68話 つかの間の平穏
俺は深い森の中にいた、背の高い木々に遮られて周囲は暗く影が落ち、見通しが悪い場所だった。降り積もる落ち葉で埋まった地面にしゃがみ込んで、大地を指で触れる。
指先からマナが伝わり、地面にとある刻印を打ち付けた。
「これで良しと」
土を払って立ちあがり、清浄な空気を肺いっぱいに吸い込んで集中する。ぼんやりと見える、万物に宿っているエネルギーの流れが。それは人間の使うマナの源であり、精霊の力そのものだ。
この移ろい流れゆく世界の中に、自身の宿った精霊の力を使い干渉すること、それが魔術である。
「ゲート」
呟きが空気を振動させて伝わる。すると目の前の空間がひび割れたように広がり、別の風景と繋がった。なんの躊躇もなくそこに足を踏み入れると、最近停留している村のすぐ傍に移動していた。辺りにはアステールやルシャたちが待っている。
「行けるぞ」
そう合図をしてまたゲートをくぐる。今度は彼女らも一緒にだ。渡り合えると術を破棄する。空間魔術は消耗が大きく、余計な力は省くに限る。
「びっくりしました。こんな魔術はじめて見ました」
きょろきょろと辺りを見回してラナが呟く。それにルシャも続く。
「さすがマスターです。凄いです!」
ここは大蛇の亡骸が横たわるところから少し離れた場所だった。空間魔術、ゲートはあらかじめマーキングした場所に移動する魔術だ。
俺一人行動したほうが速いため、まず単独行動してここまで来た。一人になればニースが釣れるかという狙いもあったが、そこまでは甘い相手ではなかった。レギルのスタンスを慎重とするならばニースは狡猾、放っておくと後手に回る続けることになる。できる限り早く片付けておきたかった。
少し歩けば例の祭壇がある、ぽつんと開けた平地が現れた。そこには壮観なほどの巨体が転がっていた。
「あらためて見ると、大物だな」
「そうですね。怪我人も出さずによく倒せたものです」
「姫の助けあってのものだ。感謝する」
「いいえ。感謝だなんて……」
俺もイリナ姫も大規模な魔術の行使は制限されていた中よく倒し切れたものだった。特に森の中ということでイリナ姫は得意な攻撃魔術のほとんどを封じられていた。俺の剣は砕けてしまったが、その代償としては安すぎるものだ。
心配だったレイチェルの体調もすっかり回復しきっていた。相変わらず影に潜っているのは変わらないが、俺の隣にまとわりついていつも通りの調子に戻っていた。
「おーっほっほっほ。しょせんこんな下等生物、私の敵ではありませんわ」
高らかに笑い声をあげて、扇子でぱたぱたと煽ぐ。だがしーんと静寂が舞い降りて、レイチェルは周りを見渡した。
「みなさん何ですの。私が変なこと言ったみたいな顔を」
「いやな、本体があれだって知っちまうとなあ」
歯に衣着せぬザルドが言う。
「なによ。人間」
「コミュ症が空気読めないで空回りしてる感じでな」
「ぐ」
言葉が衝撃となったようにレイチェルの体を揺るがせた。扇子を持つ腕がプルプルと震えていた。やはりあの過剰なまでの愛情表現も空回りということなのだろう。そして傲岸な態度も自分を守るための仮面なのだ。
「なんか凄く親近感がわいてきました」
ラナが言えばルシャも「私もです!」と手を上げる。
「せっかくなので、みんなで仲良くしませんか」
「い、一緒にしないでくださいますか! 私は人間などとは口もききたくないという話なのですよ! 別にしようと思えばできますしね!」
頑ななレイチェルの言葉に対してルシャはさらりと返す。
「それじゃあ友達になりましょう」
「話聞いてた!?」
どこまでもマイペースなルシャに目をつけられたらもうお終いだ。彼女が納得するまで延々とこの話題は続くだろう。それは弟子入りの時に経験済みだった。
「嫌ですか?」
「ま、まあ。嫌というわけではないですけども」
「ラナさんも一緒にお願いしましょう」
急に振られたラナはビクッと身体を震わせて、年下のレイチェル相手にガチガチに緊張しながら言う。
「あ、あの。そのお。よ、良かったらお友達になってくれませんか」
「ふ、ふん。まあ。私も鬼ではないですし、そこまで頼むのでしたら別に友達になってあげてもよろしいですわよ」
どうしても捻くれた返事だった。素直じゃないものだ。それほど彼女の恐れが根深いということでもあるが。だがこうやって少しずつルシャたち亜人のハーフとも付き合い、いずれは人間とも分かり合う日が来ればと思わずにはいられなかった。
アステールもイリナ姫も彼女らを微笑ましそうに眺めている。
「でも、私たちはライバルですのよ! そこのところは承知してくださいませ!」
相変わらずうるさい、だがそんな姿がレイチェルらしかった。
語り合う若人たちは置いておいて、そろそろ来た目的でも果たすかと思い始めた。そもそもなぜこの場所にまた来たのか、それはこの蛇を自由都市付近まで運ぼうかと思ったのだ。
これも空間魔法を使う。自由都市周辺には既に複数のマークをつけておいた。いつでも飛ばすことができた。だがこの巨体をすべて飛ばすとなると、かなりの消耗を覚悟する必要はありそうだった。
「どうして運ぶんですか?」
「食べるんだよ。これで一気に食糧問題解決だな」
ラナとウィルの二人がぎょっとした顔をした。
「蛇って食べられるんですか?」
「蛇なんか食べるんですか?」
ほぼ同時に言った。
「毒のある部分さえよければ食える。蛇は美味いぞ。鳥とそう変わらない」
「ああ。結構いける。しっかり焼いて寄生虫を殺さないと死ぬけどな」
俺に続いてザルドも答える。従軍経験があるというザルドは俺と意外と嗜好が似ているところも多かった。
「本当に大丈夫なんですか?」
「不安なら不死身なやつらに毒見させればいい」
「えっと、不死鳥はあまりお肉は口にしません。血の穢れが気になりますから。エルフの方々と一緒で基本は菜食主義者ですね」
「なら吸血鬼のガキのほうは」
「ガキだなんて口のきき方のなってないわね。まるで野良犬だわ」
レイチェルはふんと鼻を鳴らすとザルドは慇懃な態度で返す。
「麗しき吸血鬼のお嬢さまはどうでしょうか?」
「食べられないことはないですけど、こんなもの高貴な私の口にはあいませんわね」
「ところでウナギって知ってるか」
「当然です」
「あれは蛇の一種なんだぜ。これを捌いて料理するとあんな感じになる」
「な、そ、そんな。これが?」
愕然とした様子で、まじまじ蛇を見つめるレイチェルに「嘘だ」とすぐにザルドは種を明かした。
「おおっと!」
唐突にザルドはしゃがんだ。襲い掛かった影を躱したのだ。
「どうやら死にたいようね」
「冗談通じない女は嫌われるぜ」
青筋を立てたレイチェルに対して軽口でザルドは対応する。
「二人ともよさないか。せっかく無事だったのにこんなところで怪我でもする気か。まったく」
そこでアステールが止めにかかった。そんなやり取りをあらためて見ると妙な組み合わせだなと感じた。この場には魔王と英雄と穏健派の龍の女王、さらに主戦派の吸血鬼の姫とレストの傭兵に赤の魔帝の娘までいる。なんともまとまりのない一行だ。ラナとウィルには秘めた裏事情などないことを願うばかりであった。
そんなことを考えながら空間魔術の構築を始めた。
村に戻れば、村人たちが総出で出迎えてくれた。このあとすぐに自由都市に向けて発つと伝えてあったからだ。少しばかり長居をしたがお別れの時だった。
フィルネシアとジャンが別れ際にも感謝を告げる。
「本当にありがとうございました。このご恩は決して忘れません。僕らが役立てることがあるなら、いつでもおっしゃってください」
「あなたにもらったこの命、絶対に無駄にはしません」
「気負う必要はない、自由に生きればいいさ」
二人とも感動したように頭を下げた。そんな彼女らに俺は問いかける。
「ところであれは何してるんだ?」
指さした先には今朝までなかった妙な物体が鎮座していた。
「鍛冶職人と錬金術を使えるものがいますので、ぜひ銅像をと作成中です。お弟子さんと相談して」
「……」
無言で視線を飛ばすとルシャはさっとラナの後ろに隠れた。
「気持ちはありがたいが、無理のない範囲でな……なんなら白紙撤回しても」
「いいえ! これは我々の感謝の気持ちでもありますので!」
一切の曇りのない表情だった。もうやりたいならやらせておこう、それしか対応が思い浮かばなかった。
「それじゃあ、元気でな。二人とも」
「「はい!」」
元気のいい返事だった。
「婆さんも達者でな」
「数々の非礼、申し訳ありませんでした」
「構わない。俺こそ言い過ぎだった」
長老として今まで多く音苦渋な決断をしてきたのだろう、その思いは部外者だった俺が簡単に非難できるようなものではなかった。立つ鳥跡を濁さず、去り際に遺恨を残す必要もないだろう。これからは穏やかに暮らせるように、俺も謝罪の気持ちを伝えた。
長老派感涙して顔を伏せた。そして最後に言った。
「それでは最後に偉大な帝王を讃える詩を」
長老の合図で管楽器や打楽器に乗せた詩を村人たちが口ずさむ。
それが終わるまで耐え続けると、軽く手を上げて彼らに応えて馬車に乗り込んだ。ガラガラと馬車を引く音が鳴り響く中、押し黙った俺につられてか、みなが口を閉じていた。十分に村から離れると俺はルシャを見つめる。
「ルシャ。あれはお前の仕業だな?」
「は、はひ! す、すいません!」
今までにないほどきつい態度で問いただすと、ルシャは裏返った声を出した。
「あ、あの。わ、私がちゃんと止めなかったのも悪かったので」
ラナが恐る恐る庇うように発言した。するとルシャはハッと顔色を変えて身を乗り出した。
「待ってください。マスター! 悪いのは私です。罰するなら私だけを」
勢い良く言い放つルシャのおでこに「当たり前だ」と気持ち強めなデコピンをお見舞いした。
「うぅぅ。痛いです」
ルシャはしばらく気落ちした様子でおでこを押さえていた。
「そんなに強くしたか?」
ルシャはただただ純粋な子だ。悪いことをしたなと罪悪感がわく。不死鳥である彼女がここまで痛がるということは力加減でも間違えたのだろうと思えば、ルシャは首をぶんぶん横に振った。
「違います。マスターの意を汲めなかった未熟な弟子心がズキズキ痛むんです」
いったい今まで何を見て俺があれで喜ぶと考えたのか。それはルシャのみぞ知ることだ。
「あのアレクシアさんは。市長のお弟子さんなんですよね」
突然ウィルがそう口にした。
「はい。一番弟子です! それとルシャでいいですよ」
ウィルは「ありがとうございます。ルシャさん」と言って続ける。
「僕にも稽古をつけてもらえませんか!」
その時の彼は一大決心を告げるように、緊張の宿った顔だった。
「……ああ。いいぞ」
「そうですよね。僕なんかじゃ……え!? いいんですか?」
「自分で言ったことだろう。何で驚いてるんだ」
「てっきり僕の実力では到底無理だと言われるものだとばかり」
確かに以前までなら俺よりももっと基礎を教える教師にでもつくべきだった。しかし彼は今回一歩踏み出して得たものがある。
「大蛇からかなりの恩寵を得たんじゃないか」
「あ、はい。それは確かに感じています」
敵を倒した時、精霊の恩寵は素質あるものに多く分配される。相性も関わってくる。炎の恩寵を多く得ているものは、反属性である水属性の精霊の恩寵は得にくい。
体質的に精霊に愛されたものはその例外はある。残虐王やイリナ姫がその代表格だろう。そして倒した敵に宿った恩寵すべてが吸収できるわけでもなく、自然に帰ってしまう。アステールがギフトを使えば根こそぎいけたはずだが、彼女はそうはしなかった。得た恩寵は俺たちよりも気持ち多めぐらい程度だっただろう。
「実はギフトも手に入れて。邪眼なんていうのも。石化の呪術とか」
「ほお。意外と呪術に才能があるのかもな」
残虐王は両方とも既に持っていたが、同じギフトでも得た恩寵量によって、どんどんと威力が強化されていくものでもある。今回得た恩寵も決して無駄にはならないだろう。
「呪いは強力だが寿命を削るからな、使いどころは考えろ。自分の命をかけるに相応しい時に使うべきだ」
「は、はい。肝に銘じます!」
ウィルは頷き。
「凄い。弟弟子ができました。か、感動です!」
ルシャは感動して頬を染めていた。
そんなうちに馬車は俺たちを目的地まで運んでくれた。まだ遠目にだが見えてきたのは久しぶりに感じる自由都市の姿だった。