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覇王記  作者: 沙菩天介
覇王編
34/59

第一話 ディスティヒア

 覇王を名乗る男の居場所はいまだに掴めていない。忌々しいことに、彼はまた旅を再開したのだそうだ。


 最近は人攫いの頻度も多くなっている。そう遠くないうちに彼らと戦うことになるだろう。この身に宿る異能の力を、彼らは喉から手が出るほど欲しがっているに違いない。


 エフティは乱雑に伸ばした髪をフードで隠すと、引きずる獲物を放り投げた。


「おかえりエフティ」


 転がった獣を見るなり、少年——ケイルが歩み寄ってきた。


「…は?何?あたしのこと待ってたの?」


「そりゃ、腹減ってたし」


「…『塔』の村で聞き込みって言ったよね?」


「腹減ってたの!」


「ちっ…」


 エフティはあからさまな舌打ちをして見せると、その足を村の方向へ向けた。


「今から行くの?」


「…早くイグリダを見つけないと、取り返しのつかないことになる」


「でも、エフティくまやばいよ。寝た方がいい」


「うるさい。ガキは黙って寝てろ」


「…子供扱いしやがって」


 ケイルは拗ねたように顔を背けた。その様子を見てエフティは足を進めた。


 この少年は少しだけエブロスの面影を感じる。まるで弟と再会でもしたような感覚だ。しかし、出会ってから三年間育ててきて、以前のような楽しさを感じることはただの一度もなかった。


 あるのは、ケイルを一刻も早く実践で使えるようにしなければ、という焦燥だ。


 ケイルとの出会いは、盗賊団とは無関係の盗賊によって滅ぼされた村だ。ケイルは畑仕事もろくにやっておらず、村人たちの手によってしばらく地下牢で反省させられていたらしい。結果としてケイルのみが助かったようだが。


 どうやらその日は、魔王軍の兵士が王都に集められていたらしく、村人たちは抵抗することも出来ずに虐殺されたようだ。エフティが来た頃には既に滅んでいた。幸い盗賊たちはまだ残っていたので、皆殺しにして食料を奪ってやった。


 ケイルには剣技の才能があった。戦意操作はまだ出来ない上、肉体労働をサボっていたため、戦闘能力はあまり高くないが、鍛えれば役に立つはずだ。


 次にイグリダと対峙した場合、確実に殺さなければならない。そのためには、戦力は少しでも多い方がいい。


 村にたどり着くと、エフティはまず食堂に向かった。イグリダが魔王を倒して、魔王軍の監視がなくなってからは、食堂は村人たちの憩いの場となっている。そこでなら情報を得られるだろう。


 エフティが食堂の扉に手をかけると、背後から肩を叩かれた。


「お姉さん、見ない顔だね。どこから来たの?」


「森から」


「旅人なんだ。可愛いのにたくましいんだねえ」


 男はにやにやと笑いかけると、エフティの首元に手を這わせた。


「…俺と楽しいことしない?」


「覇王イグリダの情報を教えてくれたら考えてあげるよ」


「覇王?あー、そういう感じね」


 男は興味をなくしたように去っていった。金目当てだと思われたのだろうか。


 イグリダが魔王を屈服させてから、こう言った輩も増えた。厳しい法がなくなれば、溜まりに溜まったものを吐き出したいと思うのは自然なことだ。


 エフティは食堂の扉を開けると、内部を隅々まで見渡した。騒がしい連中がわいわいと談笑に浸っているのみで、特に変わった様子はない。


 最も、この光景こそがアルディーヴァにおいての『変わった光景』のはずだが、ここ数年でその考えは見事に消え去った。


 幸せそうな表情で語る村人たちは、エフティの姿を見るなり真顔になった。


「どちら様で?」


「旅の者です。覇王イグリダの情報があれば聞きたいんですけど」


「覇王様なら数日前に発たれましたよ。すでに『節制』と『戦車』の村を訪れていたと…」


「……次はどこに行くって言ってました?」


「『太陽』か『月』の異能者を訪ねたいとおっしゃっていました」


 『太陽』の異能者が住む火山内部の村と、『月』の異能者が住む氷山の里は隣接している。ここからの距離は変わらないため、方向は予想で当てるしかない。


「ありがとう」


「いえいえ。ところで、なぜ覇王様を?」


「仲間だったんです。彼がまた旅を再開したって聞いて、あたしも力になりたいなって」


「そうでしたか…引き止めて申し訳ない。旅の安全を祈っております」


「どうも」


 エフティはそっけなく返事をすると、そそくさと食堂を後にした。


 すでに覇王様などと呼ばれるほどイグリダへの信仰心は高まっている。何せ、彼らの幸せを作り出したのはイグリダなのだから当然だろう。その状況が、エフティの焦燥をより強くする。


 全員が幸せな世界など存在しない。そして幸せを奪われた時、人は最も大きな絶望を味わうことになるのだ。


「……」


 森を早足で進み、エフティは妙な匂いを感じた。


 妙とは少し、白々しい表現だ。エフティはこの匂いを何度も嗅いだことがある。


 そしてそれは目に写った。


 短剣を落とし、倒れた一人の賊の死体がある。同時に、貯めておいた全ての干し肉が消えている。抵抗はしたが、どうやら全て奪われてしまったようだ。


 倒れたケイルの元へ歩み寄ると、ケイルは濁った瞳をエフティに向けた。


「…ごめ…ん……俺……雑魚で…」


「……」


 ケイルは震える声で謝った。


「……お、俺…エフティと…生きて…楽し……かった……」


「…ッ」


「お…俺…しあ…わ……」


 言いかけた時、エフティは思わず勇者の剣を引き抜き、振り上げた。


 そして止まった。ケイルの息はすでに絶えていたのだ。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


 エフティは呼吸を整えながら剣を収めると、どっと疲れたようにその場に座り込んだ。


 あっけない別れだったが、エフティは悲しみに打ちひしがれることはなかった。むしろ彼が最後に放った言葉が、エフティを苦しめた。


 幸せだったと、彼はそう言いかけたのだ。


「…あたしは…幸せじゃなかったよ」


 無理矢理につり上げた口角を伝いかける涙を強引にぬぐい、エフティは床に蹲った。


「…幸せじゃなかった……!」


 嘘だ。本当は、ケイルと過ごした三年間はエフティに幸福を与えた。焦燥感を感じつつも、二人での生活にどこか満足していたのだ。


 弟と一緒に過ごしているようだった。


 今こうしてエフティが幸福を否定しているのは、ケイルを失った悲しみを誤魔化すためだ。そうでもしなければ、もうやっていけない。


 降りかかる幸福と絶望の繰り返しに、エフティの心はすでに壊されていた。


「イグリダ…!」


 エフティはまるで憎むべき敵を見るかのように、天を仰いだ。


「あんたの好きにはさせないから…!この世界から…幸せを全部消してやる!」

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