そしてアリスは復讐に目を覚ます~TS転生した異世界で聖女からラスボスに強制チェンジ~
「アリス……嗚呼、……あり、ス……」
地面に倒れ込んだハートの女王はうわ言のように俺を呼び、こちらに向かって手を伸ばす。
広く殺風景なこの白亜の城、磨き上げられた広間、玉座の間。
広すぎるその場に漂う空気はひどく空々しくてうすら寒く、真白の空間の裏に血の生臭さが満ちている、
そこに詰める兵士はひとりもなく、彼女がただ唯一の城の住人、虚飾の女王としてきらきらしい王座に座って俺を迎えたのがおよそ三日前。
数か月前には先代のアリスと連絡が取れなくなり、教会は先代がハート女王の討伐に失敗したとの見解を示した。そして俺が新たに正式なアリスの称号を受けた。
白兎の先導によって、魔法の霧に深くふかく隠された城に辿り着き、城門から先はひとりで向かう。
いにしえの詞に拠るとその扉はたったの独り、ハートの女王を倒すことができると伝えられる選ばれしアリスしか入ることの許されないから、多くの兵を募って彼女を倒すことはできなかった。
そうして何百年と、もしかしたらもっと途方もなく長く、生贄じみた独りぼっちの討伐作戦は続いていた。
──ハートの女王。
この世界を荒廃へと導く悪魔の化身、世界の敵。
──アリス
世界を救うべく天から遣わされた異世界からの使者、御使い、聖女様。
俺たちを彩るのは、とても綺麗な言葉だ。とても、とても。
けれど、その形ばかり丁寧で、実際に俺たちがそのように扱われたことなどなかったのだ。
それこそ魔女のように、悪魔のように。――かの女王のように。
でもそれが、その呼び名だけが、この世界に生まれ直してしまった俺たちのよすがだった。
数字でしか名前を呼ばれることのなかった俺たちが、唯一捧げられた、押し付けられた称号。
俺もアリス、千を飛んで四番目のアリス、そして彼女は何番目だった? 九百四十四番目のアリスだ。
華々しく、淋しく見送られて行った日を、俺は覚えている。
まだ九歳だった俺の頭を撫でた、優しいてのひら。
幸福なアリスたちの未来を約束して、去っていた初恋の彼女。
『お国のために頑張りましょうね、アリス。私たち、勝てばきっと優しくしてもらえるわ、よそ者なんて呼ばれないわ』
『本当に? ねえ、アリス、お母さんもまたおれに笑ってくれる?』
すがる俺に地面に膝をついて微笑みかけ、手をぎゅうと握って力強く頷いてくれたアリス。彼女は、そのときまだ16だった。
『ええ、ええ、本当よ。だからしっかり剣の稽古をするの。女王に負けたりしないようにね。でもね、でもね、私が女王に勝つかもしれないわ。そしたら私たち、みんな、すぐにも幸せになれるのよ。前のアリスたちの分も、幸せになれるの。だから、いい子で待っていてね、アリス』
握られた手は震えていなかった。
けれどその声の末尾は震えてやしなかっただろうか。目元の朱の理由は。
帰ってきたアリスはひとりだっていない。ハートの女王は不敗の魔物。
泣きたいのは彼女の方だっただろうに、小さな女の子に先に泣かれては、彼女が気丈に振る舞うしかなかったのだろう。けれどもはや彼女の先のアリスはなく、否応なく順番は巡ってきた。
『待っていてね――――アリス』
逃げ出したい気持ちを堪えてこらえて、彼女は旅立った。そうしなければ、あとに残されたアリスたちがどういう運命を辿るか彼女は知っていたし、どちらにせよ白兎は職務を遂行する。
『幸せになりましょう、私たち』
――――――――――その彼女が!
冷たい大理石の床に血まみれで倒れ、俺の剣に四肢を切り裂かれ、今にも事切れようとしている。
むせ返る血の臭いのせいだけでなく、眩暈がして吐きそうになる。
彼女から溢れる血はもはや止めようもなく、腹に空いた穴が埋まることも決してない。
俺に魔法は使えない。アリスたちは魔法を使えない。
武器を扱うことだけを教わってきた。
擦り傷を治す程度の基礎魔法でさえ、俺たちは使うことを赦されなかった。
(どうしてどうしてどうしてどうして――――――――――――――――!)
この手は。
(この剣は、)
ハートの女王を屠るためのものだったはずだ。
(――――なのに何故、)
――――――俺 は 彼女 を 殺 し て い る ん だ !!!?
日付の感覚がなくなるほど剣を交わして躱してかわして――、やっと、ついに、仕留めたと。
――死出の旅だと知っていた。
それでも自分が、そうでなくても次のアリスが。
ハートの女王を倒して世界に平和をもたらして。
異世界からの転生者だという理由で、狂人のように、おぞましい化け物のように扱われなくなることをずっと祈っていた。
教会の私設部隊の中でもできる限りに隔離された兵舎で、戦う練習をして、狂ったお茶会で心を慰め、あったはずの名前を忘れ去り、互いをアリスと呼び合う奇妙な俺たち。
全てすべてを諦めながら、花園に閉じ込められながら、それでもこんな結末を許容していたわけはない。
霧を纏った女王との激しい剣戟の応酬の末、俺のひと振りを眼前で受けた刃が折れた。霧が霧散し、刃が床で甲高い音を跳ねさせた、あの瞬間。
美しく長い金髪の隙間からゆっくりとあらわになった白い横顔が、誰かに似ているなんて気づきたくはなかった。
あれから十年の歳月が流れたのに、彼女はあの日別れたままの美しさ。
けれど心臓を貫いた俺の剣を抜けば、たちまちのうちに彼女は死ぬだろう。肌の白さはもう、床の色と見分けがつかないのだ。
目の前が真っ白に弾けて、心臓が嫌な音を立てて暴れだす。
グラグラと頭が揺れる、身体もがたがたと震えだす。
剣を握った指はもうすっかり強張って手から外れない。彼女の傷を広げるばかりと分かっているのにその手は腕は彼女の心臓を穿ち続ける。枯れ果てたはずの肌の上に、じっとりと血と混じった汗が滲む。耳を塞ぐことは叶わない、お願いだ彼女の苦悶を聞かせないでくれ!!!
どうして、疑問ばかりが頭を満たす。
どれだけ化け物のように扱われようと、俺たちはこの世界の聖女だったはずだ。
「な、 あ、……ぁあ、 あ、ッ」
食い縛って削れた歯を無理やりに浮かして、俺は喉を絞って声を出す。
粘った鉄錆の味が口腔を満たす。
「――――――ッなぜあなたが女王の真似事なんてしているんだ!!!!!」
喉から迸るのは血の絶叫、
叫ぶ俺に彼女はこわばった頬を持ちあげて、なんとか微笑みを見せようとした。諦念交じりのそれは、かつて木漏れ日のしたで見上げたやさしい表情そのもの。
彼女の赤黒にまみれた唇は、ゆっくりとやわらかに、残酷な言葉を吐く。
まねごとでは、ないの。
「―――― わたしが、 じょ、 おうなの」
喘鳴交じりの、掠れ切った声で彼女はささやく。口の端から上ってくる血が喉に絡まってむせている。
「 そして、 あなた が、 次の、 女王 はーと、の じょおう」
ずたずたに裂けた、手とも呼べないそれを伸ばして彼女は俺の頬に触れる。
「わたしが しんだら あな た が、 じょ おう」
「 ……どういう」
うたうように告げられる、その言葉を理解することを脳が拒否する。
「わからない、の? ほん とう、 に?」
俺はゆるゆると首を振る。分かりたくはない。彼女はアリスだ。俺もアリスだ。
ハートの女王ではない。
──それを倒す為に遣わされた。
♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢
女王が暴威を振るうこの世界で、唯一対抗できる組織を持つのが教会だった。
前世の――異世界での記憶を思い出した人間は、この国では人として扱われることはない。
異邦者――おぞましいアリスが躯の中に入り込み、元の子どもの魂を食い尽くしてなり替わるのだ、と云い伝えられ、悪魔のごとく扱われるのだ。
……それがすべて、間違っているとは言わない。
転生者であることを思い出してしまえば、以前のままの人格でいられるはずもない。
俺はそうだった。ほんの子どもの頃のこと、アリスが何たるかも分からず、俺は自分がアリスであると白状してしまった。
元の♦︎♢を返してと泣きわめく母親、父親を初めとする周囲の暴力、それは前世いくらそれなりの大人だったとはいえ平和に生きてきた日本人には耐え難かった。
まして記憶が戻るまでの俺は、たった八歳の子どもだったのだ。
突然混ざり合う記憶、女の躯、見も知らぬ光景に正気を保つ方が難しい。
心神喪失状態で俺は、アリスがいると通報した近所の人間のおかげで教会に”保護”されることとなった。
教会の武装組織、『アリス部隊』はそういった転生者のみが所属していて、けれど似たり寄ったりの経歴の俺たちは記憶の大部分がまともでない。
差別されることが当然の俺たちが願うことは、なんとかして人として受け入れてもらうことだけだ。傷を舐めあうようにお互いではなく、この世界の住人に受け入れられたかった。
ハートの女王はこの世界の絶対悪だった。
彼女は世界を、人類を滅ぼそうと魔法を使い、天変地異を起こした。
魔物をけしかけ、村を襲った。
それに唯一対抗できるのが異世界人である俺たちだった。
この世界に転生してきた意味。
持って生まれも何の役にも立たない記憶、ただ迫害されるだけの俺たち。
ハートの女王を倒せば状況は変わるだろうと言われれば、死地にだって喜んで向かってしまう。
ましてそれが、アリスにしかなせない役目なのだと言われれば、期待は高まる。
その結末が、これなのか。
同じアリスだった彼女をなぜ俺は、刺し貫いているのだ!?
「わかる、わ。 あなた、も。 わ、 わた し、しねば。 わかって、しまう、 わ……」
「あなたを死なせたくないんだ!」
「こ、の城は。 じょお、う の、シロ。ひとりの、じょおう、の ため、の……シロ……。ふたりは、いらないの……」
……ごめんなさい、と彼女は心底悔恨をにじませた声で呟いた。
左目から溢れる涙はこんなところであってもひどくひどくうつくしいのだ。幼い日の恋心が疼く。金のまつげに宿る水滴が自重に負けてほろりと落ちる、そんな様さえ心に迫る。
半分顔が潰れていても、その残りの面影は汚れていようと彼女のままだ。
「ころし てあげられなくて……ごめんなさい ね……」
それが慈悲だったのだとおそらく彼女は本気でそう思っている。そしてきっと、それは正しいのだろう。
あの頃の面影を纏ったまま、この城で彼女が過ごした十年。
なにものの音を聞くこともない静寂の十年。
彼女がここで足踏みをした歳月。
「わたしのやくそく、まもったのね……」
「強く、なっただろう」
その先はどうしてものどに詰まって言葉にできなかったのに、彼女は口にしてしまう。
「ええ、――ええ、アリス。……わた、しを。 ころせる、 くらい、にね――」
「あなたと生きたかったのに……!」
「ここで、のそれは、――きっと地獄よ……」
残った目を細めて、彼女は言う。
その方法を知らない俺たちは、この魔法の霧にまかれた城からは出られない。
食べるものも飲むものすらない、生き物の気配は互いしかなく。時たまのその血塗られた訪い以外に、心を慰めるものもなく。
時を止められ生きながらえる城の主人と、まだ人間でしかないアリスたち。
どちらかが生きるためには、どちらかが死ぬしかすべはないのだ。
「どうして、俺たちがこんな目に遭わなけりゃならない!」
(あなたが。 ――こんな目に、)
――たとえこの世界に落ちてきたことが罪だとしたって、前世の記憶を持つことが悪だとしたって、それで俺たちが、何かをしたわけでもない。
ただ生きていた。生きていたかっただけだ。
愛されたかっただけだ。
「いまに、わかる、わ ……。言ったでしょう―――――」
いくつかの言葉と、遺される俺のために流された涙。
それが、彼女の今際だった。
「あ、ァあ……アリス……! アリス…………ッ」
呼吸を失い、またたきひとつの間に彼女の亡骸は城の霧がさらってしまう。あふれた血も、まとっていたドレスすら。彼女の名残は一片すら、ぬぐい去ってこの世界から消してしまう。
「ああ、嘘だろう、アリス! アリス!」
俺の狂乱の声を聞くものは、もはやもうどこにもいないのだ。
床のタイルに突き立てた長剣がまるで墓標のようでそれがどうしようもなくやりきれなくて、気が狂いそうだ。
俺たちはアリス、何者にもなれないまま死んでいく。
―――――いや
たったひとつ、ここに彼女の遺したものが。
彼女の全てが消えたあと、剣と床に縫いとめられていた小さな女王の王冠。
ひび割れた床から引き抜いた刀身は、誇らしいまでの銀色に輝く。
金の王冠はそれ自体が光を発するようにきらきらしく、赤の名残はどこにもなく。
信じられるか、さっきまで、これは人ひとり分の血でべったりと汚れていたんだ。
慕わしい彼女の名残に手を伸ばし、指先が、
「――――――ッッッッ!??」
――突風とともに視界を焼かんばかりに発光し、床に広がったのは赤い陣。時計を模した教会の魔方陣。
心臓がどくりと不吉な音を立てている。
そこに刻まれた魔法がなんなのかは分からなかったのに、判ってしまった。
一瞬ののちに俺を書き変えて消えた魔方陣、俺は咄嗟に剣の柄を握る。
返す剣の切っ先が向かうのはまだ動くただひとつの心臓へ。
俺たちはいずれ愛されるために、アリスの名前を甘受したんだ。その名がいずれ、世界へと燦然と輝くために。
――――間違っても、ハートの女王などになって、世界を滅ぼすためではなかった!
なかった。
「――ふ、ふは、は――――ッ」
痛みは一瞬、死の気配も一瞬。
「フっ、あハははははっ」
傷はあっという間に癒え、心臓は再び鼓動を始め、飛ばした首なら元通り。
ずたずたに裂けた服は真新しいドレスへ。
乗せた覚えもない王冠は、ちょこんと整えられた黒髪のてっぺんに。
甲高い哄笑が広間に満ちる。
知っていたか、俺だって死にかけだったんだ。
やっとのことで、あのとき女王を追いつめたんだ。
彼女は本気で俺を殺そうと思っていたし、剣筋に一切の躊躇いはなかった。
なのに彼女が与えてくれた傷すら、今はない。
玉座の据えられた底から霧が湧く。世界を衰退へと導き、魔物を生み出す女王の霧だ。
新たな女王に喜んでいるのか、
誘うように、玉座の周りで揺れている。
「――――いいだろう!」
俺は吼える。
逃げることのできぬ運命ならば、みずから呑んだ方が良い。
床を叩く靴の音は高らかに。
きざはしを登る足は力強く。
ちいさな少女の身体には見合わぬ巨大で豪奢な張りぼてに、俺はドレスの裾をひるがえし傲然と腰を下ろす。
眼下に見える空隙のなんとむなしく滑稽なことか!
俺にまとわりつく霧はこの世界の負債のすべて。世界の法則が違うこの世界で、消費される魔法の結果生まれるもの。
俺はそれを識ってしまう。
滅びゆく世界は誰の意志でもなく滅びようとしていたのだ。
異世界から墜ちてきた特別なエネルギーを持った魂は、それをほんの少しだけ遅らせることができるだけ。
それに教会が気づいたのは、俺たちにとっては不幸だったが彼らにとっては幸運だったろう。
砂漠の水一滴よりも、ほんの少し効果があるだけ。
生める緑はかすかなもの。
魔法を使う限り永遠のイタチごっこだ。
それでもこの霧は何より異世界のこの魂と結合することを好むから、エネルギーが喰い尽されるまでは、ここでこうして生も死もあいまいにして存在し続けなければならない。次の贄が現れるまで。
女王なんてどこにもいない。
きっとどこかに原因を押し付けたほうが、誰かにとって都合が良かっただけ。
終わりのない戦いになんて、きっと誰も行きたくないのだし。
だから独りずつ閉じ込めて、細々とこの世界の命を永らえている。
それが教会がかけた、俺たちへの呪いだ。
俺の中に浸食し、霧は少しでも早く俺を食いつくそうとする。こちらに集中しているから、城の外に出ていう量は減る。
そしてしばらくすれば、また新たなアリスが来るだろう。
俺の知っている、栗毛の可愛い子、千をとんで五番目。
俺は彼女を殺すだろう、そしてその魂を喰らって、また、生きるだろう。
それを続けてつづけて、九百四十四番目の、彼女のように死ぬのか、
それとも。
「――この魂、この身すべてをを呉れてやる、」
俺の望みはたったのひとつ。
――――霧よ、
「世界を滅ぼす力を」
伸ばした手の先、剣の先、世界の果てにある城から、燦然と輝く教会の塔の御旗に向ける切っ先は、霧をまとって禍々しくけぶっている。
ただ黙って喰われてなどやるものか。
俺たちに魔法の力なんてなかったのだ。
けれど霧を惹きつける力を持ったアリスは、その霧とまじりあってしまった今、もとのままではいられない。生みだされる魔物たちは霧を纏って城の外へと駆けていく。
「我が名はハートの女王、この世のすべてのアリスを殺しつくし、世界へと復讐するものなり」
霧は嗤った。
そしてただ諾と言い、俺に忠誠の口づけをする。




