第六話 モーストの正体
冷たい床だ。それに、あの時とは比べ物にならない。その不快感からイグリダは目を覚ました。
「またか…」
旅に出てから三度目の投獄、もう見飽きた牢屋の壁を見てイグリダはため息をついた。
ただの牢屋ではない。イメルの家の壁と同じ、雪のような白い牢屋だ。まさか冷たいとは思っていなかったが。
アラスタもキャナも、イグリダが動く音でゆっくりと目を覚ました。そして寝ぼけたように周囲を見回すと、二人ともギョッとしたような表情をした。だがキャナの場合は笑みに変わった。
「またイグリダと牢屋で過ごせるとは思いませんでした」
「そうか。君はそれが望みだったな」
しかしいつまでも牢屋で暮らすつもりはない。キャナには牢屋生活を諦めてもらおう。
「起きたんですね」
一際明るい声が響き、牢屋の外からイメルが覗き込んできた。
「よく眠れましたか?」
「やはり君か…」
「あれ、気づいていたんですね。さっさと逃げればよかったのに」
「希望的観測に縋った」
イメル以外の人間は、まるで死んだような雰囲気だった。しかしイメルだけは人一倍明るかった。それだけがまずイグリダに違和感を感じさせた。しかし異能の受け渡しを快く受け入れてくれたことを都合よく捉え、何事もなければ良いと宿に泊まってしまったのだ。
「何が望みだ」
「少年、静かに。僕は今覇王と話をしているんです」
「それがワタシに何の関係がある?この程度の牢屋、消し飛ばすことくらい雑作もないことだ!」
イメルは苦笑した。
「仮に抜け出したとして、僕に勝てるなら良いですけどね。王子だか何だか知りませんが、人間には限界がある。やめておいた方がいい」
「……」
アラスタのような少年とて、15年の人生を生きた魔法使いだ。向こう見ずな行為はしない。アラスタは苦い顔をしながら一歩下がった。
慎重なのはいいことだが、この場で慎重になったところで何も変わらない。
「戦闘が得意だと言ったはずだが」
そう言い、イグリダは腰に差した棒を取り出した。
大剣は奪われたかもしれないが、棒があればどうにでもなる。イグリダは壁に向けて構えをとった。
「無駄ですよ。ここは特殊な物質でできている。どれほど正確な攻撃でも、抜け出すことは…」
「『竜剣』———ッッッ!!!」
イグリダが放った灼熱の炎は、白い壁を容赦なく溶かした。その様子を見て、イメルは目を見開いた。
「ああ…迷いのない攻撃ですね」
「この素材は見たことがある。炎に弱いことも知っている」
「やれやれ…普通に戦うしかないみたいですね」
肩をすくめるイメルを睨みながら、イグリダは壁を流しみた。
ギアの籠手や剛王機の素材だ。トーアの話によれば、ギアはモーストと何か関係があるらしい。となれば、イメルもモーストと関わっている可能性がある。
そんなことを考えていると、イメルは手のひらをこちらに向けた。
そして無言で闇の魔法を放った。
「『シールドオーラ』!」
「『エンジェルフォース』!」
キャナが三人を防ぐように防御魔法を起動すると、アラスタは魔法の側面から光の魔法を差し込んだ。
「キャナ!この魔法は連続攻撃だ!防御魔法は効かない!」
「じゃあどうするんですか!」
「押し返すまでだ!『覇剣』———ッッッ!!!」
『竜剣』に全属性を追加した高火力の剣技で、イグリダは際限なく放たれる闇の魔法を押し返した。
その威力は圧倒的だが、魔力は有限。向こうのパワーに勝てるはずがなかった。
「左右に散るぞ!『竜剣』!」
イグリダが左右の壁に炎を与え、気づけば地下空間は広間と化していた。
「『ガイア』!」
「『プラズマ』!」
アラスタとキャナは左右から土と雷の中級魔法を放ち、イメルの退路を絞った。
だがイメルは『シールドオーラ』で『ガイア』を防ぎ、プラズマの中に突っ込んでいった。
「え…!?」
「『プラズマ』!」
驚くべきことに、イメルは同じ魔法を体に纏い、襲いかかる雷を相殺していったのだ。あまりにも独特すぎる魔法の使い方である。
「闇よ!」
「『エンジェルフォース』!」
二人の魔法は空中でぶつかり合い、光の魔法は弾け散った。
闇の魔法はすでにキャナを覆い尽くさんと広がっている。イグリダの足では間に合わない。
「『紫電一閃』———ッッッ!!!」
「ち——」
迅速の剣技がイメルの頭部めがけて放たれ、イメルは魔法を停止した。
足で間に合わなくとも、『紫電一閃』なら十分に仲間をカバーできる。それにまだ雷魔纏も光魔纏も残っている以上、負け筋はない。
「いやあ、連携がお上手ですね。手も足も出ません。はっきり言ってストレスです」
イメルはニコニコ笑いながら、僅かに口先を痙攣させた。
「圧倒的な力を見せるしかないようですね!」
イメルが叫ぶと、彼の周囲に膨大な闇の魔力が渦巻いた。
闇魔纏とは違う、何か別の魔力だ。
「…モーストの…魔力…!」
あの日、村が消えたあの日、村が消えるその瞬間に感じた膨大な闇の魔力。今イメルが放っているものは、それに酷似している。
「やはりモーストと繋がっていたか!」
「闇よおおおおおお!!!!」
イメルは再び闇の魔法を放った。
先程までの魔法とは違う、規格外の大きさの魔法だ。イグリダたちを飲み込むつもりらしい。
(圧倒的な力だと?ふざけたことを…)
イグリダの目の前でよくもまあそんなことが言えたものだ。この程度の魔力で圧倒的とは、魔王ベルフスも鼻で笑うことだろう。
「『覇気魔纏』」
イグリダは棒を天に掲げ、魔力を高めた。
『覇剣』とは比べ物にならない、最強の必殺剣技。魔王を瀕死まで追いやった、全属性の上級魔法に匹敵する魔力攻撃だ。この攻撃はあまりに巨大すぎて、『シールドオーラ』では防げず、相殺できる威力は『王雷』ですら持ち合わせていない。
「『覇色の剣光』———ッッッ!!!」
8色の魔力が渦巻き、巨大な剣となって振り下ろされた。
いくら物量があろうとも、低威力の攻撃では『覇色の剣光』を防ぐことはできない。気づけば頭上を覆っていた黒い影は全て消え去っていた。
「や、闇よ!」
「『紫電一閃』———ッッッ!!!」
イメルが魔法を放つよりも早くイグリダの剣技が命中し、イメルは体を痙攣させて倒れ込んだ。
「気絶したか…」
「やった!イグリダが本気で戦うとこ久しぶりに見た!」
「ああああ!かっこいいですぅぅ!」
「ありがとう」
とりあえず『太陽』の村は後回しにして、まずはこの男を魔王城に連れて行く必要がありそうだ。あそこの牢屋は魔法を通さないため、どれだけ闇を生み出そうとも怖くはない。
「どちらか、魔王城に『ワープ』を設置していないだろうか」
「私が設置してます」
「急いで帰ろう。いつ目が覚めるか分からない」
「待ってよ。両手剣はどうするのさ」
「…ふむ」
この施設のどこかに両手剣があるなら急いで探してからでも遅くはないかもしれない。棒でも十分に戦っていける自信はあるが、今まで力を借りてきたエスパーダ製の剣を失うのは後ろめたい。
この施設は半壊してはいるものの、まだ通路が多くありそうだ。ここは先にキャナだけで城に帰ってもらったほうがいいかもしれない。
「ではキャナ、君が一人で———」
言いかけた途端、イグリダは身を翻して何かを避けた。
「…まだいたのか…」
目の前の壁には、イグリダの両手剣が突き刺さっている。誰かがイグリダの剣をこちらに投げたらしい。
「俺と戦うつもりか?」
「いや、ただ少し君の剣を返してあげたかっただけさ」
通路の影に潜む男に、イグリダは冷ややかな視線を送った。
笠を被った、黒い着物の男だ。一度はトーアだと思ったが、声が若くない。おそらく高齢だろう。それに、絶対にトーアではないと思わせるものをその男は付けていた。
「そうか、助かった。礼を言おう」
「うん」
「ところで…」
イグリダは僅かな憎悪を目に宿らせ、見上げるように男を見た。
「君がつけているその白い仮面は一体何の冗談だ?」
モーストと同じ、何の装飾も施されていない綺麗な白い仮面。そんな悍ましいものをつけておきながら気さくに話しかけてくる男に、イグリダは例え用のない嫌悪感を抱いていた。
「何でもない」
男は言った。
「何でもないよ。ただ、僕がモーストであるというだけの話さ」
「戯言を。三年前に会った時も、モーストの声は君ほど老けてはいなかった」
「そこに転がるイメルも、モーストさ」
「……なるほど」
二人の会話を聞いていたアラスタとキャナは、慌ててイメルから飛び退いた。今の話を聞けば、イメルが何らかの方法を使って復活しても違和感はない。
「モーストは何かの集団ということかな」
「そうさ」
「そしてモーストは皆、あの異質な闇の力を持っていると」
「どうかな。それに、君と戦うつもりもない」
やけに素直に情報を吐いてくれると思ったが、そろそろ限界のようだ。男はここを去ろうとしているらしい。ある目的を果たして。
「イメルを返して欲しいのさ」
「断る。大事な情報源だ」
「じゃあ、戦うつもりが生まれた」
男の言葉を聞いて、三人は戦闘の姿勢をとった。男は構えることもなく、ただ静かに佇んでいる。だが、やがて息をゆっくり吸う音が聞こえた。
「“イメルを奪い返す”」
気づけば、男はイメルと共にこの場から消えていた。




