20話 悪党の人助け
道中を歩む最中に目を細める。目を凝らし遠くを凝視すれば、細々とした人影が右往左往しているのが目に入った。二人組の人間が取り囲まれて、その傍らには8人ほどの人間が武器を手に持っている。人間同士の戦いのようだった。
「急いで助けましょう!」
いや、君。それ悪党の発想じゃないでしょ。というのも今さらだ。
「分かった」
言うが早いか動き出す。
かなりの速さで走っていたがルシャは難なくついてきていた。
得た恩寵は直接的にその個体の生命力そのものになる。生物としての力だ。いかに背が小さくとも、外見が可愛らしくとも、その実力は侮ることはできないものだ。それは魔力源となり様々な魔法を行使させることを可能にした。
だが──これについてこれるかな。
魔力操作による肉体活性、そのレベルを跳ね上げる。
強く踏み込んだ瞬間、地面が弾け飛んだ。
景色が高速で流れる。勢いをそのまま乗せて、剣を閃かせる。
まずは弱い者を味方する。狙いは二人組を狙っている男だ。
交差しざまに、振りかぶられていた剣を叩き折った。勢いを全て乗せた一撃は、容易く相手の持つ鋼を両断した。
だんっ! と地面に着地すると、その場の人間たちは驚きを顕にしていた。
「状況はどういうことだ?」
二人組に素早く告げる。
「こいつらは監獄都市からの脱走者だ。それも重罪犯の」
片方の男が簡潔に答えた。だがわずかな疑問が。
「重罪犯は警備が厳しいはずだろ」
一瞬、彼を疑った。まだ俺はこの場の事情を何も知らないのだ。
だがその答えを簡単に教えてくれたのは周囲の男だった。
「最近よお、監獄都市の警備が緩いんだよ。なんか知らねえけどよ」
スキンヘッドで頭に刺青を入れたいかつい顔の男が答えた。どうやら男たちのリーダー格であるようで、一人だけわずかに雰囲気が違った。よく鍛えられた身体といい、そこそこ腕がたちそうだった。
「じゃあ俺はこっち側につくか」
状況は明白、重罪犯におそらく自由都市の人間が襲われている。二人組は片方が男で、もう片方がフードを目深にかぶっていたが少女であることが分かった。
どちらに加担するかは迷いもなかった。
襲われているものを助けるに決まっている。
「マスター速いです。ようやく追いつきました」
ルシャが息を切らしてやって来た。
「俺だって鬼じゃねえ。人間までどうこうしようってんじゃねえんだ。そこの亜人やろうを差し出せば命だけは助けてやるって言ってんだよ」
ルシャには厚い外套を被せている翼を隠させている。
傍目には亜人には見えないはずだった。
その言葉はどうやら二人組の片割れである少女に向けられていた。
少女を庇うようにもう一人の男が立ちふさがっていた。
スキンヘッドの男は軽薄な口調で言う。
「亜人は東に行けば高く売れるのよ。先立つものが必要でな」
「もし断ると言ったら?」
そう問いかけると男は俺を小馬鹿にしたように笑った。
「やめておきな。イーストランド一の剣使いバードとは俺様のことよ」
「イーストランド一だと?」
俺はその言葉の意味を理解しかねて聞き返した。
「青ざめたな」
得意げにバードと名乗った男は続ける。
「へへへ。気にいらねえやつは。何人も病院送りにしてきたんだよ」
ボキリボキリと拳を鳴らし、野卑な笑みを浮かべた。
まさかイーストランド一の剣士がこんなところにいるとは、と驚くことは残念ながらできなかった。なぜならば。
「いや、悪いがお前のことは知らん」
「俺様を知らねえのか。どこの田舎者だ」
「俺はパラディソス住まいなんだ」
イーストランドと言えば田舎のほうだったはずだ。何個も似たような地名もあるわけで、どのイーストランドかもまったく見当もつかなかった。
「てめえ! 都会風吹かせやがって。そんなに都会が偉いのか!」
「いや、そんなこと言ってないが」
「お前はもう許さねえ!」
何気ない一言だったが男の逆鱗に触れたのか、もはや全く関係のないことで因縁をつけられてしまった。
「ふん。ちんけな小悪党めが」
そこで唐突にルシャが口上を述べ始めた。
そして手で俺を指し示す。
「いったいこの方をどなたと心得ている! 恐れ多くもこの方こそ──ふぎゃ!」
その戯言が止まったのは俺のチョップがルシャの脳天に炸裂したからだ。ルシャは意味が分からなそうに頭を押さえて涙目で俺を見つめた。
「悪党は軽々しく正体を明かさない。分かったか」
「は。そ、そうだったのですね」
小声で言うとルシャは大きく頷いた。
まさか俺の正体を明かそうとするとは。
馬鹿なのか、いやそれはもはや疑いようもないことだ。
カオスだ。場が馬鹿たちによってカオスに満ちている。
今までの俺の戦いにこんな間抜けな状況は未だかつてなかった。
「ちっとはできるみたいだがな」
バードは他の男から奪うように剣をもぎ取り、俺に向かって大きく振りかぶった。この時点で、ああ、こいつはど素人だなとどこか状況を客観的に眺めていた。
「死んで後悔しな!」
剣が振り下ろされた瞬間、カチンと音が響いた。
「あ?」
バードの顔が呆気にとられて歪んだ。
俺が一歩も動いていないにもかかわらず、傷一つ受けていなかったからだ。
「よく見ろ」
指を男の持つ剣に向ける。彼は驚愕して柄をとり落した。
なぜならそれは刀身の半ばから、ずるりと断ち切られていた。
俺は居合の要領で抜刀し、攻撃に合わせる形で武器を破壊して納刀した。
この場にその一連の動作を目で捉えられたものはいただろうか。
まったくもって、遅すぎる。
しかしそれも当然、俺が対魔術師用に磨きに磨いたのはまずは速さだ。守護壁を張れない俺は魔術を一撃たりともくらってはいけなかった。それゆえ全てを躱すしかなかったのだ。
かつて俺の速さに対応できたのは数えるほどしかいなかったものだ。
別に彼を殺しても良かったのだが、流血なしでこの場を収めようと考えた。助ける二人組への心象をできるだけ良くしておくべきだと思ったからだ。
「おいお前ら。一斉にいくぞ!」
さすがに敵わないと見て顔を青くした男は、周囲の人間に号令を飛ばす。
しかし、誰も動かない。
「おい。お前ら!」
リーダーが手も足も出ず戦意を失っているのだろう。これはチャンスだ。襲ってこないならば魔術の使用感を確かめてみるべきだろう。実戦ならば成功する、とまでは言わないが、試してみようかと思い知っている初級魔術を唱えてみることにした。
『ファイアーアロー』
掌を彼らに向けて詠唱する。
少しの恥ずかしさがあったのは内緒だ。
結果に対する好奇心があった。
しかしやはり試した時と同じだ。なかなか発動せず、魔力は混沌としたまま収束しない。
嫌な予感が背筋を包んだ。どん! と爆発音のようなものがして同時に数十発放たれた炎の弾丸は見当違いの方向へ飛び回り周囲を消し炭へと変えていった。
またしても魔術の失敗だった。
「な、なにこの威力」
「す、凄いな」
助けた二人どころか俺も茫然とその場で佇むはめになった。
「す、凄い。マスターの怒りを買った相手はこうなってしまうのですね」
ルシャは開いた口がふさがらないようだった。
「やべえ。化け物だ! 殺されるぞ! 逃げろ!」
男たちは泡を食って一人残らず逃げ出していった。
もともとそのつもりだったが、威嚇には十分だったのだろう。
「さ、さすがマスター。か、かっこいい」
などとのたまうルシャを半ば無視して俺は叩き折った刀剣を眺める、その結果は頭の中のイメージとわずかにずれていた。以前と体格にそれほど違いはなかったがリーチが違う。若干だが腕が長い。
感覚とのずれは一朝一夕では埋まらないだろう。肉体性能は十分すぎるほどではあったが、まだ体の重さは抜けなかった。少しずつ慣らしていくしかないだろう。
残虐王の残していた剣もなかなかの業物だ。固さを重視したアダマンタイト製の一品になる。魔術伝導率を重視するならミスリル製、両方のいいところ取りのオリハルコンなどがある。無銘の愛剣に懐かしさを覚えたがこれで十分だ。鋼を両断し刃こぼれ一つなかった。
しかしやはりどうにも分からない。魔術が失敗したのはどういうことだろうか。この身体は残虐王の力を継いでいるはずなのに。
俺の思考をよそに助けた二人組はしゃがみ込んでいた。二人の視線の先には一匹の犬が倒れ伏し、身体に大きな傷を負って荒く吐息をこぼしていた。
「可哀想だがもう駄目だな」
青年が言うと、もう一人の少女は表情に悲哀をにじませる。
「ちょっといいですか」
と傍らに座り込んだルシャの短剣で指を切った。何をするかと思えばその指先から零れ落ちた血液が傷口に触れると、瞬く間に傷がなくなった。
元気を取り戻した犬は尻尾をパタパタ揺らしてルシャにじゃれ付いた。
「わ、いい子いい子」
「お、おい。命を与えたら」
「大丈夫です。傷を癒した程度なので」
焦りつつもこそこそと話す。
しかしそれなら一安心かと思えば。
「ただ、力が戻るまでは不死じゃなくなります」
「なんだって?」
「今やられたら普通に死んじゃいます」
けろりとした顔で答える。
犬っころ一匹のためにそんなリスクを負わないでくれ。
そんなふうに考える俺はやはり冷たい人間なんだろう。
雰囲気が序盤と違い過ぎているかもしれません……
最近コメディシーン多めです。