第十九話 覇王顕現
カラカラと音を立てながら、馬車はある程度整えられた森の道を進んでいた。
「……」
ここ数日何も言葉を発さないエフティを心配そうに見つめ、バリバルはため息をついた。
「ここから…少し歩けば『星』の村だ」
「……」
「わ、悪いな…。この馬車、『愚者』の村に持っていかねえと、イグリダに迷惑かけちまうからよ…」
エフティは頷くと、無言で馬車を降りた。
「じゃ、じゃあ…元気でな…」
バリバルが言い終わらないうちに、エフティは歩き始めた。
もう、全てがどうでも良くなっていた。村に帰っても、もうどうしようもない。エフティはただ弟や子供たちの世話をするために生きていたのだから。
それに、彼らを殺したのは自分に違いないのだから。
震える手で、エフティは握りしめた黄色い石を見つめた。ギアから貰ったものだ。
———確かその石、すげえ大切そうに持ってやがったナ——。
「ぅ…ぷ…ッ」
エフティは口元を抑えたが、嘔吐物は容赦なく溢れ出た。同時に、枯らしたはずの涙が再び流れ始めた。パクナが黄色いネックレスが欲しがり、他の三人に相談し、子供たちだけで外に出たのだろう。エフティは罪悪感に押しつぶされ、顔を悲痛に歪めた。
気分が落ち着くまで声をあげずに泣き続け、やがてエフティは小さな丘を登った。
決意とも呼べぬ虚な判断が、エフティを支配した。
「…エフティ?」
「…ぁ」
ふと、背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。ハルメだ。
「な、何してるのよ…」
「……あ…たし…」
自分は何をしているのだろう。今まで幾年も村を守ってきた異能を父から授かったにもかかわらず、無責任にここで命を散らそうとしていたのだろうか。
許されない。
ハルメは駆け寄り、エフティを抱きしめた。
そういえば、ハルメは子供たちが連れていかれるときにどんな反応だっただろう。派遣組だから仕方ないとも言っていたし、ルールを破るとそれなりの罰則があると言うことをあらかじめ教えておくべきだとも言っていた。
確か、「これもいい経験」だなどと言っていただろうか。
「…エブロスは…子供たちは…、……もういない」
「…え?」
「…頭を手術…して…、ロボットになっちゃった……」
「ちょ…ちょっと待ってよ…」
ハルメはよろよろと立ち上がると、怯えたようにエフティを見下ろした。
「違うじゃない…、少し牢屋で生活するだけって、い、言ってたのよ。あいつら。だから私、いい経験だって、お、思って…こんな……」
「……ハルメが…指示出したの…?」
「こ、こんなつもりじゃなかったのよ!エブロスは悪い子だったし、子供たち…みんな…悪く、ないのに…ッ」
思わずエフティはハルメの胸ぐらを掴んだ。
「悪い子!?エブロスが!?ふざけないでよ!あたしの料理、美味しそうに食べてくれるんだよ!世界一可愛い弟なんだよ!あんな仕打ち受けていいような子じゃないんだよ!」
「ちが…」
「あんたがみんなを殺したんだ!私から!エブロスを奪ったんだ!あんたのせいで!あんたの…!」
パン!
ハルメはエフティを突き放した。そしてエフティを押し出す勢いで、ハルメは崖から飛び降りた。
「ごめんね…私のせいで…」
エフティに見せた悲痛な泣き顔も、直後には、はるか下の地面で血溜まりの中に沈んでいた。
「……………ぇ……?」
視界が歪む。目に大きな不快感を感じる。呼吸が荒くなっていくのがわかる。エフティの体は今事態を再認識し、異常を起こしていた。
震えが止まらない。
ハルメのせいではなかった。子供たちが死んだのは、自分が黄色い石が必要だなどと言ったからだ。皆の幸せを奪ったのは自分だ。
「なんで…なんでよおおおおおおおおお!!!!!」
黄色い石が必要、たったそれだけで、エフティは皆の幸せを奪ったと言うのか。それはおかしい。なぜそれほどまで幸せとは脆いのか。
もちろん、原因はエフティだけではない。子供たちは何を思ったのか、魔王軍に隠れて村を飛び出そうとした。ハルメは何を思ったのか、ギアに子供たちを突き出した。
だが、それらは全て自分が言った言葉のせいだ。
何故?ただ運が悪かっただけなのか?
「…違う…ッ」
それは平和で、幸福だったからだ。
皆、平和の中で幸福でいすぎたのだ。きっと他の村のように厳しく取り締まられていれば、子供たちは外に出ようなどとは考えず、こちらも相応の教育を施せた。
ある一定の不幸を与え続けることで、大きな不幸を抑えることができる。それが今のアルディーヴァなのだ。
「あ…イグリダ…」
天下を統一したらどうなるだろう。
それはきっと、世界に幸せが満ち溢れることになる。だが、それはイグリダが全ての不幸を事前に処理することで成り立つ世界だ。
もしイグリダが、エフティや子供たち、ハルメのように選択を間違えたら?
きっと大きな不幸が世界中に充満する。イグリダが完璧なら問題はないが、完璧ではないのなら恐ろしい結末を迎える。
ならば、イグリダは完璧だったか。誰よりも優秀で、ミスのない人間だったか。
否、イグリダはただの人間だ。無力で、魔法も使えず、傲慢で、夢を見ている。暴言を言われれば傷つき、冗談に付き合ってくれて、馬車を手に入れればガッツポーズをし、仲間を頼りにしている。
そんな、ただの人間だった。
彼には、永遠に人を幸せにし続けることなど出来ない。きっとどこかで彼の道は終わり、人々は大きな混乱に呑み込まれる。
防がなければ。今のアルディーヴァの体制を維持させ、永遠に一人の支配者が楽に統制できる社会を続けさせなければ。
※
とても長い夢を見ていたような気がする。先程までの空間とは打って変わり、今はただ暗闇の中を浮上していた。
いつもは、冷たい水から浮かび上がるような、凍った皮膜から起き上がるような、そんな感覚で目が覚める。
だが、今日は違う。何か暖かい空気を感じるのだ。
イグリダはその温かみの正体を探るべく、満足に機能していない目を見開き、目の前にあるものを確認した。
「ぐあああああああああああああああああああ!!!!!!!」
イグリダは慌てて飛び退いた。
「あれ、コーフンしちゃったんですか?私もオトナのジョセーになったってことですね」
ニマニマと笑うキャナが、イグリダの顔面に息を吹きかけた。絶妙に気持ちが悪い。
「はぁ……はぁ……」
びっくりした。ここ数年で一番驚いたかもしれない。イグリダは息を整えながら立ち上がり、周囲を見回した。
黒いレンガで綺麗に作られた壁は三面を囲み、床も冷たい大理石でできている。床には大きめの布団が敷いてあり、キャナが満面の笑みで寝転がっている。おそらく先程までイグリダが寝ていたものだ。そして部屋の端には、純白のトイレが荘厳な佇まいで部屋を見守っている。
記憶を整理した結果、この部屋はアルディーヴァの牢屋であると判断した。
「待て…落ち着け…」
キャナがここにいるのは、明らかにおかしい。まずキャナは『愚者』の村に捕らえられていて、別の牢屋にいるはずがない。そしてそもそも、幹部がアルディーヴァの牢屋にいるはずがない。
「君は、何故ここに?」
「知らない男の人がギアと私を助けてくれました。それでイグリダに会うためにここまで駆けつけて、ローヤに入りました」
「一つ理由が欠けている気がするが…」
「パパにお願いしたんです。イグリダと暮らしたいって」
パパ、というと、アルディーヴァの貴族だろうか。そもそもアルディーヴァに貴族制度があるのかどうかは知らないが、幼女を幹部に推薦するという狂った人間であるということは間違いなさそうだ。
「それで娘も牢屋に入れたと言うのか…なんと大胆な」
「———人のことはいえまい」
嗄れた声に悪寒を感じ、イグリダは鉄格子の外を凝視した。
黒い鎧に豪奢な飾りをつけた男だ。羽織ったマントはボロボロで、顔を隠すように黒い兜で覆っている。そして、腰にはイグリダの剣の二倍ほどの大きさの両手剣を携えていた。
「我輩は魔王ベルフス・アーズ・アルディーヴァ。初代アルディーヴァの王であり、現魔王である」
「…君がエフティに何か吹き込んだのか」
「ふん、あの女は自身の目的のために我輩を利用したまでよ」
ベルフスは低く笑うと、その場にしゃがみ込んだ。
「キャナ、此奴と共に暮らしたいのなら、永遠に牢屋で過ごすことになる。それでも良いのか」
「当たり前です!」
「という話だ。覇王よ、娘に尽くしてやるが良い」
「………ふむ…」
牢屋の中で一国の王女が恋愛をするというのがまずおかしい。
いや、そんなことを考えている暇はない。イグリダはため息を吐くと、腕組みをして壁に寄りかかった。
「何か勘違いをしているようだが…魔王」
「勘違いか。それはさぞかし大きな勘違いであろうな。何せ我輩には微塵も覚えがない」
「このイグリダが、永遠に牢屋にいることなどない」
「貴様はアラスタ王子を信じているようだな。確か、貴様が我輩に敗北した場合、後継を頼んでいた…」
「ああ」
「アラスタが我輩に勝てるとでも?」
ベルフスは言った。
「あの英雄ゼウスの弟子と言えど、所詮は齢十二の童…。数百年の生を生きた我輩に勝てるはずがあるまい」
「勝つのは俺だ。アラスタではない」
———勝つのは私だ。アラスタではない——。
「………、む…?」
イグリダが放った言葉に、ベルフスは僅かに息を呑んだ。
正確には、言葉を聞いて息を呑んだのではない。イグリダの姿を見て息を呑んだのだ。
今イグリダの姿は、先ほどまでの面影がなかった。
「貴様…その姿は…」
燃え上がるような炎色の髪を靡かせ、白のローブは僅かにはためく。炉の右目と黄金の左目は、それぞれが見透かしたようにベルフスを見つめている。
———私は覇王、覇王イグリダ。正義と慈愛を以って、君を裁く世界の王だ——。
イカれてしまったというわけではない。イグリダから感じるオーラは、偽りのものではなかった。ここにいるのは紛れもない覇王なのだ。
「何故…」
「俺には、ここから脱出する術はない」
———だが、私の仲間が君の軍と激突する——。
覇王は言った。
———私の軍と君の軍、どちらが強いだろう——。




