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60話 イリナ・パラディソス

 時は5年ほど遡る。かつてイリナ・パラディソスが13歳の頃であった。


 イリナはパラディソスの王位継承権第一位として蝶よ花よと愛でられて育った。誰よりもパラディソスの王家の血を濃く受け継ぎ、透き通るように青い髪をなびかせ、絶世の美女とうたわれた母譲りの容姿も将来の美貌を感じさせるものだった。生まれつき精霊に愛されて非凡な魔術の才を発揮し「神々の御子」と呼ばれるほどの神童であった。


 何不自由ない生活を送りながらもイリナはどうしても窮屈さを感じていた。侍女には豪奢なドレスと装飾で飾り付けされていたが、よく男の子の服を着て剣術道場にお忍びで通って怒られることも多々あった。イリナが憧れていたのは少し前に市井に流行った、立身出世を目指す騎士の物語だった。いずれ王宮を飛び出して外の世界を見て回るような、そんな探検をしてみたかったのだ。


 齢13にしてイリナは大人顔負けの技量を誇っていた。世代別の魔術大会では優勝し続け、大人が混じる大会ですらその才を見せつけていた。


 だが王家の人間として、立場ある物として、それはしょせん物語の中だけの話だと思っていたのだ。それが現実となったのは残虐王が監獄都市を落としてからだった。圧倒的な力を持ち暴虐を振るう個に対して求められたのは、同じく個の精鋭だ。


 驚くべきことにイリナは残虐王と戦う役目を授けられたのだ。どういう意図があったのかは分からない、王宮でも大きな動揺が起こった。しかしそれを決めたのはパラディソスの王、彼の一言ですべては決められたのだ。


 イリナは任された任務に恐れや重圧感よりも期待感を持った。念願だった外の世界を知る機会に恵まれたのだから。


「3人の護衛をつける」


 そう言って引き合わされた一人がレギル・シルセスだった。残虐王を除いた魔術師の中で最強格をあげるとしたら彼が外れることはないと言われるほどの絶対的な魔術師だ。


 二人目が高名な神官であり癒しと守りのエキスパートであるロイス・サステナ。


 そして最後に魔術大会に剣一本で乗り込んできて全員を叩きのめしたという、無銘の大剣を背負った剣士、エル・デ・ラントだった。



 

 イリナたちが向かったのはサウストリア、世界統一連合から脱退して内乱が起っている国だった。島国であり魔物は大繁殖し、反乱軍と独裁政権の軍の小競り合いが絶えず人民も土地も荒れ果てていた。この理想郷(パラディソス)に住むものから見れば地獄と形容してもいいほどの。そこに残虐王が潜んでいるという話であった。


 そんな地をゴーレムの馬が引く馬車が走る。四輪駆動車もパラディソスには流通し始めていたが、この地では目立ちすぎるためだ。まずは比較的安全な非戦闘地域にある町が目的地だった。


「次の町は何をしに行くんですか?」

 

 レギル・シルセスに聞くと、優し気に笑み口を開いた。


「殺しが起こっています。統一連合の軍人が次々と暗殺されているそうです。もしや残虐王が、とね」


「なるほど。どうやって探すんですか?」


「ここの国にはニース・ラディットという男がいるそうです。彼はこの地で悪党どもをまとめあげて、『トゥッティ・ヴィツィオ』という組織のボスとして君臨しているそうです。村人たちの暴徒化も彼が原因だとか。蛇の道は蛇、あの男の情報網があればこの国の裏、潜む敵をあぶり出してくれることでしょう」


 そんな会話の途中だった。


「エル」


 脈絡もなくそうレギルが呼びかけると、エル・デ・ラントは頷いて馬車をゆっくりと停止させた。何だろうとイリナが不思議に思えば、複数の人間が馬車の進路にいたのだった。歩行人が危険だから馬車を止めたのだろうとイリナは思った。剣士が剣の鞘を掴み取り外に出てもそれほど違和感はなかった。


「彼は、どうかされたんですか?」


「姫。今はお出にならないほうが」


 制止されるが青年のあとを追って馬車の外に出た瞬間、びしゃっと目の前を赤い飛沫が汚した。


「え?」


 長剣の刃が人間の胸部を貫いていた。まるでピンで留められた虫の標本のように剣を穿たれた男の生気のないうつろな瞳に呆然とする。当然だ、その男は息絶えていた。何が起こったのか理解できなくて、思考が停止した。


「えあ、な、なんで」


「敵だ」


 冷静に剣士はそう告げた。その最中にもどんどんと周囲から何人もの人間が姿を現した。みなが痩せこけて、身なりの汚い、薄汚れた服装をしていたものたちだった。


「相手は人間ですよ!?」


 亜人を率いた魔王、それを倒す旅だと思っていた。こんな光景を目にするとは思っていなかったのだ。


「人間がもっとも恐ろしいこともある」


「で、でも何か事情があるのかも」


「事情は人を救いはしない」


 イリナの言葉は一刀両断、ばっさりと切って捨てられた。


「レギル。ロイス。姫は任せた」


「ああ」


 彼はただ一人前に進み出ると背負っていた長大な剣を地面に叩きつけるように抜き放った。


「選ぶがいい」


 鬼気迫るとはこのことか。彼は背筋が底冷えする恐ろしい殺気を放っていた。


「生か死かを」


 鋭い生の殺気を初めて受けたイリナは動けなくなっていた。これはギフトによる威圧ではない。研ぎ澄まされた戦士としての気合の差だ。あらゆる危険を告げるギフトがイリナにその場から動くなと告げていた。


「逃げるものは追わない。戦士足りえるものだけがかかってこい」


 人々の間に動揺が現れた。しかしそれでも彼らは引かなかった。


 そうして鮮血が舞い散った。




 ──怖い。怖かった。


 王族が出歩くにしては三人の護衛とは少なすぎるほどだ。しかしそれでも十分過ぎた。全員が一騎当千とも思える。イリナにしても王宮魔術師と軽く渡り合えるほどの実力をこの歳にして備えていた。


 だが目の前で繰り広げられる光景は暴虐としか言いようがなかった、敵の魔術士は何もできていない。圧倒的な速さで間合いを消し去った青年の剣に次々と体を切り裂かれ、射抜かれる。せめてもの反撃で敵の魔術師が自分の体を貫いた刃を掴んだ。


 だがそれも虚しい反撃だ。剣士が片手でその魔術師の身体ごと持ち上げて、ぶうんと音を立てて別の人間に叩きつける。ぐしゃりと肉と骨が潰れる鈍い音がした。


 イリナは何もできなかった。怒号と悲鳴、絶叫があがるたびに体を震わせ、レギルの後ろに隠れてずっと震えていただけ。


「ご安心を。姫。あの程度の輩は造作もありません」


 レギルはサポートのために魔術を紡ぎながら冷静な目で人が死にゆく様子を眺めていた。


「彼らは、いったいどうして」


「情勢が乱れていますからね。身なりからするに水や食料不足のため村人が野盗となったのかもしれません。我々を人質にでもするか、それか金目のものを狙ってきたのでしょう」


「そんな……」


 イリナは絶句した。ここは本気で命のやり取りをする世界、銀貨一枚のために人を殺す世界、今日の食べ物がなくパン一つを奪い合う世界、互いの命と命をぶつけ合う場所であった。


 そこはイリナの知らない世界だった。そこにイリナは踏み込むことができなかった。王族として何不自由なく育ったイリナの想像を絶する世界だったのだ。




 無銘の大剣を持つ剣士が帰ってきた時、その身体は多くの血に塗れていたが傷一つ負っていなかった。しかし驚きはなかった。魔術を使えない彼は、一撃でももらうことが下手をすれば致命打にもなり得る、そう聞いていた。


「姫」


「は、はい」


 唐突に呼びかけられて緊張から大きな声が出た。剣士の瞳には虚無感と激しい衝動、相反するものが同居しているように見えた。

 

「あなたはなぜ戦う?」


「なぜって。私には力がありました」


 何の覚悟も籠っていないその言葉は彼の瞳を一切揺るがさなかった。


「あなたは強いが戦士ではない」


 青年にそう断言されて、勝気なところが出て言い返す。


「わ、私だって魔術大会で優勝したこともあります」


「それは箱庭でのお遊びだ。殺し殺される覚悟があるものだけが戦士足りえる。それができないのなら帰るべきだ」


 言葉と同時に、ぴたりと剣を喉元に突きつけられてイリナは息を飲む。それは多くの者の血にまみれていた。思わず目を背ける、赤々としたその雫に忌避感、恐れが宿った。


「エル。無礼だぞ。姫はまだ子供なんだ。いたわって差し上げろ」


 剣士はぼんやりとした目をイリナに向けた。そしてイリナの姿を上から下まで観察するように視線を動かす。無遠慮な視線に恥ずかしくなって少し身体を背けた。


「君はいくつだ?」


「じ、13です」


「これは申し訳ないことをした。子供相手に大人気ない真似を。怖がらせるつもりはなかった」


 殊勝にも謝罪の言葉が飛び出した。子供扱いされたことに不満もあったが、そうがなり立ててれば、まさしく子供の癇癪だ。


「姫。彼はこの通り礼儀を知らぬ身なので、どうかお許しください」


 さらにレギル・シルセスも取り成し、イリナは「構いません」と頷くしかなかった。そんな中で神官のロイス・サステナは黙って様子を眺めていた。


「レギル。魔力切れだ。充電しておいてくれ」


 話は終わりとエル・デ・ラントは上着から魔道具を取り出してバラバラと馬車の座席へと落とした。


「私はバッテリーじゃないんだがね」


 それらはマナを通せばあらかじめ構築された魔術を発動してくれる回数制限のあるタイプの魔法具だった。魔術を使えない青年の生命線である装備だった。


「お前のせいで私は裏で充電器の魔術師って呼ばれてたんだぞ」


「紫電よりも親しみがあって良い名前だな」


 二人はそう軽口を叩きあっていた。イリナは少し声のトーンを落としてレギルに問う。


「シルセスさん。あの方と親しいのですか?」


「どうぞレギルと呼び捨てで構いません」と前置きしてから話し始めた。


「腐れ縁、と申しましょうか。士官学校の同期です」


「同い年なんですか?」


 イリナは訊ねる。


「いえ。私は飛び級でしたので」


「確かあなたは主席と伺いました。彼は」


「最下位ですよ。彼は。魔術を使えないのでね。落第につぐ落第でした。退学にならないのが不思議なぐらいでしたよ。喧嘩やもめ事は日常茶飯事で、士官学校でのあだ名は狂犬でした。しかし魔術一つ使えない彼に勝った者は一人もいなかった」


 むしろそれでよく士官学校に入れたと感心するほどだ。


「強いのは間違いないでしょう」


 天才が認めるならばその実力に間違いないのだろう。

 たった今しかと自分の目でも見た。


「私の次にですがね」


 冗談を言うような軽い口調ではあったが、その言葉を裏付ける自信が満ちていた。音に聞く天才と落第生の不思議な組み合わせだが、互いに互いを信頼しているようだった。少なくともイリナの目からは、そう見えたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 イリナはふぅと軽くため息を吐きだした。頭上の太陽が目を眩ませるが手を翳して空を見続ける。かつて13の時に初めて旅に出た、あの日もこんな綺麗な青空が広がっていたものだった。何も知らず、何の覚悟もない小娘が胸を躍らせていた。


 あれから5年が経過した。成長したと思っていた、だけどあの頃に戻ってしまったようだった。定まらない己の心にどうやって向き合っていいか分からなかったのだ。


 強力な敵との戦いを控える残虐王たちはイリナへの警戒を緩めていた。ただ一人、吸血鬼の少女が瞳を光らせている。きっと彼女だけなら手玉にとって振り切れる、だが逃げだすような、そんな気分ではなかった。


 ただ座り込んでぼんやりと空を見上げていた。


「あの……大丈夫ですか?」


 すると急にかけられた声があった。その声の主は確かラナという名前の亜人の少女だった。どういうつもりなのかと胡乱気に見つめる。何か企みでもあるのか、そんな懐疑的な思いがあった。


「す、すいません! ご無礼かと思いましたけど何かお悩みのようだったので!」

 

 イリナの態度を見て亜人の少女は慌てふためいて、勢いよく謝罪した。


「し、失礼しました! わ、私はこれで」


 イリナは逃げるように踵を返した、その背に呼びかけた。


「待ってください」


「は、はいい!」


 緊張しきって裏返った返事をする少女を見て、イリナは微笑み表情を和らげる。


「ごめんなさい。少し考え事をしていたんです。……貴方はラナさんでしたよね」


「はい」


「貴方は亜人ですよね」


 ラナはすうすうと深呼吸して気分を落ち着かせているようだった。


「ええっと、私は……ハーフです。ただずっとアレーテイアに住んでいましたので。文化的には人間のほうに馴染みがあります」


 そう言ってラナはフードを下した。ぴょんと飛び出る魅惑的な猫耳が。心がくすぐられるのを感じた。イリナは大の猫好きなのだ。


「そうですか。お気づかいありがとうございます」


「いえ、とんでもないです」


 恐縮したように肩を縮めた。


「あの人の周りには、良い子が多いですね」


 前に子供に癒しを与えていた赤い髪の少女に視線を向ける。見惚れるほど綺麗な純白の翼を持つ彼女は、なぜか残虐王に向かって元気よく敬礼していた。魔王と天使のような少女、おかしな組み合わせだなと微笑する。


「あの、イリナ様。何をお悩みだったのですか?」


 今に始まったことでもないが捕虜の相談にのるなんて実におかしな話だった。少しばかり話すかどうか悩む、王宮にいれば、パラディソスにいれば間違いなくできなかった。


 だがここは誰も知らない土地だった。立場など忘れてするりと口が滑った。


「昔ある人に言われました、私は戦士ではないと。人を殺すことが怖かったからです。今でも怖い、できればしたくない。きっと戦場で生きるには甘いのだと思います」


 目を閉じれば脳裏に蘇る、忌まわしき光景の数々が。


「だけど私には信念があって、そのために命をかけられることならできた。例えどんなに辛くても苦しくてもできるだけ殺さないで道を歩む覚悟があった、その覚悟を彼に認めてもらえたんです」


 イリナは言葉を続ける。


「でも結局、私はずっと正義の味方になりたかったということなんでしょう。正しい行いをしたかったんです。だけど正しさでは救えない人がいる。正義の名のもとに殺されて虐げられる人がいる。私はそれをどう解決すればいいのか分からないのです……」


 ラナは感心したように、はああと熱い吐息をもらした。


「どうかされましたか?」


「い、いえ、その。私も今年で18になるんですけど、ほとんど歳も変わらないのに、姫様かっこ良くて」


「ごめんなさい。若く見えたもので。良い子だなんて失礼でしたね」


「め、滅相もないです」


 綺麗なカナリア色の瞳は目じりが下がった垂れ目で、優しい顔立ちに大きな眼鏡をかけると持ち前の童顔さが増して見えた。そして弱弱しい態度から何個か年下だと思っていたのだ。

 

「あなたはなぜ、残虐王とともに?」


 ラナは少し悩むようにしてから口にした。


「姫様。私は昔からずっとこう思っていました。都合の良い時に助けてくれる正義の味方なんかいないんだって」 


「だけどいたと、そういうことですか?」 


「いいえ。やっぱりいませんでした」


「?」


 疑問に思う、なぜそんなに嬉しそうに語るのだろうと。ラナは満面の笑みを浮かべて言ったのだ。次の言葉でその疑問は氷塊する。


「ただ、助けてくれた悪党のお兄さんならいました」

 

 それが誰を指しているかなど、明白なことだった。彼女の視線は魔王と恐れられる青年に向けられていた。

 

「姫様の悩みは難しい話で。私なんかには何も答えることはできないです。亜人と人間の戦争なんか遠い話だと思ってて。ずっと亜人の人たちって怖い方って思ってたんです。でも実際に会ってみると優しくて、いい人がいっぱいいたんです。だから私はずっと人間のつもりで、人間になりたかったけど、今ではよく分からなくなっちゃいました。何が正しいのかなんて」


 先ほどまでのおどおどした態度が嘘のように真っ直ぐ目と目が合った。


「でも一つだけ確かなことはあると思います。自由都市が蝕害に襲われた時、あなたの正義のおかげで救われた人がいました。みんなイリナ様に感謝しています。それは間違いありません。きっと、きっと英雄と魔王が協力したら何でも救っちゃえます。今はそれでいいんだと思います」 


 真っすぐにぶつかってくる、その感情のこもった言葉は心に染みわたった。


「ラナさん。あなたは……」


「はい?」

 

 と小首をかしげた。


「妹にしたいぐらい可愛い方ですね」


「……イリナ様って、ちょっと変わってますね」


 きょとんした様子でラナは言った。



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