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92話 過去7

 扉の隙間から俺たちは店の様子を伺う。状況は動きつつあった、魔術師の男は魔術式の構築を終えていた。もはや一刻の猶予もなかった。


「行けるぞ」


「おお、ようやくかよ」


 そんな会話が聞こえたところで俺はすぐさま動いた。扉を開け放って、馬鹿正直にホールに姿をさらさした。 


「馬鹿が」


 武装した隻眼の男が俺に向けて銃を構えた。愚直な特攻をあざ笑って。


 確かに何の手立てもなしにそうしたのなら愚かな行為だ。一度だけ見せてもらったあの技術さえ知らなければ。


『難しいよ。外に発現する気功と内を強化する気功を同時に爆発させる。高等技術だからね』


 などとセレスは得意げに胸を張って説明したものだ。それは縮地と呼ばれる高速移動術。確かに練習では一度も成功していない。ぶっつけ本番だ。


 俺にできるか。わずかに迷う。だがすぐさま雑念を断ち切り意を決する。できるかできないではない、やるのだ! そうしなくては死ぬだけのこと。

 

 死んでもいい。ここで何も成し遂げられないのならばそれでもいい。俺にとっては死は物心ついた頃から近しい隣人だった。いまさら何を恐れるというのだ。


 彼女の眩い笑顔を守れないのならば俺の命にどれだけの意味がある。セレスが己の信念を捻じ曲げてまで逃げることを拒んだように、俺もこの場でこの命にかけて信念を通してみせる。


 強く踏み込んだ瞬間、視界が高速で動いた。足に宿したマナを操作し、爆発的な初速を得て身体が軋むほど負荷がかかった。成功だ、銃弾の雨を掻い潜り、スライディングして床を滑りながら店の反対側まで行って、なんとか止まる。決して悪くない位置だった。


 机の影から身をさらし、ナイフを男に向けて投擲した。


「下手くそが」


 軽快なステップで隻眼の男は躱した。そのまま反撃しようとしたところで。

 

「後ろだ」


 魔術師の男が警告を発した。隙をついてロイスが背後から突進していた。俺の役目は誘導と陽動であった。防御は得意だが攻撃がいまいちなロイス。攻撃はできるが防御が壊滅的な俺。両者協力して敵を叩くことでようやく光明が差し込むのだ。


「舐めやがって」


 傭兵の男は景気よく銃弾をお見舞いするが、ロイスは魔術の壁を射線に斜めになるように構築して上手く防ぎきる。傭兵の男は銃弾が効果が薄いとみて魔術に切り替えた。懐から取り出した球体の魔道具を地面に放ると、爆炎が燃え上がってロイスを襲った。しかしその火から飛び出す姿があった。恐れることなく火中を突っ切って進んだのだ。


「ちっ。堅いじゃねえか」


 距離が詰まり切り、男は魔術を準備して迎え撃つ構えを見えた。


「何のつもりなんだ。このガキ」


 対格差のある大人に接近戦をしかけようというのだ。疑問も当然、そしてその答えはすぐ明らかになる。ロイスは一つの魔術を発動した。すると魔獣がギョロリと目を動かして、それに反応した。けたたましく鳴き声をあげた。


「てめえ!」


 ──自爆覚悟、傭兵の男は状況を把握して焦りを見せた。


 刹那の間に事態は動く。まず黒衣の魔術師が召喚魔を消そうと動いた、同時に俺は物陰から飛び出した。その意味は選択を迫ることだ。召喚魔を消して隙を作るが仲間を助ける、もしくは隙を嫌って静観するか。俺たちにしてみればどちらでも構わなかった。


 魔術師の男は迷うそぶりも見せずに容易く見捨てた。魔術の波動とともに熱波が肌を照り付ける。視界のはしにロイスの様子を捉える、彼は男を盾にして防御魔術を全開で展開していた。なんとか生きているようだったが、意識を失っていた。助けは期待できないということだ。俺と黒衣の魔術師との一対一になる。


 ここからは賭けだった。男が反撃を選択すれば俺は死ぬ可能性が高い。きっとこの冷徹な男は子供相手でも容赦はしないだろう。だがその冷たさゆえに目先の小事より目的の遂行を優先させるはずだ。相手は子供で魔術を使っていない、マナは貧弱で、ただ走り寄ってきているだけだ。脅威ではないと考えるはずだった。


「すべては遅い。魔術はなった」


 時空が軋み歪んだ。魔術が発動する、まさに俺はその時たどり着いた。男のもとに。俺が魔術を操る男の腕を掴むと、歪みは消え去り地鳴りのような世界の揺らぎは収まっていった。


「これは」


「マナ操作が甘いな。しょせんは遠隔操作だ」


 マナに干渉して魔術を無効化したのだ。おそらく二度は通用しない隠し玉。この事態にも黒衣の魔術師に焦りは見えない。魔術はすぐに再発動できるはずだ。次は先に邪魔者を消しにくる。それを捌き、畳みかけるだけの力が俺にはなかった。


 そこでロイスからもらった連絡用の携帯端末の出番だ。


「正気か?」


 男は静かに問いかけたが俺は躊躇いはしなかった。即座に端末を起動すると魔獣が無数にある眼を俺たちに向けた。


「私は人形だと分かっているはずだ。死ぬのはお前だけだ」


 びりびりと鼓膜を震わせる中で男の囁く声は不思議とはっきり聞こえた。


「だからなんだ」


「命が惜しくないのか?」


「それ以上に守るべきものがある!」


 信念を捨てて掴む生とは、それは俺が幼少期の大半を過ごしたあの暗闇の中に戻ることなのだ。がらんどうの器には虚無と苦痛だけがあった。俺はそんなものはいらない。


 男がぱちんと指を鳴らし、魔獣は消え去る。


 それでいい、これはその一動作を作るためだけの特攻だった。千載一遇にして最後の好機。まさにここしかない。拳を握りしめる。


 攻撃の予兆を感知したのか男の姿がかき消えた。転移魔術だ。この瞬間もう一度、縮地。ある地点へ向けて。


 頭に割れるような痛みが走る。ほとんど限界点だった。わずかなタイムラグののちに俺の目の前に男の姿が現れる。


 転移魔術には制限があると、そう読んだ。傭兵たちの転移と魔獣の召喚、その時に二度使用した呪符、床に捨てられていたその呪符に向かってしか転移できない。これほどの魔術が予備動作なしで発動できるとは考えにくい、それゆえの読みだった。


 魔術師の男は即座に反応を見せる。だが俺のほうがわずかに速かった。着地など考えていない、全ての勢いを拳に乗せてぶつかるのみだ。


 狙いはマナの集中している胸部、おそらくそこには人形の核となるものがある。出し惜しみなどせず、残りの力の最後の一滴まで振り絞った。移動しながの瞬き程度の間に体中からマナをくみ上げて練り上げ、打撃と一部のずれもなく同時に爆発させる。


 偶然の発想だったが気功を越えた気功の技、それに手をかけたその拳は人形の身体を容易く貫いた。

 



「惜しかったな」


 頭上から声が届く。少し身体を押されただけで激痛が走って地面に蹲った。目線を上げて男の姿を見れば、胸に大きな穴が空いていた、しかし急所を捉え切れていなかった。


 攻撃はわずかに届かなかった。男の指先から放たれた極小の風の刃が俺の腹を抉っていたためだ。すっぱり切り裂かれた腹部から血が流れ出していた。


 だが目的の半分は果たしていた、靴裏で血文字で書かれた魔術式を擦り、形を変えていた。もはや用をなさないだろう。それを確認した男は一片の慈悲もなく、魔術をつむいだ。

 

「駄目!」


 セレスが男に身体ごとぶつかって魔術はそれる。バンッ! と俺の顔のすぐそばの地面で弾けた。セレスが割って入らなければ間違いなく死んでいた。


「やめて! 相手は子供じゃない!」


「子供だとしても戦う武器を持ち、その意思がある以上は敵だ」


「本気なの!? こんな子供を!」


「殺すべきものを殺し、死ぬべきものは死ぬ。ただそれだけのこと」


 いつも温厚な彼女がはじめて殺気に近いものを放った。男の首筋に蹴りを撃ち込むと、さらにそこを基点に着火して男が火に包まれた。だが。


「無駄だ。君の力の対策はしてある」


 手を振るっただけで風が巻き起こり火を吹き飛ばした。セレスが追撃しようとするが、男は「黒牢」と唱える。


 魔術師の男を基点として黒い球体が生まれた。だが自分もその内側に入っている、そう思ったが嘲笑うかのように魔術師の男は外側に転移した。


「時空間の牢だ。何人にも破れん」


 とことんこの男は底が知れない。これは初見では躱しようもないだろう。セレスは何度か力いっぱい壁に拳を叩きつけ、その結論に至ったのか叫んだ。

 

「お願い! お願いだからやめて! あなたの言うこと聞くから!」


「黙っていろ」


 セレスは泣いていた。なのに俺はなぜこんなところで地に伏せているのか。まだ死ぬわけにはいかなかった。死ぬとしても今ではない。床を掻きむしり、なんとか立ち上がった。


「逃げなさい! エル君!」


「……セレス」

 

 俺は引くことはしなかった。そんな体力は残っていなかったし、そうするつもりもなかった。


 ふと男の雰囲気がわずかに変わった気がした。かすかに瞳に感情を宿して、俺を見ていた。だが気のせいだったのかのようにすぐにそれはなくなった。


「罪とは身の丈に合わぬ欲から生まれるものだ」


 男は最後の魔術を放つべく腕を伸ばした。もはや俺にはどうしようもなかった。ただ見ているだけ。セレスが叫び、男が魔術を構築した。半ば死を覚悟した、その時──光が走った気がした。男の腕がずり落ち、遅れて店の壁面のガラスが一面砕け散って舞い落ちる。


「勇敢な少年だ」


 降り注ぐガラスの中から現れたのは杖を持った神父であった。背後には修道服を着た青年を連れている。


「エカード様。私はロイス君を」


「いや、いい。下がっていなさい。君では荷が重い」


 荒事と無縁なはずの神父は一切怯むことなく店内に足を進めた。


「神父が何用だ」


「私は騎士だ」


 神父が杖をねじると刃が現れた。仕込み杖だ。


「世界にあだなすものを排除する。それが我らの存在意義」


「守り手か」


 魔術師の男の千切れた腕の断面からマナの糸が束になって蠢き、腕を拾い上げて接着する。懐から呪符を取り出して握りつぶすと、燃え上り塵となる。封じ込められたマナは形をなし、男の両手の指に黒い光が宿った。彼は腕を交差させるようにして軽く振るった。


「次元斬」


 薄く広がった黒い光は無数の線となり、格子状に絡み合いながら通り過ぎたあらゆるものを粉微塵に切り裂いていく。机も椅子もカウンターも建物も、あらゆるものが紙切れのように切断されていった。


 神父に魔術が迫る、彼は落ち着いて剣を持ちあげると、そこに禍々しい闇を宿した。そして魔術に向かって剣を一閃、信じられないことに黒い光を断ち切った。


 魔術によって切断され、崩れ落ちている景色の中で神父の周りだけが空白地帯となっていた。たった一度の魔術の応酬で店は半壊し、爆撃でも行われたように無残な姿になっている。


 神父もおそろしい使い手だった。伝承に残る時空間魔術はあらゆる防御を無効化するはずであるのに防いでみせた。


 彼らは互いに二の手を即座に放った。魔術師はさらに大規模魔術を構築し、神父の四方八方全方位から魔術を降らせた。神父はその雨を掻い潜り間合いを詰める。風魔術を使用した圧倒的スピードだ。


 二人の身体が交錯する。とん、と軽やかに着地した神父の剣の先には人形の核となる魔道具が突き刺さっていた。


「どうやらこれまでのようだな。今回は私の負けだ」


 人形はただの土塊に戻り、崩壊しようとしていた。


「今代は優秀な守り手だな。死を司る神からここまで色濃い恩寵を受けるとは。きっと多くの者を殺してきたのだろうな」


 その言葉は称えるようであり、罪を責めているようでもあった。


「時空間魔術。お前は」


「ご明察だ。我々は同類。神々の恩寵を受けしもの」


「狙いは彼女か」


 神父はセレスに視線を送った。

 

「かつては一つであった神々からの恩寵を受けし兄弟よ。忠告しよう。終わりの時は近い。いずれ蝕害は目覚め、この世界を破壊するだろう」

 

 男は言葉を続けた。


「その前に本当に守るべきものは何か、よく考えるのだな」


 それだけを言い残して、完全に人形は崩れ去った。風に吹かれてさらさらと飛ばされていき、もはや残る男の痕跡はこの周囲の惨状のみだった。

 

「馬鹿!」


 と自由になったセレスは俺のもとにすぐにすっ飛んできた。


「なんでこんな馬鹿なことを! ああ、もう!」


 セレスは慌てながらも治癒魔術を唱えた。傷口に降り注ぐ光から暖かさを感じた。それで力が戻ったわけでもないが、なんとか身体を起こした。


「動いちゃ駄目だって!」


 慌てふためく姿に思わず笑みがこぼれた。そんな俺を見てセレスは眉を吊り上げた。


「何で笑うのさ」


「楽しいから」


 そう。悲しいのに笑うわけがないのだ。セレスは意表をつかれたのか固まった。


「俺はずっと死ぬことなんて怖くもなかった。いつ死んでもいいって思って生きてきた。だけどあなたのおかげで楽しかった。だから助けたかったんだ。例え死んでも後悔なんかない」


 瞼が重くなってきたのを感じて軽く目を閉じる。かつて世界は暗く冷たいものに過ぎなかった。それが今や鮮やかに息づいているのが分かる。


「感謝してる。もっと生きていたいと思わせてくれて」


 こぼれた涙が俺の手に当たって弾けた。


「ばーか。遺言は早いぞ。約束したろ。いつか私の姿を見せてあげるって」


 薄れゆく意識の中で神々しい光が見えた気がした。




 

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