閑話 ラナの本性はいかに2
茶番回
本日は自由都市に帰ってきた翌日である。
俺たちは数日振りかの休暇を取っていた。
普段俺について回っているレイチェルは主戦派にメッセージを送るため姿を見せず、ルシャは散歩に出かけている。珍しく一人になれる時間が取れて、物静かに読書に耽っていた。アステールやザルドも各々過ごしているのだろう。そんなわけで現在はラナがただ一人顔を見せにきていた。
「どうぞ。置いておきますね」
そう言ってデスクの脇にお弁当を置いた。彼女はわざわざお昼ご飯を作ってきてくれたのだ。もちろん手作りだ。
「ありがとう。助かる」
礼を告げるとラナは照れ臭そうに微笑んだ。
彼女は最近まではカラーコンタクトを使用していたらしく、その瞳は黒目から金色に変わっていた。ずいぶんと自分の容姿に対するコンプレックスも薄れてきたようだが、それでも度が入ってない大きな伊達眼鏡だけは今でもかけっぱなしだった。
「エルさん。私はこのあと用事があるので、失礼しますね」
「ああ。気を付けてな」
「ありがとうございます」
頭を下げてラナが出ていくと、ぱたんと本を閉じる。これは本を読むふり、擬態だったのだ。実際に読んではいたが、本来の目的は今日俺は読書で時間を潰すのだとラナに見せることだった。
知れば知るほどラナは不思議な少女だ。今まで触れ合ったところ結局はただの良い子にしか見えていない。今さら俺たちを裏切るとも思えなかった。しかし彼女の性格は天然なのか、それとも演じられたものなのか、俺はそれがどうしても気になっていた。
裏切る心配が別にないならもう気にしないというタイプの人間もいるだろう。だが俺は違う、気になったら延々と頭に残りこびりつき続ける、とにかく調べて明白にしないと気がすまない性格なのである。妥協を知らないといってもいい。
俺は無謀さと慎重さ、その相反するとも思える二つを併せ持ち、ここまで己の実力を磨いてきたのだ。今さら変えることはできなかった。
というわけで本日はラナの本性を探るべく、第二回目のラナウォッチングを開催したいと考えていた。
今度こそ見つからないように完全に気配を消しつつ、ラナのあとをつけていた。アステールにも注意を払っている。もはや見つかりようはないはずだった。
この休日にラナは何をするのかと思えばボランティアの奉仕活動、町の掃除の手伝いなどを率先して行っていた。それが終わると民家を回っていく。訪問先は病人や老人たちだった。
「いつもすまないねぇ」
「いえいえ。早く元気になってくださいね」
彼らに薬剤の入った袋を手渡した。自分でで歩けないものたちのために届けに行っているのだ。みんな顔見知りのようで、ラナも笑顔を見せていた。
お昼ごろになると、街はずれのほうにまで足を延ばしていた。こんな場所に何の用だと訝しむが、それからしばらくしてたどり着いたのは孤児院だった。
「おはよー。みんな」
「ラナだー」
「お姉ちゃんだ」
「おはよー」
ラナが顔を見せると子供たちの騒ぎが巻き起こり、すぐにちびっこたちが集まって、ラナはその中心でもみくちゃにされていた。
「こらー! がきども。ラナに迷惑かけるんじゃないよ。おやつ抜きにするぞー」
年長の孤児だろう。20歳前後ぐらいの女性が子供たちを叱りつけた。
「おうぼうだ―」
脅し文句がきいたのか、子供たちはきゃあきゃあ騒ぎながら退散していった。
「ありがと。ニーナ」
「こっちの台詞。来てくれてありがとうね。魔物退治で大変だったんでしょ」
「ううん。大丈夫。私はほとんど戦ってなかったから」
そこでラナは手に持っていたバスケットを見せた。
「クッキー焼いてきたらから、みんなで食べてね」
「わ。ありがと。ほんとラナは将来いいお嫁さんになれるよ」
ニーナという年長の女性がバスケットを持って「がきどもーおやつだぞー」と言うと、子供たちは一斉に群がっていった。
「おいこら! 行儀よく! 並べ!」
怒声が響き渡る中で、お菓子につられなかった一人の少年がラナのもとにやって来た。まだ10にもなっていない小さな少年だった。
「ラナ。最近どうして来てくれなかったの? 何かあったんじゃないかって心配したよ」
「ユーくん。ごめんね。お姉ちゃん少し用事があったんだ」
ラナはしゃがみ込んで、目線を合わせて言う。感極まったように少年がラナに抱きつくと、彼女は少年の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だからね。泣かないの。ほら男の子でしょ」
優しく囁く。そんなふうにラナは男の子が泣き止むまで彼のことをあやし続けていた。
夕方になるまで孤児院の子供たちと遊んで過ごし、日が傾き始めると帰り支度をし始めた。帰る際には子供たちに帰らないでと泣きつかれて困ったような顔を見せる。「また来るからね」と子供たちの頭を撫でて、ようやくその場をあとにするのだった。
本日の観察期間、彼女は完璧だった。今日という日に俺はいったい何をやっているのだろうと思わずにはいられなかった。これでは完全にストーカーではないか。
だがたった一点だけ気になっていることがある。ラナはやはり間違いなく良い子だ。怪しい要素など一つも見当たらない。しかしだからこそ逆に怪しい。完璧すぎて怪しいのだ。
まるで俺につけられていることを知っていて、完全な良い子だと振る舞っているような。他人からの信頼を勝ち取るためにあえてそう行動しているような。
ラナは帰り道にふと怪しげな骨董店で足を止めた。露天商だ。座り込んでラナが目をつけたのはとある髪飾りだ。手に取って何度か角度を変えて眺め、細部まで隅々チェックしていた。
それにしても反応がおかしい。それはいわゆる女の子が装飾品を見る一般的な感情ではなかった。普通はもっと瞳を輝かせるものだ。それなのにラナは寂寥感ある暗い感情を発していた。
まさかと疑念がもたげる。露天商などの行商人は都市から都市を行き来する者たちだ。安全に都市に忍び込む時に選ぶとしたら適役になる。そうでなくても売り物にメッセージが刻まれているなどいくらでも可能性があった。
ここで追跡を打ち切り、ラナがいなくなるまで時間をつぶす。
完全にラナの姿がなくなったところで、露天商のもとまで足を運ぶと例の髪飾りを手に取った。宿るマナも含めて特におかしなところはない。そう思ったところで、小さく文字が刻まれているのを発見した。パラディソスの言葉ではあったが意味をなしていない文字だ。
もしやと思考は巡る、これはあらかじめ解読キーを知らないと解けないタイプの暗号ではないのかと。装飾にあしらわれた宝石の種類が解読のヒントになっているのかもしれない。それともこの露天の全てがなんらかのメッセージになっていることもあり得る。それは現状では判断しようもないことだった。
内通──まさか、本当に?
「俺の目を見ろ」
「は?」
命令口調で言うと店主は呆気に取られて俺を見た。
目と目が合った瞬間に夢魔の邪眼を発動する。人を催眠に落とし込む魔術である。きちんと対策されると使いにくいが、適切な防御法をもたない相手には無類の強さを誇るのが、直接相手の精神や身体に働きかける魔術だ。
男の瞳からは感情が失われ、ぼんやりと座り込んでいた。
「お前は何者だ」
「東から流れてきた行商人です」
「この髪飾りはどういったものだ?」
「偶然手に入れただけで、詳しくは知りません」
こいつは白だなと判断する。ならばあのラナの表情はいったい。考えられるのは、この男は自覚のないままに利用されているという可能性だった。
「いくらなんだ?」
返ってきたのは高すぎる値段設定、一般庶民のひと財産程度になる。この自由都市に手が出るものはそうそういないだろう。もしこれが買わせないためなのだとしたら……。
もう十分だと判断してパチンと指を鳴らす。
「あれ……俺は」
催眠からの起きたては寝ぼけたように思考が不明瞭になる。彼は頭を振って目を覚まそうとしていた。
「これもらっていくぞ」
「え? はい。まいど」
彼の回復をまたずに代金を払って髪飾りを手に入れた。
俺は市長室の柔らかい椅子に身を預けていた。これからのことを思ってわずかに気が重かった。「失礼します」と言って市長室にラナが訪れた。彼女を呼び出したのだ。
「何の御用ですか?」
唐突な呼び出しにラナは不思議そうな顔をしていた。
俺には一つの狙いがあった。もしラナに裏の顔があるのなら。俺に疑念を抱かれていることは感じ取っているだろう。このような灰色の状況は俺の望むところではない。いい加減、白黒はっきりさせるためにこちらから仕掛ける。
先ほどの男にしたような催眠をかけるつもりはなかった。失敗すれば言い訳がきかず、なによりラナを相手にそこまでしたくないという思いがあった。これも昔にはなかった甘さだ。昔は目的のためなら手段など選ぶ余裕はなかった。そんな一本道よりも、選択肢が多すぎるほど人は迷うものなのかもしれない。
ラナをデスクの近くにまで呼ぶと、彼女の目の前に髪飾りを置いた。
「実は露天商で髪飾りを買ってきたんだ」
ラナは明確に動揺を見せて、瞳を揺らした。そう、この予想外の事態に必ず動揺が表れるはずだ。まずはまともな思考力を奪い、畳みかけるのだ。
「悪いな。ラナがこれを見ているのが偶然見えてしまってな。欲しそうにしてたから買ってきてしまった」
「え、あ、はい。実はそうだったんです」
「装飾品なんて珍しいな。もしかして誕生日とか?」
地味な格好をするようにしているラナはきらびやかな装飾品の類を身に付けていない。それなのにこんな高価なものを欲しがっていた。それには明確な理由があって当然だ。記念日や誕生日、とにかくその辺りが言い訳として使われると読んで、先に提示した。
「あ、実はそうなんです」
かかった! もう既にルディスからラナの誕生日は確認済みだ。まだかなり先のはずだった。
(ふ。ぬかったな)
ここまで俺が直接的に情報戦をしかけてくるとは彼女も予想外だったのだろう。とうとうぼろをだしたのだ。
そうだ。考えれば当たり前のことだ。こんなに可愛くて巨乳で性格が良くて料理が上手で奥手でコミュ障で猫耳の女の子がなどいるはずがなかったのだ。取るに足らない嘘ではあったが、やはり多少の裏の事情ぐらいは誰にでもあるのだろう。
ちょっとぐらい演じてる部分があったとて、それが何だという話だ。俺だって残虐王を演じている。彼女が俺たちに対する牙をむく可能性がないのならば、もはや気にする必要はなかった。しかしラナは続ける。
「明日がお祖母ちゃんの誕生日で」
「……お祖母ちゃん?」
「はい」と頷く。
「両親が事故で亡くなって、亜人のハーフだった私を親戚はみんな邪魔者扱いしていました。だけどお祖母ちゃんだけは優しくて。私を引き取って育ててくれたんです。監獄行きになった時も私を心配して、家宝だったこの髪飾りをくれたんです。お金に困ったら使うようにって、こっそり持っておけと言われました」
「……」
口をはさむ余地もなく、黙って聞く。
「ちょっとした事情で監獄都市から逃げることになって。でも自由都市に来た時、お金もなくて。祖母の髪飾りを売るしかありませんでした。それで何とか店を持てて、お祖母ちゃんに習った薬剤づくりでお金を稼ぐことができるようになったんです」
そのちょっとした事情は簡単に想像がついた。ラナが過剰なまでに外見を地味に装うのは亜人のハーフだと隠すためという理由だけではなく、かつてルディスが言ったように刑期と引き換えに下種な要求でもされそうになったのだろう。
「あれからずっと探していたんですけど偶然今日見つけて。明日はお祖母ちゃんの誕生日で。これも運命なのかなって思ったんですけど。……でも売った時よりもかなり高くなってしまっていて。今後のことも考えると、とても無駄遣いはできなくて」
「君にあげた金貨はどうしたんだ?」
単純な疑問、最初に渡した白金貨を使えば買い戻せるのではないか。
「実は孤児院に寄付してしまって……」
ラナは少し申し訳なさそうに語る。どこまで良い子なんだ。なぜ俺はいつまでもこんな子にいい子を疑っているのかと自分の心の汚さに打ちのめされるようだった。
「で、でもどうしてエルさん。こんな高価なものを私のために?」
「え?」
呆然として思考が止まる。しまったと臍を嚙む。まさかあそこの流れから完璧な対応を見せ、さらに反撃の一手が繰り出されるとは。彼女はぼろを出してなどいなかったのだ。何か言い訳を考えておくべきだったが後悔先に立たず。どうすればいいのだと脳をフル回転させる。
──急にラナに高価な装飾をプレゼントをしたくてなって。いいや馬鹿な、お前はストーカーかという話になる。こんな答えではいけない。
「ああ。それはだな、とある事情があってな」
「もしかしてルディスさんから事情を聞いて?」
「あ、ああ」
と返事をしかけて即座に失策に気が付いた。これは撒き餌だ。あえて逃げ道を用意して迂闊に解答するように誘っている。こんな嘘はルディスに否定されたら即座にばれてしまう。そうなればまな板に乗せられた魚のごとく、あとは捌かれるのを待つだけになってしまう。
「いや違うんだ。実は……上手く説明しにくいんだが」
まったく内容のない言葉で時間を稼いでいた。そして思考はとある地点に行きついた。もはやこれしかないと。だがわずかに躊躇する。唯一の合理的な答えを思いついた、しかしこれは俺にも痛みをともなうことになる。
だが、仕方あるまい。
「ラナ。君は伊達眼鏡をかけてるだろ」
「あ、その。何となく習慣で」
言葉の途中で手を伸ばしてすっと眼鏡を外してしまう。
「え? あ、あの」
当然ラナは戸惑いを見せた。
「もう自分の容姿を隠さなくていい。血筋や生まれで自分を卑下したりする必要はないんだ。俺はこの地を誰もがそう過ごせる世界にしたい。笑って過ごせるように。だからその決意を込めて。ラナには世話になってるから感謝のつもりでな」
前半は嘘をついていない。まったくもって俺の本心だった。だからこそ感情も宿り、信ぴょう性も増したのだろう、ラナは俺の言葉を信じ切ったようだった。「どうか受け取ってくれないか」そう告げると、ラナはポロポロと涙をこぼしたのだ。
「すまない。泣かせるつもりはなかった」
「ご、ごめんなさい。ち、違くて。こんなに良くしてもらうのが凄く嬉しくて」
涙を拭いながら必死に言葉を口にする。彼女にハンカチを渡して俺は言う。
「泣かないでくれ。言っただろ。笑っていて欲しいって」
自分の台詞で全身に怖気が走る。きっと俺は死ぬ前にこの一連の台詞を思い出して悶え苦しみ後悔することだろう。だが気障な男になりすますことによって、合理的な答えを得たのだ。デメリットはまさしく痛々しい気障野郎と見なされることにある。
激しい吐き気がしたが俺も男だ。一度やると決めたことは手抜かりなくやり遂げてみせる。涙を拭ったラナが髪飾りをつけて「ど、どうですか?」と恐る恐る聞いてきても、俺はそれに真顔で答える。
「似合ってる。可愛いじゃないか」
「あ、ありがとうございます」
ラナは俯いて、ほんのりと顔を赤く染めていた。
「お優しいんですね」
そしてラナは上目遣いで、俺の顔色を伺うように口にした。
「そ、それって誰にでも、なんですか?」
「特にそんなことはないが」
思ったままに告げる。俺はそもそも優しい人間ではない。今まで多くの者を容赦なく殺してきたのだから。
「そ、そうなんですね」
なぜか急にラナはガチガチに緊張し始めたようだった。
「あ、あの。わたし、その」
ラナは顔を真っ赤にして俯き、何事か言い淀んだところで──ゴーン、ゴーンと鐘の音が静かな空気を破った。
「もうこんな時間か。遅くに呼び出して悪かった。そろそろ帰ったほうがいいな」
日が沈む前に鳴らす鐘の音だった。こんな時間まで女の子を出歩かせるわけにはいかなかった。ラナに視線を戻せば彼女はホッとしたような残念なような、微妙な表情を浮かべていた。
「家まで送ろう」
恐縮するラナを押し切って家まで送る最中、いつになく彼女は口数が少なかった。しかし最後の別れ際のことだ。
「じゃあまた明日」
「はい。また明日」
ラナは表情をほころばした。その笑顔は、西日に照らされ、茜色に染まる世界の中でいつになく輝いて見えた。