第七話 罪を背負う者
村の麗しい異能者の演説中、シムは言った。
———私ね、『教皇』になりたいんだ——。
その言葉が、声が、脳裏に強烈に焼き付いている。
珍しく興奮したような声だ。憧れのためか、軽く弾んだ声だった。彼女の彼女らしくない姿に胸を打たれたのを鮮明に覚えている。
『教皇』の異能者に選ばれるためには、さまざまなステータスを磨かなければならない。歌、算術、話術、それらを練習するうちに、いつしかシムの憧れは自分の憧れになりつつあった。
そしてあの日、シムが異能者になったあの日、憧憬の景色を見てシムは何を知ったのか。
否、シムは何に脳をやられたのか。アガマにははっきりとわかっている。
「…その座を降りろ!今すぐに!」
狩りは男の役目だ。獣を捕らえ、殺し、明日皆が生きられるよう食料を調達する。女は村に残って、女の仕事をする。
だが、『教皇』の能力を引き継ぐのは女だ。
異能を得た女は、獣を捕らえ、殺し、肉をとる。そして獣の命を奪った異能者に、教会の老人たちは言葉をかける。
お前は命を奪った悪である、と。
なぜ異能者がこれほどまでに神に縋るのか、それは、自身の罪悪感に殺されないためにだ。
森の動物たちを殺す。その行為に生まれてから数年間全く触れてこなかった十歳の少女に、突然獣を殺させる。村人の信仰心を高めるために何度も行われた儀式だ。
ショックだったのだろう。動物を殺した自身の手を見て、シムは神に許しを求めたのだ。
そうして、この村はずっと異能者の心を犠牲にしながら信仰心を保ってきた。
だからこそ、アガマはギアから『悪魔』の異能を継承し、アルディーヴァの勢力として裏切ったのだ。今こそ、この村を救うときだ。
「『エンジェルフォース』———ッッッ!!!」
「『イヴィルストーム』」
光と闇の中級魔法が衝突し、木々をへし折らんとばかりに空気を揺らした。
直後、右正面から鹿が突進してきた。
アガマは鹿の角に剣を引っ掛けると、もう一方の手から魔法を放出した。
「この村で育った男に、獣の神の攻撃が効くとでも?」
「いえ」
シムはそう言うと、両手を天に掲げた。
シムの足元に魔法陣が展開され、それは神々しい光を纏いながらやがて高速で回転し始めた。
シムが魔法の準備をしている間、獣の霊が邪魔をしてくる。その様子に、アガマは魔法の正体を感じ取った。
「儀式魔法…!」
儀式魔法『天命儀』、光属性の上級魔法だ。何千もの光の刃を放出し、敵を木っ端微塵に切り裂く。
「だが、条件は達成されていないはず…」
儀式魔法を放つのに必要な条件は二つ。相手にその属性魔力が付着していることと、指定回数その属性の魔法を発射していることだ。
シムはすでに光属性の中級魔法を何度も放っている。だが、アガマは一度もその攻撃をくらっていない。儀式魔法が撃てる状況ではないはずだ。
「…まさか…、あの獣が…?」
獣の攻撃をいなした際、武器は接触した。もしあの獣に光属性の魔力が付着しているのなら、儀式魔法が撃てる説明もつく。
「密室はまずいな」
逃げ道は出入り口しかない。この密室で上級魔法を回避することは難しいだろう。
仕方がない。
「『知恵の悪魔』、出番だ」
《了解だ》
爽やかな声を響かせ、悪魔はアガマに強化魔法をかけた。
『悪魔』の異能は、複数いる悪魔の中から一つを選択し、一時的にその悪魔の特殊能力を借りるという能力。一度使った能力はしばらくすれば使えなくなり、再度使用するまでには数時間の回復が必要となる。
『知恵の悪魔ラプラス』は、あらゆる物体の行動予測を一時的に行うことができる、回避特化の能力だ。これにより、いかなる攻撃も確実に回避することができる。
その行為に気づかなかったのか、シムはそのまま魔法を放った。
「『天命儀』———ッッッ!!!」
シムが叫ぶと同時に、あたりは光に包まれた。
他の光属性魔法などとは比べ物にならないほど強烈な光だ。まともにくらえば命はないだろう。普段は目眩し程度に使われる光属性魔法だが、上級魔法の威力は絶大なのだ。
だが、アガマには効かなかった。
「はぁ…はぁ…はぁ…、…ッ」
崩れかける建物の内壁を眺めながら、シムは息を切らしていた。
「上級魔法を耐えるとは思いませんでした…」
「諦めろ、大人しくその異能を捨てることだな」
とは言いつつも、あともう一発上級魔法を放たれればアガマは避けられない。早いうちに気絶でもさせたいところだが、あいにくアガマは『サンダー』の習得をサボってしまっている。
説得は難しいだろうか。
「この村は…狂ってる。全てその異能のせいだ」
「いえ、この異能は私に真実を教えてくれた。獣を殺して生き延びることも、この異能があるから許されるのです」
「黙れ、教皇ごっこはもう終わりだと言っただろう。その喋り方も虫唾が走る。いいかげん——」
言いかけたところで、背後から何者かの気配を感じた。
感じたことのない気配だ。十中八九彼らだろう。
「エグメルはやられたか…」
「跪け!」
床に押し付けられ、アガマは苦笑した。
イグリダとバリバルのおまけとしてついて来ていた女だ。この力は異能と考えて間違いない。
まさか一番無警戒だった女が異能者だったとは。あの優秀な戦士といえど、この力の前ではどうすることもできないだろう。
どちらにしろ、シムを説得することは不可能だった。神を信仰する者の前で神の存在を否定することはできない。アガマの敗北は決定していたのだ。
だが、無関係の人間たちに阻まれるのは許せない。アガマは憎むようにイグリダを見上げた。
しかしアガマの目の前に立つイグリダは、慈しむようにこちらを見下ろした。
「…全てエグメルから聞いた。よく頑張ったね」
「なら俺を解放しろ」
「あいにくそういうわけにはいかない。『悪魔』の能力は危険だ。取り押さえておいた方がいい」
そう言われて、アガマは顔を顰めた。
自分はただ、この村を『教皇』の悪夢から解放したいだけだ。正確には、シムを助けたい。この気持ちに危険なものなどない。
「…お前は、異能者の頼みを聞いて回ってるんだろう」
アガマは言った。
「なら俺たちを救ってくれ」
「…やるだけやってみよう」
そういうと、イグリダはシムの元へ歩いて行った。
※
シムは息を切らしている。もう大型の魔法は放つことができないだろう。
今なら話し合いが可能だ。
「もう戦いは終わった。エイディルたちも勝利を収めたようだ」
「…安心しました。協力ありがとうございます」
「……」
神を信仰する者を説得することはできない。実際、殺しは許されることがなければ罪だ。そこに人も獣も関係ない。『教皇』の異能によって明確に神から許してもらうことで、この村の住人たちは初めて前向きに生きることができる。
「神は、君に何を与えるのかな」
「…?許しでしょうか」
「そう、君は神に許しをもらっている」
イグリダは言った。
「では、君は獣の命を奪ったとき、何を思う?」
「…私は、他の生命を殺した罪人だ…と」
「罪人は許されるのか」
「神が許せば」
「神が許せば、命を奪ってもいいのか」
「……」
イグリダは言葉を止めた。
簡単なことだ。神が許そうが関係はない。『獣を殺した』という事実が残るのみだ。
シムは今、自分で考えている。神に縋ってきた物事を、自分の思考で考えようとしている。きっとこれから、今まで自分がやってきたことの絶望をもう一度味わうことになるだろう。
「…罪は…許されないのですか?」
「ああ、罪は許されない。本来、俺たちは命を奪って生きている罪を償わなければならない」
「では、神は…?」
「無論、君の神は許す。だが、その『教皇』の神は偶像に過ぎない。君が信じる神なのだから、その神はどのような罪も肯定してくれるだろう。その異能は神に会う力ではなく、自分の思い通りの神を作り出す力なのだ」
「…そんな」
「だが、俺は許す」
イグリダは、決意を胸に言った。
「俺は覇王になり、全ての民の罪を背負う。『教皇』の異能も、俺が背負う。俺が覇王になれば、神は偶像ではなくなる。君は許されるのだ」
「イグリダ…」
シムの目はだんだんと、イグリダへの信仰心で染まっていった。
その様子を、バリバルとエフティは呆れたように眺めていた。
「あれもう悪徳商売だろ」
「思った。結局『異能ください』って言ってるんだよね」
「お前も異能者なんだから、いつかはあいつの口車に乗せられるときが来るんだよな」
「渡すなら友達として渡すね」
「義理異能ってやつか」
二人で雑に言葉を交わしていると、話が済んだのかイグリダが戻ってきた。
「商売成功?」
「商売とは聞き捨てならない。あれは立派な勧誘だよ」
「商売じゃねえか」
「それはそうと、アガマ、君たちの戦力はもう尽きたと捉えても良いのかな」
おそらくトップの戦力であるエグメルと、敵将のアガマ、これ以外の大きな戦力があるとは考えにくい。これでまださらなる奇襲を考えているのなら、アガマは相当数兵を積んでいることになる。
「もちろんだ。それに、お前がシムを説得してくれたんだろう。もう戦う理由はない」
「じゃあ、拘束解除?」
「そうだなエフティ、頼む」
合図を送ると、エフティの重力から解放されたのか、アガマは立ち上がって大きく背伸びをした。
「そうだ、一つ後始末があった」
「おいおい、不穏なのやめろ」
「俺が持つ『悪魔』の異能の出どころ、剛王ギアとの関係を今後どう築いて行こうか、というところを考えないといけない」
アガマは表向きではギアに忠誠を誓っている。今後安全な村生活を送りたいなら、何かしら話に折りをつけなければならないのだろう。
「それなら問題ない。俺がアルディーヴァにきた理由は、剛王を倒———」
イグリダが言いかけた瞬間、再び教会方面から爆発音が聞こえた。
今回の爆発は先程の爆発よりも大きい。全く手加減のない攻撃だ。
「アガマ!」
「お…俺は何もしていない」
アガマの言葉を聞いて、シムは顔を青ざめさせた。
再び周囲に緊張感がみなぎった。敵は見当もつかないが、『悪魔』側の軍勢ではないということは、全く手加減してくれない相手ということだ。最悪の場合死人が出る。
「急いで出るぞ!」
バリバルの声に頷き、一同は建物を飛び出した。