第十話 エフティヒア
「コラァァァァァァァァ!!!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
逃げ惑う少年エブロスを引っ捕えると、エフティは大きく手のひらを振りかぶって思い切り尻を叩いた。
バチコオオオオン、と凄まじい衝撃音が響き渡る。
「いっでええええええ!!!」
「反省しろ!このクソガキ!」
「だってよおお!俺姉ちゃんの作った飯以外食べらんねえんだよおおお!」
「んなわけあるかぁぁぁ!」
もう一度響き渡る衝撃音に、一同は身をすくめた。
「まあまあ、エフティ。良いのよ。私の料理の腕があなたに負けてるってだけの話」
「いいや、よくない!このクソガキには、ちゃんと独り立ちしてもらわないと…」
「姉ちゃんなんか良い歳して無職じゃねえかよおお!」
「あたしは家事やってんの!いいかげん黙らせるよ!」
「無職じゃねえかよおおお!」
このエブロスは、あろうことか人様の作った料理をひっくり返したのである。現在は村のど真ん中でお仕置きの真っ最中だ。
父もエブロスの友達も、村人たちは皆顔を顰めているが、割って入ろうとはしない。騒ぎを鎮める役割は、アルディーヴァでははっきり決まっているのだ。
その役割を担っているのはハルメ、料理を作った張本人である。
ハルメは魔王軍に入り、村のトップにまで上り詰めた凄腕の魔法使いだ。本来アルディーヴァの村は、魔王軍によって厳しく取り締まられているが、ハルメの温厚な性格によって、ここは比較的賑やかな村になっている。
「ほら、もういいでしょ?エブロスも反省………してる?」
「してねえよおおお!」
「えっ」
「しなさいッ!」
バチコオオオオン、とさらに衝撃音が響き渡る。
「あのー、あんまりうるさいと他のメンバー呼ぶわよ?」
おそらく魔王軍のメンバーだろう。ハルメは村出身なので皆に優しいが、村の外を見張ったり、出入りを取り締まっているのは王都から派遣された魔法使いだ。容赦はしてくれないだろう。
「あの屈強な連中は私でも手つけられないわよ」
「わかった。続きは家でやる」
「っしゃ!ウィメル、パクナ、エミール、行くぞ!」
「「おー!」」
子供たちは揃って駆け出し、気づけば見えなくなっていた。騒ぎに聞き耳を立てていた村人たちも、解散するように散らばっていった。
「…遊びから帰ってきたら覚悟しときなよ」
「そう言えば、あなた子供達のために靴下編んでたわよね?」
「靴下はもう渡したんだよね。エブロスはドラゴンの靴下欲しいなんて言ってたから真っ白にしてやった。今は、パクナとエミールがネックレス欲しいって言うから作ってる」
「器用ね。あなたが魔法使えたらだいぶ強かったんじゃない?」
「まあ、あたしは子供達の世話してる方が楽しいからいいかな」
「そう…、あら?」
気づけば、ハルメの足元にパクナが立っていた。何かいいたげにこちらを見上げている。
「どうしたの?」
「あの…私…」
「うん?」
エフティはかがみ込むと、パクナに笑顔を向けた。
「ネックレス?」
「…うん…、あの…私、黄色いネックレスがいいの」
「き…黄色?まいったな…」
黄色の石は、この村では手に入らない。染料もだ。
「ごめんね。黄色は、外にある木の実とか、石を使わなきゃいけないの」
「…わかった」
当然納得はできなそうな表情だったが、パクナもエブロスたちに続いて駆け出した。
翌日、子供たちは派遣の魔王軍によって剛王城に連行された。ハルメは何も言わなかった。
※
「う……」
柔らかく、久しい感覚を感じ、エフティは目を覚ました。
自分はベッドにいるようだ。
「あれ…」
段々と鮮明になっていく記憶を辿り、エフティは状況を整理した。
確か昨日は昼に起きて、夕方に『愚者』の村に到着。イグリダは村人から、盗賊団員による鉱石の大量発掘に対する感謝として馬車を押し付けられ、馬車の中で寝ることになった。
そしてエフティはバリバルと共に宿に入ったはずだが、肝心の記憶がない。
「はっ!」
息を飲み、エフティは机の上に散らかっている酒瓶を凝視した。そして続けて、床に転がっている男を凝視した。
まさかこの男、やったのか。
「バリバルー?ねえー?」
「…………あ?……んだぁ…?」
目を擦るバリバルの胸ぐらを掴み、エフティは顔を真っ赤にして歯軋りした。
「何かしたぁ!?」
「………………… まあ」
「貴様あああああああああ!!!」
「あっ、待て待———ごぶぅぅぅぅッ!」
全力のブローを食らい、バリバルは壁際に吹っ飛んだ。
「あ、あたしの、処女を、よ、よくも…ッ」
「待て待て待て待て、別にヤってねえ!酒はお前が勝手に飲んだものだ!」
「何かしたって言ったじゃん!」
「それはだな…」
バリバルは一瞬口籠った。
「酔った拍子に、お前のことをいろいろ聞かされたんだよ」
「は?」
「村のお友達とか、子供たちとか、お前の名前の由来とか…」
「え、嘘」
「あと、お前が『教皇』の村で何を感じたのか。それも聞いた。安心したよ」
「何を感じた…って」
確かに、エフティは初めて人の死を目の当たりにし、大きなショックを受けた。今にも叫び出したい衝動を必死で抑えていた。
たかが数日共に過ごした、一部は名前も知らない人間たち。それらの死を目にして、エフティが真っ先に泣いていいはずがなかった。彼らの幸福は、彼らにとって親密な友人や恋人によって幕を閉じるべきだ。
だから我慢した。エフティは幸福に関しては、人一倍意識が強いのだ。
「俺とイグリダは、お前がおかしくなっちまったんじゃないかって心配で心配で」
「ねえ、それ流石にメンタル弱くない?」
「いや、お前が異常なのさ。俺も初めて人が死ぬのを見た時…、なんでもねえ」
「泣き叫んだ?」
「うるせえ」
※
懸念すべき問題が一気に解決した。流石にこれにはイグリダもガッツポーズをしてみせた。
まず、エフティの精神面の問題だ。彼女の精神は思っていた以上に強かったようだ。これから先、不要な心配をして判断を鈍らせることがなくなった。
次に、バリバルはエフティを送り届けることを約束してくれた。昨晩何があったのかは聞かないでおこう。
そして、マイ馬車を手に入れた。どうでも良いように聞こえるが、これは大きな進歩である。移動時間が大幅に短縮できるだろう。
「まあ、馬車の使い方も馬の世話の仕方も分かんねえんだろ」
「知っているのか」
「どこにでも餌が売ってる。なんなら道端の草でも結構保つ。馬車の扱いは教えてやるよ」
「なるほど…」
聞きながら、イグリダは劣等感を感じていた。
バリバルもエフティも多才だ。それに比べてイグリダは戦闘面の経験しか積んでいない。もしイグリダが真面目に働くことになったら、まともに仕事ができなかっただろう。
三人はせっせと馬車に乗ると、村人たちに礼を言って出発した。
出発して数時間、イグリダは馬車の扱い方を教えてもらいながら御者席に座っていた。扱いはすぐには分からなかったが、数時間で習得できたのは個人的には満足だ。
「そういや、ガキども返してもらう算段はどうなってんだ?」
「え?頼み込むとか?」
「は?」
「だって、子供連れてくっておかしくない?」
「いや、おかしいが…。通ると思うか?」
「俺がギアを誘拐すればいい」
ギアを誘拐して閉じ込めれば、魔王軍はそちらに手を回すことになる。それにギアを連れ去ったのがイグリダだと判明していれば、エフティたちに目をつけることもないだろう。
「なんか犯罪臭する」
「イグリダお前それ、俺がやってたことと変わらねえからな」
「…人さらいか。やむを得ない」
「あーあ、こいつ、多分すでにイカれてんだな。俺たちとは何かが違う気がする」
「あんたとあたしを一緒にするな」
「へいへい」
そんな話をしていると、木々の奥に何やら屋根のようなものが見えてきた。
約3キロメートル先の、剛王城だ。
「どうすんだ?正面突破か?」
「いや、見るんだ」
イグリダが指さした方向——剛王城の正門前には、以前『教皇』の村に現れた鉄の塊が数体徘徊している。あの中を突っ切るのは自殺行為だろう。
「そうか、なら………おっと」
「どうした?」
「いや…正門以外の方向から近づくには、周りの森を突っ切らなくちゃいけないんだがな。見ろ」
見れば、森の中には魔物がウヨウヨといる。肉食動物のようなものから、草花が変化したような魔物まで、その種類はさまざまだ。
「剛王、一筋縄ではいかないか…」
魔王軍が魔物を従えているのなら、周りを徘徊させて置くのは良い策だ。馬車で行くには難しい。それに徒歩で行ったとしても、多量の魔物の群れの中に飛び込むのは流石に危険だ。
「あたしの異能で、飛びかかってきた魔物を全員地面に叩き落とす」
「…可能なのか?」
「まあ、集中してやれば」
「よっしゃ、決まりだな。イグリダ、俺に変われ!」
「了解だ」
バリバルは馬車の速度を上げると、森の中に突っ込んでいった。




