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プロローグ

 王政ベルタ帝国は大陸の北に位置する、列強の中でも頭一つ抜けた軍事大国である。

 古くはただ一人の王によって統治されていたが、歴史の流れに呑み込まれて王家の絶対的な権力は失われた。現代では六人の『王』による合議制国家へと様変わりしている。

 議会に居並ぶ六王たちは、生まれからして個々の特徴を持つことが多い。

 ある者は王家の血筋に連なる家に生まれ、名門校にて学び、その緻密に積み上げられた智謀と人脈でもって王の地位にまで上り詰めた。

 またある者は、将軍が酒に酔った勢いで娼婦との間にもうけた庶子ながら、数多の戦いで武功を上げ、軍の圧倒的支持のもとで王となった経緯を持つ。

 六人の王は時に手を握り合い、時に足を引っ張り合いながら、王政ベルタ帝国を治めてきた。ただ一人の独裁ではなく、しかし王と呼ばれるに相応しい強権を握る者たちによる統治。

 諸外国は元より、国内からの反発すら権力を盾に()ね除けてきたがゆえの国力が、帝国にはある。軍事面は当然として、それは経済、特に観光分野での強さすら、例外ではなかった。

 過去に賭博師紛いの王がいたのか、あるいは詐欺師顔負けの非情さを持つ王がいたのか。

 理由がどうあれ、帝国には賭場が数多く存在していた。

 政治の中心たる帝都バートにも、賭場目当ての観光客が集まる。

 いや、むしろ、帝都こそが賭博で帝国随一を誇る街だった。国営は勿論、認可を受けた民営からペテンが日常の非合法な賭場まで、主要区であれば、それこそ通りを一本歩けば必ず何かしらの賭場を横切る有様である。

 そんな帝都でも最大規模の賭場が、噂に名高い『白兎(しろうさぎ)』の縄張りだ。

 王帯鉄火場(おうたいてっかば)

 軍の駐屯基地とその訓練場を丸々呑み込めるほどの敷地を持つ巨大な賭場だ。カードや賽子(さいころ)を用いた賭博の他、まだ普及し始めのルーレットやダーツもあり、一見(いちげん)お断りの地下では拳闘まで行われる。

 法律が許す限りの賭け事を詰め込んだかのごとき王帯鉄火場には、連日数千数万の客が訪れ、喜び嘆き笑い泣き……、誰もが夢を掴み、あるいは散らしていった。

 そして。

 多くの観光客の波に混じって、その男たちが訪れた。

 男の中で最も目を引くのは、やはり左を歩く長身の者だろう。一八〇前後。単純な上背だけでいえば極端に目立つわけでもないが、服の上からでも分かる、全身を無駄なく覆う引き締まった筋肉が上背以上の大きさを見る者に抱かせた。

 その男、アルター・フェランは、筋肉質な肉体とは裏腹に、横長で薄い眼鏡の奥に神経質そうな眼光を覗かせている。何より秀才然とした表情や仕草の似合う整った顔立ちが、彼に意識が引き寄せられる最大の要因だった。

 彼の反対、右を歩く男も、(いささ)か以上に目を引く空気を纏っている。三人いる男の中で、彼は最も背が低かった。この三人組を背後から眺めたとすれば、左から右へ徐々に視線を下げる形になるだろうか。

 横を歩く二人に比べて、彼の肉体は少々見劣りした。背丈も無論あるが、純粋に鍛えられ方に差があるのだ。胸板にせよ、手足にせよ、横の二人より目に見えて薄く、細い。

 だが、それでもなお、彼は侮りや嘲りの視線を向けられることはなかった。

 セオ・ブエンディア。体格で劣る彼は、しかし仄暗さに似た冷気と、自信ゆえの熱気を、その眼光に同居させている。横の二人に付き従っているのではなく、対等に渡り合える関係なのだと、瞳の輝きのみで分かるほどだった。

 最後に、二人の間――ではなく、半歩前を歩く男だ。

 アルターより低く、セオより高いところにある頭は、落ち着きもなく左へ寄り、右へ寄りとふらふらしていた。かといって、当然だが子供か病人のような印象を抱かせるわけではない。

 それどころか、むしろ真逆だ。

 誰しもまずアルターの上背や超然とした顔立ちに目がいくが、すぐにこの中心の男を見て呆気にとられるだろう。

 優男と言われて納得できる、暖かく柔らかい笑み。両の瞳には好奇心を覗かせ、穏やかな視線がきらきらと輝きながらあちらへこちらへと注がれるのだ。

 男の名はリース。

 リース・アディ。

 肌は日に焼けてなおもやや白く、北の生まれであることを教えてくれる。背は決して高くないが、引き締まった長い足と、幾千幾万と振るわれてきたことを物語る力強い腕が彼にはあった。

 彼が左の腰に提げている鞘すらも、鈍色ではなく白銀に錯覚させそうな風格。アルターやセオ同様に、戦闘用ではない普段着だったが、その鞘とそこに収まっているであろう長剣だけで、何者をも近寄らせない風格を漂わせていた。

 ……しかし、リースの眼差しには幼さに似た可愛らしさもある。

 左右の男がほとんど見もせず通り過ぎようとするにも拘らず、彼は露店の脇に立つ若い女に視線を注いでは、その笑みを投げかけるのだ。女は時に愛想笑いで返し、時に扱っている品を答え、時に黄色い声を上げる。

「なぁおいおいおい、折角の帝都だぞ? 折角のカジノだぞ? なんでそんな白けたツラしてんのさ」

 一人の女に手を振って、リースは両横の同行者に不満を向けた。

「わざわざ帝国(くんだ)りまで来て博打なんぞしたがる気持ちが俺には理解できないんだよ」

「僕もセオに同感だね。そもそもだ、卒業前に帝国遠征をしようと言ったのはどこの誰だったか。こっちに来てから、リース、君はどこに案内した? ギルドにも寄らずに遠征とは、笑わせてくれる」

 もううんざりだとばかりに、セオとアルターが揃って首を横に振る。

「……はぁ? いや、お前ら、それ本気で言ってんのか?」

 言われたリースも、しかし何故か呆れ顔だった。

「冗談だろ。卒業だぞ? まさか卒業記念に、それこそ帝国下りまで来て、()(もの)狩りでもするつもりだったってのか? そりゃ笑えるだろうさ、滑稽も滑稽だ」

 まるで毛ほども考えていなかったかのような口ぶりで、文字通り手を叩いて笑うリース。セオとアルターは、これに無言のまま圧を強めた。幻視できそうなほどの怒気である。

 そろそろ冬も終わろうかという頃だ。

 彼らは年齢こそ違うが、同期生として学園生活を送ってきた仲だった。それもこの冬までで、春になれば各々の道を別々に進み始める。折角だからその前に、とリースが気を利かせた卒業旅行だったが、この三人で観光旅行をしようなどという考えが土台間違っていたようだ。

「リース」

 怒気を隠そうともせず、セオが口を開いた。名を呼ばれたリースは、微風(そよかぜ)にでも吹かれているかのごとく涼しげな調子で「どうした?」と応じる。

「賭けをしに来たんだったよな?」

「あぁ、そうだとも」

 リースは頷き、胸を叩く。

「ならば賭けよう。今日この賭場……王帯鉄火場を出る時に、最も多く金を持っていた奴が勝ち、最も少ない奴が負け。負けた奴は勝った奴の帰りの旅費を全て負担した上で、そうだな、隣人討伐の依頼を十件こなして報酬を他二人に分配。どうだ?」

 セオは勝ち気に笑いかける。

 三人は大陸の南にあるジーク王国から、この帝都までやってきていた。大陸を縦断するだけの旅費――馬車だけでなく宿泊費や食事代も込みだろう――を負担するとなれば、それだけで馬鹿にならない額になる。

 加えて、隣人討伐の依頼を十件。隣人とは、人と同じように二本の腕と二本の足を持つ生物で、人間とも度々戦争をしてきた種族だ。彼らの群れが人間を襲ったり、街から備蓄していた食糧を盗んだりすれば、ギルド――王国でいうところの冒険者協会――を通して、討伐の依頼が出されることもある。

 害獣狩りや、怪の物の中でも非力な部類に入る鼠狼討伐などであれば、一日の酒代で消える額になることも多い。

 しかし隣人討伐となると、その危険度や緊急性から、相応の報酬金が約束されていた。その十件分を、しかも自分以外の二人に分配。

「いいぜ、俺は乗った」

 その程度の計算、傭兵や騎士を目指す彼らには造作もないことだ。

 自身が負ける可能性と、そうなった場合の出費に労力。そうした計算抜きに応じられるほど傭兵流の賭けは生易しいものではないのだが、リースはほとんど考える素振りも見せずに景気よく頷いていた。

「僕も異存ないね。リースに奢られての悠々自適な帰り道か、リースに分配された金で好きに飲み食いしながらの帰り道か。どちらにせよ僕は損をしない」

 アルターが鼻で笑うように言うと、セオも同意からの笑い声を上げる。

「へっ、言ってればいいさ。アルター、俺はてめぇから全財産巻き上げる気で豪遊してやる」

「どうして僕が負ける前提なのかは分からないが……」

「そりゃ、セオが賭けに負ける道理がないに決まってるからだろ」

 ふん、と鼻を鳴らすのみで、アルターはそれ以上何も言わなかった。

「過大評価されてて恐縮するよ」

 言い出しっぺながら早くも安泰と認められてしまったセオが、つまらなそうに相槌を打つ。

「だがよ、セオ。全員が赤字だったらどうなる? 全員が金を持たずに出てきたら?」

「当然、借金分も勘定に入れる」

 答え、リースの頷きを待たずにセオが続けた。

「あぁ、だが、俺はどう足掻いても赤字にはならん。悪かったな」

「そうだろうとも」

 即座に同意したのはアルターだ。どうやらリースも同じ考えらしく、無言で二度三度と頷いていた。単純にルールを明確にすることが目的の問いだったらしい。

「なら、決まりだ。リース、帰りは上等な馬車で頼む」

「……おい、セオ」

 リースの顔には気付きの色。

 なんだね、とわざとらしく応じるセオの頬は緩みきっていた。同期生と他愛ない話をする分には険しい目つきなどいらないのだ。

「一つ聞きたいんだが、お前、アルターが幾ら持ってきたか知ってるのか?」

 ここにきてようやく、彼も思い至ったらしい。アルターは勿論だが、セオすらもリースが負けるものとして語っている。話の発端が帝国遠征もとい卒業旅行だったことを考えれば、リースがからかいの的になるのも無理からぬことだろう。

 しかし、それでも妙だと彼は勘付いたのだ。

 三人は学校生活の中でも目立っていた。アルターは実技も優秀だが特に座学では最上位争いの常連だった見た目通りの秀才で、リースは実技で不動の首位。セオは二人ほど優秀な成績は残せなかったが、その二人に気圧されることなく追随できるだけの実力はあった。

 そんな三人である。

 誰か一人が圧倒的大差で負けることなど、ほとんどの事柄においてないように思えた。

 にも拘らず、リースの一人負けを想定するのであれば――。

「別に把握しちゃいないが、どうせシルヴァ辺りから保険の財布を持たされてることだろうさ」

 セオが軽く言う。

「人聞きの悪いことを言うな。嫌というほど言われ続けて、仕方なく予備を持ってきたに過ぎない。ちゃんと自分の金だよ」

 そう返すアルターの笑みは歪んでいた。嫁とも揶揄される恋人の言いなりになったことへの自嘲が半分、少なくとも負けはないと確信しているがゆえの自信が半分。そんな笑みだった。

「……セオ、お前は、ほら、彼女なんていなかったよな?」

 対するリースも笑っている。とはいえ、無論、こちらは引きつった笑みだ。

「あぁ。だが、卒業間近だろう? どこかで俺の名前を知ったらしい男がいてな、出発の前の夜に賭けを持ちかけてきやがった。『俺が勝ったら一緒に組んでくれ』とか、なんとか。しつこかったから応じてやったが、まぁ、あいつには申し訳ないことをしたよ」

 涼しい顔で言うセオ。勝った、とも言わなかったが、実際のところは明白だろう。

「…………幾らだ。幾ら持っていやがる」

「銀貨百五十枚」と答えたのはアルター。

「奴から巻き上げただけで二百」と勝ち誇った笑みを浮かべたのがセオ。

 ちなみに、銀貨が百枚で金貨一枚相当である。銀貨一枚あれば育ち盛りの子供が一日好きなだけ飲み食いすることもできるだろう。セオなら銀貨一枚でも酔い潰れることができる。

 勿論、旅行には少なくない額の金が必要だ。金貨程度も用意できなければ、大陸縦断の旅行など夢のまた夢。彼らは、その旅費を差し引いた額を口にしたのだ。

「……どんな財布してやがる」

 と、茫然自失のリースの財布に入っているのは、彼の記憶では銀貨五十枚。賭場に行くにしてもそれ以上持っていては帰り道が危うい、と預かり所に残したままだった。

「だが、俺はこれから賭場に行くんだ。賭け事ってのはな、夢を見せてくれんだよ。銀貨の百や二百がどうした。俺は金貨十枚でも二十枚でも稼いでやるっ!」

 ほとんど自棄っぱちに宣言してみせたリースに、セオでもアルターでもない誰かから拍手が向けられた。見れば、観光客や賭場の従業員がリースら三人を眺めてきている。

「良い威勢だ、夢掴めよっ」

「そこの優男! お前なら白兎も夢じゃねえ!」

「勝ったら俺にも奢ってくれ!」

 酒が入っているらしい野次馬が大半だったが、そんな野太い声援を受けてリースが胸を張る。

「どうだ、勝ってやるぜ、俺がよぉ!」

 どっと沸く周囲をよそに、セオがぽつり呟いた。

「俺は何もしないで金貨二枚確定だ。精々頑張れよ、優男」

 そんな声が届いたのか、届かなかったのか。

 ずんずんと我が物顔で歩いていくリース。猥雑だった通りを曲がった先に、その賭場の威容が現れた。

 重苦しさと華やかさを内包した、宮殿のごとき巨大な建物。

 開け放たれた鋼鉄の門の下を行く者は期待を乗せた軽やかな足取りで、出てくる者は歓喜に妥協に絶望と十人十色の足取りだ。

「それじゃあ、始めるぞ!」

 門を前に、二人を先導してきたリースが力強く言い放つ。

「宿までは一時間かからねえ。日が沈むまで思う存分稼いでやろう!」

 それが合図となって、リースとセオとアルター、三人の男が別れた。

 セオが潤沢な予算を守り切るのか、あるいはアルターが首位に躍り出るか、はたまたリースが大番狂わせを見せるのか。

 一人の男の思い付きから始まった賭けは、しかし誰も予想しなかった、できるはずもなかった結末を迎える。

 何故ならば――。

 帝国最大級の賭場、王帯鉄火場には、魔物が棲んでいる。

 賭博特有の高揚感や理性の喪失ではない。もっと純粋で、ゆえに畏怖される者が、そこにはいるのだ。

 帝都の白兎。

 その界隈では必ず耳にする名を、彼らもまた耳にしていた。

 しかし、誰一人として気には留めなかったのだ。意味深な謳い文句や大仰な二つ名などが傭兵の世界には溢れている。観光地の騒がしさも手伝って、彼らはその名を意識しなかった。

 そして、始まるのだ。

 嵐のごとく吹き荒れた、若き者たちの一日が。

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