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66話 理由 

 夜闇の中にしんしんとした静寂が訪れていた。少し蒸し暑い日だった。空気が全身にまとわりつくような違和感と息苦しさをわずかに感じた。乱雑な思考が巡っている俺の内心がもたらす幻影だろうか。


 やがて俺はイリナ姫に向かって答えた。


「そうだ」


 イリナ姫がはっと顔色を変えたところで、すぐに俺は続ける。


「と言って俺の言葉を信じられるのかな?」


「……いいえ」

 

 イリナは首を横に振る。答えを先送りするようではあったが結局はそこがネックになる、俺がなんと答えようと敵の親玉のいうことなど信じるに値しない。そう思っているとイリナが尋ねた。


「一つ聞きます。あの日、私とした約束を覚えていますか」


「あの日?」


「残虐王との決着をつけた日の朝のことです」


 すぐに脳裏に答えは浮かんだ。それは戦場に赴く前の約束としては他愛もない言葉だったからだ。


「答えてください」


 切り込むように鋭い声で彼女は問うた。だが、


「取り込み中だったかな」


 突然に第三者の声がかかり、お互いに弾かれるように距離を取った。


「アステール」


 いつも優しげな表情のアステールは珍しくも敵意に近いものを宿していた。


「我らの王に何用かな、姫」


 彼女は我らの王と強調して言った。


「いえ。特に……」


 イリナが言葉を濁すとアステールの威圧も霧散した。


 以前アステールは俺がイリナ姫と知り合いなのではないかと危惧していた。亜人を捨て人間のほうになびくのではないかと危機感を抱き、釘を刺したのだろう。


 問題は会話を聞かれたかどうかだった。俺がエル・デ・ラントであることはまだアステールには伝えていない。どこかしらから情報は入っている可能性も十分にあるとはいえ、知らなかった時に、その事実が何をもたらすかは心配の種だった。


「ところであの吸血鬼の少女は。彼女は大丈夫ですか」


 気まずい雰囲気が流れて、イリナ姫は話題をそらした。


「ああ。身体のほうは問題ない」


「身体のほうは?」

 

 含みのある言葉にイリナ姫も疑問を感じたようだった。

 

「レイチェルは姉を人間に殺された」


「人間にですか?」

 

「姉と二人で遠出に出た時のことだったという。人間達に襲われ捕まった」


 アステールは目を細めて過去を振り返り、語り続けた。


「吸血鬼は不死鳥と同じくほぼ不死の生き物だ。まともに戦って真祖の吸血鬼を倒せるものなどそうはいないほどだ。それを殺すためにはどうすると思う。聖銀で心臓をえぐり出し、頭蓋を砕き、四肢をもぎ、体中をばらばらに切り刻んで再生を防ぐ。そこまでやってようやく吸血鬼は死ぬ。レイチェルは姉が嬲り殺しにされるのを間近で見ていたそうだ」


 アステールの口調には隠しきれない憤怒と寂寥感のようなものが宿っていた。


「吸血鬼の血と肉は金になる。レイチェルはまだ幼く小さかった、だから殺されなかった。その代わりしばらく彼らの奴隷として飼われていたという。それが彼女が人間を恐れ、憎む理由だ。それ以来、影から出てこようとしなくなったのだ。だが主様といる時だけは例外だった。主様はレイチェルの姉を殺した人間たちを殺してあの子を助け出した。それからレイチェルは主様を神のように崇めている」


 レイチェルがあそこまで残虐王に心を許す理由がそれなのだ。つまり彼を殺した俺は憎き敵ということではないか。


「彼女の恐れは根深い。食料である人間の血を吸えないほどにな。事実この3年間一滴の血も口にしていなかったレイチェルの力は弱まり、成長も止まっている」


「なぜ、そんなことが。吸血鬼の一族が人間を襲うからなんですか?」


「いいや。まともな吸血鬼は殺しはしない。そんな非効率的なことをしても意味がないからな。吸血鬼はな、人間を金で雇って血をもらう。確かに一部の狂った吸血鬼は人間を殺すだろう。だがそれは人間でも同じことだ」


 アステールが喋るのをやめると、強い夜風が吹きすさぶ音だけが聞こえた。そして一拍の間を置いてアステールはさらに鋭い言葉を発した。


「姫。あなたはなぜ戦う」


「なぜ、ですって?」


 イリナ姫は困惑した様子を見せる。懐かしい記憶がよぎる。かつて俺も彼女にそう訊ねたものだった。


「そう。なぜ、だ。我々はなぜ戦わなければならない。私はもう見たくはない。大切な人が傷つくことなど。悲しみと憎しみの応酬など。いったいいつまで続く。いったいいつまで続ければいい。どこかで終わらせることはできないのか」


 その答えは明らかだ。終わらせるにはただ一つだ。根源を断ち切ればいい。この世には死ぬべき邪悪な人間が溢れている。それらが組織の頭に居る限りは戦いは終わらない。


「我々も戦いによって人を殺した。同じく罪を背負っている。どちらか一方が悪いなどと言うつもりはない。人間の中にもあなたがたのように立派な人がいることも分かる。だが人間が我々の隷属と滅びを願うならば、戦わなければならない。あの襲撃と主様の存在によって、穏健派の中にも火がつき始めた。もはや戦に向かう流れは止めようがないのかもしれない」


 アステールの言葉はまぎれもない事実だ。多くの亜人たちが戦いへと趨勢が傾いている。いつ爆発してもおかしくない状況だった。


「姫。答えて欲しい。なぜ人間は我々を放っておいてくれなかった。我々はただ自由に生きていたいだけなんだ。追放をも甘んじて受けいれた。それなのになぜこの世界まで手中に収める必要があった」


 イリナはしばし押し黙り、重苦しく口を開いた。 


「私は……その答えをもっていません」


 いったいなぜ。アステールが疑問に思っても当然な不思議な話だ。なぜわざわざ隔離した最初の一体や亜人たちがいるこの大地へ人間は足を踏み入れなければならなかったのか。


 残虐王はなぜアレーテイアにまで攻め込んだのか。この地を亜人の楽園にしたいだけならば他の方法もあったはずだ。監獄都市にあるゲートを破壊して、両者の行き来をできなくすれば良かったのだ。


 神々と精霊の力が溢れていた古代の技術が使われる空間魔術である、アレーテイアと監獄世界をつなぐゲートは破壊されればもはや誰も修復できない。もし可能性があるとしたら現存する唯一の時空間魔術の使い手である残虐王だ。


 そして残虐王や看守が言う、知らなくてもいいこと。知ってはいけないこと。


 分からないことばかりだった。答えを知っている者はいる、だがそれを教えてくれるかどうかはまた別の話だった。この世は求めても与えられることばかりではない。それでも欲するならば足掻いて足掻いて足掻き続けるしかない。


 途中から物陰で会話を聞いていた少年もきっと答えを求めにきていたのだろう。



 

「エル。どうかレイチェルのところに行ってやって欲しい。彼女はあなたの血しか吸えないのだ。3年も血を口にしていないせいで弱り切っている」


 気配が露骨だったウィルはもとよりアステールにもイリナ姫との会話の仔細は聞かれていないようだった。普段とそう変わらない様子だった。


「どうして今まで言わなかった?」


「あの場はいつも二人だけで過ごす。その時どんな様子だったかは私にも分からない」


 本来であればそんな不安要素があるのならば戦いの前にでも解消するべきだった。しかしそうせずにいたのは、レイチェルとしらばく接する時間を作ってくれたということだろう。


「ああ。分かった。気を付けよう」


 もともと向かっていたところだ。場所はそう遠くない。宿のとある一室を訪ねる。ノックする前に気が付く、物音一つしない、灯さえついていなかった。鍵はかかっていない、静かに扉を開いて中を確認する。


 真っ暗な部屋の中、レイチェルは眠っているのかと思えば、そうではなかった。ベッドに横になってはいたが目を閉じてはいなかった。


「……主様」


 俺の来訪に気が付くとレイチェルは暗闇の中で朱色の瞳を怪しげに光らせた。戦士の感覚が足を止めさせるが、覚悟を決めて部屋の中に入った。吸血鬼に噛まれれば化け物になるなどの迷信もあったが、それは真実ではない。


「主様……どうかお慈悲を」


 レイチェルは弱々しく口にした。吸血鬼は血液を吸わなければ満たされぬ飢餓感に延々とつかれるという。3年間もよくぞ耐えたものだった。俺はベッドに腰かけて彼女の傍に座る。


「ああ、構わない」


 許しを与えるとレイチェルは俺にしな垂れかかった。正面からその小さな体を受け止める。薄手のネグリジェを着るその身体の柔らかい感触が腕の中にすっぽりと納まった。レイチェルは俺の首筋に覆いかぶさるように顔を近づけた。ざらりとした舌の感触が肌を撫でる。そしてぶつりと犬歯が肉につきたった。


 しばらくレイチェルの荒い息と、血液をすすり飲む音だけが脳裏に響いた。


 苦痛だった。相手を信用して身を預けるということは。喉元は人体の急所だ、吸血させるためには一切の防御が許されない。今まさにこの時、彼女が変な気を起こせば、そんな恐れがあった。だがそれでもレイチェルをしっかり抱きとめて、ずっと耐え続けた。ある種、彼女の恩人を奪った贖罪のつもりだった。


 やがてそんな時も終わりが訪れて、レイチェルが顔をあげた。


「主様……」


 明らかに顔色は血色が良くなっていた。しかし頬は滴り落ちる涙で濡れていた。


「なぜ人間を守るのですか?」


 レイチェルは静かに囁いた。


「人間は。青の魔帝は姉の仇です。あなた様が彼の利用価値があると、そうおっしゃったから見逃してきました。ですが、やはり青は生かしておけません。青は人間たちの戦争に使うため。守護壁突破の技術を生み出すため。そんなことのために私の一族を狙い、お姉ちゃんを」


 止めなく涙は流れ、ぽたぽたと水滴が落ちていった。


「あの男は笑っていました。楽しそうに。今でもあの時のことをはっきり覚えています。きっとお姉ちゃんは私を憎んでいると思います。何もできなかった無力な私を。私は悪い子です。人間を信用するなという両親の言いつけを守らなかった。そのせいでお姉ちゃんがあんな目に」


 ぽつりぽつりと言葉をつむぎ、服の裾を掴む手に力がこもった。


「穏健派の、アステールは復讐など考えるなと言います。人間と争いあっても滅びるだけだと。終わりなき泥沼の戦いはできないと。……凄いと思います。アステールはみんなのために憎しみを飲みこんでいる。きっとアステールが正しいんです。私もそうできたら良かった。だけど私はアステールほど強くないんです。主様の意に逆らうような、亜人のためにならない、こんな復讐を願うなど罪なのでしょう」


「……」


 俺はただ黙って彼女が語り続けるのに耳を傾けていた。


「ただ、寂しいんです。凄く。心が空っぽで」


 言葉には嗚咽が混じる。必死に縋りつくような口調だった。


「主様。だからお願いです。もうどこにも行かないでください。そうすれば恨みを忘れていられます。どうか我々を救ってください。主様さえいてくださればどんな言いつけだって守ります。人間だって守ってみせます」


 ──甘く見ていたと言わざるを得なかった。あのレイチェルがここまで根深い闇を抱えていたとは思いもよらなかった。やはり人間と亜人との対立は簡単に解消できるような、そんな単純なものではなかったのだ。彼女の人間嫌いも優秀な種族として生まれたがゆえの傲岸さ、その程度の問題だと軽く考えていた。


 ずっと黙って聞いていた俺はようやく口を開く。


「レイチェル」


「はい」


「復讐を忘れろなどとは言わない。この世には殺したほうがいい者など溢れかえっている。だが、全てのものを憎むな。人間全ては敵じゃない」


 もしアステールが穏健派ではなかったら、彼女が戦いを望み、滅びに向かっていたとしたら、もしかしたら俺もアステールのために戦い、こんな言葉は出なかったかもしれない。だがそうはならず、今俺の周りには守るべきものたちがいる。


「そんな狂気につかれたままでは孤独に死ぬことになる」


 以前の俺のように。地獄の底で苦痛に苛まれることになるだろう。


「俺はお前にも不幸になって欲しくない」


「主様……以前も、そうおっしゃってくださいましたね。でもいいんです。私には主様さえいてくだされば。他には何もない、何もいらないんです」


「いいや。周りも見てみろ。何もないわけがない」


 多少屈折しているが悪い子ではないのだ。本来は戦いなど無縁で、もっと幸せになってしかるべきの子供たちだ。


「もしお前の復讐が罪だというのならば俺がかわりにその罪を背負ってやる」


「え?」


 俺の言葉が理解しがたかったように目を見開いた。


「青の魔帝は俺が殺す」


「しかし、そんな。私のために?」 


「俺はこの世一番の大悪党だ。お前一人分の罪などわけはない」


 この世全ての罪を被ったとて俺は自分の信念には逆らえない。人を人と思わず、他者を蹴落とし踏みにじる、そんなケダモノを生かしてはおけない。


 死ぬべき者は死に、殺すべき者は殺す。例えあり方が変わったとて、それは譲れない一線だった。誰かが罪を被る必要があるのなら、それは俺がする。あらゆる汚名を被ったとて構わなかった。


 ふと思う、残虐王の名前を騙ったあの男も、こんな思いだったのだろうかと。


 やがてだんだんと俺にもたれかかったレイチェルの瞼が落ちてきた。久しぶりの食事で眠気でも訪れたのだろう。


「疲れたんだろう。今はもう眠れ」


 頭を優しく撫でていると、やがて穏やかな寝息を立て始めた。彼女をそっとベッドに寝かせて帰ろうとした時に気が付く、がっしりと服の裾を掴まれていた。このままでは起こしてしまう。


「仕方ないな」


 と傍らに座り込んだ。マナを身体エネルギーに変換すれば数日程度は寝なくても何の問題ない。今日はこの吸血鬼の少女のために、寝ずの番をするかと心に決めた。

 




ブクマ、評価等ありがとうございます。励みになっております。

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