都会の樹海と走馬灯
一部フィクションで、ほとんどノンフィクションです。
いつからだろう。純粋に「死にたい」と思ったのは。
僕は平凡な容姿と頭脳を親に与えられ、歳を重ねるごとに自分で友人を手に入れていった。
自分が暮らす世界が全てだと信じていた小学生の後半、親が離婚すると聞いた。僕達兄弟にそう話す両親はどこかほっとしていて全てから開放されたような顔をしていた。僕達はまだ子供だったから反論も何も出来ないと確信していたのだろう。父と別れるのはわざわざ話すまでもなく決まっていた。
時々会う父親は会う度に人が変わっていた。僕らの知る父親ではない。なぜ欲しいと冗談交じりで声を上げたら買ってくるとレジに向かい、○○へ行きたいと行ったら予定を立ててくれるのだろう。僕らはそうしたいんじゃない。欲しいと言ったら少し我慢してね。と言葉のとおりにさせられ、○○へ行きたいと言ったら仕事が落ち着いたらな。と言われる父親と暮らしたかったのだ。当然贅沢すぎるわがままであることは知っている。ただ、変わって欲しくなかった。変わりたくなかった。ずっと同じ家で、ずっと同じ頭数で、ずっと同じような我慢をして暮らしていくと思っていた。
数年もしないうちに母が新しい父親を連れて我が物顔で紹介した。どこも悪い所はない。お金は持ってる。仕事もしている。旅行には連れて行ってくれるし、美味しい食事もさせてくれる。それが彼なりの愛情表現であることは分かっていたがそれで好きになるのはその時だけだ。それが子供というもので人間というものだ。もともと赤の他人であった人間を気安く「父親やパパや父さん」なんて呼べるはずがない。
そこまで子供は親の言うとおりにしないし簡単な生き物ではない。
中学になる頃には2人の父親にそれぞれ違う顔を向け、本当の「父親」はどこにも居なくなった。
2人は父の威厳なんてものを発することも無く、その義理もない。
父親をなくした僕は中学一年の時、軽い不登校児になった。週に学校に行くのは2、3回。親、教師、友人には心配されたがそんな望んでもいない偽善、はっきり言ってされるだけ無駄だ。イライラする。
当時悪に手を出さなかったのは不幸中の幸いと言うべきだろう。ずっと家に引きこもり今見てる画面を弄って眺めていた。外に出ればいつ死のうかと迷うばかりだ。言わば不登校は抑止力になっていたのだ。
自殺については指で数えてもあと数十は足りないほど考えていた。いくつかの本や記事を読み、最も迷惑をかけない死に方は首吊りだと学んだ。たとえ冗談でも死にたいと言っている友人には首吊りが1番いいよと教えてあげた。血は出ない、片付けはすぐ済む。音がない。好都合だった。
周りに本気で死にたいなんて言ってる人はいるはずもなかったのでオススメしたところで「何言ってんのよ笑笑」と言われるだけだった。
その軽々しさのおかげか周りに影響された僕は学校にいくようになった。少なくとも2年ほどは「死」という言葉と離ればなれになった。
先程の話で抑止力という言葉が出たがスマホ以外にも抑止力はいくつもあった。友達もその1つだ。
そしてその最上級。恋人、の前の好きな人も抑止力であった。しかし高校生の一年、 その抑止力はいつしか僕に死に対して拍車をかける存在となっていった。
別にその人自身がそうなった訳では無い。その人が好きな自分自身が拍車をかける存在となっていたのだ。
例えば、会えないと僻む自分。彼女の好きな自分になれない劣等感。伝えたい事が喉を通らない後悔。その悲観的な感情が僕を殺して欲しいと願うようになったのだ。
俺には向いていない。好きになるだけ無駄。付き合ったところで彼女を悲しませる。そう言う感情が身体に巻きついて世間で言う「メンヘラ」という生き物になってしまった。
ある場所からの帰り、一度だけ本当に死のうと考えたことがある。
建物と建物の間、狭い空間で夜23:00頃、下に見えるは黒く別世界のような空間。ここに落ちたら死ねるかな?落ちた時の生々しい音で何人が気づくかな?そう思った。
しかし時間は夜中だし場所も場所だ。すぐに気づく人はそう居ないだろう。
都会の中にも樹海はある。そこはずっと夜を目指した者だけが見つけることができ、そこに落ちれば太陽を見ることはなくなる。まさに樹海と呼ぶのに相応しい場所だ。
今まで自分が関わってきた人間。好きなやつ。嫌いなやつ。好きだったがそうじゃなくなったやつ。馬鹿にしてきたやつ。馬鹿にしてやったやつ。大好きな人。大好きな人。大好きな人。大好きな人。大好きな人。
その何人もの人間が頭の中に出てきては消えた。まだ落ちてもいないのに走馬灯が流れてきた。そうだ。俺はこの面倒臭く、汚く、聖地のような美しい空間に支えられてきたんだ。
お節介過ぎる世の中に甘えて自分の思考を十二分に巡らせ、それを嫌い、無くそうとしてきた。
全部気づいた。父親が変わったのではない。自分の感受性が疎くなり、新しいものを拒み、友人に対しはまた心配してくれると傲慢になり、好きな人にはまた話せる、会えると思い込んで無視してきた。自分は全てを知ったつもりでいた。
それは違った。小学生の頃から思考は変わっていない。もしかすると退化したという可能性すらある。
生きよう。生きてここまで考えさせてくれた人達に恩返しをしよう。皆に生きて欲しいと思われる存在になってから過労死して泣かれよう。それでこそ人間だ。
そう結論に至る程地面との距離は長くはなかった。