第四話 誤算と取引
「あとは話した通りだ。周辺の森も消し飛んだ中、運よく一人生き残ってしまった俺は『審判』の村に転がりこみ、旅立ちまでの時を過ごした」
イグリダが話を終えると、二人は無言で俯いていた。
「少し、残酷な表現は避けたつもりだったのだが…すまない」
「いや、そういうわけじゃなくて。平和が一瞬で消える流れを聞いて少し怖いというか」
「…私もです。今までそんなこと考えたこともなかったから」
平和が消える流れ、幸福が刹那のうちに奪われるその瞬間は、当人の心と記憶に深く埋め込まれる。そしてその感覚は、他に例え用のない大きな絶望だ。イグリダの幸福への執着は間違いなくここから来ている。
「でも、イグリダはモーストを憎んでいないんだよね?」
「憎しみは何も生まないのでね」
「すごいなあ…。僕だったらゲヘナまでモーストを追いかけるよ」
「その憎悪の連鎖が、今の世界を作っている。まずは平等に人々を愛すことから始めなければならない」
「じゃあ、私のことも愛してくれるんですよね?」
「君たち二人のことも、民のことを全て愛そう」
「えへへ」
吹っ切れたのか、もはや満足げに頷くキャナをジト目で見ながら、アラスタは言った。
「じゃあ、そろそろ寝ようか」
「ずいぶん長く話してしまったね。すまない」
「おやすみなさい!」
子供達は寝袋にくるまり、目を閉じた。
イグリダは、見張りとして起きていることにした。それにあの話をしたばかりでイグリダが眠れるはずもない。
この燻る復讐心を強制的に眠らせるためには、睡眠は逆効果だ。
「俺は覇王。彼とは違う。人々を平等に愛すのだ…」
もう何度目になるか分からない瞑想をするうちに、イグリダの復讐心は消えていった。
※
『皇帝』の村が滅んでから三日後、『審判』の村の探偵は朝を満喫していた。
「クールなこの俺、マンセルの一日は、ブラックな珈琲とともに迎える。朝日が差し込むおしゃれな木造建築の書斎で珈琲を嗜むこの俺、キマり過ぎている。カッコ良すぎる。身にまとうスーツと中折帽が、俺の姿をよりクールにしている」
「はぁ…」
目の前の少年の前で首を真上に向けながら珈琲を飲み干すマンセルは、喉から渾身の吐息を放出した。
「それで、この超絶クールな探偵マンセル様の事務所にやってきたってことは…」
「いえ、探偵にお世話になりに来たのではなく…、行く宛がないのでここに…」
「へえ…なるほど」
マンセルは少年の顔をまじまじと見つめた。
「君、名前は?」
「イグリダです」
「イグリダか…ん?イグリダ?嘘つけー」
マンセルはにやにや笑いながら左右の指で交互に少年を突いた。
「君、キデクって名前なんだろ?」
「はぁ!?なんで!」
「なぜなら、俺が探偵だから。嘘は何でもお見通しだぜ?」
本当のことを言えば異能の力だが、無知な少年キデクには黙っておこう。
「まあこの村の奴らは…何でか今みんな子持ちだからな。俺が面倒見てやる」
「あれ、交換条件とかないの?」
「あるに決まってるだろ?」
マンセルは言った。
「そうだな…君が何でイグリダって名乗ってるのか知りたい。教えろ」
「憧れの人だったんだ。俺がやろうとしてること、俺にできなくともイグリダなら出来るんだろうなって思って」
「それで名前を借りたのか、弱いねえ…」
「それに…」
イグリダは何もないある一点を見つめながら、絞り出すように言った。
「あいつ…自分が世界を平和にするとか…言ってやがったから…」
「名前だけでも連れて行ってやろうってか?前言撤回、君は強い!俺が育ててやる!」
「茶化さないでくれ、俺なりの覚悟だよ」
「茶化してないさ。じゃあ、今日から君がイグリダになりきる特訓を始めよう」
「おい、本気か?」
キデクの言葉など耳にも入らないかのように、マンセルは書斎の本を片っぱしから取り出していった。
「イグリダはどんなやつだ?」
「どんな奴って…強くて、優しくて、って…すげえありきたりな感じになるけど」
「まあ良い、大体わかった」
マンセルは取り出した本をキデクの前に置くと、にんまりと笑った。
「あらゆる知識を詰め込み、イグリダに似た喋り方をするよう今日から心がけろ。そしたら、気づけば君はイグリダになっている」
「…本当かよ?」
「ああ、イグリダなら成せるんだろ?君のやりたいことを。そしたら、君がイグリダになっちまえば…やりたいこと成せるじゃんか」
「はあ?」
「まあまあ、超絶クールなこの俺の論理的思考に任せておけよ。イグリダなら君の目的を達成できる。君がイグリダを真似すれば、君はイグリダになれる。ってことは、イグリダの真似をすれば君は目的を達成できる」
「何が論理的思考だ…」
とはいえ、人望を手にするにはイグリダやミシデのような人格を手に入れなければならない。マンセルの考えはあながち間違っていないのかもしれない。
「分かったよ。十年間世話になります」
そんなこんなで、マンセルとキデク、改めイグリダの生活が始まった。
それは実に、イグリダが25歳になるまで続いた。
※
木々の隙間からペトラを覗くその男は、バレまいと少しの音もたてずに彼女をじっと見つめていた。
覗き魔ではない。トーアだ。
ここ最近、センの動きはない。おそらくトーアの監視がバレているのだろう。センの方が強いとは言え、トーアがペトラに計画を明かせば、センの計画は達成できなくなる。
そのため下手に動けないのだろう。
(幸いイグリダには王子と王女がいる。向こうは問題ない)
この三年、トーアがセンを監視できた理由だ。
英雄ゼウスの元から戻ってきたアラスタの戦闘力は見違えるほどになった。全ての属性魔法を使いこなし、奥義『王雷』も使える。今この大陸でアラスタに勝てる魔法使いは5人もいないだろう。
そしてキャナは驚くべきことに『恋人』の異能者だ。『恋人』の能力は回復魔法の強化とオリジナル魔法『コンティニュー』により、致命傷を負った人間も生きてさえいれば助けることができる。イグリダによって瀕死に追い込まれた魔王も、彼女の力によって復活した。
そしてイグリダは、単体で魔王に勝てるほどの力を持っている。いつからあれほど強くなったかは不明だが、もはや敵無しだ。
修行に疲れたのか居眠りを始めてしまったペトラを眺めながら、トーアはため息をついた。
すると、茶を嗜んでいたセンが動きをとめ、屋敷の門の方向を見た。
(あれは…)
敷地に入ってきたのは、血に塗れたかのような赤い髪をもつ、盗賊王と同じくらい歳の男だ。礼儀正しく振る舞おうとしているが、どこか親密さのようなものを感じさせる。
(レオ…)
センの出迎えに満足げに笑うレオの姿を見て、トーアは目を細めた。
レオ・ベルセルクは、英雄時代から続くベルセルクの家系の人間だ。彼の先祖はかつて裏切りの英雄に立ち向かった反逆軍の中心人物の一人で、現在までそれなりの地位を手に入れている。
そして何より、ベルセルクの家系の人間は戦意の扱いが異常に上手い。その実力を見たからか、センに気に入られ、昔から低頻度で遊びにきている。
だがどうにもその存在が、今のトーアにとっては不審に感じざるを得なかった。
(『無我の境地』のヒントを得ようとしているのか…?)
戦意は、純粋な戦う意思だ。戦意操作を行なっている間は極力相手を意識し、目的を達成するために相手を打ち倒そうとする。
特徴としては、無我の境地とも言える。
「おい」
トーアは木の上から飛び降りると、二人を睨みながら近づいていった。
「お、トーアくん。久しぶりだなあ。もう俺より背高くなっちまったんじゃないか?」
「…何しに来た」
「いやあ、可愛いお前たちを見に来たんだが、もう大人だな。昔はこんなにちっこかったのに」
レオは自分の膝あたりを指さすと、それはねえか、と一人で笑い出した。
「実を言うと、師匠に呼び出されてな。俺に頼み事なんて珍しいから、大喜びで来ちまったよ」
「…そうか」
センが呼び出したということは、十中八九、修行関連だろう。
だが、センの意図が読めない。今までトーアを気にして大人しくしていたのにも関わらず、なぜいきなり大胆な行動を取ったのだろう。
トーアは探るようにセンを流しみた。
「何が狙いだ」
「…レオを呼んだ理由は幾つかある」
「…何だと?」
「奴の現在の居場所が判明した。急いでペトラを完成させなければならないが、トーア…お前の働きによってペトラは全く成長できておらん。だから講師としてレオを呼んだ」
「…そんなことを俺が見逃すと思うのか?」
「いや、お前が見逃すはずはないな。わしの感覚に狂いがなければ、お前はこの三年ずっとわしを監視していた。…もしくは、もっと前からな」
今はセンの感覚のことなど心底どうでもいい。問題は、センが無理矢理行動するなら、こちらも何かしら手を打たなければならないということだ。
トーアができることはほとんどない。今までは監視が意味を成してきたが、それが無効になった今は取れる手段は一つだ。
「ペトラに計画を話す。…それでアンタの計画は終わりだ」
できればやりたくない。トーアの望みは、ペトラに何も明かさずに計画を終わらせることだ。ペトラのセンへの尊敬と信頼は崩したくない。
しかしそれも仕方がない。ペトラが気付かぬうちに復讐に使われ、死ぬ危険性を考えれば、明かした方がいい。
「トーア、お前は何か勘違いをしておるようだな」
だが、センはほくそ笑んでいた。
「あの子は、わしの味方をしてくれるぞ」
「…どういうことだ」
「あの子の優しさはよく知っておる。それはお前も知っておるはず。わしがあの子に頼めば、必ず力になってくれる」
「……!」
そうだ。あの気の抜けた頼りない双子の妹は、常人では理解し難い慈愛の心を持っている。センが復讐に至った経緯を話せば、きっと力になってくれるだろう。
そして、懸命に自身を鍛え、勝てるともわからない男との戦いに赴き、死ぬのだ。
「ペトラを高く買い被り過ぎだ…あいつは強くない。殺したいのか…?」
「奴を殺せるのなら、いかなる手も使う」
「…っ」
トーアは、拳を堅く握りしめた。
どうやらセンは、今までトーアに合わせてくれていただけらしい。その気になれば、頭を下げてペトラに頼み込むことなど簡単だったのだ。
育ててきた息子のようなトーアへの、せめてのも慈悲だとでも言うのか。
「苦心してるとこ悪いんだけど、トーアくん。別にお前がやってくれれば済む話なんだよ」
「は…」
レオの言葉に、トーアは唖然とした。
「だから、お前があいつを殺してくれれば、ペトラちゃんは安全なの。だってそうでしょ?あれ、俺なんか間違ったこと言ってる?」
「いや…」
確かにその通りだ。今まではトーアが有利な立場だったため、センに手を貸そうとは思わなかった。むしろ大人になるまで復讐の道具として育てられていたことに対する反感から、絶対に協力はしたくなかった。
しかし、どうせペトラのために培った力だ。センの復讐に手を貸してやるのが手っ取り早い。
「…分かった。俺が殺す。そいつの名前を教えろ」
「奴は名前をすぐに変える。今の名前はなんだ?」
「えーと、何だっけ…」
レオは天を仰ぎながら、あーと声を漏らした。
「確か…モーストって名前だったな」




