第五話 兆し
『教皇』の村に来て数日が経ち、決戦はすでに明日に迫っていた。現在イグリダたちは、村の食堂で昼食を囲んでいる最中である。
「ここで疑問なんだが、なんで決戦の日が決まってるんだ?」
「あ、それあたしも思った」
確かに決戦の日が決まってると言うのは少しおかしい。わざわざ『悪魔』が攻めに行くことを知らせに来たのか、或いは双方の勢力であらかじめ何かしらの会議を開いているのか、この戦いにおいてはまだ謎が多い。
イグリダたちを最初に発見した大男——エイディルは、額をなぞりながら言った。
「互いに使いをだしている」
「誰を?」
「エグメルだ。お前たちを牢屋から出した細い男さ」
イグリダとバリバルが睨み合っている時にやってきた、いまいち覇気のないあの男のことだろう。彼を使いに出すとは、少し危機感が足りないのかもしれない。
「そう妙な顔をするな。あいつはただの村人のくせに魔王軍に入ったんだぞ」
「ええ!?」
「へぇー、魔法ってのは便利なもんだな。あんな枝竜みたいな男が軍隊とは」
流石に人を魔物で例えるのは失礼極まりない。イグリダはバリバルの脇腹をこづいた。
「エグメルによれば、相手とは戦いのルールを決めているらしい。例えば捕虜を殺さないとか…」
「フェアだね〜。やっぱり平和が一番だよね。あたしの村なんか誰も武器使えないよ」
「アホか」
バリバルはうんざりしたように言った。
「そんなん守るわけねえだろ…」
「バリバル、お前はこの村のことをよく知らないから言えるんだ。元はと言えば『悪魔』の勢力は、俺たち『教皇』の村から…」
エイディルが言い終わる前に、教会から爆発音が聞こえた。
十中八九、奇襲だ。戦の日時を指定し油断させ、その前日に奇襲することで効果的に戦いを進めようと言う作戦だろう。
「ほら言わんこっちゃない」
「お、俺は村の入り口を見てくる!お前たち三人は森からの襲撃を警戒してくれ!」
そう言うと、エイディルは慌てて走り去っていった。
おそらくもうすでに、『悪魔』の勢力は全員この村にいる。村の入り口では激しい戦いが繰り広げられていることだろう。だが、森の警戒を命じられているイグリダたちは動けない。
「今のところ気配はないな」
「ねえ、その二人が言う気配ってなんなの」
「魔力の流れとか、まあ色々感じるんだよ。経験積めば誰でも…は出来ねえか」
バリバルは挑発するように言ったが、エフティの興味はすでに別のものに移っているようだ。
「何を見て——」
「あー、いたいた」
不意に背後から声がした。
細い目と体の男、エグメルだ。
「君は…魔王軍だろう。主戦力である君が入り口を押さえなくても良いのか」
「あー、ハイ。自分には自分の役割があるんで」
エグメルはそう言うと、ニヤニヤと笑みを浮かべながらイグリダを眺めた。
気味の悪い笑みだ。何かを企んでいるようでも、嘲笑っているようでもない。その未知の不快感を全面に受けながら、イグリダは顔を顰めた。
「何かな」
「あー、いえいえ、お気になさらず」
最後にもう一度笑い、エグメルはイグリダに手のひらを向けた。
「イヴィルスト———」
「———遅えッ!」
イグリダの頬を裂き、ナイフがエグメルに向かって疾く駆けた。
ロープによって制御されたその飛び道具は、エグメルの左胸部を真っ直ぐに狙っている。
「おっと、危ない」
直前で身を翻したエグメルは、不敵な笑みを浮かべて手のひらを握った。
「やはり傭兵、場慣れ感が凄いですね」
「イグリダが間抜けなだけだ。あんだけ接近されて武器を抜かない奴は初めて見た」
バリバルに睨まれ、イグリダはばつが悪そうに眉を下げた。
「すまない、油断していた」
「ったく…エフティも剣抜けよ」
「う、うん」
三人に集中された状態だ。いくら魔王軍といえど、これを捌くことは出来ないだろう。特に魔法使いは、近距離戦は苦手だと聞く。
しかしそれもまた油断の一つであると、イグリダは遅れて理解することになる。
「ムオオオオオオオオオオオオオオンノンノンノン!!!!!」
「はあ!?」
「ぎゃっ!?」
バリバルとエフティは体当たりをくらい、瞬く間にイグリダから離されてしまった。
奇妙な叫び声と共に木々の間から飛び出してきたのは、スライム状の魔物だ。それも巨大で、大きな足を得た芋虫のような見た目である。
「安心してくださいよ、自分は別に二体一をしたいわけじゃない。あなたとタイマンしたいんですよ」
エグメルが合図すると、魔物はバリバルたちの方へ走っていった。
「…まさか魔王軍が魔物を飼っているとは思わなかった」
「まあ、魔物は強いし、動物同様に調教すれば普通に言うこと聞きますからね。ベルフス王が魔王なんて呼ばれる所以でもあったりするんでしょう」
「闇の権化を調教とは…罰当たりなことをするものだ」
「神なんていませんよ。魔物を調教しても、教会を破壊しても、雷なんて降ってきませんからね」
そういうと、エグメルは再び手のひらをこちらに向けた。
「覇王の首、もらいますよ」
※
「もー!ベタベタじゃんッ!何あいつー!」
「うるせえ黙れ!あんまり舐めてると死ぬぞ!」
いつになく焦燥を顔に浮かべるバリバルを見て、エフティは大量の疑問符を脳内に並べた。
「何?あいつ強いの?」
見た限りでは、ただの大きなスライムだ。性質上、特に芋虫のような形は重要ではないと考えていいだろう。スライム程度ならこの数日で何度も倒してきた。二人の敵ではない。
「いいかよく聞け、俺は魔物狩りのプロだ」
「は?何?」
「その俺が、今までの仕事で唯一狩れなかった魔物があいつだ」
「……」
バリバルは冷や汗をダラダラ流している。それにつられて、エフティの脈も速くなったような気がする。
「あいつは茱萸蟲、別に上級の魔物じゃない。だがどうにも俺の戦法じゃ攻撃が通らん。魔法じゃねえと倒せねえんだよ」
そう言われて、エフティは顔を顰めた。
「どうすんの?」
「どうしようもねえ。イグリダがくるまで耐えるぞ」
「あんた頼りないんだけど!」
「じゃあ頼るな!来るぞ!」
「ノンノンノンノンノンノンノンノンノン!!!!」
不快な鳴き声とともに、茱萸蟲は身を捩りながら突進してきた。
近くで見ると本当に不気味だ。体内では肉塊が複数蠢き、粘膜の感触を嫌でも想像させるような艶やかな質感が、エフティの目に飛び込んでくる。
「て、てや!」
間抜けな掛け声で剣を振り下ろすが、当然弾かれてしまう。
「近づくな!攻撃を受け流して時間を稼げ!」
「あんたは武器が長くていいねッ!」
「気は短えからそろそろ黙れ!」
言い合いながら、二人は巧みに攻撃を躱していく。
茱萸蟲の攻撃は決して遅くはない。だが、戦意操作を行なっている二人なら余裕とは行かずとも避けることは可能だ。動きも単調なので、攻撃を受け流すことさえできれば、疲弊しない限り攻撃が当たることはないだろう。
しかし、戦意操作は通常よりも体力を多く消耗する。戦意操作を扱う戦闘では、長期戦は避けなければならないのだ。
二人が生き残る方法は、イグリダがエグメルを早く倒す以外にない。
「ねえ、本当にあたしたちじゃ倒せないの?」
「無理だ」
「難しくても、魔法以外で倒す方法はあるでしょ?」
「一応な」
「それを教えろって言ってんの」
「スライムと同じだ。焚き火に放り込む」
「無理!」
なるほど、この巨体では拘束が出来ず、焚き火を作る数分のうちに二人とも飲み込まれてしまうだろう。
この劣勢を前に、エフティはほくそ笑んでいた。
「なんだお前、気持ち悪い」
「っへん!あたしの強さを知らないからそんなことが言えんの!」
「なんだぁ?」
「見てて!」
エフティは手のひらを茱萸蟲に向けると、何かを念じた。
直後、茱萸蟲は飛び跳ね、エフティを凝視した。
「…お前、何かしたのか?」
「えっへん」
ドヤ顔を決めるエフティを見たまま、茱萸蟲は硬直している。
やがて…
「ムオオオオオオオオオオンノンノンノンノン!!!!!」
突進してきた。
「ええええええ!!!なんでえええええええ!!!!パパはああやってたじゃんッ!!!!」
「馬鹿!何してんだ!」
あたふたするエフティを、バリバルは武器を捨てて抱き抱え、危ういところで攻撃の回避に成功した。
「…あ、ありがと…」
「クソが!状況もっと悪くなってんじゃねえか!」
「…っ」
吐き捨てるように放たれた言葉に、エフティは身をすくめた。
バリバルが放り投げたロープナイフは、とても手の届く距離ではない。武器を取るよりも前に魔物に食われるだろう。
「ご…ごめん、あたし…」
「落ち着け…俺、どうにでもなる…これくらい…」
怒鳴られて少し泣きそうなエフティなど眼中にないかのように、バリバルはぶつくさと落ち着きを取り戻す呪文を唱えている。
しかし二人が作戦を考える時間など、茱萸蟲は与えてくれない。二人目掛けて、再び身を捩りながら突進してきた。
「クソクソクソクソクソクソクソクソッッッ!!!」
「わあああああああん!!!ごめんなさいってばあああああああ!!!!」
バリバルは武器を取るべく駆け出すが、間に合わない。迫り来るスライムの怪物は、口とも呼べぬ大きな穴を開けて、二人を飲み込まんと飛びかかった。
———結べ——。
直後、泣きじゃくるエフティの耳に何やら声が聞こえた。
———対象と“核“を選択し、それを結べ——。
「……え」
困惑しながらも、エフティの脳はすでにそれを描いていた。
魔物の中に対象の点を作り出し、その真下の地面に核の点を作った。それらは引かれ合い、対象の点は核の点に向かい始める。そしてエフティの脳は、まるでそれを記憶しているかのように命令を下した。
跪け、と。