54話 異変の調査
森の街道を疾走する馬車に追いすがる影がある。数頭の熊──タイラントベアが四肢を躍動させて駆ける。犬歯をむき出しにして、涎を飛ばし、瞳に狂気を宿して馬車を猛追していた。
「普段はこんなことはないんです」
どんどん速度を上げる馬車に激しく叩きつける風の音に負けないように馬車の御者である少年、ウィルが大きな声で言った。多少の土地勘もあるという彼の強い希望があって同行させることになった。
「知性が高い魔物ですから人間に手を出せば討伐されると知っているんです」
それがここまで荒れ狂うとは何があったのやら。
「追いつかれるな」
戦士として間合いをはかり間違えることはない。先刻からやや距離が詰まっていた。敵のほうが速い。7,8人も乗れる馬車の速度が出ないのは仕方がないことではある。魔術を放つかと思案するが、威力の高いものを使えば街道を傷つけてしまう。後続の馬車が転倒する危険があった。何かピンポイントで狙撃できるような魔術でもあればと思案していると。
「影よ」
レイチェルが唱えると魔物の己の影が足に絡みつき、彼らは派手にすっころんだ。もはや遠くに置いていかれた魔物たちは忌々しそうに大きく遠吠えをあげた。
「ふ。無様」
レイチェルは優雅に扇子を開き隠した口元を歪める。彼女の得意魔術は闇。影を自由自在に変形させて操る力を持っていた。対象を自分の影と選ばないところが自由度の高さと利便性を感じる。
「はああ。昼間はやる気が出ませんわね」
彼女と戦うとすると、自分の影に襲われることになる。仮に戦うとしたら厄介な相手だ。主戦派の強さはアステールから聞いていたが、紛れもない事実であるようだった。
「面白い魔術ですね。えっと、お嬢さまがいてくれればひと安心です」
呼び名を迷いながらもウィルから賛辞が飛んだ。するとむっとレイチェルは眉を潜めた。
「なあに? 人間ごときがこの私を小間使いと勘違いしていらっしゃる?」
「い、いえ。そんなまさか」
「よくやった。レイチェル」
刺々しい態度の彼女にフォローを入れると、
「レイチェルにお任せくださいませ!」
興奮気味に顔を赤らめ、鼻息荒く宣言する。
だんだん彼女の扱い方が分かってきたような気がした。精神年齢を子供並と思って接してやればいいのだ。必要以上にべたべたするのも子供特有のものだと思えばいい。
「悪かったな。ちょっとひねくれてるんだ」
ボリュームを抑え気味にウィルに取りなしておいた。しかしウィルは気分を害した様子もなくレイチェルにわずかに視線を送り、照れくさそうに言った。
「少し気難しいけど、凄く可愛い子ですね」
「子供なんだ。大人の対応で接してやってくれ」
難儀なものだ。よりにもよって最も難しい相手に目をつけるとは。人間を蔑む吸血鬼との恋など、古の戯曲家の悲劇作品なみの悲恋となること間違いない。傷が浅いうちに彼女の本性を知って諦めてもらうのが一番だろう。
そんな少年少女の事情など関係もなく馬車は進む。追手も振り切りこのまま無事に目的地につける、そう思っていた時のことだった。突如として馬車は急停止して馬車の中にいた者たちはもみあいになった。
「きゃああ。怖いですぅ。主様ぁ」
とレイチェルはわざとらしい悲鳴をあげて俺に抱きついた。俺は彼女を強引に引っぺがすと──「むぎゅ」という声がした──ウィルに怒鳴る。
「どうした!?」
「道が塞がれてます!」
半ば悲鳴だった。横倒しになった倒木が道をすっかり覆っていた。
「なるほど。知性が高いな」
後ろのタイラントベアはここへの追い込み役だったのだろう。迂闊にスピードを出し過ぎていれば止まれないところだった。
それは既に衝突済みである先行者の馬車が物語っていた。よほど激しい衝撃だったのか、横転した馬車が無残にも破砕されていた。わずかな血のあとが点々と残るが死体はない。乾ききっていない血液はその事故がそう遠くない時間帯に起ったことを示していた。
「出ました!」
追い込んだ以上は畳み掛ける仕留め役がいて当然だ。タイラントベアが3匹ほど物陰からぬっと現れた。先に通ったはずの人間の死体も姿も近くに見えないということは咄嗟になんとか逃げることを選択したのだろう。
「普通は協力なんてしないんです!」
ウィルは恐怖に竦みながらも武器に手をかけた。
「やるしかないな」
もとより危険な魔物の数を減らすことも目的の一つだった。俺の合図で一斉にみなが臨戦態勢を取った。
「ラナ。頼む」
「はい。……ホーリーガーデン」
ラナが杖を掲げて唱えると光のカーテンがぐるりと彼女の周囲を守った。対象は狙われると困る馬と、ウィルを囲ったようにしてあった。
「こ、ここから出ないでください」
「でも」
ラナはウィルにそう告げる。
本来は己一人を守る精霊の恩寵による守護壁を強化し広げる魔術だ。守護壁突破の技術が進んだといってもこのように魔術的に強化された守護壁を破るのは容易ではなくなる。
わずかに怯えているラナに「よし。あとは俺たちに任せろと」とポンポン頭を撫ぜた。
「い、いえ。大丈夫です」
自分から着いてくると名乗り上げたため、強がりなのかそう口にして、控えめに微笑んだ。
「レストの傭兵舐めんじぇねえぞ!」
そして戦いの先陣を切ったのはザルドだった。
「だらあああああああああ!」
魔物の咆哮にぶつけ合うような気合とともに長剣を下段から上段への切り上げ、タイラントベアの幹のように太い腕をぶった切った。
彼は長剣に魔術によって風の属性を纏わせている。エンチャントという近接用魔術だ。それに足して魔術による正攻法の身体強化を利用していた。体を軽くする風系統の魔術に、筋力を上げる土属性の魔術を同時に使用している。
本来、土と風は反属性であり、後衛型の魔術師でもなければ扱いは困難だ。それを可能にする種は彼の装備する付与魔術の刻印されたバックラー、防具など、マナを流せば任意に魔術を使える仕様のものだ。
魔術儀礼の装備で全身をかためて多すぎるほどだったが、それを使いこなしている以上はやはり歴戦の傭兵といったところだ。俺も昔はあれぐらい、むしろそれ以上の装備で身を固めていた。
片腕を落とされた魔物であったが狂気につかれた彼らは怯まなかった。ザルドに食らいつく。その牙を受け止めたのは左手に装着したバックラーだった。攻撃と触れ合った瞬間、爆音が轟いた。
『シールドバッシュ』というバックラーに溜め込んだマナを爆発させて敵をノックバックさせる技術だった。流石なものだと眺めていたが、ザルドもまだまだ本気というわけでもないようだった。
わずかに距離が空いたところでレイチェルが負傷した魔物に指を指す。足元から体中に影が纏わりつき、タイラントベアは動けなくなる。
「シャドウスパイク」
さらに追撃、レイチェルの影が形を変え、地面から一気にせり上がり槍となって魔物の心臓を貫いた。攻撃時には自分の影を使わないと威力が出ないのかもしれない。
ついでアステールが大胆に前に出る。突撃してくるタイラントベアの薙ぎ払うような剛腕を片腕でまともに受け止めた。傍目には子供と大人、あり得ない対格差での取っ組み合いに入る。
「ふん。力比べて龍が負けるとでも」
アステールは龍気という特殊なギフトを操る。体に纏ったマナが自在に形を変え、さらに身体を強化しダメージを軽減させる。
掴みあった膠着をアステールは一瞬で終わらせると、タイラントベアの喉を掴みあげ正面から強引に地面にねじ伏せた。マナが固形化して爪のようにアステールの指先を覆い血にまみれていた、タイラントベアは喉笛を引き裂かれていた。
「アステール。無茶するな」
「むう。私はそこまでやわじゃないぞ」
己のかつての実力と今の実力のギャップをはかり間違えるのは怪我のもとだ。今の彼女は圧倒的な存在ではないのだと、あとできつく言っておく必要がありそうだった。
アステールの頬に飛び散った血がすっと消え去った。さらにタイラントベアの死骸から発散された靄──解き放たれた精霊の恩寵が全てアステールのもとに集まっていった。龍種の力、それがこれだ。
「奪う力」
世界に生きるものは誰でも他者から恩寵を奪える。しかし龍種はその吸収率が人間を越えて異常に高い。それが権能とまで言ったギフトの効果である。
無茶しがちなアステールに対してルシャの動きは硬い。魔物であっても命を奪うのに抵抗感を見せる。血に怯えているのだ。そんな彼女のサポートに回ったのはイリナ姫だった。
「アイスバインド」
凍えるような冷気が周囲に訪れ、タイラントベアはその半身を氷の戒めに捕らわれた。
イリナ姫は鮮やかな蒼い髪色から分かるが、本来の血統からすれば水属性の強い家系だ。戦う術を求めて攻撃系魔術ばかりを磨いているが、守りや癒しのほうに適性が強いのだ。彼女も残虐王のように反属性を高いレベルで操る珍しい体質だ。もっとも残虐王はあらゆる系統の属性を使うとの話ではあったが。
「爆ぜろ」
さらにピンポイントショット、タイラントベアの頭部に極限までに集中された爆発が魔物の命を刈り取った。集中、限定することで威力を高めたのだ。さすがは俺と同じく残虐王と戦い続けた歴戦の英雄だ。この程度の相手は造作もなかった。
強力なインファイターのアステールとザルドが前衛を務め、前衛と後衛の両方できる俺とイリナ、そしてルシャ。完全砲台役のレイチェル、防御と回復魔術が得意なラナがいる。
よほどの魔物が相手でも苦戦はしないだろう。
「驚きました。こんな強い人たちは見たことないです」
ウィルが感嘆した。瞬く間にタイラントベアはねじ伏せられていた。だがまだ安心できる状況ではなかった。
「先客がいたみたいだな。急ぐぞ」
血が点々と道を外れて雑木林の奥へと続いていく。まだ生き延びている可能性があった。急がねばなるまい。