出発の準備 後編
遅くなりました。
あれから一週間が経ち、脱灰が終わった。
「おー、できてる……のかな?」
この、脱灰の終わった骨はオセインと呼ばれ、主成分はコラーゲンとなる。まぁ、多少変性してゼラチンになっちゃってるかもしれないけど、その辺はよくわからない。
とりあえず、目的の成分はゼラチンで、オセインの成分がコラーゲンだろうが、ゼラチンだろうが、どっちでもいいのだ。だって、最終的にはゼラチンになるんだし。
「まぁ、いっか。とりあえず、次だよね」
という訳で、次の作業にうつるべく、オセインを樽から取り出した。
オセインからはゼラチンが取れる。つまり、骨からゼラチンを抽出するための実験を、私はしているのだ。
ゼラチンは用途がたくさんある。例えばゼリーだったり、例えば医療用のカプセルだったり、例えば写真のフィルムだったり、応用の利く物質だ。
骨の買い手がいないのなら、作ればいい。でも、どうせなら高く買い取ってもらいたい。という訳で、効率の良いゼラチンの抽出方法を試しているんだけど、二週間っていうのがなぁ……。
まぁ、とにかくやってみるしかないよね。
チャポン、チャポン、チャポン――
取り出したオセインを硫酸に漬けた。……今日の作業はこれで終わり。
ゼラチン抽出、時間かかるなぁ……。でも、これでも短くしたのだ。本当はここで石灰漬けにしたいんだけど、その方法だと抽出に二か月くらいかかってしまう。
だから、今回は酸漬けだ。
酸に漬けることで、本来は水に溶け難いゼラチンを水に溶けやすくして、抽出しやすくするのが目的だ。
酸漬けと石灰漬けは両方とも同じ目的、ゼラチンを溶けやすくするっていう目的で行う作業だけど、酸と石灰では取れるゼラチンの性質が変わってしまう。
ゼラチンの用途は沢山あるけど、カプセルとか写真とかは敷居が高そうなので、とりあえずはゼリーの製作を考えているんだけど、石灰漬けで取れるゼラチンの方が強度が高いので、たぶん、ゼリーには石灰漬けのゼラチンの方がいいんだろうなぁと思っている。
でも、こればっかりはどうしようもないので、とにかく今できることをしよう。
私は樽を放置して牧場の仕事を手伝った。
翌日、オセイン樽の液を換えているとアントンさんがやってきた。
「やあ、レーヌちゃん。お父さんかお母さんはいるかい?」
「あ、はい。ちょっと待ってくださいね」
一人で来たところを見ると、家族の説得には失敗しちゃった感じなのかな?
それにしては、あまり気落ちした様子がないよね……。
うーん、どっちだろう?
「何をやっているんだい?」
「ちょっとした実験ですよ?」
「あはは、実験か。面白そうだね」
「そうですねー。お待たせしました。こっちです」
作業を終えた私はアントンさんをお母さんのもとへと案内した。
「お母さーん! アントンさんが来たよー!」
「あらー! いらっしゃーい! ちょっと待っててねー!」
「私がやっとくよー!」
「そう? それじゃあ、お願いねー!」
お母さんは洗濯物を取り込んでいる所だったので、代わりに私が仕事を引き継いだ。
アントンさんとお母さんが家の中へと入っていく様子を眺めつつ、急いで洗濯物を取り込んでいく。
だって、気になるんだもん。早く話を聞きに行きたい!
「あら、レーヌ。洗濯物ありがとう」
洗濯物を取り込み終わったところでお母さんたちが家から出てきた。
「あ、うん。アントンさんはもう帰っちゃうの?」
「いいえ。アントンさんのお家に案内するところよ」
「そうなんだ! ていうことは?」
「ああ、これからよろしくね、レーヌちゃん」
そっか、よかった。これで家の牧場もアントンさん達も安泰だね!
「さぁ、ここよ」
気になってお母さんたちに着いてきちゃった私だけど、実はどんな家か知っている。だって、片付けを家族皆でしたから。
牧場の土地は広いとは言え、住居が複数あるわけではない。今までは必要なかったからね。
だけど、建物は結構ある。牛舎だったり、厩舎だったり、鶏小屋だったり……。その中から、仮住まいとして選ばれたのが、今目の前にある元倉庫だ。
「大きな建物ですねー」
「元々倉庫だったから一回しかないけどね」
「それでも十分ですよ。入っても?」
「ええ、どうぞ」
「お邪魔します」
中は外での見た目よりも広く感じる。外で見た時から大きいのだから、中に入ったら、それはもう、凄まじい広さだ。
「広すぎて落ち着かないですね……」
「家具が入れば狭くなるわよ」
「いやいや、それでも広いですって……」
「まぁ、あくまで仮住まいだしね。家が完成するまではここで過ごしてもらうわ」
「何から何まですいません……」
「いいのよ。こちらから頼んでいるのだし、これから一緒に働く仲間ですもの」
「よろしくお願いします」
「ええ、よろしく。それで、ここで問題はないかしら?」
「え? ええ、勿論です!」
「何時ごろ引越しできそうなの?」
「そうですね……。あと一週間くらいかと……」
「そう……。レーヌの方が先かしらね」
「そうだね」
「すいません……」
「あ、いいんですよ。後を頼みます!」
「あはは、頑張るよ」
その後アントンさんは一晩牧場に泊まり、翌朝街へと帰って行った。
アントンさんたち家族が来るのは私が出ていった後になるだろうけど、帰ってきたときにどんな風になっているのか少し楽しみだ。
さて、アントンさんが帰った日の昼。私はようやくゼラチンを抽出することにした。
いや、まぁ、今までもゼラチン抽出の作業だったんだけど……。
今までのはゼラチン以外の物を除去する作業で、今からはゼラチンそのものを抽出する作業だ。
いよいよ最後の工程となる。
私が出ていくまでに実験が終わりそうで、よかった。
先ずは液からオセインを取り出してよく洗う。硫酸によってゼラチンを水に溶けやすくしているんだけど、余分な硫酸は洗い流さないとね。
そうして、よく洗ったオセインを綺麗な水の入った鍋に入れて、あとは煮込むだけ。なんだか、ゼラチンの抽出は漬けて洗って煮込んでばかりの気がするよ……。
本当はこの煮込む作業もいろいろ温度を段階分けしてやるんだけど、温度計がないからね。そういう事はなかなか難しい。
なので、鍋に突っ込んで、ただ煮るだけとうい簡略化した方式をとった。……たぶん大丈夫。
そして、煮込むこと数時間後、なんとなくオセインが溶けた気がするので、残り
カスを取り出した。
ゼラチンは温度が高いときは液体状だけど、温度が下がればゲル状になる。なので、この鍋の液は冷ませばゲル状になってくれるはずだ。
私はなるべく早く冷めるように、風を送りながら待つことにした。
パタパタと風を送る。もちろん、埃が入らないように蓋はしてある。風を送っては、時折蓋を開けてゼラチンが固まっているかを確認する。そんな作業の繰り返しだ。
ゼラチンは骨や皮から採れる。元はコラーゲンと言われていたタンパク質が変性してできるのがゼラチンで、だから、コラーゲンが豊富な骨や皮からよく採れる。
とはいっても、骨の場合は、主成分がリン酸カルシウムなわけで……。正直、あんまり取れない。骨から採ったら、だいたい一割くらいの重さになっちゃうんじゃないかな?
今回は、一抱えの骨だったから、たぶん、採れるコラーゲンは文字通りほんの一握りくらいだと思う。
まぁ、水に溶かしているから、その分多く見えるんだけど。
こうやって、骨からゼラチンを抽出する作業はなんだか、今私が置かれている状況について考えさせられてしまう。
ゼラチン、それは言わば選ばれし者だ。
骨の中からゼラチン以外は除外されて、ゼラチンだけが選ばれる。ほんの一握りの者だけが選ばれる。
治療魔法もきっとそうなんだろう。
教会のほんの一握りの人しか使えない。
何年も、何年も、何年も、修業して、習得できる治療魔法。でも、習得できない人の方が多い。途中で除去されてしまう者たちと同じだ。
一応、私は治療魔法が使えるけれど、それでも、除去されないとは限らない。
ゼラチンが治療魔法を使える人で、他の物質が使えない人だとすると、私は一応ゼラチンと言うことになる。
けれど、ゼラチンの抽出では、百パーセントのゼラチンが抽出できるわけじゃなくて、少なからずロスが出てしまう。残りカスの中にゼラチンが全くないという訳ではないのだ。
私は残りカスの方に行ってしまうかもしれない。
少なくとも、今の私の治療魔法は残りカスと同じだ。完全な治療魔法じゃなくて、副作用っていう不純物が混じっているんだ。
精製、つまり、王都に行って、勉強して、純粋なゼラチン、完全な治療魔法を習得できるのかな? 残りカスのままな終わってしまうんじゃないのかな?
そういう不安がどうしても拭い去れない。
もちろん覚悟はできている。今更、やめました、とか言うつもりはない。
だけど、不安は消えないんだ。
考えても仕方のないことだとは思う。だけど考えることはやめられない。昔の偉い人が、人は考える葦だ、なんて言ってたらしいけど、確かに考えちゃうよね……。私が、葦の様に弱くて強いのかはわからないけど。
けど、見れども見れどもゼラチンが固まる様子がない。
鍋はとっくに冷えて、素手で触っても問題はないほどなのに。今が夏だから、気温が高すぎるのかな?
でも、しっかり固まらなくても、少し粘性が出るくらいはしてもいいんじゃないかとも思う。
うーん、別の要因となると……、水が多すぎるとか?
確かに、水が多かったら固まるものも固まらないよね。ゼラチンだって際限なく水を固められるわけじゃないんだし。
何にだって限界っていうものはあるよね。治療魔法にだって、たぶん……。
はぁ……。仕方ない。水を蒸発させるためにもう一回火にかけてみようかな。
けれど、結局ゼラチンは固まることはなく、私の実験は失敗に終わった。
実験には失敗がつきもので、失敗は成功のもとと言うけれど、出発前のこの失敗は私の心に大きな雲を張った。
結局私は最後まで家族の役には立てなかった。




