Chapter 4
それから、私は自分のやりたいことを一生懸命考え始めた。
小さいころやりたかったことは何だったかな。
ピンクのふわっとしたチュチュを着て、バレエを踊ってみたかったっけ。
でも、今さら、バレエを習うなんてかったるい。
木登り、なわとび、自転車に乗ること。
こんなことなら、とりあえずできそうだ。
でも、これがお姉ちゃんを満足させるような答えだとは思えない。
お姉ちゃんのように私も小説を書いてみる?
お料理教室に通ってみる?
英語を習って、外国に留学する?
お姉ちゃんを喜ばせるような答えを思いついても、
それを本当に自分がやってみたいかというと、今一つピンとこない。
考えれば考えるほど、やりたいことなんて一つも思い浮かんでこない。
そもそも、強制されてやりたいことを思いつくことなんて、できるわけがない。
はっきりと具体的に夢や目標なんかがあるのは、
才能と直感に恵まれた一部の人であって、
それ以外のほとんどの人は、目の前のささやかな欲望を満たすことで満足して、
ただ何となく日々を過ごしているだけなんじゃないだろうか。
マスコミに登場するのは成功した人たちばかりだから、照れ隠しに
「誰でも、あきらめずに努力さえすれば夢は叶う」なんて言っているけれど、
だったら世の中有名人だらけになってしまうはずだ。
世間も、若い世代に夢だの大きな目標だのを持てと強要し、
あきらめるな、不可能はない、としきりにあおっているけれど、
そういうあんたたちはどうなのさ、と反論したくなる。
でもよくよく考えてみたら、「そういうあんたたち」なんて、
結局どこにもいないようなのだ。
じゃあいったい、誰が誰に、夢や目標を押し付けようとしているのだろうか。
私たちは正体のないものに、夢を持て、やりたいことを探せ、と
脅迫されている妄想にとりつかれているのかもしれない。
私が悩んで答えを出せないでいる間に、
少しずつお姉ちゃんのテンションは落ちてきた。
以前のように小説を書いても人気が上がらず、
いつの間にか連載や短編の依頼も減り、
取材だのテレビ出演だのも潮が引くように消えていきた。
それに比例して、お姉ちゃんは疲れた顔をして、
リビングのソファにゴロゴロしていることが多くなった。
「まあ、こんな時もあるよね。今までがちょっと急上昇過ぎたもんね」
私は慰めるつもりでそう言ったが、お姉ちゃんは青い顔をして、
「そろそろ、限界かも。もうパワー切れが近い・・・」
と、かすれた声で情けないことを言うばかりだった。
そんなことないよ、あきらめないで、がんばって!とは、私は言えなかった。
それを言う権利は、お姉ちゃんに何もかも頼って暮らしている私にはないのだ。
お姉ちゃんの仕事はどんどん減り、とうとう収入はゼロになってしまった。
お姉ちゃんが書いたものを持って行っても、
出版社から断られるほどになってしまったのだ。
まるでドミノを倒すみたいに、お金がどんどんなくなり、
私たちはとうとう両親が残してくれた家まで失うことになった。
売れるものは何もかも、ブランド品や家財道具一式を処分して、
最後に残ったゼロの少ない両親の預金通帳と身の回りの物を持って、
お姉ちゃんと私は家を出た。
話だけ聞いたことのある、お父さんの田舎の小さな漁村に行こうと、
古い年賀状の住所を頼りに、私たちは電車に乗った。
とりあえず親戚を頼って、それからまた二人で暮らしを立て直すことにしたのだ。
「なんだか、いっとう最初に戻ったみたいだね」
お姉ちゃんは、私と手をつなぎながら寂しく笑って言った。
「いっとう最初って?」
午後のけだるい光の中、私はあくびを噛み殺しながらたずねた。
「お父さんとお母さんがいなくなって、あんたと私の二人きりになった時のことだよ」
お姉ちゃんはそう言った。
なるほど、確かに、あの地味な生活が、また始まるのだろう。
「いいじゃん、それはそれで。また二人で気ままにやろうよ」
私はお姉ちゃんを励ますつもりで、なるべく明るくそう言った。
お姉ちゃんは、電車の窓の外の風景に目を向けた。
お姉ちゃんの肩越しに、電車の窓の外、
うんと向こうの方で水平線が午後の日差しにきらきら輝いて見えた。
「・・・私ね、夢や目標を持つのしんどかったよ、本当は」
不意にお姉ちゃんは、らしくないことを言った。
でも、今のお姉ちゃんの状況だったらやむを得ないと私は思った。
いつになく弱気なお姉ちゃんが、急に、すごく身近に、いとおしく感じた。
今まで、優しかったけど、私の前に君臨していた、ありがたいお姉ちゃん。
頼りがいがあり、才能にあふれ、無敵で何事にも動じないお姉ちゃん。
なあんだ。お姉ちゃんも私と同じだったのか。私はなんだかほっとしていた。
私の少しもつれた髪を長い指でそっとすきながら、お姉ちゃんは言った。
「だけど、そういうのがないと、もっとしんどかったから」
その気持ちは、私にも少し理解できた。
私ももう、以前のように、言い訳になるものは何もない。
ただ漠然と日々を送るには、何のダメージもない健康体にはちょっと退屈すぎる。
何事もない毎日には、何でもいいからやっぱり夢や目標が要るんだ。
「・・・でも、もういいんだ」
電車がカーブを曲がると、西日で逆光になり、
影のようになったお姉ちゃんの顔はもう見えない。
「これが、最後の夢で目標だったから。
小説家になって、有名になって、お金持ちになって、あんたの病気を治すこと」
お姉ちゃんは静かにそう言った。
笑っているのか、悲しそうにしているのか、
お姉ちゃんの声はしみとおるように丁寧に静かだった。
最後の夢だなんて、しおらしい。
でも、そういう、落ち込んだお姉ちゃんも私は大好きだよ。
そんな言葉を口には出さずに心の中でかみしめながら、照れ隠しに私は言った。
「これからは、私も何かアルバイトするよ。
だから安心して、お姉ちゃんは売れない作家やりなよ」
高校にも行っていない世間知らずの私に、何ができるかはわからないけれど、
こうしてお姉ちゃんといると、ちっとも不安ではなく、
何だか私はわくわくしてくるのだった。
「生意気なやつだなあ。でも頼もしいよ。ありがと、ちさと」
お姉ちゃんは喉の奥でククッと笑った。
まだまだお姉ちゃんと話していたいのに、なぜか、強烈な眠気が私を包んだ。
眠くてしょうがなくて、私はとうとう目を閉じてしまった。
遠くで、ガガーッと耳障りな重低音がした。
それからキキィッと悲鳴のようなブレーキの音、
そしてぐらりと体が揺れたのを感じた。