第五話 凶星
「俺はここまでだ」
吹き荒れる猛吹雪の中、聞き取れるか聞き取れないか程の音量で放たれたシカナの言葉に、イグリダは首を傾げた。
「理由を聞いてもいいかな」
「単純。俺は里を追放された身だ。里に入れない」
「そうだったのか…」
確かに、追放でもされなければ盗賊になることなどあり得ない。幼い身でありながら追放されるとは余程のことをしたのだろう。聞かない方が身のためだ。
「そうだ。里の人間は変わり者ばかりだから、思い通りにならないと思っておいた方がいい」
「ん?」
聞き返したが、振り向けばすでにシカナの姿はなかった。さすがのスピードである。
※
里の入り口では、真っ白の髪の男二人が見張りをしていた。
「旅人か?」
「ああ、イグリダという者だ」
「僕はアラスタ」
「キャナです」
「そうか、宿はあそこだ」
見張りに礼をすると、イグリダたちは宿に向かって歩き始めた。
「なんか思ってたより反応薄いですね」
「他の村は大喜びだったんだけどなあ…」
確かに、『塔』も『節制』も『戦車』の村も、イグリダたちが到着したと聞いて大喜びだったものだ。異能の受け渡しも快く受け入れてくれた。人攫いのリーダーを倒すまでは覇王として認められないとのことだが。
宿を訪れても、この里ではとくにそういった空気は流れなかった。
死んだように食事をとる白竜族の人々は、イグリダたちを見てもなんの反応も示さない。
「クアランドでもアルディーヴァでもないこの地では、俺たちの名前は知られていないのかもしれないな…」
「ええ…まいったなあ」
宿を出た三人は、里の中央広場でため息をついた。
「とりあえず、里長に会いましょう。何事もまずコードーです」
「もしかしたら、異能者がイグリダを気に入ってくれるかもしれないしね」
「だといいが…」
白竜の里の構造は他の村と同じように、中央に大きな家がある。この文化だけは太古の昔から全ての地域で受け継がれているのかもしれない。
扉を叩くと、他の住人とはかけ離れた笑顔の青年が出迎えた。
「旅人さんですか?」
「ああ、少し、里長と話がしたくてね」
「あっはは、不審だなあ。でも通しますね」
笑顔の青年を訝しみながら、イグリダたち三人は中に入った。
外観もそうだが、この里では特殊な石材を建材として用いているようだ。白くなめらかな内壁は、まるで降り積もった雪のように外からの光を反射している。
火山の隣に氷山があることは不思議に思っていた。何か裏がありそうだ。
「里長は?」
「僕です。父も母も、僕が生まれてすぐに他界したので」
「それは…失礼を許して欲しい」
「いえいえ、物心つく前の話ですし、思い入れなんてありませんよ。お気になさらず」
青年は苦笑すると、咳払いをした。
「申し遅れましたね。僕はイメル・アスプロス。白竜族の長の家系アスプロス家の一人息子です」
「俺はイグリダ。アラスタと、キャナだ」
「おお…有名人ですね。名前を耳にしたことがあります」
イメルは手を打った。
「覇王として異能を集めて回っているとか」
「ああ。とはいえ、まだ信頼を得ていない。手元にあるのは『教皇』だけだ」
「それで、『月』を得るためにここへ?」
「少し我儘な言い方になるが…了承を得に来た」
「我儘だなんてそんな。武勇伝は聞いています。承諾しますよ」
イメルが微笑むと、背後でアラスタとキャナが嬉しそうに息を漏らすのが聞こえた。
「ありがとう。礼と言っては何だが、何か困ったことがあれば何でも頼って欲しい。戦闘には自信があるのでね」
「いえ、お気持ちだけで十分です。僕も戦闘には自信がありますし、特に困ったこともありませんからね」
「そうか…」
役に立てないことは残念だが、とりあえず了承を得ることはできた。最初は知名度の問題で不安だったが、思っていたよりもスムーズにことが進んだ。正直満足だ。
アラスタとキャナが居づらそうにしている中、イグリダとイメルは少しだけ談笑した。しかしイメルが気を遣ってくれたので、談笑は10分にも満たなかった。
「大人の話っていつまで経ってもつまらないです」
宿に向かう途中、キャナは愚痴を漏らした。
「でも、印象が良い人だったね。つまらない大人じゃなかったよ」
「失礼な評価だな…」
「うっ、ごめんなさい」
珍しく叱るような口調になってしまったことに、イグリダは自分でも驚いた。
(人のことは言えないな…)
イグリダ自身、会う人間全てを評価しながら生きている。今のはアラスタの言葉に自分が重なり、どことなく嫌悪感を抱いたからだろう。本来、アラスタ相手に強い口調は使いたくない。
宿に着くと、アラスタとキャナは凄まじいスピードでそれぞれベッドに飛び込んだ。
「さあイグリダ、私と寝ましょう!」
「いいや僕だ!さあ!」
「…?」
どうやら二人は、まだイグリダを諦めていなかったらしい。すでにイグリダの選択肢は、床で寝る以外に無くなっていた。
※
「ひどい吹雪だ…」
顔に当たる吹雪をフードで隠しながら、エフティはうんざりしたように呟いた。
旅人のコートは魔法によって暑さも寒さも防ぐが、物理的なものは全く防げない。のしかかる雪の重みはエフティの体力を順調に奪っていった。
その上、エフティのコートは戦闘でボロボロだ。右腕は外に飛び出している。凍傷を防ぐため、エフティは右腕を袖に通さずにコートで身を包んでいるが、僅かに開いた穴から吹き込む冷気が酷く痛い。
だが、エフティの足は真っ直ぐに、定められた場所を向いている。
氷山の麓で、イグリダの痕跡を見つけたのだ。彼は確実に白竜の里に向かっている。
「こんな辺鄙な場所に客人とは…見慣れない光景もあるものだ」
「はあ?」
久しぶりに聞いた人間の声に、エフティは思わず声を漏らした。
顔を上げれば、そこには黒いコートに身を包んだ男がいた。だが、その表情は白い仮面で覆われて見えない。
その特徴を、エフティは聞いたことがある。
「モースト…」
「知っていたか、小娘」
モーストは含むように笑うと、手をこちらに向けた。
「異能をよこせ」
「嫌だ。これはイグリダを殺すための大切な武器。渡すわけないでしょ」
「だろうな」
異能は異能者本人の意思がなければ継承できない。エフティが了承さえしなければ良いのだ。
「ならば、拷問するとしよう」
「っ!」
モーストが放った闇の魔力は、まるで大海の荒ぶる波のようにエフティの頭上を覆った。
「…なにこれ」
「呑まれるがいい」
深淵の闇を覗き込み、エフティは歯噛みした。
10メートル離れた地面に重力を設置し、エフティは凄まじい勢いでその場を離れた。直後、エフティがいた場所に闇が覆いかぶさった。
間一髪だ。あの質量の物体に覆われれば、エフティの筋力では抜け出せない。
速攻で終わらせよう。
「跪け!」
「ぐうッ!?」
エフティがモーストに手を向けると、モーストは地面に這いつくばった。
だが、彼が放つ闇は止まらない。こちらをめがけて襲い掛かる闇を、エフティは勇者の剣で切り裂いた。
そして、モーストの心臓に手を向けた。
「潰れろ」
「がッ…ああああああああああああああああッッッ!!!」
エフティの編み出した、最強の『星』の使い方。心臓の頂点に重力を設置し、下部を持ち上げることで心臓を潰したのだ。
モーストは仮面の縁から血を溢れさせながら、喉が枯れるほど叫び続けた。その叫び声は徐々に溺れる声に変わっていき、やがて静かになった。
「はっ…なんだ、はぁ…はぁ…弱いじゃん」
エフティは乱れた息を整えながら、モーストの仮面を剥がした。
見覚えのない、ただの中年の男だ。エフティが知る必要もない。
「異能が欲しいって言ってたな…」
モーストは異能者を盗賊団やバリバルに誘拐させていたと聞く。何か目的があったのだろうか。
エフティは心底馬鹿にするようにモーストを見下ろした。
異能者を集めるということは、大層な目的があったはずだ。それを、エフティに喧嘩を売ってしまったばかりに全て無駄にしてしまった。愚の骨頂である。
「邪魔が入った…あたしもあたしの目的を果たさないと」
呟き、エフティは再び歩き始めた。




