第十話 ベルセルクの戦意
息を切らしながらも、レオは走り続けた。子供の体力はほとんど無限と言ってもいい。まだ戦意を使い慣れていないレオでも、脅威から逃げるには十分だ。
だが、恐怖という感情がその足をわずかに硬直させる。レオは臆病ではないが、あれは見てはいけないものだ。
「はぁ…はぁ…」
まだまだ屋敷まで遠い。レオは苦しげに呼吸を荒げながら、後ろを振り向いた。
ムオオオオオンノンノンノンノン!!!!
彼方から聞こえる煩わしい音が、心臓を掴むかのようだ。レオは再び走り出した。
茱萸蟲の地面を這う音が聞こえる。そして、それは次第に大きくなっていく。
やがてレオの目に、その姿が現れた。
「ノオオオン」
「あ…ぁ…」
子供の目からすれば、その体はとてつもない巨体だ。茱萸蟲は口と思われる部位を開け閉めしながら、レオの顔を覗き込んでいる。
やがて大きく口を開き、襲いかかった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
レオが頭を抱えてうずくまると、茱萸蟲はわずかに声を漏らし、そのまま倒れ込んだ。
斬られたのだ。
「『ファイア』」
静まり返った森の中で、ただ魔物が燃える音だけが響いている。そうして、レオはようやく自分が助かったことを理解した。
「あ…あの、ありがとう」
礼を受け取ると、ザンは優しく微笑んだ。
※
焼いた茱萸蟲は食べられると聞いて顔を顰めたレオだったが、今は夢中で頬張っている。この甘味は糖分ではなく、魔力で形成されているらしい。
「魔物は美味しくないけど、魔力補給にはもってこいなのさ」
ザンはそう言うと、グミを口の中に放り込んだ。
「じゃあ、戦いにこれを持っていけば魔法がいっぱい使えるね」
「いいや、すぐ腐るのさ。魔物はすぐに『闇の根源』に帰り、また復活する」
「どうすれば倒せるの?」
「さあ。でも、魔物が永遠に消えないということは、傭兵の仕事が無限にあると言うことなのさ」
センは傭兵だ。毎日山の麓の町で掲示板を確認し、魔物狩りに出かけている。他にも旅の護衛や運搬の仕事等があるが、時間がかかるため受注しないとのことだ。それだけ家族を大切にしてくれている。
「センが職を失わないのは、魔物が復活するおかげなのさ」
「ふーん」
魔力として空中に漂い始める茱萸蟲の死体を眺めながら、レオはぼうっとしていた。
センもザンも強い。さっきのようにレオを助けてくれることはよくある。そんな二人の強さにレオも憧れているのだ。
しかし、彼らの強さは一体なんのためにあるのだろう。もし魔物が消えたら、センとザンのスキルに価値は無くなってしまうのだろうか。
「なんか…嫌だなぁ」
魔物を倒すために存在する職が、魔物がいないと成り立たない。この事実はひどく胸糞が悪いものだ。傭兵は平和を守るための職業だが、平和を手にした瞬間にその価値が消えるのなら、傭兵たちは一体どんな心境で魔物と戦っているのだろう。
「…気に入らないかい」
「まあ」
「でもよく考えてごらん。君の父親は、戦うことが得意だから魔物と戦っているんじゃない。君が大切なのさ」
「…おれ?」
「うん。君がいなくてもセンはきっと傭兵だけど、君がいるから傭兵でもある。守るべきもの、守るべき家族があるからセンはなんでもやる。もし平和になっても、君たち家族を養うために奮闘するよ」
「…難しいなあ」
「そう?じゃあできるだけ簡単に言ってみるよ」
ザンは言った。
「武力は守るためにある。でも、守る手段が武力だけじゃないことを覚えておいてほしいのさ」
「分かった」
モヤモヤが完全に晴れたとは言えないが、なんとなく腑に落ちたような気がする。
レオはどこか満足げに頷いた。
※
センとペトラが出かけてしばらく経った。
今頃はなんだかんだで一緒に飯を食っていることだろうと、レオはほくそ笑んでいた。センはそういう人間だ。
「息子の俺とも、もうちっと仲良くしてくれても良いじゃねえか…」
レオはため息を吐いた。
母ロザが死んでから、センがレオと話す時はいつもザンの話だ。もちろん、レオはザンを探す役目を承っているが、少しくらい遊んでくれても良いだろうと思ったことがある。
「四十のおっさんがパパに構って欲しいたあ…情けねえなあ…」
しかし、馬鹿笑いして生きてきたレオは真面目に生きるなどごめんだ。永遠に遊び相手を探しては追いかけっこでもしていたいものである。
そういえば、確かこの屋敷には大量の菓子が詰め込まれていたはずだ。茶でも飲んでくつろいでいれば、少しは落ち着いた大人になるだろうか。
「——ッ!」
目を見開き、レオは硬直した。
気配を感じたのだ。レオは全神経を耳に集中させた。
「ああ…よく知る音だ」
苦笑しながら、レオは振り向いた。
「やっぱ生きてたか、おっさん」
「うん」
頷き、ザンは仮面を外した。
「刺客と会った」
「トーアくんは死んだのか?」
「逃げられた。僕は『ワードキャンセル』が使えないのさ」
「そうか、そいつは良かった」
トーアが殺されたのだとしたら胸糞悪い。レオはほっと胸を撫で下ろした。
同時に、ザンは刀を引き抜き、レオに向けて振り下ろした。
レオは小さく悲鳴を上げながら身を翻し、壁に立てかけてあった刀を握った。
「戦おうってのか」
「うん。そっちが仕掛けてきたんだから、容赦はしないのさ。モーストの邪魔にもなり得るし」
ザンはそういうと、再び斬りかかってきた。
あまりにも急すぎる戦闘だが、レオがついていけない戦いではない。戦意の操作に優れたベルセルク家の人間は、常識を超えたスピードで動くことができるのだ。
レオは攻撃を見切ろうと、ザンの動きをじっと観察した。
だが、どれだけ早く動けようとも、なぜかザンの予備動作が見えない。彼は動きを悟られないよう、気怠げな構えから一気に剣を薙ぐのだ。
見えない斬撃をかろうじて弾いた後、レオは反撃を試みた。
「せえッッッ!!」
「…ふむ」
弾かれた。当然といえば当然だが。
流石はセン以上の剣士。予備動作が見えず、こちらの動きは読み取られる。勝ち筋がない。
いや、負け筋さえなければ良い。センとペトラが帰ってくれば三人で袋叩きに出来る。特にセンの技術があれば、勝ち目は十分にある。
つまり、出来るだけ体力を使わずに時間を稼げばいい。
(……いいわけねえ)
きっと、ザンを前にすればセンは狂ったように戦うだろう。もしかしたら連携は取れないかもしれない。それに、あの日の記憶をより深くまで思い出させてしまうかもしれない。
そうなれば、きっとセンは辛いだろう。
それに、センが鬼のように戦う姿を見れば、ペトラもきっとショックを受ける。ペトラにとってはあくまで尊敬できる師匠なのだ。
「っしゃあああああああああああ!!!ぶっ殺す!!!」
叫び、レオは戦意を限界まで解放した。
突如、周囲に赤い蒸気のようなものが溢れ出した。
特濃の戦意は可視化され、気体に近い概念と化す。これがベルセルクの奥義だ。今のレオの戦意は、常人の戦意が十人分集まったほどの力である。
「さあ!行くぜッッッ!!!!!」
雄叫びを上げ、レオは突進した。
レオの刀の技術はあくまで平均、せいぜい初級魔法を斬れる程度だ。まともに刃を打ちつけあえば刀を斬られてしまう。
剣技を使うのだ。
「『岩薙』———ッッッ!!!」
岩属性の剣技は発生が遅い。しかし強大な戦意を持つレオが放てば、その発生速度は雷属性に匹敵する。
実際ザンは躱すことができず、森の方へ吹き飛んでいった。
まずは一打、この一打は確実にザンにダメージを与えた。このまま堅実に立ち回っていけば勝ち目は十分にある。
「『電光雷轟』」
「『石礫』———ッッッ!!!」
剣技を撃ち合い、二人は瞬時に駆け出した。
『石礫』は、『岩薙』の次に教えてもらったセンの剣技だ。『岩薙』のようなパワーはないが、岩塊を複数に分けて発射することでスピードを増している。
空中で『電光雷轟』は『石礫』に噛み付かんと衝突したが、複数回の魔力攻撃でわずかに速度が弱まった。
ザンの斬撃を柄で受け流し、レオは懐に潜り込んだ。
「詰めるのが早いよ」
「分かってらっ!」
余裕の笑みでカウンターを見舞うザンから距離をとり、再び様子見が始まった。
勝負はこれからだ。
※
村人や旅人で賑わう町をぶらぶらと歩きながら、センとペトラは呑気に買い物をしていた。
本当は野菜と菓子を買ってすぐに帰りたかったが、ペトラが思っていたよりも町に興味を示していたらしく、永遠とも思える長い買い物に付き合わされることになったのだ。
「そうねえ…家にない菓子が食べたいわぁ」
「草餅ばかりだからな。しかしペトラ、お前…わしが七十を超えたことを忘れておらぬか」
「剣聖は歩き疲れないでしょう?そういえば、70歳の誕生日も、草餅をずっと食べていたわあ」
「ふん…。そうだな、すぐ近くにいい店がある」
センは手招きをすると、人混みの中に飛び込んでいった。
いくら外出に慣れていないとはいえ、ペトラは戦意を使える。ペトラは戦意を纏いながらヌルヌルと人混みを掻い潜ってきた。
数十メートル歩くと、小さな茶屋にたどり着いた。
「ここ?」
「ああ、蜜を使った菓子を売っている店だ」
菓子でありながら腹が膨れるボリュームのあるものだ。ここでペトラに満足感を味わわせ、早々に帰宅しようという寸法である。
二人は店の中に入っていった。
店は小洒落た小道具が顔を顰めるほど置いてあり、奥から甘い香りが漂ってくる。昔に比べて広くなっているような気もするが、空気感は変わらず、懐かしい。
席に着くと、センは同じものを二つ頼んだ。
「楽しいわあ」
「…そうか」
唐突に漏れたペトラの言葉に、センは目を伏せた。
長い間、外に出してやれなかった。ペトラはどこかぼうっとしている節があるため、できるだけ戦闘以外の情報を与えたくなかったのだ。しかしトーアがザンと戦うことになった今、その必要は無くなったのかもしれない。
それに、どこか『無我の境地』を諦めている自分がいる。
「…すまなかったな。外の世界を見せてやれずに」
「いいのよぉ。家でのんびりしていた方がたくさん寝られるし…」
「そうか」
これはペトラなりの気遣いだろう。そう思えるほど、今日のペトラは楽しそうだ。普通の人間が見れば眠そうに見えるかもしれないが、明らかにいつもより目が開いている。
やがて、菓子が運ばれてきた。
大きな器にさまざまな種類の菓子が盛り付けられ、蜜がふんだんにかかった迫力満点の一品だ。いくら甘党とはいえ、二人は息を呑んだ。
ペトラはまず奇妙な色の小さな塊を二つ口の中に放り込んだ。
「あらあ、お洒落な色をしているけれど、豆みたいねえ」
「この町では、料理を芸術品と考えておるそうだ。菓子も同様にな」
鈍色の豆を見下すように眺めながらセンは言った。
「素敵な考えねえ。見ているだけでも楽しめるわあ」
「だが、早く食べてしまった方が良い。そのうち腹が満たされて手が止まってしまうぞ」
「持ち帰るのはダメかしらあ」
「…確か、蝋で一品作る店があった。何か観賞用に作ってもらうか」
センがそう言うと、ペトラは満足げに微笑んだ。
どこか、楽しいと感じている自分がいる。視界には相変わらず昔の家族がいるが、今は穏やかな気分だ。ペトラの姿が見えなくとも彼女の存在はしっかりと感じ取れている。
もうしばらく遊んでいくとしよう。




