第三話 偽りの覇王
かつて存在した十二人の英雄の生き残りのゼウスは、自ら作り出した宮殿にこもっているらしい。それもクアランドではなく、北の海の向こう側にある大陸だ。飛行魔法を使えば数時間でたどり着くだろう。
アラスタは無限に広がる大海原を眺めながら、退屈そうに空を飛んでいた。
「はぁ…もっと早く飛べたら…」
戦意を使えるようになれば、二倍近くのスピードで飛ぶことができる。しかしこの一ヶ月、独学では戦意操作を習得できなかった。
英雄ゼウスに会えば、何か変わるだろうか。
微かな期待を胸に、アラスタは飛行を続行した。
※
深緑を蔓延らせた深い森の奥地で、金属がぶつかり合う音が響き渡っている。一方は重く、それでいて攻撃回数も多い。もう一方は、まだまだ軽い音である。
しばらく音が鳴り続いた後、唐突に森に悲鳴が響いた。
「ぎゃー!バカ!強くやりすぎだって!あたしか弱い女の子だよ!?」
「か弱い女の子ならば、丁寧な言葉遣いを心がけると良い」
「はいはい!そういうのいいから!」
エフティは苦虫を噛み潰したような顔でイグリダを睨みつけると、剣を鞘に収めた。
現在イグリダたちは、森の中にある小さな草原で模擬戦を行っている。旅の休憩にはもってこいの場所である。
ここ数日、暇さえあればエフティと稽古をしているが、彼女は本当に伸びが早い。剣技は使えないが、戦意操作はもう十分に使いこなせている。
しかし、彼女が剣技を使えるようになることはないだろう。
エフティに剣技の指南をした時、何度やっても魔力を操ることができなかった。それどころか、魔力に属性を感じられない。魔力に色がないのだ。
センから聞いた情報から推測するに、エフティは『型無』だろう。
型無は、剣技を放つ上で必要な魔力の属性、それを持っていない人間のことだ。血管に血しょうだけが流れているようなものである。
「おい女ァ!いつまで稽古してやがる!行くぞ!」
バリバルの罵声が轟き、イグリダとエフティは僅かに肩を窄めた。バリバルの罵声は大自然の中でよく響く。耳の中でも反射しているかのようだ。
「名前呼べっつの」
「名前覚えらんねえんだよ」
「エフティだよ!あたしは!」
怒鳴りつつも、二人は荷物を畳んで出発の準備をしている。三人での旅も慣れたものだ。しかし二人の喧嘩は決して微笑ましいものではなく、イグリダとしては静かにして欲しいというのが本音である。
三人はそれぞれの荷物を背負い、今一度旅路についた。
数日間、森が続いている。景色は一向に変わることはなく、世界の果てまで森が続いているのではないかと思ってしまう。
もしかすると、もうアルディーヴァに辿り着いているのかもしれない。
そんなことを呑気に考えながら歩いていると、イグリダはふと足を止めた。バリバルも同時にだ。
「え?何、二人とも」
「森が静かすぎる。何か変だ」
バリバルの言葉に頷き、イグリダは感覚を研ぎ澄ました。
獣の類は感じられない。本当にこの周辺には生き物がいないかのようだ。クアランドの『死神』の村周辺を思い起こさせる。
直後、足音を感じた。
「警戒を、敵かもしれない」
「え…敵って?」
「魔王軍だ。君を追ってきた可能性がある」
イグリダは両手剣を構え、音のする方を凝視した。
統制の取れていない動き、アルディーヴァの軍隊にしては訓練ができていない。辺境だからだろうか。あるいは…
「待てイグリダ、魔王軍じゃない」
「…やはりか」
魔王軍でないことは予想できたが、他の集団に心当たりがない。クアランドまで名前が届く集団は魔王軍しかいないのだ。
となれば、考えられる可能性は一つ。
「村人か」
周辺に魔物の雰囲気を感じないのは、村の異能者が強いからだろう。異能者を恐れて、魔物も獣も村に近づこうとしないのだ。
しかし警戒を緩めてはならない。魔王軍の可能性もまだ捨てきれないのだ。もし魔王軍と鉢合わせたなら、逃げるほかないのだから。
鼓動が少しずつ早まる中、それらは姿を現した。
「おい!人間だ!それも旅人っぽいぞ!」
三メートルほど上の崖から一人の男が叫ぶと、男女子供問わず人がわらわらと集まってきた。
「分からんぞ。奴らが旅人を装っているのかもしれん」
「そうですよ、捕らえるべきです」
意見を交わし合う人々を眺めながら、イグリダは顎に手を当てた。
村人という予想は間違っていないようだ。彼らの武器は見慣れた農具が多く、どこか親近感のようなものを感じさせる。
「ち、ちょっと!あんたたちナニモンなのよ!」
「馬鹿、お前どうせやり慣れてないんだから黙っとけ…」
バリバルが呆れたように首を振るが、エフティは剣を掲げて威嚇した。
「もも、もし魔王軍だっていうなら、あたしが、ボッコボコにしてやる!」
そうは言うものの、足はガクガク震えている。その様子を見て、村人たちは少しだけ安心したようだ。
大柄な男が苦笑を浮かべながら崖を降り、一定の距離を置いて立ち止まった。
「申し訳ないが、村まで来てもらう。身元のわからない旅人を放っておけるほど、気楽な状況ではないんでね」
「大丈夫だ。君たちに信用してもらえるなら、なんでも従おう」
「俺はなんでもするとは言ってないからな」
もう何度目になるかわからないバリバルのため息を聞きながら、イグリダたちは青年の後に続いた。
※
訪れた村、『教皇』の村では、親切とは言えない扱いを受けた。早々に連れて行かれたのは牢屋である。一応窓があるので、イグリダは情報を整理するために外を眺めていた。
村は城ほどもある巨大な石を住めるように掘ったような形をして、中央には教会のようなものが監視するように村を見下ろしている。これがおそらく『教皇』の村の象徴だ。
「エフティは?」
「別の牢だ。一応配慮はあるようだね」
村人たちは形式上イグリダたちを閉じ込めることにしたが、どちらかというと客人のように思っているらしい。そうでなければ牢に一斉に放り込むことだろう。
「あいつらの話によりゃ、村のお偉いさん方が俺たちをどうするか決めるみたいだな」
「…今は議論中ということか」
イグリダの村にも、極めて慎重な老人がいた。イグリダたちを捕らえておくべきだと言う者もいるだろう。その結末は話し合いによって左右されると言うことだ。
少なくとも、イグリダたちを発見した人たちは味方してくれると信じたい。
「バリバル、君が受けた仕事はなにか、聞いてもいいかな」
「何言ってんだお前、仕事の内容を言うわけねえだろ」
「そうか、何か手伝えればと思ったのだが…」
バリバルには無条件で旅を手伝ってもらっている。いくら人攫いとしての罪があろうと、情報提供をしてもらった上に牢屋までついてきてもらった。礼をしなければ気が済まない。
「あのな、前に言ったが、傭兵ってのは仕事に誇りを持ってんだ。誰かに助けてもらうつもりはねえよ」
「そう言えばそうだったね。差し出がましいことを言った」
「ああ、俺も自分のことを喋るのは気が向かないんだ」
「…こっちも、とは?」
「あ?お前もだろ?」
バリバルは僅かに目を細めると、疑うようにイグリダを身体中睨め回した。
「お前も自分のこと何も話さねえじゃねえか」
「話す必要はないと思うが…」
「話したくないだけだろ?」
バリバルは言った。
「お前は中身がねえやつだと思ってたんだよ…」
中身がない、というのは言葉のあやだろう。おそらくバリバルは、自分の中身をある程度曝け出さなければ互いを信用することは難しいと言いたいのだ。
それはイグリダも感じている。だからこそ、アラスタには自分が旅立つことになった理由を話した。彼とはこれからも信頼関係を築きたいからだ。
「しかし、君に話すのは少し気が引ける。まだモーストと何か関係を持っている可能性もある以上、警戒はさせて欲しい」
「俺に対してお前は何も明かさないってのは当たり前のことだ。俺が言ってるのはそうじゃない」
「何が言いたいのかな」
「嘘だよ」
バリバルは自身の顔を覆うように手を当てた。
「嘘で塗り固められた何かが、お前を覆っている。そんで、中身がすっぽ抜けてる」
「……」
「俺の目は誤魔化せないぜ。嘘つきを見つけるのは得意なんだ」
嘘つきが信頼を得られるはずがない。もしイグリダが嘘をついているのなら、覇王としては失格である。
確かにイグリダは、自身の感情はなるべく殺している。怒り、憎しみ、それらが溢れそうになることはあるが、負の感情が与える影響は良いものではない。
しかし、それは嘘ではないだろう。状況に応じて、自身の感情を殺すべきだというのは共通の認識だと考えたい。であれば、バリバルが感じた嘘はもっと別のものだ。
「嘘をついていたとしても、いずれにしろ君に何かを明かすつもりはない」
「へえ?構わねえけど、俺はお前を探るぜ」
寸刻、二人は因縁の敵のように睨み合ったが、やがて牢屋の鉄の戸を叩く音が聞こえた。
牢屋の外からは、目も体も細い男が中をのぞいている。
「えー、事情を説明しても?」
「構わない」
「では失礼して」
男は牢屋の外に腰掛けると、今この村で起きていることを話し始めた。
どうやら若き異能者シムが治める『教皇』の村では、ある勢力との戦争が行われているらしい。その戦いは、二ヶ月ほど続いているとのことだ。
「まさか、魔王軍とやり合ってんじゃねえだろうな?」
「あー、いえいえ」
男は口端を上げて首を振ると、手でツノのような形を作った。
「『悪魔』のアガマ、多分そいつが敵ですよ」
なるほど、村同士の戦争だ。今まで会った異能者は善人が多かったが、確かに他の村に侵攻しようとする異能者がいても何もおかしくはない。
「かなり悪いタイミングで来ちまったな」
「いや、良いタイミングだ」
「おっと、そうだった」
イグリダは異能者から信頼を得るために旅をしている。今ここで問題が起こっているのなら、それを解決することで、異能者たちに恩を作ることができるのだ。
「提案がある」
そう言われ、男は目をしばたたいた。
「はい?」
「俺も、戦争に参加させてくれないか」
「まあ、そのつもりでいました」
男は平気な顔で言ってのけると、牢屋の扉を躊躇なく開けた。
「詳しい話は『教皇』様から」
※
目的地は教会ではなく、村の奥に構えた四角い建物だった。例えるなら、センの屋敷で食べた豆腐だ。白い豆腐のような立方体の建物に、細かく装飾が施されている。
入口に扉はなく、内部には人工的に育てられた様々な種類の植物が、内壁を隠すように植えてある。まるで森の中の景色を人工的に作り出そうとしているかのようだ。
内部の中心には、円盤状の白いタイルがあり、その上に純白のドレスを着た少女が膝をついて座っている。
「彼女が?」
「あー、はい。では自分はこれで」
男はそういうと、そそくさと出ていってしまった。
さて、見たところ『教皇』の異能者は、何かと話しているようだ。正確には、何かに呼びかけているように見える。
「しばらく様子を見た方がいい」
「なんでだよ、俺ら呼びつけたのはあの女だろ?」
「取り込み中だ。儀式かもしれない」
「あー、はいはい。ったく…お偉いさんって勝手なやつ多いよな」
ぶつぶつと文句を垂れるバリバルを尻目に、イグリダは『教皇』の様子を眺めた。
「…これは……」
植物の影から縫うように現れた複数の霊のようなものが、『教皇』を取り囲みまじまじと見つめた。魔物のように見えるが、何か違う。闇の魔力ではなく、見たこともない神秘の魔力を感じる。
「噂には聞いていたが、実際に見ると気味が悪いな」
バリバルの言葉に、イグリダは首を傾げた。
「有名なのか」
「まあ、仕事先でちょいちょい聞く程度だが」
そう言って、バリバルは霊を指さした。
「あれが『教皇』の異能。自身が信仰するもの、いわゆる神を具現化する能力だ」