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4話 プラチナドラゴンと死に際の男

 頭上で警報が鳴り響く。

 旋回する紅い光の下で息を切らせながらも必死に走る。


 何かを盛られたのか頭痛が走り、傷口から力が抜けおちていく。だが捕まれば死が待っている。看守の立場を利用すればいつでも殺せるはずだ。とにかく歯を噛みしめて走る以外になかった。そうして、とうとう見えた……目的地が。


 白い鱗の美しい龍が寝そべっている、俺の仕事場だ。

 脱出するには彼の力を借りるしかない。

 わずかな希望を胸に宿した時、目の前を塞いだ影があった。


「ざんねーん。ここは通せません」


 アリーチェがふわりとスカートの裾をなびかせて、俺の前に立ちふさがった。


「お前はなぜレギルに従う」


「レギル様は全てを手に入れるお方。イリナ姫も、この世の権力全てを。その時私は彼の隣にいて、全てが思いのままになる。恨むなら自分を恨むのね、出来損ないの下民風情がレギル様の邪魔をしたことを」


 俺たちの中で最も家柄がいいのがイリナ姫だ。それは当たり前のことだ、彼女は世界統一連合の中心国家パラディソスの第一王女、もっとも王位に近いものだった。


「イリナと結婚したらお前はお払い箱になるんじゃないか?」


 動揺を誘うための言葉だったが、それは通用しなかった。

 アリーチェは嘲笑を浮かべて余裕そうに答えた。


「レギル様があなたに似た馬鹿な小娘に本気になるわけないじゃない。本当馬鹿みたいよね。あの人がこんなことするわけない。私は信じないってずっと泣いちゃってるわよ。慰めながら笑いをこらえるの大変なんだから。まあ、どうせあんたなんかすぐ忘れてレギル様の虜になるわ。……それじゃあそろそろ死にぞこないは」


 彼女は魔術儀礼の施された剣を取り出し、俺の命を刈り取るべく無造作に振るった。


「死になさい!」


 一部の迷いもなき雷光のごとき一撃が迫りくる。くらえば死は免れなかった。だが俺はアリーチェの腕を掴んでそれを受け止めていた。


「どこにそんな力が」


 アリーチェは忌々し気に顔をゆがめる。

 この女はここまで醜い顔をするのかと、ぼんやりと思った。


「なんで俺がさっきゼクトを狙ったか分かるか」


「はあ?」


「お前程度、この状態でも負けるわけがないからだ」


 ほとんど命を削るように最後の気力を振り絞った。例え一瞬でもまともに戦えれば彼女に負けるわけがない。だからこそ力が未知数のゼクトを狙ったのだ。


「自分で殺しに来ないところが臆病なレギルらしいな」


 手に力を込めて腕を握りつぶすと骨が砕ける音がした。

 同時に甲高い絶叫が空を貫いた。


「うぎ。ぐ」


 聞き手を潰したのちに、首を掴み締め上げる。ぎりぎりと、満身の力を込めて。


「うぐぅ。く。死ね!」


 アリーチェは袖口に仕込んだ予備のナイフを瞬時に手に収め、俺の首を狙い刺突を放った。


 だが俺はその刃物を素手で受け止めて、ナイフをぐしゃりと握りつぶした。バラバラと粉々になった短剣が地面に転がり落ちていった。


「ひっ」


「魔術師が俺の間合いに入るなんてな。馬鹿はお前だったな」


 この間合いで俺に敵う魔術師などいない。


「やめ、やめて。たすけて」


 アリーチェは喉を締め上げられ潰れた声で縋る。俺はそこで少し手にかける力を緩めた。すると彼女は今まで見下していた相手に惨めにも必死に慈悲を乞うた。


「な、何でもするから。何でもします。殺さないで。あ、あなたの女になるから」


 彼女は大胆に服をはだけた、しかしそんなもので俺の心は揺れなかった。反応の薄かった俺を見て焦った彼女はなおも言い募る。


「い、いえ下僕でも。奴隷でもいい。だからお願い。助けて」


 アリーチェはとめどなく涙を流して、表情は恐怖に染まり切っていた。俺はゆっくりと、ため息を吐き出した。


「俺も本当はこんなことしたくない。仲間だったから」


 彼女の瞳に一縷の希望のようなものが宿った。

 しかし俺の言葉はまだ終わってはいない。 


「でもお前らは敵なんだろ? なら殺さないとだ。一人残らず」


 敵は打倒すものだ。俺は強くなるために、ずっとそうしてきた。


「残念だよ。本当に」


「やめ」


 断末魔のごとき嗚咽と、ごきと鈍い音が響き渡った。




「はあ。はあ」


 荒い吐息を吐き出す。完全に力を使い果たしてしまった。目は霞みかけ、もはや雑兵一人といえまともに戦闘行為をするのは危険だった。壁に寄り掛かりながらも前に進み続ける。


 この騒ぎと、夜分の突然の来訪者だ。白龍は何事かと俺をじっと見据えた。


 白龍は全身に鎖が巻かれ逃げ出せないようにされている。ところが俺には秘策があった。ポケットから手作りの鍵を取り出す。


 龍を動かす時には鎖を外す、その鍵を俺は手にする機会があった。看守の目を盗んで鍵の型をとり、複製していたのだ。これのために看守の買収や囚人との取引でいくらかかったことか。万に一つ白龍が脱出に手を貸してくれるかもしれないと以前に作ったのだが、まさかこんな状態で使用する羽目になるとは。


『何の真似だ』


 鍵を引っ掴み、足の枷を外していると白龍は訝しげに問いかけた。


「あんたをここから出す」


『失せろ。ここを去る気はない』


 手早く鎖を身体から外していく。

 だが肝心の龍の方は乗り気ではないようだった。


「あんたの子はもう死んでる。看守達が殺してしまったんだ」


『!』


 動揺が明確に現れた。それは既に幾多の年月、自問自答してきた問だったのかもしれない。


『断る。確証がない』


「生きてる確証だってないはずだ!」


『私を利用しようとしても無駄だ。人間』


 歯噛みする。彼を説得しなければ逃げる手段はなかった。


「動くな!」


 はっとして咄嗟に振り向く。建物の入り口には看守の姿が。警棒のみを装備している一般の看守だった。暴徒鎮圧用の特殊部隊が来たら終わりだ。


「すぐに応援もくるぞ。抵抗するな!」


 無視して作業を進める、俺の行為を止めるために看守は駆け寄ってきた。手に警棒を持ち、俺を制圧するために、それを叩きつけてきた。


 咄嗟に立ち上がって反撃しようとして、足元がふらついた。


「ぐっ。くそ!」


 まともに戦うこともできず、警棒を腕で受ける。ゴキ! と音がして思考回路が焼き切れたようにノイズが走った。唇を噛みしめて正気を取り戻すと、攻撃が成功したことで油断している看守の腹に当身を喰らわせる。鈍い呻きをもらして看守は崩れ落ちた。


 何度か掌を開閉する、骨が折れた可能性もあった。

 警棒の一撃は馬鹿にできない。


『お前。その傷』


 腹の傷を見る。縛った布の切れ端を赤く染め上げていた。


 ここに至り、もはや俺は覚悟を決めていた。残ることは死を意味していた、しかし腹の傷は深く、逃げようと端から結果は変わらなかったのだ。導かれるようにここに向かってきた意味は……きっと俺の心の奥底の思いからだった。


 強張っていた全身から力を抜く。紡ぎだす言葉は酷く穏やかなものになった。


「俺はもう助からん。だから最後の命を好きなことに使いたいんだ」


『好きなこと?』


 白龍は真意を探るように囁いた。


「お前を助けたい」


『……』


 全ての枷は外し終わった。もはやつなぎとめられているのは意思だけだった。


「俺を信じるか! ここで朽ち果てるか! 今すぐ選べ!」 


 言葉に押されたように白龍の瞳に力が宿った。巨体を持ちあげて翼を広げた。

 大きい──その翼を広げた全長は8メートルはあるだろう。


「いたぞ! こっちだ!」


 看守の声が聞こえてはっとする。またも看守が姿を現しつつあった。今度は数も多く、鎮圧用部隊もいる。急いで竜の背中に昇ってしっかりと掴まる。


 翼をばさり、と一扇ぎ。それだけで突風が巻き起こった。


「逃げられるぞ! 攻撃しろ!」


 看守の一人が叫ぶ。


「馬鹿野郎、ドラゴンに当るぞ! 署長の許可がないと駄目だ!」


 攻撃をしようとした男を別の男が押さえつける。仲間内で争う彼らに向けて竜は口を開いた。口内にてらてらと紅い光が宿る。


「退避っ! 退避しろっ!」


 絶叫染みた叫びが飛んだ。

 蜘蛛の子を散らすように一斉に壁の物陰にすっ飛んだ。


 その直後に彼らに向けて火炎が吹きつけられた。こうこうとした橙色の光が闇を染め上げる。凄まじい熱風が肌に照り付け、髪を揺らした。次第に火炎は一直線に収束を始め、白龍が直上へと首を振ると、遅れて通った炎は天井を焼き切って大穴を開けた。


 白龍は二度、三度、羽ばたいて──大地を蹴った。


 ぐんと上から重力が押し寄せ、景色が流れるように移り変わった。背中にしがみついて重圧に耐え続けていると、気が付けば監獄都市が足下にある大空にいた。今まで暮らしていた場所が豆粒のように小さくなっていた。


「このまま離脱するんだ」 


『いや……先に行くところがある』


 ぐるぐると旋回し、狙いを定めたのか地上に向けて滑空した。その最中にゴウゴウと燃え盛る火の玉を吐いた。火炎はひときわ高い建物の天井に着弾して吹き飛ばし、竜は崩れかけた建物に足を突ける。


『約定を違えたな』


 怯えた悲痛な声が室内から届いた。身を乗り出して中の様子を確認する。


 そこは上等な部屋だった。有名作家の絵画が飾られ、純金で作られた甲冑などの多少悪趣味な調度が揃っている。そして部屋の主である署長は腰を抜かして地面に転がっていた。


『あの子を殺したな』


「ご、誤解だ! 手は尽くしたんだ! あれは事故で!」


 虚し言い訳であった。そんな言葉が届くわけもなく。


「やめてくれ!」


 絶叫を呑み込むように火炎が部屋を埋め尽くした。


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