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47話 ニース・ラディット

 薄暗い細道をレギルは必死になって駆けていた。バシャバシャと。地面に溜まった水を勢いよく跳ね飛ばして死に物狂いの形相で逃げていた。背後から迫りくる死の影から逃げ続けた。


 だけど逃げる場所などない、石造りの狭い通路がどこまでも真っ直ぐと続いている。頼りない灯りがあるのみで、辺りには濃い影が落ちていた。延々と終わりのない道を走る、絶望しかない暗闇の中にレギルはいた。


 背後に見えた。レギルに追いすがり、その身を喰らおうと光る瞳が。残虐王、この世に並ぶものなきと言われる魔導士、悪辣非道の怪物だ。


 恐怖にかられながらも、レギルはふとこれは夢なんだと思った。だが恐怖は本物だ。意識した途端、足を取られて派手に転び泥だらけになる。早く逃げなければ追いつかれてしまう。


 焦りは身を固くして、更なる焦りを呼ぶ。だが唐突に気が付いた、レギルの目の前に人が立っていることに。彼は救いを求めて手を伸ばすと、謎の男がその手を取った。


 感謝を告げようとして顔面が蒼白になる、そこにいたのはエル・デ・ラント。その姿は血にまみれていた。死んだはずの男だった。


「お前は死んだはずだ」


 悲鳴じみた叫びをあげた。亡霊は手に見覚えのある大剣を手にしていた。彼が敵をどうするかはよく知っている。魔術師を殺す、そのためだけに力を磨いた狂気につかれた男だった。


 レギルに襲いくる、前からも後ろからも死の影が。頭上に大きく振りかぶられた大剣は鈍く輝いていた。


「やめてくれ!」


 大剣が振り下ろされると同時にレギルは恐怖のあまり飛び起きた。


 はあはあと大きく息を吐く。全身に汗をかいていた。場所は何の変哲もない見慣れた寝室であった。時計は午前5時を示そうとしていた時刻だった。だがもう寝る気も起きなかった。ここ最近のレギルは悪夢を見てあまり眠れない日が続いていた。


 鏡を見れば、しっかりと五体満足の己の姿があった。しかし少しやつれたなと自覚した。顔に疲れが表れている。こんな顔を部下たちに見せるわけにはいかなかった。


 ため息をついた時に一本の電話が入った。こんな朝早くということ緊急連絡だ。まさか情報が本国に漏れたかと心臓が跳ねあがり、最悪の事態が脳裏を過った。祈るような気持ちで恐る恐る受話器を見る。そして肩の力を抜いた、それは本国からの連絡ではなく内線であった。


「なんだ?」


「こんな時刻に失礼いたします署長。ニース・ラディット様がご到着されました」


「そうか!」


 久々の吉報であった。

 その知らせが届くいや否やレギルは即座に彼を迎えに行った。


「よく来た。わが友よ」


 ニース・ラディットはまだ若々しい青年だった。イリナ姫の次に若い、まだ22になったばかりだ。それで英雄となり栄誉を手に入れた、そこら中で派手に遊び歩いていると聞き及んでいた。


 氷系統の魔術に精通し、あだ名を『神氷の魔術師』という。イリナ姫の鮮やかな蒼い髪の色とは違い、くすんで緑がかった青色の髪を短く刈り上げている。趣味の悪い成金染みた時計や指輪を見ると、生まれの卑しさがにじみ出ているとは感じた。


 だがレギルは大手を振って最大級の歓待の意を表した。そんなつまらない趣味嗜好など関係のない存在こそ仲間と呼ぶべき存在であるからだ。


 しかしレギルのそんな態度を見て。


「なんだなんだ。嫌な予感が凄いな」


 ニースは明確に引きつった笑みを浮かべた。

 



 レギルは彼を早々に引っ張っていって署長室に通すと事情を事細かに説明した。イリナ姫のこと、残虐王のこと、様々に及んだ。


「ははあ。大変な事態だな。それは」


 一番上等なワインを惜しみなく出した。ビンテージのコレクションだったがこの先の人生の値打ちとは比較にもならない。


「笑い事じゃない。これには俺の人生がかかってる」


「ま、そうだろうよ。エリートのお前さんの初めてのピンチってところかな」


「御託はいい。隠密を得意とするお前なら、救いだせるんじゃないか。交渉の期日を2週間後にする。その間にやって欲しい」


 ニースとはもともと敵対していたがひょんなことから協力しあい、いつの間にか仲間に迎えられることになった小悪党だ。こそ泥や密輸、人身売買などに手を染めていた過去がある。得意なのは裏の道だ。蛇の道は蛇と言う。


「ま、できないとは言わない」


 言葉には明確な含みがあった。

 ニースは上等なワインを品性の欠片もなくあおった。


「だがよお。地位も金もいい女も手に入れた。わざわざ命をかけて行くのもねえ」


 舌打ちしたいのを何とか堪える。立場は同等、命令できる相手ではない。こういう時のニースの態度は大きな対価を引き出したいがためのものだとよく知っていた。


「何が望みだ」


 望みうるだけの金も栄誉も女も手に入れた男が次に求めるものは何なのか。個人的な興味も少しばかりはあった。


「イリナ姫」


 冗談かと思い彼を見返せば、告げたニースの瞳は笑ってはいなかった。


「俺にくれよ」


「なんだと?」


「性格は相変わらず真面目ちゃんだが良い女になった。あのエルに懐いてたガキが成長したもんだよ。王族の女をいただくってのも男にとっちゃ最高の夢だろ」


 二人の間でぴりりと、殺気に近い気がぶつかり合い、弾けあった。


「それだけはできんな。俺を敵にしたいのか」


 いやいや、とニースは軽く手を振ってその雰囲気を霧散させた。


「なにも結婚相手になりたいわけじゃない。お前が欲しいのは血筋だろ。俺は身体で十分。世界で最高の姫君の処女ってのは美味そうだ。精霊に愛された清純な乙女と寝ると力も増すって言うぜ」


 味をしめればもっと欲しがる。野良犬の欲望とは尽きることを知らないらしい。とことん下卑た男だと侮蔑する。だがこんな男でも使い道があって仲間に引き込んだのだ。レギルにはない裏の道に通ずる彼は利用価値が高かった。


「あのイリナだぞ。従うわけがないだろう」


 己の信念に背く行いをされたら破滅覚悟で公表しかねない。


「残虐王に捕らえられて精神的にまいってるとかいう理由で閉じ込めて、薬漬けにしちまえばいい。イリナ姫だって女だ。すぐにものにしてやるよ。お前どうせ子供なんて欲しくないから構わないだろ」


「確かにそうだが」


 栄光は自分に集まってこそ意味がある。血を分けた子供がなんだという。


「そうすりゃお前にとっても都合がいいんじゃないか」


「なに?」


 どういう意味だとレギルは聞き返す。


「はっきり言ってこのレース。お前に勝ち目はないぜ」


「まだ分からん」


 ニースの言うレースとは婚約者の地位の争奪戦のことだ。一番手を走り続けているはずなのにゴールが見えてこない。しかし死した男に負けるなどレギルの矜持が認めさせなかった。


「分かるさ。手に入らない花こそ一番美しいもんさ。あのじゃじゃ馬娘の目が覚める日が来るもんかね」


 確かに一理あるとも思った。いつまでも亡霊を追っている彼女を待つもはもはや限界だった。この男が連れている女はいつも完全に躾けられている。ニースは元々その筋にも精通しており、つまらない失敗はしないはずだった。もし彼女が今回で目が覚めないのならばもう。


「いいだろう」


「じゃあ決まりだな」


 と言ってニースは話は終わりだと立ち上がった。


「そんな口約束でいいのか」 


「俺達がどれだけ悪巧みを一緒にやって来たと思ってる。裏切ってどうなるか」


「十分に分かってるとも」


 不本意だがお互いの身を破滅させるだけの弱みはいくつも握り合っている。持ちつ持たれつ、そういう関係でここまできた。これからもそうしていくべきだろう。


 ◇◇◇◇◇◇


「どうですかマスター」


 真剣さと緊張が入り混じった表情でルシャは問いかけた。時刻はお昼を過ぎた頃だ。美味い飯を堪能し、ひと時の休息に身を沈めていた俺の目の前には一杯のお茶が置かれていた。俺はそれを仰々しく手に取ると一口味わって……。


「……まずい」


 婉曲な褒め言葉を探していたが、思いつかないので仕方なく断言する。どうしたら逆にここまで不味く作れるのか不思議だ。褒めるところが一切見つからない。相変わらず成長の気配も見せていなかった。


「そんな」


 ルシャはがっくりと肩を落とした。


「何ででしょう。愛情たっぷりなのに」


 料理もお茶もまず愛情以外のものをしっかりすべきなのだ。それは最後のスパイスでいい。


「どうぞ。お茶菓子です」


 ラナはお盆にこじゃれた焼き菓子を乗せてやってきた。この都市に亜人が滞在していることもあって彼女はもう亜人の耳を隠してはいなかった。いくぶん慣れてきたのか、俺たちの前ではおどおどしていた態度もかなり緩和している。


「お。美味いな」


「ありがとうございます」


 照れ臭そうにはにかんだ。俺のわずかな疑問の視線を受けてラナは答える。


「実はそれ私が作ったんです」


「手間かかっただろ」


「いいえ。全然そんなの」


 俺の気遣う言葉に対してラナは首を振って見せる。


「エルさんのためですから」


 小さく呟き、お盆で隠した頬は朱に染まっている。それが俺の位置から絶妙な角度で視認できた。仕草がいちいち可愛らしい、これはラナの処世術の一つで俺に取り入ろうとしているのか、まさか本当に天然記念物的な存在なのか、相変わらず彼女のことをはかりかねていた。

 

 なんにせよ、傍目から見ればなんとも和やかな雰囲気だった。そこで。


「むー」


 とルシャが唸って自己主張を始めた。


「弟子一号が蚊帳の外です。寂しいです」


「そう言われてもな」


「私もマスターに褒めてもらいたいです」


 大人しく黙っていてくれれば幻想的だとか、神秘的だとか、褒めようはいくらでもあるが、ひとたび口を開くと子供っぽいところが全面に出てくる。俺はまだ未婚なのに娘でもできたように可愛げがある子だ。ラナもこれぐらい馬鹿だったら分かりやすいのにと思わずにはいられない。


「お茶はともかく。ルシャがいてくれて助かってる」


「マスター」


 感動したのかルシャはきらきらと目を輝かせる。そんな自分から引き出した言葉で満足できるのかという疑問はあったが、本人が納得しているならいいのだろう。


 壁にかかった時計を眺める。時刻は午後1時を示そうとしていた。


「そろそろ行こうか」


「はい!」


 ルシャは元気よく頷いた。

 

 都市運営において俺にできることなど多くはない。まずはできることを。市中へ顔を見せることで住人の意見を聞き、もめ事の仲裁に入ることが大きな役割だ。


 これでもついでだと、渋るイリナ姫も誘って市中散策へと赴いた。

  


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