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80話 終わりの時

 俺の視線の先にニースは座り込んでいた。もはや死に体、ほとんど力も残っていないようだった。俺が与えてダメージだけではない、全身が内部からズタズタになっていた。脇腹の傷は深いが治療すれば助かる傷だ。異質な力を取り込んだニースの守護壁は硬く、残虐王の恩寵量を備えた俺の全力の打ち込みも完全には届ききらなかったのだ。


「異端の力を使用した反動だ」


 話しながら距離をつめる。


「肉体組織が崩壊を起こしている、お前は死ぬだろう」


「なんだ。残虐王さまかよ」


 ニースが懐から拳銃を取り出したことで進めかけた足を止める。リボルバーに込められた6発の弾丸すべてを撃ち尽くした。乾いた破裂音とともに飛翔する弾丸を俺はひとつ残らず空中で受けとめ、弾丸をバラバラと地面に落とす。


「もはや何をしても無駄だ」


「なんか前より化け物になってねえか」


 ニースは残弾のなくなった拳銃を地面に放った。


「今お前は何を思う?」


 わずかに距離を置いて立ち止まり、ニースを上から見下ろした。


「後悔か? 絶望か? 憎しみか? 怒りか? それとも救いを求めるか?」


「……神々に会いたかった。あんたならいずれ会えるのかもな」


 ふと、かつてのニースの言葉を思い出した。この男は以前も似たようなことを口走っていた。


「なぜ神々を求める?」


「決まってる。ぶっ殺して俺が神々になってやるのよ」


 くくくと笑い、のんきに煙草を吸い始めた。暗闇の中で頼りない火がともる。ゆらゆらと揺れて今にも消えてしまいそうだった。


「残虐王、お前は約束を守るのか?」


「何の話だ」


「亜人を解放すればイリナ姫を解放すると」


「当然だ」


 その言葉でニースはわずかに安堵したようだった。あのアリーチェ・リノンのように取り乱すと思っていた、レギルのように怯えるものかとも思っていた。しかし彼は死期を悟ったのか静かなものだった。


 あまりにも静かだった。ニースはどんな時も飄々として、人を食ったようなことを言う男だった。死の間際でさえそれは変わりはなかった。


 俺の求めた復讐とはこんなものだったのだろうか。裏切りによってこの男はいったい何を得たのだろうか。


「お前らしくもないことをしたものだ。不利な賭けはしない流儀だったろうに」


「ずいぶん知ったようなことを言うな」


 知ったようなではない、よく知っている。俺はニースをこのまま死なせることを良しとはしなかった。


「俺はエル・デ・ラントだ」


「何を馬鹿なことを」


 冗談とでも思ったのか鼻で笑った。


「信じられんだろうが残虐王の身体を乗っ取った」


「本当に言ってるのか?」


「お前はイリナ姫とのポーカーでイカサマをしていた。バーテンにのぞき見をさせてな」


 これはあの場にいた人間しか知らない情報だ。意図は伝わっただろう。


 ──何を見せる。懺悔か。後悔か。俺は意表を突かれる。なぜならニースが高笑いをしたからだったからだ。愉快そうに大きな笑い声をあげた。


「こりゃあ傑作だ。またお前に負けたってわけかよ」


「何がおかしいんだ?」


「まったく。これが笑わずにいられるかっての。敵に回したら最悪な奴だと思ってたら、ここまでとはな。残虐王の身体を乗っ取ったって。ははっ。神々の存在を信じたくなったぜ。真面目に頑張ってきた報いってやつなのかもな。そして俺はこのざまだ」


 ニースはなぜか楽し気に語る。


「レギルのやつも不憫なやつだ。こんなやつに付け狙われるなんてな」


「ニース。どうして俺を裏切った?」


 ある意味で言えばニースの裏切りの理由が最も理解できなかった。看守は借金が云々などと言っていたが、この男は人から借りた金を返すために裏取引をするような、そんな殊勝な男ではなかった。当然の顔をして踏み倒す男だ。


「俺はお前が羨ましかった」 


「剣の腕以外何もない俺のどこを羨ましがる必要があった」


「お前は持ってた。剣以外にもな。イリナ姫があそこまでお前の行方を捜すなんて思いもよらなかったか?」


 それは事実だった。あのイリナ姫がこんな辺境に俺の行方を探しに来ているなど、完全に予想の範疇の外だった。だからこそ疑いもした、彼女は俺を抹殺しに来た手先なのではないかとすら。


「エル。手に入らない花こそ最も美しい。そうは思わないか?」


 ニースは深いため息とともに呟いた。話の流れで俺もすぐに理解が及んだ。


「惚れてたのか。イリナに」


 にやりと笑った顔は肯定を示していた。


「馬鹿な野郎だ」


「知ってるだろ。俺は救いようもねえ悪党だ。くそ馬鹿野郎だっての。そんな俺を英雄にまでしたのはイリナ姫だ。俺はお前を裏切ってでもあいつが欲しかった。レギルなんぞに渡したくなかった」


 ニースがしたことは許されざる裏切りだ。悲劇を振りまき薄汚い行為を繰り返した悪党だった。だが彼はもう既に命を落としつつある、死を賭してなお捧げる思いには、少しばかり報いてやろうと思った。


「最期に何かイリナ姫に伝えたいことはあるか?」


 ニースの驚いた気配が伝わった。


「エル。お前変わったな」


「変わった? 俺がか」


「ああ。前はもっと冷たかった。剣しか興味がない狂犬じみた頭のおかしな野郎だった。そんな野郎にあいつが持っていかれるのが悔しかったんだ。今のお前は嫌いじゃないぜ」


「くだらない話をしている時間はないぞ」


「構いやしねえ。言うことは何もねえ。俺は今まで好き放題生きた。奪い蹂躙し虐げてきた。多くの者に不幸をふりまいてやった。もうやるだけやった、さすがにもう満足だ。いくら俺でもこれ以上の悪党になる方法は思いつかねえ」


 本当に何も言うつもりはないのか空を見上げたまま口を閉じた。彼の身体からじわじわと流れだした血が地面で版図を広げていった。このままではいずれ失血死することだろう。


「ニース。最期に答えろ。俺を裏切ったのは誰の差し金だ」


「確か……賢人会議とか名乗ってたな」


「賢人会議だと?」


 それはかつて世界の中枢にいたとされる、今ではそんなことを口にすれば鼻で笑われるような秘密結社の名前だった。数百年前にあった亜人との聖戦、その大遠征隊の裏側にいたとされる。今でも彼らの財宝がどこかに眠っているなど、くだらないゴシップとして語られていた。


 だが、つまらない嘘をついているとは思えなかった。


「理由なんざ知らねえよ。詳しいこともな。だが権力だけは本物だ。おそらくパラディソスの王さえ支配下だ」

 

「そうか」

 

 キン、と鯉口を繰る音色が響く。


「ニース。かつての仲間として、お前に慈悲を与えよう」


 体組織が崩壊する地獄の苦しみの中で死なせてやっても良かった。地べたを這いずらせて、惨めに殺すものだと思っていた。しかしこの男は既に死の覚悟を決めて、最初からこんな末路が訪れることを知りつつ戦っていたのだ。生粋の悪ではあるが、戦士の決意には報いてやるつもりだった。同じく戦士として。


「ふん。戦士の言う慈悲ってのは死刑宣告ってんだよ」


 もはやその力もないのか煙草が口から零れ落ちた。だがニースはそれでも立ち上がった。壁にもたれかかるようにしながらも。


「エル。最後に渡すものがある」


「なんだ」


「レギルの弱みの情報だ」


 ニースは懐に手を入れた。そして足を止めた俺の前に何かを放った。


 ──閃光発音筒。眩い光で目が焼かれる前に咄嗟に腕で目を覆った。


「慈悲なんてまっぴらごめんだ! 俺は憐れみは受けねえ。世紀の大悪党ニース様だぞ!」


 残った力をかき集めてニースは最後の反撃に出た。


 いつものような汚らしいやり口だった。最後の最後まで。それが彼の決めた生き方なのだろう。すべての力を振り絞ったといえ、ニースの攻撃はあまりに遅かった。俺は目を閉じたまま居合術にて抜刀しざまに剣を閃かせた。


「地獄で会おうぜ。エル」


 わずかに風がそよぎ、鮮血が飛び散った。一刀のもとに命を刈り取ったが、最後にニースの言葉が聞こえた気がした。


「ああ、地獄でな」


 刃はかつて仲間だったものの血でべっとり濡れていた。俺は悪でもいいと決めたのだ、だから行く場所はきっとやつと同じなのだろう。


「それまで俺は進むだけさ」 


 まだ何も終わってはいないのだから。まだまだこの復讐劇は序章に過ぎない。


「手に入らない花こそ美しい……か」


 ニースは高嶺の花に魅了された愚かな男だった。


 だが俺もまたそうなのかもしれない。


 高みへと登り詰めんために自らを磨き続けてきた。生きるために、自分の存在価値を示すために。そして失ってしまった少女を心の底で追い求めて生き続けてきた。家族の愛を知らなかった俺に姉のように接してくれた恩人である彼女を。


 それが強さを求めるという形で熾烈に表層に現れていた。それ以外はほとんど目に入らなかった。俺の以前の人生はそんなものだった。もう少し周りを見ていれば、レギルの裏切りにも気が付いたかもしれなかったのに。


 きっと一歩間違えればこの憐れな男と同じ末路が待っていたはずだった。それを変えてくれたのは……。死の淵より救い上げてくれたアステール、強く他人を思いやる心を持ったラナ、そして底抜けに明るいルシャ、彼女ら仲間たちの存在だった。


『マスター。さすがは悪の帝王です!』


 ルシャの能天気な声が頭に浮かんで微笑する。最後に一度だけかつての仲間に視線を落とし、踵を返した。


 帰ろうと思った、仲間たちのもとへと。

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