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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

草臥れた絵本。捲るは蝶。

作者: 豆々駄

 ズンチャズンチャとゼンマイ仕掛けの奏者たち。

 玩具の楽器をツタツタトテトテたどたどしく。

 古いそれはすでにボケて、同じ小節を行ったり来たり。

 終わらないサーカスを描くように。


 女が1人、青の衣装。透けたそれは海の色。

 床から数十メートル上。

 無防備な台に乗った彼女は手に持つ林檎に口をつける。

 揺らす瞳、薄い唇。

 ペロリと1つ舐めてから、小さく歯痕を付け残す。

 コクリと鳴る喉。ト書きはこうだ。


『愛を求めた愚かな人魚は毒林檎により声を失う』


 彼女は林檎を捨てて腕を広げた。

 伸ばした足を綱に乗せて曲に合わせて渡り始める。

 チラリと魅せる左のピアスは百合の花を連想させる。


 はてさて綱の下には別の女。

 雪のように白い肌と、血のように赤い唇。

 黒檀の枠のような黒い髪を持つ彼女は鋭いナイフを遊ばせていた。

 チョーカー、ブレスレット、アンクレット。

 彼女が纏う宝石たちは枷の虚像にすぎなくて。

 けれども彼女はそれを好いていた。




 *




 女は白雪といった。

 白雪は湖畔で人魚と出会った。

 前世で会っていたのかと思うほど自然に惹かれ、海を知らない白雪に海の話を、森を知らない人魚に森の話を。

 2人は月の下でも語り合った。


 人魚と出会って幾日後。

 人魚は独り泣いていた。


『言いたくても言えない、許されない罪が口の中を泳ぎ回り、餌をやってもいないのに今日も健気に生きている』


 そう言う人魚に白雪は言った。


 ソイツを出せばいいじゃないか。

 罪なら殺せばいいじゃないか。

 大丈夫、こんな森の奥になんて裁判長も執行人も来やしない。


 楽観的な考えだったのかもしれない。

 人魚は困ったように笑った。

 そして手招きをして白雪を呼んだ。


 人魚が水辺に手をつく女を引き寄せる。

 ヒヤリと冷たい手が首を撫でる。


『だったらこの子を殺してみてよ』


 そう言った人魚は白雪に優しく口づけた。

 温かい熱が、味覚が、脳を痺れさせた。


 狡いヒトだと思ってしまった。

 口に出来ないと言ったソレを自分の口に容易くした。


 少しの間。

 唇を離して視線を交わらせる。

 ポカンとする白雪に人魚はまた困ったように笑う。


『皆が恋と名付けるこの子は、皆が嫌う百合の花を語るの。裁判長も執行人も貴女だけれど、貴女はとても優しいからきっと殺せないでしょう?』


 思えばそれは甘い毒だった。

 森の奥、孤独に暮らす白雪にとって人魚は特別で。

 心地よいその熱はすぐに体に浸透した。


 このまま何も言わなければ人魚は泡の如く消えてしまうだろうか。

 自分はまた、棺の中で眠っているかのような寂しさを味合わなければいけないのか。


 脳を犯す毒は人魚との楽しい話ばかりを見せつける。

 四肢と五感に指図するは執着への乞い方。


 気づけば白雪は口を開いていた。


「自分は酷い罪人だ。憤怒、怠惰、自分の中にいる面倒な奴らを7人の小人に押し付けた。それでもこの静かな世界で咎める者は誰もいない。今更罪が増えたとして、どうして罰せられる必要がある?」


 縋るような声になってしまった。

 罪人の言い訳、あるいは命乞いのような。


 人魚は切なく眉を寄せた。


『私が殺そうとしているこの子をどうして生かそうとするの?同情の水を与えて私を哀れんでいるつもり?』


 ああ、たしかに。

 この気持ちを恋だの愛だの色艶やかなものだと主張するのは間違っている。

 けれど物語に出てくる男女というものは粗雑なものだろう。

 視線を絡ませ、歌を交わらせ。

 操り人形の糸に踊らされていることを忘れれば運命だと色付けることができる。


 王子の口付けで姫が目覚めるように。

 世界は可笑しな台本を好いている。


「自分はただ、独りになりたくない。貴女のその子を許す代わりに同情の水を飲んでくれないか?」


 最低な口説き文句だ、と。

 人魚は眉を寄せた。


『だったら森を出て街に行き素敵な彼を見つければいい』


 次いでそんなことを言うから、


「何故?自分は貴女だからいいのに」


 首を傾げてそう言えば少し呆気にとられたような顔をして。

 それからクシャリと泣きそうに顔を歪めた。


 続けて白雪が思い出したように言う。


「そういえば人魚の血を飲めば不老になれると噂がある。人の噂も75日というし世の中の理なんて刻を経て簡単に変わる。百合の花が咲き乱れるまでのんびり話をするのもいい」


 とにかく自分は貴女と居たいんだ。


 そこまで言えて何故恋だの愛だの錯覚できないのか。

 やはり最低な口説き文句だ。


 しかし人魚は思った。

 もしかしたら彼女は愛を知らないのかもしれない。

 この寂しい場所で愛という歪な形をした欲を手にしたことがないのかもしれない。


『人だけでなく神も百合を嫌う。時を迎えて黄泉の国へ逝った時、きっと神は貴女も惨い世界に堕とすわ』


 脅すように人魚がそう言えば白雪はハッとした。


「ああ、そうか。黄泉なんてものがあったか」


 まるで盲点だったとでも言いたげに。


「なら今2人で死ねばいい。なんだったら自分を嫌って。百合の花を咲かせずに黄泉の国で会って、それで永遠に話をしよう」


 ああ、なんて。

 愛らしい。


「あの世で百合を咲かせても誰も咎める者はいないだろう?」


 純真無垢にそう言う白雪に人魚はついに笑ってしまった。

 貴女の為なら死ねる。

 死んでも尚共にいたい。

 言い方を変えればそう聞こえる白雪の言葉は、人魚を口説き落とすには十分だった。


 多少形が違えど人魚が求める愛とそれは酷く似ていた。


『ほんと、最低な口説き文句。…でも、嬉しい』


 嗚呼、私は人魚なのに。

 溺れてしまったわ。


 涙で頬を濡らしながら微笑む人魚に白雪は漸く安心したように口角を緩めた。




 *




 綱渡りをする人魚“役”。

 命綱を付けず慣れた足で綱をなぞる。

 何かを期待するように時折指を絡ませる。


 白雪はナイフをツラリと撫でて、そして人魚を見上げた。

 狙いを定めて、目を細めて。

 構える間も無くスッとナイフを投げた。


 伸ばす白い腕。

 怯えのない瞳。


 観客が望むような、美しい仕草。


 刹那、ドッと音がする。

 鋭い刃は見事に人魚の心臓を貫き、彼女の体が大きく傾いたと思えば至極自然に落ちてきた。


 一歩、二歩、白雪は人魚の元へ。

 白雪がヘニャリと不器用に笑えば、人魚は嬉しそうにフワリと笑った。


 無音の落下を演奏隊がズンチャズンチャと盛り上げる。

 シンバルがバシャンと汚く飾る。

 それに被るようにしてバンッと潰れた音が響いた。


 人魚を殺した冷たい愛と、白雪を殺した重い愛。

 床に紅い湖を作った2人は抱きしめ合いながら静かに眠った。




 次いで魅せるは火潜り少女。少年のような格好。

 失った兄を真似る彼女は人魚が落とした林檎を拾う。

 そして人魚と同じように齧った。

 林檎を元の場所へ。

 彼女は燃える火の輪の近くへ。


 ト書きはサラリとシンプルに。


『愛を喰した愚かな少女は毒林檎により道を失う』


 一方彼女の番は宙を舞う赤い衣装の少女。

 空中ブランコで彼方此方に体を投げる。

 少女の名は赤ずきんといった。

 少女の瞳は赤かった。




 *




 森の奥。

 お菓子の家。

 行われるは可笑しなお茶会。

 テーブルに置かれた肉塊はこんがりと焼き上がり甘い匂いを漂わせている。


 上品にナイフとフォークを使い、“男”が肉を口に運ぶ。


『狼君、君はどうして人を丸呑みにしてしまうんだ。煮るなり焼くなり味をつけるなり、食に対しての嗜好はないのかい?』


 彼の向かいに座る狼はフッと鼻で笑った。

 肉を手で掴み、歯で裂くようにして食べる。


「俺は味に関しちゃまるで興味がない。喰われる寸前の絶望した顔とか、血が滴る感覚、トクトクと口の中で躍る肉。あとはそうだな。喉が裂けそうな悲鳴なんかを味わっているんだよ」


 目尻を下げて楽しそうに語る狼に男はクスクスと笑った。

 自分とは違う嗜好を持っているにも関わらず、誘えばお茶会に来る狼はどうも酔狂だ。

 それに狼はどういうわけか自分を食べようとはしない。

 初めて会った時に驚く素ぶりを見せなかったからか。


『なら、もし僕が悲鳴をあげると約束したら、その大きな口で喰べてくれるかい?』


「気持ち悪いこと言うなよ。喰べられたがる奴喰ったって何も面白くないだろ」


 やはり僕たちは合わない。


 と、戸を叩く音が部屋に響く。

 コンコンと軽い音は女の姿を想像させた。


『来客か。喰べてしまっても構わないよ』


 戸の方を見ようとすらせず食事を続ける男に、狼はニヤリと笑った。


「また噂が立っちまうな」

『今更さ。人の1人や2人、大して変わらない』


 椅子を引いた狼が席を立つ。

 ソロリソロリと足音を忍ばせて戸の前に立てば、癖のように舌舐めずりをした。


「今開けますよー」


 思えば何故狼が人語を話すのか、不思議でならない。

 親切な人を真似て声を出した狼がゆっくりと戸を開ける。


 刹那、


 バンッと鋭い音と共に肉片と血が飛び散った。


 ドサリと倒れる狼。

 心臓の辺りが真っ赤に染まり、ジワリと床に血が溜まる。

 ツンッと火薬の匂いが鼻につき、男はフォークを机に置いた。

 こんな酷い匂いの中で到底食事は続けられない。


 中の気配に気づいたのか、それとも狼が居たことから想定できる惨劇を覚悟したのか。

 戸を開けて恐る恐る入ってきたのはライフルを構えた女。

 赤い頭巾。赤い瞳。

 何の躊躇もなく狼を撃殺したはずの彼女は中を見た瞬間目を見張って固まった。


 テーブルの上に置かれた人間の肉。

 胴体をメインに腕と脚を並べて、目のない頭を添える。

 まるでご馳走のように皿に盛られたソレを前に、男は平然と座っているのだ。


 男が女に目を向ける。


『ああ、君が噂の“狼狩りの赤ずきん”か。噂通り可愛らしい頭巾だね』


「そういうあなたは“人喰い魔女”さんですか?」


 澄んだ声だ。透けるような。


『らしいね。時々狼に料理を振舞っているだけの暇人だけど。でも、その呼び名は嫌いだからヘンゼルって呼んで。君の名前は?』


「…街の人たちは赤ずきんちゃんと呼びます」


『そう。なら、僕もそう呼ぼうかな』


 さて、立ち話もなんだし。


『中においでよ。とっておきのお菓子があるんだ』


 そう言ってニコリと笑った男が静かに椅子を引く。

 行われたやりとりは単調で、まるで台本のようだった。



 慣れた手つきで狼と人肉を片付け。

 代わりに紅茶とクッキーを用意する。

 アマリリス入りのクッキー。


 ヘンゼルがクッキーを口にしたのに続き、赤ずきんも警戒しながら口に運ぶ。

 それは仄かな甘さだった。



『それで。狼の肉は臭いがキツくてとてもじゃないが食べられないと思うけれど、どうして好き好んで狩るんだい?』


 ヘンゼルが問う。


「食用ではありません。撲滅の為です」


 赤ずきんが答える。


『撲滅?』


「はい。私は幼い頃狼に一度食べられました。お婆さんも一緒です。その時は猟師の方が偶々通りかかって助けてくれましたが、お婆さんはすっかり気が滅入ってしまい、笑わなくなりました。だから、同じように被害者が出ないよう撲滅することにしたんです」


『そう。…それで?その本心は』


「あの赤い血が頭から離れなくなった」


 ハッとした赤ずきんが慌てて口を押さえる。

 何を口走った?何故口走った?

 戸惑いを隠せない赤ずきんにヘンゼルは続ける。


『たしかに君は赤い頭巾をかぶっているし、それに瞳も綺麗な赤色だ。本当に赤が好きなんだね。でも、それなら尚更、狼のものだけでは物足りなく感じてるんじゃないかい?』


 例えば、そう。


『人間の血を見てみたい、とか』


 ヘンゼルが探るような目を赤ずきんに向ける。

 まるで獲物を捕らえた狼のようなその目にドクリと体が跳ね、同時に吐き気が込み上げる。

 釣られるようにして喉を這い上ってきたソレを止める術など赤ずきんにはなかった。


「見て、みたい」


 赤ずきんは思わず立ち上がった。

 ガキンッと椅子の倒れた音が頭を殴る。

 赤い頭巾とは不釣り合いに顔を真っ青に染める赤ずきん。

 ヘンゼルは少しの間の後、糸が切れたようにケラケラと笑い出した。

 縁に収まりきれず溢れる涙を拭う。


『そんなに大袈裟な反応は初めてだよォ。最高だね』


「な、なんで言葉が勝手に??」


『それはね、君が魔法のクッキーを食べたからだよ。赤ずきんちゃん』


 パッと部屋全体を示すようにヘンゼルが腕を広げる。

 大きな鍋、大きなカマド。

 棚に並べられた瓶と本。


『ここはかつて魔女の家だった。この家にはいっぱい本があって、で、僕はお菓子作りが好きだった』


 良い暇つぶしになったよ。


『アマリリスのクッキー。花言葉は“おしゃべり”。ちょっと隠し味を加えれば本心を話してしまう甘いお菓子に大変身!あとは相手を好きになるチョコとか、食べるのをやめられなくなるケーキとか。最高傑作はこの家に辿りついちゃうキャンディかな。森に沢山置いたんだけど、甘い匂いが良い道標になったでしょ?』


 赤ずきんはクラリと立ち眩みがしてよろめいた。

 いや、もしかしたら甘い匂いに酔ったのかもしれない。


 きっと今すぐにこの場を離れなければいけないのだろう。

 けれどヘンゼルが言うように“この家に辿りつくキャンディ”が森にあるのだとしたら、どう足掻いたって此処に戻ってきてしまう。


 頭に浮かぶのはテーブルに並べられていた人の肉。

 ヘンゼルはそうして人を此処に誘き出し食べていたのだろう。

 人喰い魔女の噂は本当だったのだ。


 赤ずきんが震える声で尋ねる。


「私も、食べるつもりですか…?」


 すでにライフルに手をかけている。

 震える声とは一変、体は妙に熱い。

 あのクッキーのせいだろうか。

 内に仕舞っておいたはずの獣が飛び散る赤を期待し、ハッハッと息を荒くして涎を垂らしている。

 引き金を引くことに躊躇いよりも先立つ興奮。


 しかしヘンゼルはやけに冷めた目でライフルを見た。


『いいや?僕、やっと気づいたんだ。お腹が満たされる方法』


 まだ皿の上に余っているクッキー。

 もう食べられることはないだろう。

 ヘンゼルはその皿を掴むとカマドの前に行った。

 蓋を開けて、揺蕩う火の中にクッキーを放り込む。


『僕さ、ずっとお腹が空きっぱなしなの。どんなに美味しいものを食べても、お腹がいっぱいになる魔法のビスケットを食べても。なんでかなって考えて、やっと分かった』


 ヘンゼルがお腹をさする。


『ぜーんぶ“ヘンゼル”が食べちゃうからだって』


 ゾワリと寒気が肌を逆撫でた。

 ワケも分からないのにカタカタと手が震える。

 赤ずきんは一歩後ずさった。


「何を…言ってるんですか…?」


 ヘンゼルは口元から笑みを消した。

 空になった皿を見て、飽きたようにカマドに放り込む。

 ガシャンと冷たい音がした。


『僕らは親に捨てられ、そして魔女に拾われた。魔女は美食家で悪食で、食の至高は自らが喰べられることであると説いた。兄のヘンゼルは命を助けてくれた恩返しに魔女が願った通り、彼女を喰べた』


 甘い味がした、と言った。


『しばらくしてヘンゼルが、漸く魔女の言っていたことが分かったと言った。だから自分を喰べてくれ、と。兄は幼いながらも妹である僕を育ててくれたから、僕は恩返しに兄を食べた』


 たしかに、甘い味がした。


『でも何も分からなくて、他の人間を喰べたり、ヘンゼルの真似をしたりしてみた。それでもやっぱり分からなくて、いっぱい悩んで、で、やっと分かった』


 アマリリスのクッキーのせいか。

 少し喋りすぎてしまった。


 ヘンゼルと名乗る彼女はかつてグレーテルという名だった。

 グレーテルが赤ずきんを見る。

 そしてひどく穏やかに微笑んだ。


『ねぇ、赤ずきんちゃん。狼のお腹の中に居た時、どんな気分だった?』


 赤ずきんは唐突に振られた問いに戸惑ったような顔をした。

 出来れば思い出したくもない記憶だ。

 しかしあの生々しい感覚は鮮明に蘇る。


「…気持ちが悪かったです…。熱くて、ベタベタしていて、…これから溶けて死ぬんだっていう恐怖がまとわりついて、なんなら自分で命を絶とうと思いました」


 正直に答える赤ずきんにグレーテルはカラリと笑った。


『そっかァ。そうだよね。そりゃあ、喰べられたわけじゃないもんね。だって、』


 喰べられるってことは、その人の一部になるってことだもんね


 話は終盤に向かっている。

 彼女はこの物語を結論付けようとしている。

 赤ずきんはそれが良い結果でないことを察しながらも逃げることができなかった。


『僕ね、思うんだ。誰かが僕のことを喰べて、僕はその人の一部になる。その人が何か食べ物を食べる度、それは優しく噛み砕かれて喉を通って胃に落ち、小さく甘く溶かされて、やがて僕の元へ来る。それってまるで、羊水の中にいる赤児にお母さんがご飯をあげているみたいじゃない?』


 それが食の至高だって、僕はやっと気付けたんだ。


 どうして彼女はそれが食欲であると錯覚しているのか。

 どう考えたって彼女が飢えているのは食ではなく愛ではないか。


 しかしグレーテルは気付かない。

 純真無垢な笑顔を赤ずきんに向ける。


『ねぇ、赤ずきんちゃん、』


 僕を喰べて




 赤ずきんはライフルの引き金を引いた。

 飛び散る血が、肉が、深い赤が、部屋を繊細に塗りあげる。

 赤ずきんは気付いた。

 何故自分がこんなにも赤に陶酔しているのか。

 服が濡れるのも構わず膝をついて手を伸ばす。


 赤い花畑で眠る彼女はひどく美しく、愛おしく、そして、



 自分だけのものになったような気がした。



 それは刻を忘れて愛でていたくなるほどに。




 *




 グレーテルは燃え盛る火の輪を自分の体にかけた。

 自分の身が焦げる匂いに恍惚とした表情を見せる。

 ドルルルと拙いドラムロール。


 赤ずきんは、丈夫なブランコに自分の首をかけた。

 容赦なく首を絞めるそれに嬉しそうに頬を緩める。

 パシャンと決めたような合わせシンバル。


 焼死が先か、絞死が先か。

 パタリと倒れたグレーテルの火の輪が空中ブランコに繋がる紐にぶつかる。

 ジクジクと登った火はすぐさまブランコを燃やし。

 千切れたブランコごと赤ずきんが落ちる。


 落ちた先には倒れるグレーテル。

 生きた手を重ねるにももう遅い。

 しかし燃える火の手は2人を繋ぐように広がった。


 絡まることのできない愛。

 絡めることはできた愛。




 さてさて、演目は全て終わりだが。


 ん?役者が死ぬだなんて可笑しいと?

 いやはや、この御伽の世界で可笑しさを指摘するか。


 どうか今一度考えてみてほしい。


 たしかにこの劇は可笑しいさ。

 なにしろイカれた作家は望んでいる。

 私ら役者を友人に重ね現実そのものが見世物であることをね。

 そんな作家の希望にそって、私らは知らないふりをして。

 舞台の上で可笑しな劇を繰り広げる。

 ただ問題が一つ、この作家は愛を知らない。

 だからこんなにも馬鹿げた話になってしまう。


 指摘するのは役者が死ぬことじゃない。

 ちゃんちゃら可笑しい愛の茶番さ。


 しかし事細かに説明するのは私、道化の仕事ではない。

 そこは観客の解釈次第。


 そろそろ曲も終わることだし、終幕としましょうか。




 火の輪の赤が紐を伝い、サーカス小屋を壊していく。

 ギシギシと痛い音を立てて、舞台の終わりを知らせ始める。

 ズンチャズンチャと音楽は鬱陶しく。

 観客はすでに腰を上げ始める。


 道化の立ち位置であるラプンツェルはゆったりとした仕草で毒林檎を拾った。

 一つ、齧る。

 同じく道化の立ち位置であるシンデレラは彼女から毒林檎を奪い取ると、床に落として踏みつけた。

 そしてニィッと口角を上げる。


「人を生かす魔法は所詮メイクでしかなく、人を殺す魔法も話を盛り上げるための小道具にすぎない。けれどメイクも小道具もなければ私たちは名を名乗ることもままならない。ねぇ、ラプンツェル。あなたのその美しい髪がなければ私はあなたに惚れなかったかしら?」


『さあね。私はどんな君でもきっと“愛した”だろうから』


 理由なんてなくてもいいのさ。




『愛を知らない愚かな私たちは自ら歩くための自由も靴も失っているのだから』




 それもそうね、とシンデレラが微笑む。

 倒れ行くサーカス小屋の中で2人は逃げることもせず、静かに抱き合った。







 パタン、と。

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