48話 新たなる日常とは
都市への蝕害の攻撃、それは人的被害は奇跡的にないと言って等しいものだったが、揺れや攻撃などの余波によって倒壊、炎上した家屋がないわけではなかった。荒れてしまった舗装の整備もあり、都市の整備関係の人間たちというのは近頃大変忙しくしているそうだ。
当然そうなると上の人間たちも頭を悩ませることになる。市長室がある宿舎の会議室には難しい顔をした面々が都市の地図と睨めっこしていた。
アステールとルディス、さらに女性が1人。眼鏡をかけた妙齢の女性だ。彼女の名前はメリッサ。元市長の秘書にあたるが、まちづくりなどにも造詣が深く、突然のボスの交代にも不平一つ言わずに仕事を全うしてくれているありがたい存在だ。
「まだ住居を増やせるスペースがあるな」
アステールが呟いた。
分裂状態にある穏健派は半数ほどの亜人たちを残して引き払った。戦える者があちらの守りに必要なためだ。だから来た時ほどの亜人が都市にいるわけでもない。それでも人口の増加にともなう居住スペースの確保というのは重要な問題であった。
この都市に残ったのは人間に近いもの、そして人間に比較的好意的なものたちだ。ともに暮らせば互いに理解が深まるだろうという意図があった。
「こう言うと失礼に値するかもしれませんが、亜人の方々はかなり簡素な場所でも暮らせますからね」
発言したのはメリッサだ。
「しかし。人が増えると食料の問題もありますね」
それに続くのはルディスだった。都市計画などは彼らに任せることになる。俺が最も信頼できるアステールが居る以上、おかしなことにはならないはずだ。
「ああ、だが我々は小食だ。それほど気にする必要はないだろう。外に農地を広げてもいい」
「そうですね。これだけの戦力があればそれも可能ですね」
メリッサは眼鏡の奥の冷静な瞳で亜人もその戦力に数えているのだろう。亜人に悪感情も見せることもなく、仕事人といった様子で淡々と口にした。
「それに納税を拒否すればだいぶ潤います」
そう言ったルディスにアステールが向けたのは覚悟を問いかけるような視線だった。
「監獄都市と完全に敵対することになるがな」
「この状況で言い訳がききますかね? どう見ても敵対していますよ」
ルディスは薄々俺の正体にも感づいているだろう。亜人たちを従えているのだ、特に疑問を挟む余地もなく答えにたどり着いてしまうはずだ。
「さもありなん、と言ったところだな。メリッサはどう思う」
「住民と市長のご決断に従うまでです。その中で私は最善の仕事するつもりです」
やはり運営面は市長の秘書官やルディス、アステールに投げっぱなしだ。話に加わろうにも特に言いたいこともなく、そっと通り過ぎようとしたところで。
「エル!」
アステールが俺の存在を感知した。俺を見つけると喜色を滲ませて微笑みとともに控えめに手を振った。俺はそれに応えて手を振りかえす。
「エル?」
そして当然聞き逃すはずもなくイリナ姫は疑問を口にした。即座に悪手に気が付いた。この組み合わせは最悪だ。
イリナはエル・デ・ラントを知っている。残虐王を倒した男で白龍とともに監獄都市を脱出したと。アステールにはエルとしか名乗っていないが、イリナの持つ情報とつなげれば俺がエル・デ・ラントであることは明白になってしまう。わずかに冷や汗が流れた。
アステールはきっと俺が残虐王を倒した存在だとしても納得してくれるとは思う。ただ自らの中で深く苦悩するだけだ。俺はそんな真似をさせたくはなかった。
そして本当に最悪なのは彼女と仲違いすることだ。あの輝かんばかりの笑みをもう向けてくれない日が来るとは思いたくなかった。
「貴方の名前。エルって言うんですか」
「ああ」
迂闊に何も答えられずに短く頷く。こうなることを予測しろというのは不可能な話ではあったが、残虐王の姿になった時から偽名を使っておけばと思わずにはいられなかった。
「あの人と同じなんですね」
「珍しくもないと思うが」
真実としてそうだ。エルというのは神話にちなんだ名づけであり、子供につける名前として意外と人気は高く、珍しくはない。
「意外か? 人間には残虐王としか呼ばれていないからな」
「そうですね。よく考えれば貴方にも名前はありますよね」
イリナ姫は何やら神妙な顔をしていた。とにもかくにも俺はわずかに焦れて足早にその場を去った。
幸いなことにイリナ姫はそれ以上の疑問を抱かなかったのか質問をやめた。
町に繰り出してみれば、やはり工事関係の人々が忙しく活動していた。そこでひときわ活躍しているのが───ずしん、と足音を立てて俺の前を横切った巨体だ。
巨人族、身の丈を4メートルを超える亜人だ。本来数人がかりで滑車や魔術でしか運べないような大荷物を軽々と運び倒壊した家などの瓦礫の撤去から、工事現場まで引っ張りだこになっていた。
さらに巨人族だけではなくこういったものづくりに秀でる種族と言えばドワーフだ。彼らも人間の職人に混じって協力し合うことができていた。同じく技術屋という親近感でもあるのか、今のところは何とか不和もなくやってくれていた。
「これは酷いな」
俺が眼を止めたのは激しく損傷している家屋だった。流れ弾でも食らったか完全に倒壊していた。砕けた木片や砕けた煉瓦が足元に散らばっていて歩くたびにバキリと音がなる。
「市長代行さま。どうしてこんなところに」
この家の住人だろう。家の傍らで掃除をしていた1人の男が目を丸くした。
「仕事の一環でな。家がこんな状態じゃこれから大変だろう。泊まるあてはあるのか」
「はい。なんとか友達のところに。こんな状況ですけど仕方ありません。命があっただけでもうけものです。あなたには感謝しています。家族の命を救ってくれた」
男は感謝の言葉を述べて深々と頭を下げた。
「いや、それなら良かった」
以前は感謝されることも少なく、感謝されたいとも思ってこなかった。必要なのは強さだけだったから、あらためてここまで言われるとなかなか新鮮な気分だった。
「あ、レッドさん。あの件は」
家の住人の男が通りかかった亜人を呼び止めた。短足で背が小さい、髭もじゃの小男、ドワーフの男性だった。
「ああ、すまねえな。悪いが無理だ。返しに来たところだ」
「……そうですか」
「どうしたんですか?」
と俺の疑問を代わりにルシャが問いかけた。あまり個人的な事情に立ち入るのも悪いかと思ったのだが、能天気なルシャはそんなことは気にしなかった。
「実は……」
と語り始めた彼の話では亡き妻との思い出の品である指輪が壊れてしまったらしい。残された唯一の形見であり、家の祖先から代々受け継いだ高級品で、結婚する時に妻に送ったものだったのだとか。
「直せないのか?」
「いくら何でも粉々になっちまってな。瓦礫に押しつぶされたらしくてな。これを直すなら新しいの作るほうが簡単だ」
ドワーフのレッドが答えた。職人たちの気風なのか彼らは俺にも敬語を使わない。そのほうが話しやすくてありがたくもあるのだが。
「なら俺が直そう」
俺には俺のできることがある。それが残虐王から受け継いだ力だった。
「タイムドミネーション」
ターゲットと範囲、そして威力を設定して魔法を発動させる。すると壊れていた指輪の欠片が一人でに浮き上がり、時が巻き戻されて、もとの形を成していく。
「これは時空間魔法」
イリナ姫は驚いたように言った。
時空間魔法──時間と空間に作用する、現存する魔術師で残虐王のみが使用する属性だった。彼は俺の速さについてきた数えるほどしかいない人間の一人でもあった。
残虐王の知識を手に入れた俺は普段からある程度の魔術を使えるようになっていた。一度覚えてしまえばなんてことはない。呼吸をするように当たり前に使用できていた。
前回の戦場で得た時ほどのものではないが、緩い魂のつながりが残虐王との間にできてしまっているのを感じた。この時空間魔法もその一環だ。もちろんこの手の強力すぎる魔術には大きな制約もともなうのだが。
「こりゃ驚いた。まるで神話に出てくる神々の力だ。職人形無しになっちまったな」
レッドは直った指輪を手に取ってしげしげと眺める。
「凄い。あ、ありがとうございます!」
「構わないさ」
またしても住人の男は頭を下げて、何度も礼を言った。
「さすがマスター。かっこいいです」
ルシャは満面の笑みを浮かべて自分のことのように誇らしげに口にした。