷を負う。それほど危険な賭けをする男ではないはずだ。
バリバルは、大きな失態に気づいた。
「キャナ!」
振り向けば、すでにキャナの周りに大きな雷が渦巻いていた。
「『ケラウノス』———ッッッ!!!」
クレスの魔法が起動した。
中級魔法に相当する雷が無数に展開され、キャナに向けて放たれた。
床が幾度も雷に叩かれ、煙を上げている。キャナの無事は保証できない。
「いや…逆にチャンスか…?」
キャナが消えてくれた方が好都合だ。ベルフスは守るべき対象を失い、早々に立ち去ろうとするだろう。あとはクレスを吹き飛ばして、急いでベルフスの元へ向かい、逃げるのみだ。
「何がチャンスですか。ふざけないでくださいよ」
直後、クレスに向かってお返しと言わんばかりの雷が放たれた。
「お…い!」
流石にこれ以上武器を握っておく必要はない。バリバルは武器を離して飛び下がった。
「お前、俺を巻き込むつもりだったのか?」
「見捨てようとした罰です」
「は…」
キャナを見下ろすと、バリバルはその変貌ぶりに驚いた。
先ほどまでのキャナは、深淵の目を前髪で隠した小柄なただの少女だった。だが今は、髪が逆立つほど魔力が立ち上り、深淵の目は、激しい赤の閃光を中心に煌めかせている。
「今、この能力の使い方をパパから聞いたんです。もう誰にも負けませんよ」
キャナは不敵に笑うと、両手に魔力をたぎらせた。
「小娘が…!」
雷を捌き切ったクレスが、僅かに怒りを感じさせながら手のひらをこちらに向けた。
「『ケウラノス』———ッッッ!!!」
今一度放たれた連撃を、キャナは防ごうとしない。
「ち…」
バリバルはベルフスとエフティの方へ駆け寄り、遠くからキャナを見守った。
雷が一向に効いていない。
「キャナは、自分に卵を植えつけたのだ」
「は…卵?」
「グリフォンの能力は知っているはずだ。尾を対象に突き刺し、卵を植え付けることで分体にする。キャナは自分に卵を植え付けることで、自分の存在を本体と分体の二つとして兼用したのだ」
「いや、グリフォンの能力は死体にやるもんだろ」
「生体にも可能だ…その生体が許可した場合にな。無論、許可する者は存在しない」
要するに、負担がすごいということである。死ぬよりはマシだが。
「『プラズマ』!」
「『シールドオーラ』!」
クレスが雷を防いだ後には、すでにキャナが肉迫していた。
「『プラズマ』!」
「ぐがあああああああああああああッッッ!?」
まともに攻撃を受け、クレスは悲鳴を上げた。
今のキャナには攻撃が効かない。クレスは終わりだ。
「『ワープ』!」
「あ…っ」
虚空の彼方へ消えたクレスを見て、キャナは失敗したというようにこちらを見た。
「まだ大丈夫だ!あいつは中央に『ワープ』を設置してる!」
「わかりました!」
慌てて飛行魔法で飛んでいくキャナを見守り、バリバルはため息を吐いた。
クレスは倒したも同然だ。見たところ剛王機もかなり減っている。キャナがここに戻ってくるまで残った剛王機を適当に相手取っていれば、ベルフスが魔王城へ連れて行ってくれる。
ようやく安心がバリバルを包んだ。
「おーい」
遠くから歩いてくるのは、剣聖と盗賊王だ。
「そこに転がる魔王は無事なのか?」
「ああ…残りの幹部は把握しているか?剣聖よ」
「…出来ていない」
「そうか」
とりあえず、一人でも多くの剛王機を逃さなければならない。なんとか外に運べないだろうか。
全員で頭を悩ませていると、遠くでぶつかり合っていた金属音がやがて近づいてきた。
「闇よ!」
「はぁッ!」
闇の魔法を巧みに躱し、槍を振りかざすシカナの姿だ。
相手は当然イメル、白竜族同士の戦いである。
「あいつめ…まだ戦っておったのか…」
「…流石に加勢した方がいいんじゃねえのか」
センとグランが呻き声を上げた。
「なんだ?加勢できない理由があるのか?」
「シカナがわしらに頼んだのだ。決着は自分でつけたいと」
そういえば、シカナは白竜族の裏切り者だ。イメルはその排除を、シカナは裏切った理由を達成しようとしているのだろう。
(…あれ、おかしいだろ…?)
イバナによれば、シカナは三十歳を超えていて、白竜の里を出たのは幼少期。一方で、イメルはまだ二十七歳。そしてシカナは今年まで、一度も里に帰っていない。つまり二人が最後に接触したのは、赤ん坊の時ということになる。
「仮にあいつらが兄弟だったとしても、赤ん坊と因縁があるなんておかしいよな…?」
「我輩も同じことを考えていた。白竜族はここ二十年程生気を感じられないと聞く。何かモーストが———」
ベルフスが言いかけた時、『王雷』でえぐられた床を人影が歩いているのが見えた。
オリジンだ。
「白竜族はイバナが滅した。イメルは赤ん坊の時に闇の魔法をかけられ、永遠にモーストの手駒となったのだ。他の里人も同様にな」
オリジンは立ち止まると、白い仮面の内側で大きなため息をついた。
「バリバル…イバナの前でエフティを庇ったのか?」
「じゃなきゃエフティは殺されてた」
「全く…」
オリジンは再びため息をつくと、その場にいる全員を見渡した。
「何の集まりだ?」
「お主こそ、モーストの幹部がのこのこと、わしらに何の用だ」
「戦いだ。バリバルは逃してやるが、その他全員を殺す」
バリバルに不信の目が集まった。
「…エフティの友人のガキどもを助けるためにモーストに入った。オリジンに慈悲をかけてもらってな」
「かといって…俺たち全員を殺すってのは困る」
グランは不満げに腕組みをした。
「てか…殺すならなんですぐに殺らねえんだ。…やっぱり何か目的があるんじゃねえのか」
「……簡潔にいえば、話し合いだ」
オリジンは言った。
「はっきり言おう。君たちには、もうイグリダに協力するのをやめて欲しい」
「……」
その場の、バリバルとエフティ以外の全員が、冷めた目でオリジンを見つめた。
「お前たちは分かっていない。もし天下の統一が成されれば、人々は戦う力を失う。そうなってしまった時、来るべき災害に備えられなくなるのだ」
「分かってないのは貴様の方だ、モースト。覇王の作る世界では、この世の全てが奴によって監視される。そこにプライバシーなど何もない。神と化したイグリダが、脅威を事前に察知し取り除くのだ。来るべき災害とやらは全てイグリダが排除できる」
「もし、イグリダに取り除けない脅威だったなら?その時は、人は滅亡を待つしかないのだぞ、魔王ベルフス」
「ああ、我輩たちは大人しく死を待つだろう」
「ベルフスの言う通りだ。それが人の能力の限界点。覇王となったイグリダに倒せない敵ならば、わしらにも倒せん」
センは言った。
「あの狂人を止めることなど誰にも出来ん。あれを見てきた人間なら、天下統一を疑う者はおらん」
「……そうか。そうだな」
オリジンは気怠げに肩を落とし、やがて両手に力を込めた。
「なら…ここで全員殺す…!」
「『ワープ』!」
真っ先に逃げ出したベルフスに困惑しながら、一同は武器を構えた。
闇が襲いかかる。
「なあ…この闇、他の幹部と質が違うぞ…」
バリバルはつぶやいた。
他の闇は、のっぺりとした膜の様な闇だった。攻撃にも使え、拘束にも使える優れた魔法だった。
だが、この闇は違う。攻撃とも拘束とも呼べない、ただの自然現象だ。深淵の闇が一方的にこちらを飲み込もうと迫ってくる。
無限の闇だ。
「逃げろ!」
バリバルの叫び声で全員が逃げ出したが、当の本人は横から闇に殴られ、彼方へ飛んでいった。
そしてそれに呼応するように、消耗しているグランはその場に倒れ込んだ。
「…まずい……!」
「グラン!」
センが駆けつけようとするが、もう遅い。
闇はグランの頭を飲み込み———
「失せろ!」
グランに襲いかかった闇は、方向を直角に曲げて左へ飛んでいった。
魔法ではない。何かの引力が、闇を引き寄せたのだ。
「…エフティ」
「みんな逃げて、こいつはあたしが倒す」
回復したエフティは、勇者の剣をオリジンに向けた。
「剣聖のおじいさん。あんたのおかげで、イグリダのこと思い出したよ」
「ふ…そうか」
センはグランの手を引いてゴンドラに乗ると、エフティを一瞥してからスイッチを押した。
オリジンは少しだけ怒りを露わにしながら、エフティに一歩近づいた。
「イグリダを思い出した?」
「うん。あいつなら…みんなが笑って暮らせる世界を作れるって、あたしも信じる!」




