39話 レストの傭兵
亜人の集落はすっかりお祭り騒ぎになっていた。備蓄していた貴重な酒を振る舞いみなが喜びを溢れさせていた。出発までの短い時間の祝宴だ。それが王の帰還によるものであることは分かり切っていた。
「なんかめでたいことでもあったのか」
あまりの様相に、傭兵たちもさすがに何かおかしいと感づいていた。彼らはみな、亜人たちのリーダ各が集まる天幕へと連れて来られていた。俺たちもその場に一緒にいた。
「ああ。今日は祝いの日になるかもな」
代表としてアステールが彼らと応対する。
「おお素晴らしい。俺らも祝わせてくれよ。そのついでに解放してくれるとありがたい」
傭兵のリーダーの男が調子よく言うがアステールに「駄目だ」と簡単に切って捨てられる。
「なんだよ。ケチだな」
「それほどに憎しみは深い」
アステールは腕を組みながら淡々と告げた。
「俺たちは傭兵、金をもらったから依頼を遂行する。それだけの存在だ。あんたらは剣を憎むのか、違うはずだ。それを使ったやつを憎むだろう」
「その剣は勝手に人さらいもするんじゃないか」
「ま、確かに人さらいでもあるな」
リーダーの男は悪びれもせずに答えた。
「しかしだ。傭兵というのなら我々が依頼しよう」
「美人の願いは聞きたいところなんだがな。依頼主を裏切ることはしない」
「律儀だな。そのために命を捨てるのか」
「それがレストの決まりなんでな」
傭兵のリーダーの男は飄々とした態度で答える。それもそのはず、傭兵稼業などが成り立つのは金を払う依頼主を決して裏切らないことが肝要だ。レストは厳しくそれが守られている。なぜならそれが担保されなければ誰も傭兵を信用しなくなる。そこだけは守らねばならぬ一線だった。
脅しても折れないと感じたのかアステールは話を少し変える。
「お前らはどういう条件で雇われた」
「自由都市領内に入り込んできた先住民を追い払って欲しいと。あとルディスという名前の探検家の行方だ」
アステールの視線が俺に向けられ、かすかに頷く。
「分かった。用件が終わり次第引き上げよう。そのルディスというのも我々で探してやってもいい。それでお前らの依頼は達成だ」
急な申し出に傭兵たちは訝しげに顔を見合わせた。
「ただし条件がある。大蝕害を退治するのに協力してくれたらな。我らは実は強力な蝕害に追われていてな。エルフの森からできるだけ引き離して倒す算段だった。それが不幸にも自由都市に向かっている。我々は自由都市に到着する前にやつらを倒す。それに助力を求める」
傭兵を蝕害の退治に駆り出して倒せればそれで良し。倒せなくとも目撃者が消えると。
「金はあんのかよ」
「代価はお前らの命で支払う。足りないか?」
アステールが手を挙げると周囲の武装した兵士たちから殺気が叩きつけられた。
「どうやら拒否権はなさそうだな」
渋々と承諾の意を示した。
それから出立まで少しの時間が空いた。軍ほどの規模の大軍を動かすには時間がかかるのだ。俺も傭兵たちに怪しまれないように、彼らと一緒に過ごしていた。不自由はあれど、それぞれが思い思いに過ごしていた時のことだ。
「俺を助けてくれないか」
酷く深刻そうな顔をして傭兵のリーダーは言った。
「あのくそ生意気なエルフの小娘を攫ってここから逃げよう」
何かと思えばそんなことかと呆れかえる。
「傭兵の規則はどうしたんだ?」
「金をもらわなきゃ正式な依頼にはならん。規則違反じゃない」
聞いてくれ! と涙ながらに彼は言った。
「俺には高貴なエルフの生き血が必要なんだ……俺の妹はエルフの魔術師の呪いを受けた。それを解くためこんな仕事をやってきた。もう本当は嫌なんだ。やりたくなかった」
その訴えはルシャにだけは響いた。
ギュッと辛そうに胸に手を当てて優しく声をかけた。
「話せば分かってくれますよ。セレーネさんに言ってみましょう」
「やめろ。そんなの意味ない」
「なんでそんなふうに決めつけるんですか! 一度試してみるぐらい!」
「嘘だからな」
何でもないようにリーダーの男は答える。
「は?」
「俺の虚言癖も金貨さえあれば治るんだ。俺を助けると思って誘拐を手伝ってくれ」
ルシャが無言で脛に蹴りを入れると、彼はぐっと呻いた。
「痛ってえ! このくそ餓鬼なにしやがる!」
「うるさい! その口を閉じてろ、この小悪党め!」
「二人とも落ち着け」
戯言はもう十分だ。
俺のほうにも重要な話があった。
「亜人を追い払ったら依頼は完了なんだろう。ならそれからは俺が雇う」
「金は?」
「悪いが今はこれしかない」
手持ちにあった白い金貨を指で弾く。外出するのにそんな大金は持ち歩いていなかった。リーダーの男は空中で受け取った金貨を眺めて驚いた顔を見せた。
「おっと。気前いいな」
「足りるか?」
「俺を試してるのか。人が悪いねえ」
彼は片目を閉じて光に透かしながら金貨の細工を観察した。
「足りるも何も。こりゃただの白金貨じゃないだろ。古王国で製造された美術品だ。監獄世界でこんな精巧な細工のものは作られてはないし本国から持ってきたんだろ。値は普通の白金貨の50倍はくだらない。いや、向こうのレートで50だからな。こっちじゃもっと貴重だ」
俺はどうしようもないほど芸術に疎い人間だ。格式ばった装いは嫌いだし、高尚な趣味など持っていない。全く価値を理解していなかったが、どうやら予想以上に値が張るものだったらしい。残虐王め、よほど俺に跡を継がせたいらしい。
「協力しろ。蝕害を倒すぞ。ルディスも彼らがなんとか探してくれるそうだしな。そうすれば依頼は全部達成だろ」
「いいぜ。確かに引き受けた」
にやにやと心底嬉しそうな顔で白金貨を眺めた。
舐めるように見つめている。
「そういうや名乗ってもなかったな。俺はザルドだ」
「エルだ」
「これからよろしく頼むぜ。旦那。あんた良い客になってくれそうだ」
調子の良い奴だ。ポンと俺の肩を叩く。がっはっはと大口を開けて笑い、その場を去るところで彼は隅っこで震えているラナに目を止めた。
「そこのやつは何してんだ」
「はひ。こ、こんにちは」
人相の悪い傭兵に見据えられたラナは裏返った声を挙げた。だらだらと冷や汗を流している。そんな態度にザルドは不可解そうにしながらも興味を失って出て行った。
彼が出ていくとラナはどっと肩の力を抜いて、
「傭兵怖い」
と呟いた。
「私はああいう人たちは……に、苦手で」
ぶるぶると身を震わせる。
「大丈夫です。ラナさん。意外とああいうやつらは力の差を見せつければ従順です」
「あのね。私見せつけられちゃうほうだからね。ルシャちゃん」
戦って勝てるなら最初から怯えていないという話。
「まあ、後衛魔術師の天敵は近い位置にいる前衛戦士系だからな」
魔術とは基本的に魔術以外に防ぐ術がない。できることは躱すことだけだ。しかしそんな魔術師も苦手にするものがある、それが物量で畳み掛ける近接攻撃だ。
守護壁とはその者の恩寵量に応じて常に体の周りに展開されている恩寵による壁である。壁というよりは正確に言えば緩和するものだ。ある一定の大きさの力での攻撃以外を通さず、そして防御力を越える攻撃も一定量緩和する。
恩寵量が50の者が張った守護壁は攻撃力50までのものをすべて遮断し、100の攻撃を50にまで落とす。その強度もある程度意識によって増減し、ある場所は防御力40である場所は60でという具合にバラツキがある。これを見極めて攻撃するのが基本だった。
そんな守護壁も組み技で動きを阻害することだけはできる。それは攻撃ではないからだ。掴まれて捕まえられるなどすれば致命的だ。特に守護壁突破の技術が発展した今、ただの戦士たちの物量攻撃でも脅威だ。
さらに意識的に発動させる強力な防御魔術は展開しようとする領域の中に敵に入り込れると上手く構築できない。それも魔術師の戦士嫌いに拍車をかけているのだろう。
「ああいう人たちが間合いの中にいるだけで凄いストレスで。胃が……きりきりするんです」
うううと呻いて胸を押さえる。
「大丈夫です。私が守ります」
ルシャが優しく肩を叩く。
年下に慰められたラナは涙目になってうんうん頷いた。