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58話 信仰と狂気

 次の日の朝はけたたましい楽器の音で目が覚めた。四方八方、村中から聞こえてくるようだった。お祝いでもあるのかと訝しむ。しかし、どこか寂寥感を覚える旋律だった。 

 

 寝床から起き出した俺は一人だった。結局、夜半に部屋に戻ってきたアステールは別の部屋で寝ると告げてきた。着替えをすませて剣帯を装着し、大小複数のナイフ類や様々な魔動具を隠している上着を羽織った。


 もはや魔術が使える俺には不要かとも思える魔道具の類だったが、冬眠前の動物が食料を貯蔵するように、長年俺が生き残るため培った習性が集めさせたのだった。


 部屋の外に出ると客間があった。既に起きていたアステールは俺の顔を見てばっと立ちあがり、開口一番謝罪した。


「そ、その。す、すまなかった」


「別に謝るほどのことでもない」


「いや。10代の小娘でもあるまいし。あれはなかった。私ともあろうものが」


 アステールは心底恥じ入るように朱色に染まった顔を手で覆った。俺は気にしてはいなかったが「花は愛でられるをの待てば良い」などと堂々と言う者のすることではないのは確かだった。


「きっと酔ってたせいなんだ。あんな……あんな」


「別に構わないさ。気にするな」


 努めて優し気に言うが、まだアステールは言い訳じみた言葉をぶつぶつ口にしていた。悪いが俺はそれよりも今はこの騒ぎの正体が気になっていた。


「ところでアステール。どう思う?」


 近づいて耳元に囁く。


「ひゃ」


 すると彼女は高い声をあげながら耳元を押さえ、大きくのけぞるオーバーリアクションを見せた。


「どうした?」


 意味不明な態度に、ずいと近づくと。


「ち、近い! 近い近い!」


 またもアステールは大げさに距離を取って、とうとうガツン! と頭を壁にぶつけた。


「うぐぅ」


「アステール。頭は大丈夫か?」


「エルに悪意がないのは分かってるがそれは結構効くセリフだ」

 

 しゃがみ込みながら、恨めしそうに俺を見上げた。


「近いもなにも今までもこの距離だっただろう」


「全然違う! 精神的な距離がまったく違った!」


「それはそれで釈然としない台詞だな」


 俺たちの精神的な距離はいったいどれだけ遠かったというのか。


「だって」


 と指を絡ませながら言い訳染みた言葉を口にした。


「あんなふうに意識されてたなんて思ってなかったし」


「……あんなふうに?」


「き、綺麗だって」


「そんなことか」


 少し頭を抱える。


 このままアステールとコミュニケーションがおぼつかないと困る。実際のところほとんどアステールには頼ることが多い。


 残虐王との共有された知識は多少あるが、どうも意図的に見せている部分と見せていない部分があると感じていた。一部の情報のみを信じていては行く道を誘導される羽目になりかねない。


 それゆえアステールの早急な回復が必要だった。


「ただの客観的事実だ。今まで俺が記憶してきた数千人の女性の中で平均を上回っている。つまり君は綺麗な部類に入るはずだ。間違いない。自信を持っていい」


「……何かそれ違う」


 ぼそぼそと呟く。


「悪酔いでもしたんじゃないか? 水でも飲んできたらどうだ」


 どうも昨日の脅しが効きすぎたらしい。どうやら本当にアステールは女性としての危機意識が薄かったのだなと驚く部分もあった。


「……そうする」

 

 アステールはとぼとぼと元気なく歩いて行った。俺はその背中をなんとも言えない表情で見送る。


「今さら何なんだ」


 以前からお前ほど美しいものは他にいないと言っていたはずなのに。やはり女心と秋の空はよく分からないものだった。

 



 アステールと別れた俺は気を取り直して外に出た。


「何の騒ぎだ」


 近くの村人を捕まえて事情を聞く。


「失礼しましたお客人。嫁入りがありましてな」


 嫁入りか──村をあげてのお祝いごとだ、半ば野次馬のように事情を見に村長の家にまで足を運ぶ。


 軒先には花嫁の姿が見えた。見間違いではなく、昨夜の晩に少年と逢引していた少女フィルネシアであった。美人というよりも愛嬌のある顔立ちをしている。花嫁を運ぶためだろう、ウルシの綺麗な朱色で飾り付けされた木製の籠が置かれている。


「あの子フィルネシアって名前だったな」


「ええ。さようです」


 ちょうどその場に一緒にいた、この村の長老が答えた。件の少女は薄めの化粧をほどこされ純白の花嫁衣装を着て薄いベールを被っている。


 一生にそう何度もない晴れ舞台だ。だというのに。


「彼女、あまり嬉しそうじゃないな」


 婚礼の前だというのに笑顔を浮かべることなく、暗く沈んだ表情だった。非常に緊張しているように見えた。その理由の一つはだいたい俺も察しが付いていた。


「きっと大事の前に緊張しているのでしょう」


 老婆は表情を一切変えずに言った。


「相手は?」


「隣の村の方です」


 お金目当ての政略結婚などは田舎でも珍しいことでもない。その表情は愛する者と結ばれることができない悲哀によるものなのか。古今東西この類の話はいくらでも聞き及ぶことはある、だが他にも何かその奥にまだ潜んでいる、そんな予感がした。


 肌がひりつき、どことなく異常を感じさせる。そんな胸騒ぎがあった。


「護衛を引き受けてもいいか」


 気づけばそう提案していた。


「旅人の方。これは身内の席でございます」


「タイラントベアが暴れてるんだろ。嫁入り前の花嫁が襲われたらどうするんだ?」


 渋っていた長老だったが、結局は俺の意見が正しいと判断したようだ。


「それではお願いいたします」


 さらに言葉を続ける長老の瞳に怪しげな光を帯びた。


「ただし何があっても我々の指示に従うことをお約束ください」


「いいだろう」


 どうにも分からない。蔓延するこの異様な気配は何だという。仲間を呼びに行く最中もずっとそれが気になっていた。




 鬱蒼と生い茂る緑豊かな森の中の街道をどんどんと進み、ある時そこから外れて山道に入った。傾斜がきつくなり、やや険しくなっていく道を進んでいたった。吹きすさぶ強い風が木々を揺らす音だけが鳴り響く中で、小さくすすり泣く声が聞こえた。最初は気のせいかと思ったほどだった。それほどわずかな蚊の鳴くような嗚咽だった。聞き逃すまいと耳を澄ます。


 何事かと思えば、花嫁が声を押し殺して泣いているのだった。


 道行く一行がちょうど休憩のために足を止めた時期を見計らって、俺は籠のすぐ傍の岩場に腰かけ、あまり刺激しないよう穏やかな声で問いかけた。


「なぜ泣いている」


 はっと中から息を飲む音が聞こえた。そして「悪いが開けるぞ」と半ば強引に少し戸を開けた。フィルネシアは涙にぬれた顔を見られることを恥じらうように服の袖で隠した。

 

「結婚するのが嫌なのか?」


「いいえ」


 と首を振る。その拍子に涙の滴がぽたぽたと零れ落ちた。すっかり目を充血させて、化粧が崩れているのが垣間見えた。彼女の答えが嘘であることは一目瞭然だった。


「あの男の子が好きなんだろ。ジャンとか言ったな」


「どうして」


 知っているのか、そう視線に表れていた。


「悪いな。昨日見てしまった」


「そう、でしたか」


 彼女は会話しながらも、はらりはらりと涙の粒をこぼす。


「違うんです。ただ。シアは感謝しているんです。みなさまに今まで大切に育てていただいて。とても幸せ者でした」


 ならばなぜそうも悲しそうな顔をする。

 幸せであるならばなぜ悲しみに泣き崩れる。


「人に聞かせる言葉は綺麗なほうがいい」


 気が付けばそう言っていた。


「だが自分には正直でいろ」


 こんな言葉が口からでるのは残虐王と魂のつながりを得てしまったからか。それともそれほどあの男の存在感が強烈だったからか。


「自分に、正直に」


 フィルネシアは自分の中で噛みしめるように反芻した。


「私の最後の望みは。ジャンが私を忘れて、幸せになってくれることだけです。どうか彼にそう伝えていただきたいのです」


 やはり出てきたのは他人を思いやる発言だったが、一つ引っかかる言葉があった。


「最後だと?」


「それでは出発いたしましょう」


 長老の号令がかかり、俺の疑問をよそに一行は先へと進んで行った。その先に待つものはいったい何なのだろう。嫌な予感がどんどんと強まる、まるで猛獣が大口を開けて待ち構えているところに飛び込んでいくようだった。




「到着いたしました」


 ある時、そう長老の声が響いた。


「花嫁以外はお離れください」


 花嫁を運んでいた村人たちは指示にテキパキと従った。だが俺はそうはしない。なぜならば明らかな異常事態であったからだ。


「いったいどこに到着したっていうんだ?」


「ここが目的地です」


 辺りを見回して目を凝らすが、山中の少し開けた場所には薄汚れて古ぼけた祭壇があるだけで他には何もなかった。結婚相手の姿どころか民家一つある場所ではない。


「何かに化かされているのか?」


 可能性はいくつかある。俺だけおかしいのか、彼らがおかしいのか。それともこの行為に何もおかしな事実はないのか。そうなるともしや。


「これではまるで神話に出てくる生贄だ」


 誰かが笑い飛ばすと思った。そんなわけがないと。しかし現実はそうはならなかった。村人は一様に下を向いたまま口を固く閉ざしていた。


「どういうことだ。説明してみろ」


 他では話にならないと俺は長老に詰め寄った。


「これは仕方のないことなのです。恐ろしいのはタイラントベアではありません。あれの暴走は神々の目覚めの予兆です」


「神々の目覚めだと?」


 もはや消え去ったと言われる神々の生き残りがいるのか。 


「彼らだけでも恐ろしい被害をもたらしますが、神の怒りを買えばもはや、その比ではありません。それを防ぐためには生娘の生贄を捧げて怒りを鎮める以外に方法はありません」


「生贄……」


 あまりの事態にイリナ姫は絶句していた。


「フィルネシア、あの子は静かな眠りをもたらす精霊の恩寵を生まれてよりずっと体に蓄え続けた子です。その身を捧げることでまた神々を穏やかにしてくれるでしょう。我々はこうやってこの地の平和を守ってきたのです。我々は()()()()()()()()()()()()()()です。彼らの掌の上で生かされている我々はその信仰を示す必要があります」


 アレーテイアでは生贄などの非人道的な行為は当然禁止されている。それが彼らがあの世界で生きられなかった理由、そしてフィルネシアの役割であったのだ。


 彼女の抱いていた緊張と涙、その理由だ。


「君は……全て理解していたんだな?」


「はい。覚悟はできております」


 フィルネシアはもう泣いてはいなかった。俺に伝えたジャンへの言伝によって、その覚悟が決まったのだろろう。


 豪奢な衣装は未婚の少女へのせめてものはなむけなのかもしれない。彼女は祭壇に腰掛けると装飾を外し衣服を脱ぎ捨て、透けるほどの薄絹のみを身にまとった。


「引き続き護衛をお頼み申す。神の献上品に蠅が寄ってはいけませんから」


 長老はただ淡々とそう言い放った。俺たちは彼らの一種の狂気に触れて、ただ立ちすくんでいた。


 一人祭壇に昇りその時を待ち続ける少女はいったい何を思うのか。



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