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73話 思わぬ来訪者

「いい演出だったろう。仕込みもばっちり台本通り。人は暗闇に垂らされる糸に縋りたくなるもんなのさ」


 ニースは物語の騎士のようにその場で跪いて礼を示した。


「姫。救いにきましたよ」


「柄でもないことを」


「そう言うな。他に適役がいなくてな。俺は意外とこの世界にゃ詳しいんだぜ」


 ニースの後ろにはさらに一人の男の姿が。それはレイチェルと口論になった男だった。


「彼もあなたの仲間だったのね」


「仲間じゃあない。少し催眠をかけただけだ」


 ニースの言葉通りあの騒ぎは仕込みでの台本通りだったことになる。より強い不安と不信を招くために行ったのだろう。


「彼は何のためにここに?」


「ここに立てこもってもらう。残虐王が帰ってきたら自爆させる」

 

「なんてことを……」


 さらりととんでもないことを告げる。男の全身には強力な呪いの魔術が刻印されていた。マナの結晶を身につけさせられ、虚ろな瞳で佇んでいた。あまりに非道。そのやり口に絶句した。

 

「さて鬼の居ぬ間にってやつだ。さっさと逃げるぞ」


 先導して歩き出したニースが足を止める。


「どうしたイリナ」


 せっかく仲間が助けに来たというのにイリナが逃げようという素振りを見せなかったからだ。


「……ニース。あなたは囮にするためだけの理由で人を殺したの?」


 彼は仲間ではあったがそれ以前は高潔さからは程遠い人間だったとよく知っていた。それでも信念を持ち正しい道を進んでくれていると信じていた。それがこんな真似をするとは。


「この世界にいるやつらなんて、ゴミみたいなもんだろ?」 


「そうじゃない。そうじゃないわ」


 必死に首を振る。この混乱を引き起こすために無差別に人を殺めた。そんなことを許していいはずがなかった。だがニースは面倒くさそうに顔をしかめただけだった。


「戦争じゃお前だって殺したろ。綺麗ごとは勘弁してくれよ」


 確かに彼の言う通りだった。今まで手を汚したことがないなど言えなかった。しかしだ。戦争、これを戦争にまで発展させないことが今必要なことなのだ思う。もし仮に人間と亜人が争う必要がないのだとしたら。残虐王の真実の姿は悪鬼などないとしたら。この地を守りたいと思う亜人たちを攻めることなど、イリナにはもうできなかった。


「早く帰ったほうが身の為よ。逃げられるはずがないわ」


「逃げるための算段はある。来るんだ。イリナ」


 伸ばされた手、この手を掴むことが本当に正しい道なのか、イリナには分からなかった。


 ずっと王家の人間としての責任を教え込まれ、その行動は常に正しくあれと躾けられてきた。イリナ正しくありたかったのだ。しかし正しいとはなんだ。これは救いの手か、それとも悪魔のささやきか。己の信念と堕落を引き換えに、パラディソスと世界の利を守る。姫であればそれができて然るべきなのかもしれない。


「イリナ。大丈夫だ。俺に任せろ。ちゃんと逃げられる」


 それでも迷っていると、部屋の外から物音が聞こえた。誰かが近づいてきている。まずい、と焦りが募る。ニースは口元に人さし指を当てて静かに応対しろと合図して天井の通気口に上った。鍵も開けずにどこから入ったかと思えば、それが答えらしい。


 部屋がノックされる。まさか残虐王が戻ってきたのか、ニースのすべての企みを看過して。そうしたらきっとニースとの戦いが始まることだろう。その時イリナはどうするべきなのか。英雄として魔王と戦うのだろうか。迷いながらもイリナは息を整えて返事をした。


「はい。どなたですか」


「少し、失礼してもよろしいですか」

 

「ええ」


 少女の声? と疑問に思う。


 扉を開ければそこにいた来訪者は意外な人物だった。


 ◇◇◇◇◇◇


 レイチェルはぼうと天井を見上げていた。幾何学模様を目で追う。つい先ほどまでベッドに寝転んで本を読んで過ごしていたが飽きて本は閉じてしまっていた。敵を討伐するべくレイチェルの主を含めて多くの亜人たちが都市を出て行った。レイチェルはその間、大人しく部屋で待っていろと言われていたのだ。外に出るなときつく言われていた。


 着の身着のまま来たが部下が影魔法に収納していた調度品が並べられて豪奢な部屋になっている。窓は分厚いカーテンで閉じ切られ光が入ることはない。本棚には好きな本がびっしり並べられ、刺繡やら編み物の道具やら、特に好きでもないが夜に時間をつぶすためのものが多かった。しかし今はどれも手につかず、物思いにふけって時間をつぶしていた。


「ふふ」


 笑みがこぼれて顔を覆う。己の主がいつになく優しい、思い出すと口元が緩んだ。残虐王は以前からあまり心の内を語るような人ではなかった。主君として越えられない冷たい壁があるように他者と接していた。それが最近は会えなかった3年間を取り戻すかのように優しかった。


 気分よく鼻歌を歌っていると、一つの記憶が浮かび上がってそれを邪魔した。


『彼女は凄く良い子なんだ。そんなことしない!』


 思い返すのは少年の叫びと、


『私も保証しましょう』


 敵であるはずの人間の姫が放ったレイチェルを庇う言葉。


「……何なの。人間のくせに」


 訳が分からなくて苛立ちがわき上がった。


「余計なことをして。感謝でもしてもらえると思ってるのかしら」


 どんなにいい人みたいに振舞っていてもしょせんは人間だ。いつ寝首をかかれるか分かったものではない。決して信用することなど、


『レイチェル。助けてもらったらありがとうって言わないと』


 ふと姉の言葉が脳裏をよぎった。闇夜に浮かぶ月のように優しく温かな人だった。彼女はよく人見知りをするレイチェルにそう言い聞かせたものだった。


「おねえちゃん」


 懐かしい記憶に付随するようにおぞましい思い出が襲い掛かる。高らかな笑い声が聞こえた気がして身体が震えた。一人だ、一人だと感じた。身体が冷えてどうしようもなかった。一人でいるのは怖かった。


 嫌な感情を振り払うようにレイチェルは頭を振った。そして立ち上がる、出かけて気を紛らわせようと。


「あ」


 扉を開けた瞬間、驚いて声を出す。目の前にいる少年も同様に驚いた顔をした。今まさにノックするという格好で固まっている。ウィルはレイチェルの部屋を訪ねてきたのだろう、ばったりと出くわした。


「な、何か用?」


 警戒しながらも問いかける。


「いろいろあったから調子はどうかなと思って」


「最悪。人間臭くて堪らないわ」


 つれない態度で返す。自室でくつろいでいたレイチェルは影人形ではなく本体で、怯えを見せれば侮られると思い、精一杯の強気に応対していた。


「そんなに匂うかな」

 

 ウィルは軽く笑って自分の袖を嗅いだ。そのひょうひょうとした態度に忘れかけていた腹立たしさが再燃して、ますます苛々とした。


「じゃあこれだけでもどうぞ」


 乾燥された緑色の葉が詰まった小さな瓶を取り出した。


「なにそれ」


「落ち着く気分になるっていう紅茶。お見舞いにね」


 ウィルは一歩踏み込んだ。瞬間にレイチェルは叫ぶ。


「近寄らないで!」


 互いに弾かれるように距離を取って、沈黙が舞い降りた。ウィルは申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめん。迷惑をかけるつもりじゃなかったんだ。じゃあ僕は」


 それだけ言ってさっさと踵を返す。ところで、 


「ま、待って」


 レイチェルは声をかけていた。何をしているのだろうかとレイチェル自身も思う。どうしてそうしようかと思ったのかも分からないまま続けた。


「い、言い過ぎたかも。今影人形じゃなかったから驚いただけ」


 姉の言葉をもう一度思い出す。


『助けてもらった時はありがとうでしょ』


 少し怒ったように見せる姉の顔がぼんやり浮かんだ。


『すべての者は憎むな』


 そして主の言葉。


 やはり人間を信用はしていない。だけど姉と主の言葉をないがしろにすることだけはできなかった。そうやって心の中で答えを見つけて、ホッとした。明確な理由がある、それならば仕方ないのだと。


「助けてくれてありがとう」


 ウィルは驚いたように目を開くが、すぐに「どういたしまして」と微笑んだ。


「どうして私を助けたりしたの?」


「なんだか君は妹に似てるんだ。喧嘩してアレーテイアに置いてきちゃったけど」


 それは良くない、かけがえのない兄妹が仲たがいするのは。なぜ人間というのは身内を大事にしないのかと吸血鬼であるレイチェルには甚だ疑問であった。


「私を妹の代わりにするより本物と向き合えば」


「うーん。やっぱりそっくりだ。凄く言いそう」


 ウィルは能天気に笑ってみせる。変な人間だなとレイチェルは思う。しかし不思議と苛々が治まり、肩の荷が下りたような気分だった。


 だがまだあと一人いることに気づいた。


「これからイリナ姫のところに行くから」


「それが?」


「……一人じゃ行けないから付き合って」


 そっぽを向きながら言うとウィルは吹き出すように笑った。


「何よ」


「別に何でも。いいよ。付き合うよ」


「ただし1メートル以上離れてついてきて。入ってきたら命の保証はないから」


 警告のためにビシッと指でさす。


「はいはい」


 それでもウィルは軽く返す。どうしてこの人間はこうまで能天気なのだろうか。レイチェルにはよく分からなかった。




 イリナ姫の部屋の前まで来たレイチェルはしばらく思案する。礼儀で影人形を使っていないため、どうしても緊張感が宿っていた。なんて話そうかと、必死で頭を働かせる。


「やばい。緊張してきた」


「なんであなたまで」


 目を向ければウィルまで青い顔をしていた。


「だって相手はパラディソスのお姫様だよ。王位継承権第一位の。世界中で憧れのプリンセスだ」


 超大国の姫ともなれば雲の上の相手だろう。だがそれならばレイチェルだって同じようなものだ。


「私も吸血鬼の姫なんだけど」


「分かってるけど。でも君は子供だからさ」


 上から目線の言葉にむっとした、自分は子供ではないとレイチェルは覚悟を決めて部屋をノックする。「少し失礼してもよろしいですか」と。しばらくして扉が開くとイリナ姫は目を丸くした。

 

「これはまた、珍しい組み合わせですね」


「失礼します」


「はい。どうぞ。何かご用ですか」


 イリナは優雅に微笑んだ。だがそこにわずかに硬さを感じ取る。彼女も緊張しているのだろうか? 


 黙りこくったレイチェルに何を感じたのか、ウィルが背後から「頑張れ頑張れ」と小声で言っていた。うるさいなと思いつつ口を開く。


「どうして私を助けたの? 敵なのに。亜人が憎くはないの?」


 イリナは考えをまとめるように目を閉じた。


「ただ、あなたは悪い子には見えなかったからです。人間を憎んでいるはずなのに、その子を助けた。立派な行いです。そんな子があんな真似をするとは思えなかった。私もあなたのように正しいことをしたかった、それだけのことです」


 その言葉を聞くと、するりと「ありがとう」と口から出ていた。


「庇ってくれて」


「いいんですよ」


 手が伸ばされて、レイチェルの頭を撫でた。姉を思い出す、優しい手だった。人間相手になぜか拒絶する気が起きなかったのは。


「あなたは、全然人間臭くないのね」


「そうなんですか?」


「うん。……ハーフなの? 強い精霊の力を感じる」


「私は純血の人間ですよ」


 ここまで精霊に愛された人間というのは珍しいものだった。やがてイリナの手が離れていった。


「ごめんなさい。私はこれから少し用事があって」


「うん。それじゃ帰る」


 頷いて、じゃあねと軽く手を振ると、イリナ姫も安堵したように手を振って返してくれた。目的も果たしたことで気分は快適、スッキリ爽快だった。人間の中にも不思議な人がいるものだと発見を新たにして外に出ようとした時に。


 ぞわっと強い殺気が肌を撫でた。これは自身に向けられたものではないとレイチェルは察知する。咄嗟に隣にいたウィルを突き飛ばして庇った。そして訪れる強烈な痛み。


「がは!」


 炎であぶられたように灼熱の痛みが襲う。身体を鈍色の刃が貫通していた。聖銀の刃が的確に心臓を捉えてつき立っている。だがこの程度は致命傷ではない。敵の姿を確認しようと振り向きかけたレイチェルの目が捉えたのは、無数の刀剣が降り注いでくるところだった。


「ニース!」

 

 同時にイリナの絶叫が室内に響いた。




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